第59話 親友

 騒乱に見舞われた城の地下。


 薄暗い闇に侵食された聖賢の間で、俺は破魔の剣を折った彼の者と剣合を切り結び、鍔迫り合いの態勢になった。


「――!」


 受け止めた剣戟は力強く、剣の腕も並みではない。

 自然に手に力が入る。


「ほう。魔将たる私の寛大な恩情を不意にし、単なる棒切れを使っているにしては、中々やるではないか」


 友人に語り掛けるような軽い声色で、奴は俺を詰る。

 俺は、開戦前に「剣をやろう」という魔将の言葉を断った。

 どうやらそれがお気に召さないらしい。


「お前などこれで十分だ」


 俺も魔将に軽口を返す。

 すると、魔将は若干形の整った眉を寄せた。


「……そうか。でもよかったのか? あの少年に追いかけさせて」

「何が言いたい?」

「しらばっくれても無駄だ。お前さんは剣士だ。その剣捌きが只の鍛冶屋なわけがないだろう?」

「……俺はただの老いぼれ鍛冶屋だッ!」


 宣言と共に鍔迫り合いを解除し、右側面から魔将を斬り込む。


「いいや、まごうことなき剣士だ!」


 魔将も声を張り上げ、斬り返してきた。


 ――奇襲をかけたつもりだったが、軽く返されてしまった。


 俺の剣閃を防ぎ、返す剣でさらに俺へ攻め込んで来る。


「その剣士様が、姫を攫われ、それを子供一人で追いかけさせてもいいのか?」


 攻勢を強めた魔将に、俺は防御一遍にならざるを得ない。

 態度とは裏腹に鋭い剣筋だ。魔将というだけはある。

 俺の焦る顔が面白いのか、奴は薄気味悪い笑みを見せて語り始めた。


「詳しくはないが、魔族領と人界を隔てる結界が弱まり、若干の縮小すら始まっていた。考えられるとすれば神器に何かあったか、それを扱う者に何かあったかの二択と踏んでいるが……どちらにせよ、将来的に神器を扱うだろうあの姫さんが重要であることには変わりはない。極めつけに召喚した魔物は魔族軍でも類を見ない強兵つわものだ」


 魔将は、人界の結界についても理解があるようだ。


 それに、姫様を攫った魔物――


(奴が召喚した魔物はゴーレム。十年前皇都を攻め、町を焼いた魔物と同じ……)


 否応にも十年前を思い出す。

 そのとき、魔将は真正面に剣を振り下ろしてきた。

 俺もそれを木剣で受け止め、再度鍔迫り合いとなる。

 だが奴の方が力が強いらしく、打ち合った途端に押され始める。


「その顔は、あの魔物が何か知っているみたいだな」


 魔将は意味深に笑みを浮かべる。


「ご存知の通りアレはゴーレム。今回は奪取を目的にしていたため、そこまでの数は用意できていないが……それでも子供一人相手なら余りあるくらいだ」

「俺の息子は――強いっ!」


 俺は、力に任せて、剣を押し返す――!


 サラ様が我が拙宅に行幸遊ばされたあの日――俺は息子のユウトを試した。


 俺は、サラ様の水浴びに供する護衛としてユウトを指名し、密かに木々の陰に忍んで見守っていた。

 仮に危機が迫れば私がサラ様を守る――そう考えながら、サラ様とユウトの将来の憂いを絶つため、ユウト自身の思いと覚悟を試していた。


 その顛末で、俺は見た。


 サラ様が真にユウトを信頼され、強く想われておいでなのだと。

 ユウトがサラ様を守る覚悟と比類なき思いを抱いているのだと。


 狼に襲われるサラ様を前にして、剣を抜くことすらできなかった俺とは違うのだ。

 襲われるサラ様を救うため、すぐさま猟銃を抜き、サラ様だけでなく狼の命をも思って正確に肩を撃ち抜いたユウトとは、違うのだ。


 あいつは俺とは違う。


 あいつならサラ様を守れる。


 だから――俺の息子は、誰よりも強い!


「ああそうかい!」


 それを逆手にとって剣を引き、力の均衡をずらした。

 鍔迫り合いから脱した魔将は、再び攻勢に出る。


「お前がどう思おうと勝手だが、ゴーレムは……人間の子供如きが相手にできるものではない! また、先刻召喚せし鎧の騎士は十年前よりも精強となっている! そして――」


 ここ一番、真上から剣を強く打ち込んできた。

 何とか受けるが、木剣が軋む。


「大地を踏みしめ、すべてを薙ぎ倒し、ひれ伏せる強靭なる傀儡の騎士――ゴーレムがあのような子供に敗れることなど決してありえない!」


 縦横無尽に振るわれる魔将の剣を受け続けた木剣が、ついに異音を立て始める。


「それはお前も同じこと!」


 俺を睨みつけ、奴はさらに力を強めた。


「なまくらにも劣るッ! 剣と呼ぶにも粗雑な木剣でッ! 私の相手をしようなどという傲慢なる思い上がりッ! ここで打ち砕いてくれるッ――」


 怒り狂った台詞と怒気を剣にのせ、振るうごとに口上を区切った連撃を受けながら、強かに耐えるが、更なる猛攻の三連撃が襲い――最後の切り上げで、


「ハアッ!」


 木剣が切られ、俺は丸腰になった。


「――これで終わりだ!!」


 怒り心頭の魔将に、大剣を振り下ろされる。


 が――


「――ッ!」


 突如、氷柱が飛来してきたかと思うと、魔将へと剣戟が見舞われた。

 魔将は早急に飛び退き、剣戟を躱す。


「――何をやっているんですか」


 耳朶を叩くのは、ひどく聞きなじみのある声。


ともあろう貴方がこの様とは……情けないですね」


 俺に背を向けたまま、魔将と俺の間に割り込んできた此奴こいつは――


「お前は――」

「勘違いしないでください。助けたわけではありません」


 乱入者は、かつての皇王が北方の領主だけに許したという青を基調とした装いを纏い、相変わらずの丁寧な口調で軽口を叩く。


「私は、私の信念によって、ここに立っている。ただそれだけです」


 此度の謀反を首謀したと思われる存在。


 北方アルベント地方の領主――カルベアラ・ジェルサレス=ノーリタ。


 俺の親友が聖賢の間に現れた。


 あまりにも突然で、呆気に取られるが……俺は少しだけ笑う。


「呆けている場合ではありませんよ。次席」


 親友の注意に気を取り直し、距離を取った魔将を見やる。


「貴様、裏切りおったか」

「黙りなさい。薄汚れた魔族が。私をたばかったことを後悔させて差し上げます」


 憎々し気に睨んでくる魔将に、親友はピシッと剣先を向けた。

 何があったのかは分からないが、やはり何か訳ありだったようだ。


「……思わぬ邪魔が入ったな。二人か、ならば――」


 魔将は、何やら式句を唱えた。


 ――この式句はゴーレムを召喚したときと同じ? まさか!


 奴の手に、赤黒く光る不可思議な幾何学紋様の円陣が浮かび上がった。

 そこから現れる数多の黒い粒子が、次々と地に落ちていき、俺たちを囲むように黒い塊を多数創造する。


 それは……いや、それらは、俺と親友の背と同じほどに積みあがると、表面に残ったらしい黒い粒子が散った。


 現れたのは、ゴブリンやコボルトなどの魔物たち。


 奴等は、俺と親友の周囲を文字通り取り囲んだ。


「どうやら、面倒なことになったようですね」

「そう、みたいだな」


 現れた魔物たちに警戒しつつ首だけで俺を見やった親友は、俺の腰あたりを確認すると、当時同期生から評判だったやや切れ長な目を細めた。


「……剣は抜けないのですか?」

「ああ。どうにも、な」


 俺は歯切れの悪い言葉を返す。

 親友には、あの件について話したことはない。

 だが、貴族の情報網を使って知ってはいるのだろう。


 俺が剣を抜けなくなったことを。


「仕方ありませんね。これを――」


 目を閉じ、数舜考える仕草をした親友が片手で差し出してきたのは――木剣。


「これなら信じられるでしょう?」


 促されるままに、木剣を受け取る。


「これは……」


 この木剣は――俺が騎士学院で使っていたもの。卒業の折に、親交の証として親友に贈ったものだ。

 此奴はそれをずっと持っていた……のか?


「元はあなたのものです。堅固の術は既にかけてありますから、ご心配には及びません。しばらくはこれで我慢しなさい」


 いつになく不愛想な口調で独り言のように言うと、親友は正面を向き、にじり寄って来る魔物たちへ剣を向けた。


「ああ、ありがとうな」


 俺も礼を述べ、親友に背を向けた。

 じりじりと寄ってくる魔物たちに学院時代の自分の木剣を向ける。


(懐かしい感触だな。ずっと手入れをしてくれていたらしい)


 ほんの暫し感慨にふける。

 それに、さすが親友のかけた堅固の術だ。俺のものより丈夫なのが触れただけで分かる。


「後ろは、任せたぞ」

「それは心外ですね。せいぜい後ろには気をつけておいてください。いつ刃が向かうか、分かりませんよ?」

「相変わらずだな。少しだけ、まだやれそうな気がしてきたぜ」


 学院時代のように、俺たちは気安く言葉を交わす。

 実を言うと、魔将の相手はかなり厳しかった。

 カルラが来てくれたおかげで、まだしばらくは保ちそうだ。


 本当に、感謝する。


「――私の後ろは頼みましたよ、セド」

「ああ。……カルラ、負けるなよ」

「そっくりそのままお返しします」


 一見してやるせない語調ながら、親友をよく知る俺の中でその言葉は確かに力強かった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 城と東の塔を繋ぐ渡り橋の上。

 僕はゴーレムに聖竜の剣を向けながら、不思議な現象を目の当たりにした。


「あれは……ッ?」


 ゴーレムの大きな手に囚われているサラの首飾りが光り輝いている。

 何が起こったのかは分からないけど――


「サラ!」


 ここぞとばかりに僕はサラに呼びかける。

 それを阻むようにゴーレムが、新たに攻撃を繰り出してくる。


「サラッ!」


 攻め来る拳を何とか避けながら、再度呼びかける。

 でも、サラからの返答はない。


「くっ」


 ゴーレムの拳による攻撃はとめどなく炸裂し、間一髪のところで避ける。

 随時邪魔をしてくるゴーレムに、僕は怒りが抑えられない。


「――サラを……放せ!」


 荒ぶる感情のまま、力任せに剣を振るう。


「放せよ!!」


 すぐさま、二撃目を叩き込む。

 だが、依然として効果はないようだ。


(なんで、効かないんだ!)


 心の底から怒りが湧いてくるのを実感しながら、ゴーレムを睨むと……サラがもぞもぞと苦しそうに動いているのが見えた。必死にゴーレムの間から出したらしい手には、細長い何かが握られている。


 そして、小さく口を動かしている。

 これは……式句?

 

 ひとまず、意識はあるようだ。

 また呼びかけようと口を開きかけた瞬間、ゴーレムが動きを速めた。


 直後放たれた、豪速の蹴り――


「――ッ」


 受け身も取れない。

 直撃する――確信したそのとき、凄まじい衝撃と共に、後ろへ――塔のある方へと身体が飛ばされる。


 自らの体が宙に浮かんだ不思議な感覚が体を支配した。

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