第54話 神樹の花
転移術の類は大きく分けて二つしかない。
一つは視認できる範囲内への転移。
もう一つはよっぽど強い思念を持つ場所への転移。
一般的に前者が使用する神聖力が比較的少なくて済む。
後者は発動させるための神聖力が膨大であることはもちろん思念だけで転移先の場所を特定する必要があり、ある程度高位の神聖術士であったとしても何行にも及ぶ長い術式の式句を諳んじる必要があるらしい。
魔族の魔法がどんな代物かは分からないが、神聖法理術と同じような特性や術理を持つのなら、油断ならない敵勢力の状況下で後者を選ぶとは考えにくい。
ゴーレムは無敵の強さを誇っているが、場所の特定と術式の詠唱を同時に行えるほどの器用さはないだろう。即席で召喚された点からそんな気がする。
ただ、スロールラバンの兵士は転移してきた。
それも軍勢で。
どんな術理か分からないが、これはさっきあげたもののどちらでもないような気がする。
……て、そんなこと考えている場合じゃなかった!
急いで探さないと。
色々と気がかりだがお城でサラと遊んだときの記憶を頼りにして城の階段を上っていく。
「こっちにいるはず……」
辿り着いた上階の天望回廊からゴーレムが向かいそうな場所を見つけるべく辺りを見渡してみる。
「――見つけた!」
定まった僕の視線の先には、本丸から延びる東の塔へと向かう――まま大きな橋を渡ろうとしているゴーレムがいた。
ここから近い――すぐに階を下り、急いでゴーレムの近くへと駆ける。
「待てっ!」
大きな声で僕は警告を発した。
だが、ゴーレムは見向きもせず、ひたすら塔を目指し橋の上で歩を進めている。
――無視、か。
「待てって……言ってるだろうがっ!!」
無意識にも心の声を叫びながら抜剣し、僕はゴーレムを後ろから切りかかった。
僕の剣がゴーレムの背を捉え、振り抜く――!
しかし、僕が描いていたこととは裏腹に――ゴーレムの鎧には傷すら入らない。
「な――」
驚いている僕に全く構うことなくゴーレムは前へと進み続ける。
「ふざけるなよ……せいァア!――」
手応えはないだろうと思いつつも、太い足を斬りつけながらゴーレムの前に躍り出た。
そこでやっとゴーレムの歩みが止まった。
「サラ!」
ヤツの前に出たことで分かったが、大きな右腕に掴まれたサラは気絶しているみたいだ。
じっと目を閉じ、体に力が入っていないのか、ぐったりとしている。
「許さない……絶対に、お前を――!」
自然と剣を握る力が強まる。
「うおおおお――!」
僕は我武者羅に剣を左下に構えながらゴーレムに向かう。
「――!」
突如、ゴーレムが大きな腕を振りかぶった。
咄嗟のことに思わず剣で受ける態勢を取った――いや、取ってしまった。
そう思ったと同時に重い衝撃が襲った。
いなそうとするが、できない。
身体が、浮いて……、
打たれた拳撃の余勢そのままに、渡り橋から、離れて、外へ――
僕が見たのは空を覆い尽くす曇天の灰色と、橋の上で睥睨する黒いゴーレムの姿だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
観光地として名高い平和の広場。
現在では対魔物戦の本陣が置かれた重要拠点である。
「――
短い詠唱の後、時計の門上空に大きな木の盾が生成される。
今まさに我らを襲おうとしていた空を飛べる一つ目の魔物は、防御神聖術の余波で消し飛ばした。
「ご無事ですかな。陛下」
振り向くことなくお訊ねすると、
「ああ、大丈夫だ」
と背後から短めのお言葉が返ってきた。
皇王陛下が無事で何よりだ。
敵の勢いは増し、飛翔する魔物まで手が回っていない。
畏れ多いことに陛下が広場に結界を張られて幾分かマシにはなったが、依然と内部の掃討に手を焼いているようだ。
弓術に長けた西方の領主殿がいてくださればよかったのだが……如何せん皇都は広いからのう……ここだけに戦力を集中するわけにはいかぬ。
「ジェノン……相談がある」
突如、陛下の神妙な声が聞こえたため、急ぎ陛下の方を向く。
「何でしょう?」
「其方も戦線に加わってほしい」
「――! し、しかし、それでは陛下の守りが」
「構わぬ。真意を明かせば、ここに赴いてからずっと考えておったのだ」
間髪を入れない陛下のお言葉。
それは深い考慮の上、決断をされたことを意味していた。
「我は愚鈍なる王。神の力を授けられたのにも係わらず、その証たる神器を扱えぬ只の老いぼれよ。そのような無能を守ることは其方の責務ではない」
「陛下……」
ハイリタ聖皇国の皇の王は神より与えられた至宝を操り、静穏なる世の平安を保つ。
それが王族の主である皇王の責務だった。
魔族に対抗するだけでなく、豊穣の大地を守るためにも皇王の聖なる力は欠かせない。
陛下はそれを……。
「民にはお主が必要だ。我が友ならば、分かるだろう?」
「――できませぬ」
「何?」
「できませぬ。と、申し上げました」
光を抱く天の如き蒼い目を鋭くさせた陛下に、儂は毅然と断った。
王に対する態度ではない。
それでも、言わねばならない。
幼き頃からの友であり、近くから見ていた一臣下として。
「私は存じております。陛下がどれだけの辛酸を舐めてこられたか」
いくら気の知れた友人とは言え、王に物申すというのは貴族として恐れ多いことだ。
乱れつつある息を整え、平然を保つ。
「憲法に定められた名ばかりの皇王大権。眼前にあるのは今や張りぼてと化した玉座。好むと好まざるに係わらず物も言えぬ御前会議。公に意思を示されることすら憚られる存在。それが――皇の王」
ある時代から皇王は国政に介入することを暗黙の了解として禁じられた。
それに恭順するかのように、四方領主もことさら国政の要である議会に口を挟むことを控えた。
しかし……、
「であるのに課せられた責務は重くのしかかり、周囲は構わず更なる重圧をかけてゆく」
臣下である貴族たちは魔族大戦後の復興政策が上手くいかない状況を、偏に神器を扱う皇王陛下の力不足が要因であるとして自らの策で改善する努力を放棄した。
神器の力が弱まっている事実が求心力と王としての権威を曇らせ、直接的には言わずとも婉曲的に皇室を批判する声が相次いだ。
それには、無論サラ皇女に対するものも含まれる。
「さぞ、お辛かったでしょう」
神器が扱えない事実とそれでも王として振舞わざるを得ない現実。
併せてサラ皇女まで巻き込まれるとなれば……。
「なればこそ、サラ皇女を慮るが故にあえて距離を取られ、許される限りでの自由をお与えになった。而して、ここぞとなれば迷わずサラ皇女のため采配する姿勢に私は、深く感服致している次第であります」
まだ幼き皇女をこれ以上の誹りから守るためにあえて褒めることはせず、教育に対して厳しく心気苛烈な皇后陛下と並んで距離を取られた。
そして、隣国の王子殿下との婚姻については、サラ皇女の気持ちを重んじ、過去の王族の前例を探し出して待つように下令した。
この二つは儂の心によく残っている。
「何より、ここで貴方様の傍を離れれば……ご子息のご兄弟にも顔向けできませぬ。セドリックやサラ皇女、そしてあの鍛冶屋の少年も同じことを言うでしょう」
「ジェノン……」
儂の進言に答えるが如く、陛下は我が名を呼んで下さった。
幼き頃の友のように。
……久々にそんなお顔を見れて安心した。
静かに再び陛下を背にすると、儂は懐から杖を抜いた。
「しかし、これは因果ですな」
「因果?」
「ベルに言ったことが返ってきました――民と王族その両方を守れ。その因果が」
滅多なことはいうものじゃないのう……。
できれば陛下を守るために神聖力は温存しておきたかったが、ご心配ならば仕方ない。
「陛下、先の戦線に加われというご命令は遂行致します。ですが、私は陛下のお傍を離れません」
「……それでは其方の神聖力が――」
「心配ご無用。私は陛下の忠臣です故!」
陛下の配慮を制し、杖を構えると同時に力を込める。
「蒼き天に宣告す。主の命に背かんことを誓い奉り、今此処に我が意の祈願に応え給え」
詠唱起句を正しく諳んじると、徐々に、力の波が、風を生んでいく。
「――今亡き梢の大輪花、天啓以って命を絶つ」
突然、平和の広場に木が生え――曇天を目指して伸びていく。
「吹かすも風、薫るも風、咲かすも風、散らすも風。ただそよぐは野に生ゆる草。悠久なる深緑の草原。無垢なる雑兵は無と化し、ただ野に晒す屍とならざりける」
詠唱を続け――杖の先から吹き荒れる風が、成長する木をもっと押し上げていく。
そして、螺旋状の気流となった風と共に大樹となった木から茎や葉が伸びると、空を飛ぶ魔物たちを取り囲み、一気に締め付けた。
緑の縄に捕らわれた魔物たちはなおも果敢に逃げようと必死だが……もう遅い。
一瞬で吹いていた風が止み、固く巻き付いた緑が光り出す。
徐々に徐々に、そのまま力を吸い取っていく。
そして……少しすると、暴れていた魔物たちは動かなくなった。
奴等から奪った力は、そのままでは使えないため木の呼吸により神聖力へと変換する。
この過程で大樹となった木は広場全体を覆うほど雄々しく育ち、瑞々しい命の輝きを放っている。
四方八方へと自由に枝を伸ばした大樹は、捕らえた魔物の数だけ枝に白い蕾をつけた。
魔物は今や炭のように変質している。
さて、枯れて果ててしまう前に――。
「――然れども、屍を糧と成し今此処に蕾は出でた。斯くして我が颯が命を吹き込む」
構えたままの杖に更なる力を込めて風を生み出し、
「我が心意に恭順し、敬虔と咲き戦げ――」
息吹く大樹の大輪花、生殺与奪の花風の調べ――
「聖封界花ッ!」
最後の一押しを終えると、一斉に見事な美しい花を咲かせた。
同時に、今にも粉になりそうな魔物たちへ、花は緑の縄を通じ力と暗示を送る。
――闇魔の
一気に力が注がれた魔物は、頭上に小さな紋章が浮かぶ。
木々を象ったそれは南方領土を表す【聖なる樹と花】だ。
正義の紋を得た魔物たちは、緑の縄から解き放たれると、すぐさま地上で剣士と戦っていた魔物を一斉に攻撃し始めた。
唐突な大樹の出現に戸惑っていた剣士たちもこれには凄まじい感嘆の声を上げておる。
敵を自らの配下に加える……高位神聖術だから為せる奇跡よのぅ。
それは甚大な神聖力を使う故そう幾度もできるものではないが、これで剣士たちも……そして、陛下もご安心なされるだろう。
……おお、そうじゃった。これだけは伝えておかねば。
「――ひとつ言い忘れておりました」
儂はまた陛下の方へと向き直る。
「聖なる皇国の護り手――近衛騎士団はこの程度で倒れませぬ。信じてくだされ」
そう申し上げながら、陛下の目をしかと見る。
「他ならぬ陛下の近衛なのですから」
――近衛騎士団。
彼等の胸に羽ばたく羽根が一つの連翼となったとき、如何なる敵をも粉砕す。
幾度も闇魔を退けた連戦連勝の剣技に悖る心得などありはしない――
それを証明するかのように、広場では剣士の歓声が上がる。
ひとまずは、凌いだようだな。
「……そうだな。すまぬ」
共に剣を掲げる剣士を見下ろしながら――ハイリタの王は、僅かに微笑んだ。
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