第58話 臆する皇女に神は宿らず
「そんな……」
図らずも靡く金髪を目で追うと、ゴーレムは城と塔を繋ぐ橋の上にドシンと大きな音を立てて仰向けに打ち付けられた。
瞬間に、僕は急いで階段を駆け降りる。
――無事でいてくれ! サラ!
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いても立っていられず東の塔からすぐに出る。
「サラ!」
ゴーレムの近くに寄り、サラの状況を確かめる。
幸か不幸かゴーレムは仰向けに落ちたため、サラはその巨体の下敷きにならずに済み、見たところ傷を負っているようには見えない。
ゴーレムが倒れている今の内ならサラを――
「――!」
そう僅かに抱いた期待を裏切り、塔から転落した巨躯の魔物は、サラを手にしたまま傲然と立ち上がった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
厳然とした式典と儀礼。裏切りの戦禍。燃える城。折られた神器。
……朦朧とした意識の中で、順を追うようにそれらの記憶が脳裏を駆け巡る。
敵と思しき何者かが今まで聞いたことのない術の式句を唱え、その結果現れた巨人の鎧騎士の姿が浮かぶが……それ以降の記憶がないのだ。
しかし――
いくつも重なる鉄を叩く音。前に聞いたことのあるアレンさんやセドさんが打つ鍛冶の音とは違う、血に満ちた怖い音色。
それらが何度も私の意識を揺さぶっていた。
ここで眠っているだけではだめだと。
早く起きろと。
そう急かすように、その音は絶え間なく続いていた。
そんな恐怖の音が、途轍もない別の大きな音でかき消され、突然、空を飛んでいるような感触が体にまとわりついた。
そして体を襲う大きな衝撃が四肢五体を貫き――私は僅かながら意識を得ていた。
目を少し開く。
瞬間、飛び込んでくるのは、薄らぼんやりとした視界。
……倒れている? 視線が低い。
でも……それにしては違和感がある。
そう思っていると、硬い何かが擦れるような謎の音と共に、急に視線が高くなった。
依然として意識は朦朧とし、何処か自分が自分でないような気がする。
これは、夢?
そう思わざるを得ないほど現実味がない。低いところから高いところに行くなんてそんなことが……。
そう思ったときだった。
あり得ない光景を私の狭い視界が捉える。
私は、重たい瞼を必死に持ち上げて……目を、見開いた。
――見慣れた城下町から数多の煙の柱が上がっている。
大小様々なそれの数は見えるだけで二十。
いや、それ以上あるだろう。
火事という線もある。でも、その光景が先ほどの逡巡を現実と証明するのには十分たり得ていた。つまり、ノーリタ卿の謀反が起こった現状に於いて、単なる火事という考えは捨てざるを得ない。
そして、あのとき現れた兵士たちの装いは、スロールラバン連合帝国のモノ。
きっと……城だけでなく城下町までその刃を向け、その剣の下に跪けさせ、隷属させる気なのだ。ひょんなことながら、私の友人となってくれたパン屋オルゴの看板娘、ミヤのことが脳裏に浮かぶ。
その屈託のない粛然とした女の子の笑顔が、真っ赤な炎に包まれる感覚に陥る。
――私のせいだ。
自らの選択と我がままが、こんな事態を招いたのだ。
遅すぎる自責の念が胸中を渦巻く。
声が出ない。
口が震え始め、ついには口を手で覆おうとしたとき――自らが巨大な手に拘束されていることに今更ながら気づいた。
あのとき、あの暗黒の鎧をきた巨人に私は不用心にも囚われたのだ。
それに驚愕した続け様に――金属が打ち合うような、騎士学院に響き渡る剣戟のような音が、長い髪が覆う耳の鼓膜を叩いた。
何とか体をよじって、首を向け、それが聞こえる方向を見ると――
私の幼なじみが、剣を構え、私を文字通り手中に収めた者に向かって斬りかかっていた。
今日の儀式のために買ったという貴族の子供が着るような礼服調の衣服を纏い、その至る所が裂けて肌を露わにして、そこから覗く肌が赤く染まっている。
「ハアア! ――せい、やッ!」
痛む素振りひとつせず、彼は再び、私を捕らえた魔物に果敢にも挑んでいる。
いつも穏やかなあの子が、黒髪を振り乱し、黒い瞳で睨み、眉を吊り上げている。
そんな途轍もない形相に変わっていた。
口を何度も開いて必死に何かを叫びながら、私にくれた美しい白刃の剣を振っている。
彼は今、私のために……こんなどうしようもない自分のために酷く傷つき、あんな憤怒にまみれた顔をしているのだ。
思えば、私は彼を散々振り回してきた。
この城で出会ったあのときからだ。
勝負と称する勝手に決めた遊びを強要し、自らの身分を考えず彼を困らせてきた。
出会いからして酷いものだ。彼を巻き込んで、かくれんぼと称し、城内を駆けた。
そして、使用人に見つかり彼が剣士長のセドさんや侍従たちに怒られるハメになった。
私が彼に近づいた理由である母親代わりになる――などというのは至極自分勝手で、極めて不遜な思い上がりでしかない。事実は自分が褒められたいだけだったのだから。
私が、彼の傍にいる資格など、最初からなかったというのに、隣に居座り続けた。
それにも係わらず、取り決められた婚姻を渋り、なおも彼の隣にいたいと願ったことがこの惨劇を引き起こす引き金になっているのだ。
これは――紛れもなく私が招いたことであり、私の不用心と我がままのせいで……関係のない人を巻き込んでしまった罪だ。
許されない。決して許されるものではない。
……この国には王族、貴族は民を守る使命がある。
その遂行のためにはあらゆる手段を用いて、自己を厭わず、危地と言えども身を投じる覚悟が求められる。
そして、私は神聖術を引き出す能力が他人より劣っている。
だとしたら私は――
「あ、蒼……き、天に……宣告、す……」
喉を無理やり震わせて、呻くような苦しい声で天上への願いを絞り出す。
――この身がどうなってもいい。たとえ野に晒す屍となろうとも構わない。ただ――
無辜なる民たち、魔に脅かされるすべての者を――
あの子を、ユウトを――
守りたい!
強く願ったとき、私の中で硬い何かがひび割れるような音がした。
そして、ついに気でもおかしくなったのか、ぼやける視界に小さな光の粒が見え始めた。
でも、今なお剣を振る彼にはそれが見えていないのか、少しも気にする振りをみせない。
この光の粒が何なのか。疑問に思ったそのとき――
『己の心・技・体を以て汝の信ずる誇りを現下大衆に示せ』
何故か、よく知るその言葉が、頭の中に浮かび私に問うた。
騎士の決闘に用いられるこの文言は、元来、王族に課せられた責務を内外に示す宣言だ。
民を守る矜持、魔を排する聖なる力、神を宿す器。
それらを以って王族とされる。
私は見せかけの皇女。
即ち、お母様に言われた『国を思い、民を守る、強き母』など、ここにはいない。
ただいるのは、無能で傲慢な愚かなる童子ただ一人。
でも……この思いに、私の願いに、心意たる祈願に、曇り淀む嘘偽りは一切ない。
ピキッ――
私が無能なのは解っている。
ピキピキッ――
だから、私が持てるすべてを捧げる。
ピキピキピキッ――
愚かなる童子が奉る我が生涯最後の願い――
私の国民と、目の前にいる私の幼なじみを、私の……大切なものを――
――助けたい!
硬く厚い殻を破り、心の底から出てきた思いが弾けた。
その瞬間、音と共に累乗的に増えていった光の粒が同期するように私の傍から飛散し、激しさを増す奔流となって、いくつもの光の帯が私を中心として展開した。
そして、それは、驚く間もなく私の首元に収束し――強く煌めき、輝き始めた。
首元を彩り、瞬く花の彫刻――それはまるで、あの日みた美しい星のようだった。
――臆する皇女に神は宿らず。挑まぬ剣士に守る国なし。
その格言の意味するところはまだ誰も知らない。
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