第61話 皇の剣士①

 また、あの音が聞える。

 どうして。私はまだ……ここにいるの?

 未だに意識があることに信じられず、頭の中で首を傾げる。


 でも、それどころではない。


 ――眩しい。


 何故だろう? 


 神話に伝わる最期の光が私を包み、天界へ誘おうとでもしているんだろうか?

 そんなわけはない。

 私はそんな、良い子ではないのだから。


 でも、この温かい光は……一体?


 重く閉じた瞼を再び開かせようとする光。

 それに促されるがままに、愚かにも、力を込めてそれを持ち上げる。


 そして、私の目に映ったのは――


 小麦のような黄金の髪を短く靡かせ、果てしなく続く空に似た蒼穹の瞳を向ける童子。


 白光を帯びた剣を振るい、大きな鎧騎士へ果敢に何度も斬り結ぶ、小さな男の子の姿。


 聖なるオーラすら纏って見える風貌は、何処までも私の知っているものではない。


 でも、私には解る。


 姿は違えど、見間違うはずはない。


 まるで、絵本に登場する皇の剣士のような出で立ちであろうと関係ない。


 彼は……あの子は、私の幼なじみだ。


 あの子は――今まで破ったことのない私の言葉を、最期の思いを反故にしたのだ。

 逃げろと言った私の言葉を、無下にしたのだ。


 ――でも、どうして。


 こんなにも。

 こんなにも、私の心は喜んでいるんだろうか。魂が安心しているんだろうか。

 心底、胸を撫で下ろしているのだろうか。

 何故、情が弾み、何処か興奮しているのだろうか。


 矛盾した感情が、渦を巻き、私の心を埋めていく。


(ご、めんね。ユ、ウ……)


 零れ出た声にもならないその言葉を最後に、再び私の意識は暗転した。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 サラの輝きが再び消えた。

 だが、まだ希望はあるはずだ。

 最後まで諦めるわけにはいかない。


 ゴーレムとの間合いは近い。僕は剣を構え、橋を蹴り、小さく跳ぶと――


「せやあああ! ――たああああ!」


 声を上げながらゴーレムの鎧に右切り上げからの垂直斬り下しを見舞う。


 頭の兜まではさすがに届かないか。


 そして、傷は確かに入る。だが薄い。あまり効いていないような気がする。


 剣が光り始めたときに切り込み、効果がありそうだった溢れ出る光の穂も、ゴーレムの赤黒いオーラでかき消えてしまった。


 繰り出される左足の蹴りを回避するため、僕は後ろに大きく飛び退き、再度身体の正中線に剣を沿えて構えた。


 こんな芸当はいつもならできないが、不思議と身体が軽いためそれを可能としている。


 何故? と疑問符が浮かばないというと嘘になるが、今はそれを突き止める猶予はない。


「くそ! どうすればいい!」


 思わず、悪態を吐く。

 ヤツが手中に収めたままのサラの光は消え、こちらの攻撃は少ししか通らない。


 加えて相手は未だ転移するだけの魔力を保持しているだろうという推測を交えると……、


 状況は依然として絶望的だ。


 でも、不思議と僕の頭は回っている。

 どうしてなのか分からないけれど、冷静でいられる。


「ゴオオオオ!」


 呻きながらのゴーレムの右拳が放たれる。

 右に飛び、それを剣で撫でるように反らしながら再度間合いを詰めるため、駆ける。


 ゴーレムの腕を守る鋼鉄と剣の刃が触れ、火花を散らしながら、僕は迫る。


「はあああ――――!」


 再び渾身の剣閃を見舞い鋭い金属音を奏でるが、これもさっきと同じだ。


 ――どうしてだ。


 僕が振るうこの剣は聖竜様の鱗を使用した――おそらくこの国で最高位に位置する剣だ。

 それにドワーフの神聖術のような謎の光も付与され、単純に考えるとギルフィードの剣を遥かに凌ぐ剣のハズ。


 それがどうして、こんな結果になっている?


 考えろ、考えるんだ。


「……!」


 そのとき間近にあった――ゴーレムの足に刻まれた白い一本の抉られたような線が、目に留まる。これは塔の中でも見たものだ。

 窪んでいることからも元から付いているものではなさそうに見えるし、鎧の装飾の類も薄い。これがどういった経緯で付いた物かはわからない。


 考えられるとすれば、塔の中にいた南方の隊長さんが付けたものだろうが――


 ……一体どうやって?


「――ッ!」


 繰り出される拳を避けるため、再度、飛び退いてゴーレムから距離を取る。


 ゴーレムは一切衰えを見せない。


 それに対処するため僕は、攻撃と退避を組み合わせたパターンに嵌ってしまっている。


 加えて無尽蔵にも思えるゴーレムの力。

 このままでは、きっといずれは僕の体力が先に尽きてゴーレムにやられる。


 これを打破するには、剣戟の衝撃が通るようにしなければ――


 僕はゴーレムを見ながら、思考を巡らす。

 打開する手法、形勢逆転の一手を、足りない頭で考える。


「…………」


 しかし、見えるのは己の付けた微々たる傷。僅かな剣閃の痕跡。それのみだ。

 あんな程度ではとても……。


 ……いや、もしかしたら。


「線……剣……」


 ゴーレムに刻まれた薄く細い傷の線と自分の持つ剣を交互に見る。


「――そうか!」


 瞬時、ある考えに至り――閃いた。


 これなら。

 もしかしたらもしかするかもしれない。


 かなりの技術が要されるが、やらないという選択肢はない。


 覚悟を決め、僕は腰を低く落としながら野にそよぐ疾風の如く駆ける。

 途中ゴーレムの左拳が僕を襲うが、最低限の動きで左に僅かに体を動かして避ける。


 素早く狼のように走り寄り、ついに、僕はゴーレムを間合いに捉え――


 低く屈んだ姿勢から大きく伸び、力強く地面を蹴りながら、慎重かつ強靭に剣を振るう。


 そして、跳ぶ力が頂点に達し、僅かに宙に浮いた身体が落下し始めるそのとき、寸分違わず狙いを定め――振り下ろす。


 瞬間、刃が鎧を撫でて鈍い金属音が響く。


 それを鼓膜で感じとりながら横に飛び退き、襲い来る蹴りを避け、次の剣閃も外さないように――正確に見舞う。


 ギイイッ!


 剣先に確かな感触を捉えた

 箇所を見やるとゴーレムの鎧に刻まれた細い傷は――


 幾分かさっきよりも深くなった。


 ……どうやら、うまくいったみたいだ。


 僕がやったことは、決して大それたものではない。


 考えれば、誰だってそりゃそうだと言い残し、拍子抜けしてしまうだろう。


 さっき僕がしたことは――傷の入った鎧、その痕跡をなぞるように剣を振るう。


 ただそれだけだ。


 僅かな傷の上から、それを上書きするように剣閃を振るえば、当然にして傷は深くなる。


 おそらく、塔にいた南方の隊長さんは近衛騎士団の装備、ギルフィードの剣でこれと同じことをやったのだ。


 ギルフィードの剣は切れ味も凄まじいが、聖竜の剣でも傷を付けられなかったところをみるに、目星となる傷は見えなかったハズ。


 微かに刻んだ見えない傷を長年の勘で特定し、近衛騎士団に昇進するほどの卓越した剣技で何度も同じところに剣を振るう――こうして不可視の傷痕を刃で撫でることを可能とし、それに加えて、大人の腕力に物を言わせてゴーレムに傷を付けたんだ。


 無論、あんな硬い鎧に何度も斬り込むような無茶な戦い方をすれば、たとえ天下一の剣の頂であるギルフィードの剣と言えどいずれ折れてしまうだろう。


 しかし、それを差し引いて、単純に実戦でそれを可能にしたということは、ギルフィードの鍛冶職人が優秀であり、剣を振るったおじさんも相当な腕の立つ剣士だったからに他ならない。


 この剣閃は――少しでも傷と剣が当たる箇所がずれてしまうと意味はない。


 強靭で、かつ繊細な剣捌きが必要になる。


 遅くなる視界がなければ、普段の僕ではとてもできないことは明白な至難の業だ。


(ありがとう、おじさん……)


 おじさんが足に傷を付けてくれなければ、思いつかなかった。


 心の中で、深い感謝を述べながら、僕は――再度、剣を握り直し、振るう。


 かつて自分がつけた傷をなぞるべく遅く見える世界で、ゴーレムに剣を浴びせる。


 ゴーレムの攻撃は、散々見てきた。


 魔法の拳を使ってこないところを見るに、サラを攫う転移術のための魔力を残すのみとなったのだろう。


 近い間合いでも、何故か向上しているように感じる身体能力を活かし、ゴーレムの攻撃を避ける。


 そして、僕はさっき、あることにも気が向いていた。


 ゴーレムはこんなに分厚く硬い鎧に覆われているのだ。特に胸部は一段と厚くその守りは堅固である。


 それは何故か。

 きっと、その鎧の中には、秘められた弱点があるんだ。


 浅はかで単純、愚直で安直な考えだが――この地道な【なぞり剣術】しかない現状、いずれは僕の精神力と体力が底を尽きることは自分自身が一番わかっていた。


 そしてその結末は……塔で倒れていたおじさんが既に示してくれている。


 つまりはこれに賭けるしか今の僕にはないのだ。


 力尽き、剣は折れ、地に伏すか――鎧を破砕し、弱点を突き砕き、サラを救うか。

 どちらにせよ、鎧を食い破るには……何度でも剣を叩きつける以外には道はないんだ!


 心で叫びながら、僕は何度も剣を斬り入れる。


 それに応えるように微かに入った傷は、少しずつ深くなっていく。

 光の粒子の穂も少し持続時間が長くなっている気がする。


 この光がもし、神聖法理術の光系統のものならば――特性は【鋭利】だ。


(きっと、僕に力を貸してくれるはず!)


 僕は光の加護に寄せる密かな期待を秘めながら、ゴーレムの蹴りや拳を寸前で躱し、塔の続きのような激闘に移行した。


 しかし、ゴーレムは何度も斬られたからか、はたまた光に当てられたからか、動きが鈍重となった。鎧の傷――今までその光を消すべく赤黒いオーラが滲んでいたのに、それが一段と弱々しくなった。


 今なら!

 鎧を何としても貫通するため、剣を振るい、鎧の胸当てにあたる箇所に、新しくひし形のような傷を付ける。


 僕の頭より高い位置にあるその傷に斬り込むため、地面を何度も蹴って跳躍する。

 そして、ひたすら斬る。幾度も、何度も、諦めることなく、性懲りもなく、己の剣を当て続ける。


「はあああああああああ!」


 攻撃が止んだ今、その一瞬に際して、一心不乱に切り刻む。


 ぴょんぴょんと跳ね、地面に足が着くまでに二、三回斬り、着地すれば、弾むように跳ねて、また斬って地に足を着ける。それを繰り返す。端から見たらさぞ滑稽に映るだろう。


 傷の上をなぞり流れる剣戟は師であるベルさんのそれよりも当然にして醜く、とてもじゃないが美しいものではない。まさしく、子供の遊びのそれだ。


 でも、だとしても、振るい続ける。


 遅くなった視界がいつまで続くか分からない。これが最後かもしれないのだ。今、できることに全力を注がなけらばならないときに、剣術がどうだとか考えている猶予は微塵もない。なりふり構ってはいられないんだ。


 剣を振るい、斬るたびに、剣の刃が徐々に傷の深みへと沈んで、光の粒子を散らす。


 ――切れろ。切れてくれ!


「をおおおおおおおおお!」


 叫ぶ。剣を何度もひし形のそれに結ぶ。


 右斜め上段斬り下し、返す手で左下段斜め切り上げ、右斜め上段切り上げ、返すように左斜め下段斬り下し――そこから、剣が回転するが如く、黒い鎧に白く光る傷をなぞって斬っていく。次第に傷が最深部に達し、ついにバキっという音が僕の鼓膜を叩いた。


「――はああああ!」


 一段と力を籠めて鎧を斬る。


 僕は、それを契機にひし形に新たなバツ印を刻む。

 今度はひたすら、交差の印になるよう斬っていく。

 何度も重ねられる線は、次第に太くなり、鎧を蝕んでいく。

 そして、それは、新たな、深部へと達した。


 ――バキッ!


「グオオオ――――!」


 聞いた中で一番大きなゴーレムの呻きと共に、鎧の悲鳴が聞こえた。

 瞬間、僕は足で地面を蹴ると少しゴーレムから距離を取り――地面と平行にした剣を顔の右横で構え――


「せあああああ――!」


 僅かな助走を伴って僕はバツの中心に渾身の突きを入れた。

 鎧のバツが交わるその一点を――白い光の刃が貫き穿つ。

 漆黒の鉄壁に、雪よりも白く細い剣が深く刺さる。


 一瞬の硬直。しかし、すぐにそこを起点として、白い光が奔流するように傷を流れ始め、恐ろしいまでに吹きあがり、今まで切った痕についた傷にも亀裂が延びていく。


 そして、剣の刃の光が一段と輝いたかと思うと、バン――!


 ゴーレムが纏っていた胸部の鎧が、砕け、周囲に大小の破片となって散らばった。


 ついに、あの堅固な鎧を突き砕いた。


 達成感と共に、現れたのは――


「――っ!」


 ゴーレムの胸部の鎧が砕け、阻むものが無くなった剣の先。

 そこにあったのは――


 人の頭ほどの大きさを誇る――赤く輝く水晶のような美しい宝石だった。


 そして、それを見て僕は思い出す。

 サラとの思い出。初めて出会った頃の記憶。その一端に、一緒に皇室秘蔵図書館で盗み読んだ絵本の光景が、その記述が脳裏に浮かぶ。


 ――操り人形の騎士。心の代わりに入れられた宝玉が、彼らを動かす呪いの元。


 語られていた赤い宝石の中には――炎のような何かが揺らめいて遊色を湛えていた。


(これを壊せば!)


 ゴーレムを倒せる!


 素早く僕は剣を、再度構え直す。

 そして、その美しい宝石を、先の鎧のように突き砕くべく――


「はああああ――!」


 渾身の一撃を――

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