第45話 鍛冶屋と聖なる剣

 栄えある御用鍛冶士任命式を終えた僕と父さん。


 しかし、位置こそ右に少しズレて変わったものの未だに壇下の御前に控えたままだ。


 理由は単純明快で――


「これより、先の剣覧会優勝者を称え神聖剣開帳の儀を執り行う」


 団長の言葉が謁見の間に響く。


 ――神聖剣開帳しんせいけんかいちょうの儀――


 それは戦争や剣闘会などで武功を上げた者への勲として、神聖なる三種の神器の一角を成す【破魔の剣】を見せる儀式。


 その儀式の武功を上げた者というのに、畏れ多くも本戦の試合が剣闘会のそれと同一と見なせるとして、剣覧会優勝者も該当するということになったらしいからだ。


 本来は戦争で武功を上げた剣士に対するご褒美のようなものらしいのだけど、十年前に魔族大戦が終結してからこの国で戦争は起きていない。


 だから、最近はもっぱら剣闘会優勝者のための儀式と認識されている。


 武功を上げるというのが平和な世界だと難しいから、こういう形で剣士たちを切磋琢磨させているのだろう。


 聖なる神器を拝謁できる機会というのは、貴重で凄くありがたいことだし、拝覧願えるのが創世の蒼き時代とされる神話に於いて、襲い来る魔を排したとされる唯一無二の御剱――破魔の剣ともなれば、その士気を高めるのに打ってつけだ。


勇雄ゆうし、栄誉を受け然らむ者、前へ出でよ」


 団長の号令を合図に、創設されたばかりのサラ皇女親衛隊の隊列から一名が前に出て、僕の左隣に来ると僕らと同じく跪いた。


 優しい顔立ちをした剣士。その見知った皇女直属護衛騎士は――ルーク隊員。


 剣覧会で僕らの打った武具を携え、見事勝利を手に収めてくれた人だ。

 恐らく、男の人だと思うんだけど……。


 しかし、顔はとても端正で高い鼻がツンと張っている。


 全体的に線が細く、鎧から覗き微かに輪郭が分かる肩幅で判断するしかないくらいだ。


 何だか、妙な親近感が湧くなぁ。


 とにもかくにも、直接的には彼のおかげで僕はここにいるのだ。


 そう思うと深い感謝の意が胸中に広がる。


 儀式が終わったら、ちゃんとお礼を言わないと!


 そうこう思っていると、


「優勝者は慎みて敬虔と威風を心得、その栄誉をしかと受け止めよ」


 団長から厳格なる過分な訓示をいただき、それに玉座壇上に正対する僕たちは相槌の感で「はっ!」と跪礼式答礼で一様に応えた。


「司祭猊下、助従教士殿、準備を願います」

「わかりました」


 司祭様は団長の願い通り助従教士様や配下の神官、皇統儀礼院の官たちを差配して……何やら純美な金の装飾が施された縦に長い箱を壇上、その上座に運ぶ。


 続けざまに厳かな足取りで親衛隊を引き連れたサラは向かって右手に、壇上にいらっしゃった皇后陛下は近衛騎士団儀仗隊の守りを受けつつ檀下に降りて左手に、それぞれ傅く。


 皇楽隊の方々は先ほどとは配置を大きく変え、四方領主様方を守るようにその前に二列横隊で構えた。それの対のような位置にスロールラバン連合帝国の王子殿下がいらっしゃり、壇上を仰ぎ見ている。


 そして壇上には――皇王陛下、司祭様、助従教士様という錚々そうそうたる方々のみが並んだ。


 その中心には今まさに丁重な扱いを受けて運ばれてきた細長い箱が鎮座し、それを取り囲むように――奥に皇王陛下、僕から向かって右側に司祭様が、左側にハルネス助従教士様が立っている。


「準備、できました」


 司祭様の柔らかい声が響き――


「始めよう。陛下、お願い致します」


 頷いて応えた団長の厳めしい声色に、謁見の間は再び厳然とした空気が張りつめた。


 いよいよ――始まる。


 神がもたらし授けたすめらぎの印――聖なる剣の照覧を請い願う、契りの奏上奉献の儀が――


「――太古の祖より連綿と受け継がれし神器【御剱みつるぎ】よ。いざその身を引き抜き、聖なる刃を振るうこと許されるはひとえに皇の一族がる者なり。その気高き御心を鑑みれば、不遜なると心得るも、我が皇国みくにを守らんがために心身を捧げし者へのいさおとして、今此処に尊きお姿を剣覧けんらん致したく奉る」


 ハイリタ正教会司教としての皇王陛下が、皇女戴冠の儀のときサラが詔勅しょうちょくと言っていた祝詞を献上し始められた。


 言葉の意味は難しいが、サラに教わった読み書きの知識のおかげで何とか理解できる。


おもんみる蒼き時世より、神に誓いて授けられし神聖なる剣。無辜むこを守らんとせむ我が主命の重責に帰し、その御身おんみを開帳す」


 皇王陛下による威儀正しく厳然とした固い言葉遣いの祝詞が続き、


「畏れ多くも司教たるすめらぎの王のお許しが煥発されました。ついては、同正教会司祭が斯く大命を遂行致します」


 今日ハイリタの地に吹く風のように純とした声の司祭様が応え、壇上の御仁たちが中央に座した箱へと向き直る。


「偉大なる神の剣の面前である! 現下大衆はすべからく敬服し、恭順きょうじゅんせよ!」


 近衛たる皇城が騎士団の長が発した号令。


 それに謁見の間にいる全ての者が一斉に頭を垂れ、伏して跪く。


 続けて檀下の袖に咲く花――左右に控えた皇の乙女たちが両の膝を折り、五指と五指を胸の前で絡めて、聖なる神器の御前で祈るように正対した。


 四方領主様方も俯いて敬意を表している。


 父さんやルーク隊員、僕だけが破魔の剣を見ることができるとされているため、僕らはずっと壇上を仰ぎ、見続ける。


「大命を持し、魔を排する神聖剣、神妙粛然として此処に開帳す――」


 厳めしい口上と共に――神器が納められた箱が一瞬閃光を発する。


 そして、重い音を立てながら、その輪郭を変えていき――


 花の蕾が開くように、不思議な形で、遂に、開かれた。



 ――アレが、破魔の剣か。



 咲いた蕾の中に丁重に安置されていたのは……正七角形の石で作られた台座に刺さる――青白く光る細長い剣。


 柄から抜き身の剣身にかけて美しい彫刻が施され、錆や傷は見当たらない。


 その威容は実に超然としていて、見る者を圧倒するオーラがあり、如何にも神話の時代にある武器のようだ。


「……美しい」


 隣にいたルーク隊員が感嘆の言葉を溢した。


 僕も左に同じく、美しい剣だと思う。


 御剱の名にし負う聖なる神器。皇国の領土と民を守る結界――不可視の壁を生み出し、魔を排する破魔の剣と謳われる皇国の盾がそこにあるんだ。


 その名に決して負けず劣らない確かな技巧と、伝統、品格、歴史を感じさせる剣。


 それは間違いない。


 なのだけど……何だろうか。この妙な違和感は。


 今初めて僕は、この剣を謁見させていただいたはず。


 だけど、なのに、どうしてか。


 僕の心の何処かに、


 正確には、何処かで見たことがあるような気がするんだ。


 それも、身近で。とても近い場所で。あり得ない、ハズなのに。


 おかしい。


 あの剣身の肌、照り返す光、刃の色とつや。


 何よりも、この感じる威風の根源は――


「これは……」


 隣にいた父さんが、目を見開き、吃驚する。


 どうやら、さっきから僕が感じたことは間違いではなさそうだ。


 でも一体、何故ここに――そう疑問が浮かんだときだった。





 突然、瞬き貫く光が謁見の間を駆けた。





 強い力を秘めた光は、ここにいるすべての人間に考える隙を与える暇もなく、壇上へと至り――何かに弾かれたのか、ぶつかったのか……四方八方へと霧散した。


 どうやら施されていた結界か何か。防御系統の神聖法理術のおかげのようだ。


 しかし、再び光は駆け、霧散し、また駆けるを一瞬のうちに何度か繰り返す。


 そして、然したる時間も経ず、抗する何かが砕けるような大きな音が響き――



 ――激しい閃光が、聖なる破魔の剣を、穿ち貫いた。



 鋭い光に射貫かれた破魔の剣はその剣身を焼かれ、焦げる匂いを醸しながら、明滅する。

 


 途端。



 ――ダーーーーーーーンッ!


 何かが爆発するような音が轟き、視界を遮る煙が謁見の間に広がる。


 煙が落ち着くと、そこには――


 バラバラに剣身……だった鈍色のモノを散らした、無惨な破魔の剣の姿があった。


 神器が破壊された。


 忽然と目の前で起こった事象を純然たる事実として飲み込むまで、やや時間を要した。


 ……僕は、静かに、ぎこちない動きで見やる。


 あくなき光が、射した、穿った、貫いた。


 破壊の調べが放たれたその方向を。


 僕は、その姿を瞳に映した。


「ど、う、して……」


 我に返ったように騒がしくなった式典会場など気にも留めず、心意の声がひとり零れた。


 だが、それも長くは続かなかった。


 僕の瞳に映った彼の者が、懐から小箱を取り出す。


 箱を開け、中身を手にすると、手首を捻り僕のいる方向へと放り投げる。


 放物線を描いて飛んできたそれが壇上へと至る階段に転がった。


 よく見るとそれは、碧色の宝石が嵌められた指輪、みたいだ。


 存在を認めて間もなく――それを中心に、円や四角が幾重にも重なった幾何学紋様が宙に描かれた。


 疑問に思った刹那。光の粒が舞い、僕たちの行動意識と視界を奪う。


 数舜の後、大きな衝撃が訪れ、僕は後ろに大きく飛ばされた。


 身構えていた父さんが僕の名前を呼ぶ声に「だ、大丈夫」と無事を伝えた。


 多少身体を打ってはいるが、怪我はしていない。平気だ。


 ほんのしばらくして余勢の威力が弱まり、僕は目蓋を抑えながら何とか立ち上がる。


 そして、視界が晴れると――頭に鳥の尾羽のような装飾がなされた鉄兜を被り、えらく硬そうな鉄鎧を纏う――僕が見たことのない者たちが現下大衆の眼前に立ち並んでいた。


 剣、槍、弓。

 様々な武具を携えている。数も中々多い。

 如何にも普通じゃない様子だ。


 そして、その中でも一際豪華な装いの者が一歩こちらに勇み出てくると――腰に帯びた大剣を意気揚々と抜き放ち、謁見の間の天井……空に切っ先を向けた。


「皆の者! これは帝国に捧げる聖なる戦――何としても勝鬨を上げようぞ! 神の子を語る憎き小島の者どもに、我ら大陸との力の差を思い知らせてやれ!」


 大剣を掲げたその者は、すぐさま、切っ先を地面と平行にすると、


「操典行動開始ッ!」


 怒号にも等しい大号令を渙発した。


 それを待っていたと言わんばかりに、数多の矢が放たれた。


 しなる弓から放たれたその先端――矢じりには、飛ぶ最中で火が灯る。


(これは、神聖術――!)


 連射により次々と壁や天井、床に突き立った窪みから、容赦のない炎が溢れ――





 聖なる式典の儀が執り行われていた謁見の間は炎で包まれた。





 そこでやっと僕は状況を理解できた。


 認識を、改めなければいけない。


 かつて、疑問を呈した僕に父さんは言った。


 いつ何が起こっても不思議じゃない……と。


 つまり、さっきのあれは号令じゃない。


 剣を抜き、矛を交え、戦端を開く――


 ――罪を重ね、財を奪い、命をも屠る。





 ――あくなき戦争を宣言する――





 これは、宣戦布告だ!



「お前たち、一体何を――!」


 文字通り鏑矢が放たれたこの災禍に於いて第一声を上げたのは、ラルス王子殿下だ。


 方角と聞いたことのない男の子の声だからすぐに分かった。


 どうやら、現れた集団について覚えがあるようだ。


 ということは……もしかして現れた鎧剣士たちは――?


 いや、今考えるべきはそこじゃない。


 乱れる心を一にして、僕はひとまず惨劇の現状を確認しようと、周囲に注意を払う。


 今まさに僕の眼前では、近衛騎士団の儀仗隊が皇王陛下や皇后陛下を守ろうと、現れた集団に剣を抜き、壇上に駆け上がっている。


 壇上は司祭様が神聖術か何かで防壁を張り、襲い来る者たちを凌ぎ防いでいるらしい。


 ――キンッ、カンッ、カツンッ!


 そんな金属同士がぶつかる凄惨な音が重なり、遺憾不快にも響き始めた。


 そこに、火が灯った矢がひゅんひゅんと飛び、戦闘に拍車をかけるように加わる。


 剣士たちは背中に背負っていた盾を手にして防ぐが、地に落ちた矢が周辺をどんどんと燃やしていく。


 矢が落ちたり、突き刺さったりした箇所に可燃性があるか否かを問わず、絶えず燃え続けていることから、神聖法理術を基底とした火なのは間違いない。


 謁見の間に集った貴族たちは、どんと構えている人や、右往左往としている人がおり、実に様々な様相を呈している。


 しかし、それでも貴族たちは各々の騎士団やエーメル皇楽隊に守られながら、意思疎通を図るためか――波来る敵を己の剣でいなし、ときとして薙ぎつつも、忠誠を誓い仕える主である皇王陛下を守らんがために壇上近くまで進んだ近衛騎士団々長のもとへと向かおうとしているようだ。


 また、皇女であるサラの側には親衛隊がいて、姫を守らんと応戦し、獅子奮迅している。


 だけど親衛隊はまだ創設されて間もなく突然の実戦に僅かに困惑している様子だ。


 此処にいる王族や貴族、神官に騎士団などの人達に共通しているのは――


 ――皆眉間にシワを寄せ、額に汗の玉が浮かび、散らせていることだ。


 まさしく青天の霹靂。虚を衝かれ、状況は芳しくない。


 この場で……僕は……、


 僕は、一体どうしたらいい?


 幼なじみのサラを置いて僕だけが逃げる?


 木剣だけで奴らと抗するための武器もないのに戦う?


 どっちだ。どっちが正解だ。


 それとも――


「ゆ、ユウ!」


 考えを巡らせ没頭していた僕に、不安げなサラの声が耳朶じだを打った。

 続けてこちらに何かを伝えようと、サラが駆け寄ってくる。


「殿下、なりません!」


 ドレスの裾を掴んで駆け出したサラを制したのは、親衛隊々長のラルさんだ。


 とにかくサラの許に行くため、無いよりはマシだと判断して刃のない木剣を抜き、

 彼女の呼びかけに応えようと口を開きかけたとき――後ろ頭、うなじへと強い衝撃が襲った。


 いきなりの激しい鈍痛と共に、急激に意識が揺らぎ、薄まっていく。


 最後の足掻きで、前傾し倒れながらもサラを見ていた自らの視界の端に、あるモノを捉えていたことに気づく。


 破魔の剣に光を放った彼の存在――物憂げで何処か悔恨と寂寥せきりょうの滲む琥珀色の瞳が映る。


 そして、遂に力が入らなくなった手から零れ落ちた木剣が、冷たい床を叩く硬い音だけが、暗転していく僕の意識の最後に残った。

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