第53話 二重の戦地
皇王が住まう皇城の膝元――皇都ハイリタの城下町。
いつもは人々の営みの声が響く晴朗な都だ。
しかし、今このときは違っていた。
「――光を以って、総てを焼く灼熱の
渋い声色で神聖法理術の詠唱を諳んじ、身の丈ほどもある硬く強靭な大槌を振るう。
槌からは熱炎が巻き起こり民を脅かす魔物たちを燃やし尽くしていた。
その姿はまさに偉丈夫――ハイリタ聖皇国ティベット東方領主エメリタ卿その人である。
国内一の工業都市群があり、加えて鉱物資源の豊富なことから火・土系統を象徴とする東方領土の領主として名を知られた四大貴族のひとりだ。
いま皇王の命によっていち早く前線に赴き
ちなみに、彼は城下町東地区の担当である。
「焼いても焼いても湧いてきよる……どうなっとるんじゃ」
十年前の魔族大戦で孤立する最中に前線基地を防衛し切った猛者のエメリタ卿だったが――先ほどの神聖術によって燃やし薙いだ者の後ろから再び現れる数多の魔物たちの群れを見るとため息交じりでそうぼやき、顔を歪ませる。
だが、瞬時に心を切り替えて再び得物の大槌を構え――
「西はうまいことやっとるとええんじゃがな」
憂うる言葉が呟かれると再度炎を纏った槌が魔物の大群に向けて大きく振るわれた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
皇都ハイリタ城下町――西方地区。
東方地区に比べて商店が多く、居住する家屋も東方地区の二倍近くある商店街と住宅街を兼ねた城下町で最も盛んな地区だ。
しかし、その多くが魔物の手によって火を放たれていた。
「――
水鳥の白い羽根を装飾にした演奏指揮棒――タクトを手に詠唱が紡がれ、神速の疾風が魔物を襲う。
空から放たれた中位神聖術に為す術なく次々に粉砕される魔物だったが……、
「……まだいるのか」
風に裂かれた魔物を踏み越え、新たな魔物が次から次へと現れる。
その様子を空から見据える恰幅の良い男――ハイリタ聖皇国ラリール西方領主ウォーリタ卿はやれやれと言った風にそう呟いた。
外国との貿易の要衝である潮風靡く港と、それに伴う夜のない街――商都を構えることから風・闇系統を象徴とする西方領土を任された四大貴族のひとりである。
そのため、高位の貴族しか発動できない浮遊・飛翔神聖術を四方領主の中で最も上手く扱う。
「神聖力も心もとないが……これもすべては皇国のためだ」
これまでの防衛戦闘でかなり術を使い魔物を風に召してきたが、まだその勢いは止まることはない。
民の生命と財産を預かるいち貴族として危惧すべき状況だ。
「ノーゲルト家当主を前にして、ただで済むと思うなよ、魔物ども!」
ウォーリタ卿は決意した面持ちになると、タクトを魔物に向けて構え――
「――今亡き
長大な式句を諳んじ、
「我が心意に恭順し、敬虔と咲き戦げ――」
術式を編み込んでいく。
そして――
「蒼天よ、我が主命に応えよ!」
術を発動する詠唱起句が紡がれた。
放たれたのは風と木の属性を併せ持った大規模神聖術。
間違いなく高位の神聖法理術だ。
本来なら、術の核となる木が生え、そこから吹き荒れる風に乗った茎や葉が伸びて魔物を取り囲み動きを封じた後、生えた木の枝に花が咲くことで敵の持つ力を吸い取り消滅、或いは操る技だが……。
ウォーリタ卿が今放ったそれは、魔物を風の刃で切り刻み、伸びた茎で拘束するまでで終わってしまう。
「……息吹く大樹の大輪花、生殺与奪の花風の調べ――
そう言うとウォーリタ卿は不満そうに舌を噛む。
「致し方あるまい」
気落ちしたウォーリタ卿はどこからともなくタクトをもう一本取り出し、既に持っていたタクトと一直線になるように構える。
するとそれを合図にしたかのように、タクトが急に光り始めた。
しばらくして光が消え現れたのは、一本の弦を備えた半月のように撓る武器。
「一匹一匹着実に仕留めてやろう。――我が颯の力を篤とみよ!」
勇ましく宣言したウォーリタ卿の姿は、先と打って変わって痩せていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今日はお祝いの日だった。
たくさんの人がお店に来てくれた。
それ以外、何事もいつも通りだった。
なのに――
「オラアー! お客様には、指一本触れさせんぞッ!」
このお店の店主であるオルゴさんの声が響く。
その声色はいつもの穏やかなものではなく、鬼気迫る……怒鳴るようなものだ。
手に取った箒を振り回し狼のような顔をした魔物――コボルトをどうにか牽制している。
――午前の品を捌き切って店内の掃除をしていると、突然見たこともないような恐ろしい姿をした魔物がお店の入り口に現れたのだ。
そして、運が悪いことに――
「おねえちゃんっ」
「大丈夫、大丈夫だから!」
不安そうに私に縋る女の子を必死に宥める。
震えているその小さな胸には怯えた様子の猫を抱いている。
そう、猫ちゃんの飼い主であるあの女の子がこの場にいるんだ。
他にも付き添いだったのか女の子が通う修道院の修道女の方がいる。
「うあッ――」
「オルゴさん!」
私がお客さんに気を取られている隙に、魔物の深い爪で抉られたオルゴさんは後ろ向きに倒れる。
その瞬間、オルゴさんはいち早く魔物を強引に箒で突き放し、後ずさりながら立ち上がって片腕だけで構え直した。
だけど、魔物はこれ幸いと言わんばかりに店内へと躊躇なく入って来てしまう。
「ミヤ、俺のことはいいッ。早く皆をつれて逃げろ。お前ならやれるだろ!」
「いやです! ここは私たちのお店です! それに、それじゃオルゴさんが!」
「我がままを言うんじゃねえ!」
怒るオルゴさんとの問答の間にも魔物はジリジリと迫ってきて、
「ウガアアアアアアアアアアア―――」
唸り声を上げながらコボルトがオルゴさんに飛び掛かった。
それと同時に大きく開かれた凶悪な口から覗く鋭い牙に私は思わず目を背け、女の子を抱き締めてしまう。
そのほんの少し後、恐る恐るお店の入り口の方を見ると……辛うじてオルゴさんが魔物の牙を箒で受け止めていた。
「――俺が時間を稼ぐ! だから、手遅れになる前に……早く!」
オルゴさんは私をチラチラと見ながらそんなことを言っているが……。
「ど、どうすれば……!」
ここじゃ火は使えないし、得意な風も……ここで使うとオルゴさんや皆まで巻き込んでしまう! 比較的安全な水はなかなか難しいし……。
私はこの危機的な状況を目の前にどうしようか必死に考えを巡らせる。
(――そうだ!)
思いついたまま、女の子を残してお店の厨房に行くと白い袋をひとつとボウルを手に取った。白い袋のふちを手で破り、それに入っていた中身をボウルの中にいっぱい注ぎ込んでまた女の子やオルゴさんのいるお店の入り口付近まで戻る。
「お、おねえちゃん……」
何かをしようとしている私を案じているのか、怯えるような震え声の女の子を安心させるために笑顔で一回頷く。
その後、頭の中を切り替えて――
「オルゴさん目を瞑って――!」
叫ぶと同時にお店の勘定をするテーブルに乗り、オルゴさんを襲う魔物に向かってボウルの中のモノを勢いよく放り投げた。
ボウルの中身は……パン屋なら必ずある小麦粉だ。
(狙い通りにいけば――!)
私が投げたそれが魔物の目に付着すると苦しそうにもがき、獣の巨体が大きく怯んだ。
「――はっ!」
その隙に私はお店の入り口までかけて食パンを切るナイフを魔物に向けて投げつける。
オルゴさんの手癖でパン用とは思えないほど鋭利に研がれたそれは、コボルトの胸部に刺さり、それに呼応して魔物は僅かに苦しむ声を上げる。
しかし、狼のような顔を歪ませたコボルトの目は依然と私たちに殺意を抱いたままだ。
子供の力で投げたからか心臓の一歩前でナイフが止まってしまっているらしい。
それに気づいたのかオルゴさんが魔物の胸部に浅く刺さったナイフに手を当てて力強く押し込む。
その瞬間に、
「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
魔物の絶叫が響いた。
程なくして魔物は力尽きたようにお店の中で倒れる。
「……はあ……はあ……」
「オルゴさん!」
安全を確保できたと判断した私は、すぐに息を切らすオルゴさんの手当てをしようと近づくが、
「バカ! なんて無茶をするんだ!」
と、すぐに怖い顔で怒られてしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「はあ……説教はまた後だ。とにかく早く外に!」
呆れたようなため息を最後に、顔つきを切り替えたオルゴさんはそう皆に指示を出した。
……お説教は嫌だな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
オルゴさんの指示のもと、皆と一緒にお店の外に出る。
だが、
「――!」
お店を出た路地には――無数の魔物、コボルトが五体ほど集まっていた。
距離はまだあるけど囲まれている。
まさしく絶望の光景だった。
そう思っていた矢先、一体のコボルトが私たちの存在に気づいたらしく……ジリジリとこちらに寄ってくる。
不幸にもその拍子に他のコボルトの注意までも私たちに向いてしまう。
「すまん、ミヤ。……どうやら、説教はできそうにない」
「オルゴさん!」
魔物の群れを前にして妙なことを言い始めたオルゴさんは、名前を呼ぶ私の頭をそっと撫でた。
「たぶん教会あたりが避難所になっているはずだ。厳しいかもしれないが……何とか抜け道を作ってみせる。俺がどうにかしている隙に皆を守って逃げるんだ」
指示を伝え終えたのかオルゴさんは私の頭から手を離すと、いつもは厳めしい顔に微かな優しい笑顔を浮かべる。
しかし、私が仰ぎ見た彼の瞳は――確かな覚悟を決めていた。
「……」
オルゴさん……。
……人知れず――心の中で諳んじる。
願いの言霊を紡ぐ――
「……お前と出会えて俺は幸せだったぜ。元気でな……振り返るんじゃねえぞ。ミヤ!」
オルゴさんは言い切ると念のために持って来ていた箒を片手に魔物に飛び掛かっていく。
そんな勇猛果敢なパン屋の店主に反応するように最初に私たちに気づいていた一匹の魔物が向かって来る。
刹那に両者の距離が一気に縮まる。
だけど――
「――焔の槍、我が心意に下りて、貫穿せよ!!」
駆ける足、詠唱とほぼ同時に魔物を熱き炎の針柱が貫く。
突然灼熱の炎に穿たれた魔物は、胸の中央を焼かれながら路地の冷たい石畳に突っ伏すとそれっきり動かなくなった。
仲間をやられたことに驚いているのか、他の魔物たちも戸惑う様子を見せ動きが止まる。
その光景にオルゴさんは「ミヤ、お前!」と背後から私を呼ぶ。
「俺は逃げろって言ったんだ! 今までお前が俺の言うことを聞かなかったことは一度もなかったじゃねぇか!」
さっきとは違う怒気を孕んだ声。
いつもの私なら泣いてしまっているかもしれない。
でも、でも今だけはそういうわけにはいかない。
「――ごめんなさい……でも、オルゴさんはさっき言ったじゃないですか」
私は思い出しながら一呼吸し、
「振り返るなって」
彼の言葉をそのまま返した。
「ここで逃げたら……私は何度も振り返ってしまう。自責のあまりに悔いてしまう……」
言いながら拳を握る。
――私は神聖法理術を使える。
むやみやたらに使ってはならないが、他の人にはない能力をこの身に宿している。
それを知っているオルゴさんは、この絶体絶命の状況でも私ならその力を使って皆と逃げることができると考えたのだろう。
そのための難所である最初のこの局面で、自分を盾にすればより成功率は上がるとも。
でもそれはダメだ。
オルゴさんは私を拾って育ててくれた恩人であり私の親代わりになってくれた人だ。
そんな人を見捨てる……いや、そうでなくても誰かを置いて逃げるだなんて……、
できない!
「だから……皆で逃げましょう! そして、生き延びて――」
「――またお説教してください!」
顔だけで振り向きながらオルゴさんをしっかりと見据える。
ちゃんと私の意思が伝わるように。
若干驚いたようにオルゴさんは私の目を見つめると目蓋を閉じた。
そして、
「……絶対、死ぬなよ」
とただ一言返してくれた。
「はい! ――っ!」
オルゴさんを見ている隙に、動きを止めていた魔物が迫ってくる。
急いで態勢を切り替え――
「颯の波、我が心意に下りて、顕現せよ!」
風系統の術を行使し風の渦で前に出ていたオルゴさんをお店の近くに飛ばし、
「――
土系統の術を操って土壁を築き、オルゴさんや女の子、修道女の方を護る盾とした。
「そこにいてください! 私が何とかします!」
「ミヤ!!」
また怒るオルゴさんの声が後ろから聞こえるが後回しだ。
まずは皆が安全に避難できる状況にする。
そのためにはここにいる魔物をすべて排除しなければ!
術の糧となる神聖力には限りがある。
長引かせればそれだけ逃げる際の神聖力が心細くなり、最終的には全員生還という勝機がなくなってしまう。
目指すはただひとつ。
短期決戦だ!
「蒼き天に宣告す――」
私は決意と共に再び天への願いを紡ぎ始めた。
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