第55話 愛を知る獣

 普段より一段と薄暗い城下の路地に、私の詠唱が響く。


 オルゴさんの忠告を無視し、襲い来る魔物たちを相手にして戦っていたのだが、


「ぐ――」


 ふらっと目眩がして思わず膝を尽きそうになるのを耐えた。


 あれからコボルトを三体は倒したのだけど、途中から参戦してきたゴブリンも合わさり、私たち眼前には十体近くの群れとなっている。

 何体かには木属性の術を使い、茨の縄で縛って行動不能にさせているが、それもいつまで持つかは分からず時間の問題だと思う。


 それに加えて、この体調の悪さ……。


 経験のない戦闘に気後れしつつある……というのもあるが、一番は――


「ミヤっ!」

「大丈夫です! これくらい……平気です!」


 私が神聖術で築いた土壁の上から心配そうな顔を覗かせるオルゴさんの声に、精一杯の笑顔で答える。


 それも一瞬。


(これ以上、長引かせるわけにはいかない)


 すぐコボルトを眼中に据え、手を構える。


「蒼き天に宣告す――」


 詠唱起句を諳んじ――構えた手の先に棒状の物質を生成する。


「――樹の矢、我が心意に下りて、射撃せよ!」


 式句を叫ぶと、構えたコボルトの方向へ凄まじい速さで飛翔し――


「グアアアアアアアアアア――」


 魔物の中央中心に深々と刺さった。


 恐ろしい叫び声が終わると、脱力するように膝から地面に倒れた。


 喜びたいところだけど……、


「はあ、はあ……」


 神聖力を使い過ぎたためか酷い息切れがする。

 身体が限界に近いのかもしれない。


 だけど、オルゴさんたちを守らないと――。

 私が、決めたんだから!


「まだ、倒れるわけには……!」

「グヲオオオオオオオ!!」

「――!」


 後ろから!?


「樹よ! 彼の者を射ち放て!!」


 突然背後に現れ、腕を振り上げる魔物に略式詠唱で木の矢を撃つ。


 それは確かに魔物に刺さり、怯む――が、絶命まではいかない。


 ――やられた!


 覚悟し、目を固く瞑ったとき。


「グオオオッ!!」


 突如、驚くような叫び声があがった。


 来るべきはずの攻撃が一向に来ないのを不思議に思い、片目だけを開きつつ顔を上げると――大きなコボルトが両手を上げてもがいていた。


 そして、背中へ乱暴に腕を伸ばし、何かを強引にむしり取り、怒ったように高く大空に放った。


 放られたそれは――みごと私の目の前に四本足でスタッと着地した。

 決して、背中で地面を受けない、何度ほうられようと強かに歯向かう。

 愛らしくも人の心を聞かぬ己が第一の自由な獣――



 それは、いつかの日に助けた猫だった。





   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「はあ……はあ……」


 呼吸が荒くなり、ドクンドクンと脈が早まるのを感じる。


 ……何とか生きているみたいだ。


 己の鼓動を感じ、やっと現実に戻ってきた気がする。


 現在、僕はレンガ調に構築された橋の外壁の隙間に剣を突き立て、それに両手でぶら下がる形で生存を果たしている。

 落ちたときは心臓が飛び出るかと思ったが……何とか渡り橋に剣を刺すことに成功した。


「……ひいッ」


 下を見てしまい、身の毛のよだつ感嘆が飛び出た。


 眼下には綺麗に整えられた庭の芝生が見え、地に足つかぬ感覚に酷く恐怖を覚える。


 また、体を撫でるように吹く風がさらにそれを煽ってくる。


 それらの恐怖の感覚が高所にこの渡り橋があることを示し、落ちればただでは済まないことを瞬時に理解させていた。


 咄嗟の判断、本能的に動いていた自分に感謝するしかないな。


 ……とにかく、早く上に登らないと。


 下を見ないよう、恐る恐る横を見ると――先端に槍のような器具をつけ、若干斜め上に向いた子供ひとり分くらいの長さのある白い棒が生えていた。その棒にはまま大きな皇室の聖陽紋の刺繍が施され周囲を金糸で彩った蒼い垂布が紐で結ばれている。


 いわゆる旗だ。


 今日は式典だったから、飾りとして取り付けたんだろうか。

 それらが渡り橋の側面を彩る装飾として城から塔まで一列に備え付けられていた。

 畏れ多いけど……、これを利用させていただこう。


 こわごわとしながら、剣から片手を離す。


 右腕から右肩にかけて僕の全体重が重くのしかかる。

 あちこちが軋む体に構わず、僕は棒に左手をかける。


 深呼吸し、力を込めて……一気にこちらに引き寄せるッ!


 ――ぐぬぬぬぬぬっ!


 僕が力を込めるごとに棒がしなっていく。

 これならいけるかッ!


 ――ぐをおおおおおおおッ!


 橋の側面に足をかけながら左手で渾身の力を込め、さらに白い棒を弛ませる。


 ――うおおおおおおおおおおおッ!


 もうこれ以上は無理――そう思ったときだった。


 ……バキッ!


 ついに音を立てて棒が折れた……そこまでは良かった。だけど――


 ――おもッ! 重いぞこれ!


 想像以上に棒が重く、左に体の重心が傾く!


 ……ずるっ!


 その重さと手汗で、命綱ならぬ命剣となった聖竜の剣の柄を掴む僕の手が少し滑る。


 い、急がないとッ!


 僕は恐怖で暴れ回る心臓と内心焦る気持ちを深呼吸で何とか押し留める。


 ――サラ待っててくれ。いま、助けに行くから!


 サラは僕よりももっと怖い目に遭っているのだ。早く上に戻らないと!


 覚悟を決めた僕は地面と平行に刺さった聖竜の剣の刃に垂布を結んでいる紐をあてがうべく、


 ――うおおおおおおおおおりゃあああっ!


 勢いそのままにそれを頭上へと掲げ、垂布が背中を通り抜けるようにして聖竜の剣の上に棒を置いた。


 美しく気高いそれは、体の右手に垂れると飄々と風に靡いて、勇ましい風貌を見せつけていた。


 流石、聖竜の剣だ。思い棒の支えにしてもびくともしない。


 そのまま剣の上を滑らせるようにして……棒を引く!


 すると垂布と棒を結んでいた紐が音もなく、聖竜の剣の刃によって切り離され、風に流されるままに虚空の中を落ちていった。


 残った棒はさっきよりも軽く、先端の金属製の鋭利な装飾のせいでさながら槍のように見える。


 よし、第一段階は完了!


 古い戦の時代、槍に主人あるじの印を染め抜いた布切れを掲げて戦場に臨んだという伝統から、ハイリタ聖皇国の旗の先端には必ず金属製の器具――槍頭を模した装飾が取り付けられているのだ。


 これを、使い勝手のいい長さに分断すれば!


 そう思った僕は白い棒だけになったそれの金属部分を持ち、狙いを定め、剣の刃で!


 カンッ!


 歯切れの良い音を立てて、見事硬そうな棒が切れた。

 槍頭に対して柄が短く、ずんぐりむっくりな風貌。

 先端から柄頭まで本二冊を縦に並べたぐらいの長さだ。

 さながら、使い勝手の良い短剣のようである。


 これで第二段階完了。

 次は――登るぞ。


 左手に即席の短剣を手にした僕は、かつてベルさんの稽古でやった懸垂をするような要領で右手に力を込め、己を空へと押し上げる。


「……くっ!」


 そして……ガスッ!


 刺さっている聖竜の剣より少しだけ高い位置に短剣を突き立てた。

 体重を徐々に左に、短剣の方にかけていく。


 全体重が短剣に乗ったとき――


 ……よし、大丈夫そうだ。


 思わず安堵の息を吐く。

 短剣は難なく僕の体重を支えてくれて、抜けることなく壁に突き立っている。

 これなら何とか大丈夫そうだな。


 そう判断し、僕は右手にある聖竜の剣を引き抜いた。

 そして有らん限りの力を左手にかけながら己を空に近づけると、さっきよりもさらに上にあるレンガ調に組まれた外壁の隙間、接着面の溝に刃を突き立てる。


 逆に今度は短剣を引き抜き――同じ要領でさらに上に差し込む。


 そうして懸垂と剣の抜き差しを繰り返していく。


「――行かなきゃ! 早く! もっと、早く!」


 気づくと心の声が言葉として出ていた。


 何度も剣を抜いては刺し、抜いては刺しを繰り返して高みを目指す。


 嘲笑うかのように急に吹いた風が容赦なく襲い、滑り落ちかけるも何とか耐え、再び空を睨む。


 そしてついに……手すりに、高みへと手が届いた。

 渾身の力を込め、一気に己の手で体を引き上げる。


「はあ、はあ……ゴーレム、は……?」


 僕は安堵の息切れをしながら渡り橋に降り立つと、両手に剣を持ったまま膝に手をついて呼吸を整える。


 あれからどれくらい経ったのか体感ではよく分からない。


 もしかしたらそれほど経っていないのかも――


 ギシッ! ギシッ!


「――!」


 心配したのも束の間、突如、大きな振動が渡り橋を震わせている。


 その振動の発生源は体感的に塔の方角。まさか……いや、間違いない!


 ――ゴーレムがサラを攫って塔を登っているんだ。


 急がなきゃ!


 僕は聖竜の剣を右手に、短剣を左手に携えながら東の塔へと駆け出した。


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