【大本編】鉄と祈りの炎嵐

第46話 皇敵

 ――皇国の最たる要衝。


 忘れもしない。


 シベリタ卿から聖レべリタ騎士学院に行かせていただく折に触れ、そうご教示を賜った。


 此処は、決して落ちぬ城。


 いや、落としてはならぬ真の最後の砦――そういう場所なのだと。


 だが、現実とは非情なものだ。


 眼前には、その災禍の一端が及んでいるのだから。


「ユウト!」


 今まさに敵と思しき者が屠った子供――息子の名を呼び、俺は後を追うため炎にまみれたラフィートルン城本丸中央に位置する謁見の間を必死に駆ける。


 そして、気を失った我が息子ユウトが何者かの肩に担がれる箇所を雑踏の中垣間かいま見る。


 だが――突如現れた鎧を着込み、鏑矢かぶらやを放った数多の敵と、それに応じる近衛騎士団儀仗隊や親衛隊の……雪崩込んできた敵に抗する両者の影に隠れて、遂にその姿を見失った。


 ――くそ! 俺がもっと注意をしていれば!


 思わず、悪態を吐く。


 一か月かそこらか前、ユウトに何が起こっても不思議ではないと教えた自分だったが、それを真に教えるべきだったのは、いつまでも認識が甘い俺自身だったのだ。


 ユウト、待っていろ。必ず見つけ出して助けに――


「う、うそ……嘘よ、こんなの……」


 己を許せず舌を噛む俺の耳に、ひどく聞き馴染みのある、が飛び込む。


 ハイリタ聖皇国第一皇女殿下。姫様であらせられるサラ様だ。


 戦場と相成った謁見の間。


 そのせいか上擦り、震えた声色になられているサラ様のおかげで我に返った俺は、その方向を見やる。


「殿下! 危険です! 早くお側に――」


 力ないふらついた足取りで、ユウトがいた方へと歩み寄るサラ様。


 そのせいで離れてしまった親衛隊々長たいちょうの制する諫言かんげんが響くが、


「ユウ………………ユウっ!」


 恐らく、先の事象より些か周りが見えていらっしゃらないのだろう。


 サラ様は心ここにあらずと言った状態で息子の名を溢れるようにお叫びになる。


 しかしてなおも歩みはお止めになられず、着々とその方へとおいでになるが――


 ――その最中、鈍色の刃が尊き黄金こがねの髪の上に掲げられた。


 気づくと自然に足が動いていた。


 頭で考えるまでもなく、心が先に走っていた。


 堅固けんごの術をかける暇はない。


 間に合え――そして、耐えてくれ!――


 願い、祈りながらサラ様と彼の者の間に身を投じ――心許ない木剣で受ける。


 まさに今相手の剣筋や剣の刃を見た限り、そこまでの強者つわものではなかったのが功を奏したか、木剣は切れることなく鉄の刃を見事受け切った。


 自分でやっておいて何だがその事実に驚き、深く己の木剣を見やる。


 ふむ。もしやこの木目は……スロールの木。


 南方領土に自生する常緑樹で、曲がらず育ち、美しい年輪と雨に強い特性から建築木材として使われ、そうでなくとも保ちがいいためか多種多様な用途に用いられる木材だ。


 西方領土の港から海外へと輸出されることの多い高品質な種と知られている。


 そのため高値で取引され商人と同じく、いつしか貿易相手の国名を冠したスロールの木と呼ばれるようになったという由緒ある木だ。


 なるほど。これはツイていた。


 俺は儀礼用と称された木剣の原料の確信を得て、なるべく木肌に刃を当てぬよう、左腕で相手の剣の横腹を押し薙ぎ、隔てるモノを失い無防備と化した首筋に木剣を振った。


 サラ様に爪を立てようとした彼の者は、低く呻くとバタッと冷たい石床に斃れた。


「セ、ド……」

「姫様、お怪我はありませんか?」


 今このときに御身が脅かされかけたとお気づきになられたのか、恐る恐る俺を見上げられたサラ様に、念のため無事を確認する。


 悲鳴をお上げになる前に、何とかことは済んだようだ。


 そう一息吐いたときだった。


 俺の視線に、見知った……いや、昔馴染みと言える青年が人混みに消えゆく姿を認めた。


 瞬間、冷たい感覚が背筋を走り、否応なく体が硬直する。


 ――っ!


 ほぼ同時に、服の裾をぎゅっと掴まれ、その方向を見ると……サラ様が決意なされたが如くこくんと力強く頷かれる。


 その蒼き瞳には、強い意志が宿り、純粋な眼差しを俺に向けていた。


 ……皇女殿下がもう決められたのだ。


 かつて近衛として皇城にお仕えした剣士がこんな様でどうする――至らぬ自分を恥じながら、俺はサラ様と共に、謁見の間を駆け始める。


 剣と槍、燻す矢の炎と風が狂おしく舞い踊る中、サラ様を害しようとする者どもを体で払い、木剣でいなし、かわしていく。


 そうして、俺はサラ様の御身を守りながら、彼の者を追う。


 人影に紛れたその姿を、探し見つけて、今、追いかける。


 見ると彼の者は大きな扉を越え、熱気に満ちた謁見の間から出ていく。


 俺とサラ様も波来る者を捌きながら、それに続き、混乱に乗じて大きな扉をくぐる。


 勇み出た先の両脇には、やや弧を描く大階段が見え、至る箇所で此処が如何なる場所だったのかを示していた。


 間違いなく、先ほど主賓入場の前にいた本丸の大ホールだ。


 ここはまだそれほど敵らしき者はいないが、今日のために誂えられた豪華絢爛な調度品は倒され、立ち並ぶ荘厳な威風堂々たる彫刻が穿たれ、天井から提げられた繊細で美しい刺繍の垂布が焦がされ、戦の炎に包まれている。


 すべてがすべて、聖なる皇の城が禍々しい剣戟の音に満たされ、穢されていく。


 その現実をまざまざと我々に見せつけられた。


 しかし、彼の者は少しも気にも留めていないのか、構わず悠々と歩を進める。


「どうしてっ……どうしてこんなことをしたのッ!」


 それに我慢ならないサラ様は、凛々しくも可憐なる整った眉を吊り上げ、いつもは蒼天の如き慈愛を湛えた瞳を怒りと悲しみで潤ませながら、なおも城の出口へと向かう彼の者を背後から呼びかけ、止められる。


 その嗚咽が混じりそうな、何かを必死に耐えるようなお声に、思うところがあったようで、さしもの彼の者も立ち止まった。


 そして、貴族然とした流麗厳粛な所作で峻厳しゅんげん華美なる外套を翻し、こちらを向く。


 サラ様と俺の前に姿を見せたのは――凍る北の地でも映える燦燦とした金髪、遊色さえ見えそうな美しい琥珀の瞳。


 俺と同じく木剣を携えたやや異様な姿。



 それは、どこまでも知っている。



 だが……どこまでも分からない。



 そんな存在だった。



「……殿下。仕方なかったのです。こうするしか……なかった」


 聞き馴染みのある知的な声色が、悲壮な響きで口を開いた。


 それに、今度は俺が我慢ならなかった。


「何が仕方なかっただ! なぜ、なぜお前が!」


 堪忍を越え、激しく言い募り、厳しく問いただす。


 目の前にいる、彼の者。


 騎士学院時代、何度も語り合い、共に剣を競った――


 大戦のおり、幾度も助け合い、共に剣を振った――



 ――カルラ。そう呼びなさい。平民。



 出会った折に剣を交え、彼の者……お前はそう名乗った。


 何度も垣間見、受けたその剣筋は、どこまでも高潔だった。


 それは貴族だからではなく、お前自身の資質で根源なのだと思っていた。


 いや、それは違う。


 今でも、そう思っている。


 だが、この一瞬だけは、それを忘れねばなるまい。


 神境聖域と謳われる神殿を奉る北方の領主にして、


 然したる用もなかりせば共に剣技に興じた俺の――親友――





 ――カルベアラ・ジェルサレス=ノーリタ――





 彼の者は、尊き破魔の剣を神聖法理術で破砕し、聖なる皇国に牙を剥いた――





 他ならぬ皇敵なのだから。





「黙りなさい元剣士長。あなたこそどうして城にいるのです。あなたの居場所はここではないでしょう?」


 荒れ狂う俺の心の内などいざ知らず、彼の者ノーリタは悠々と問に問で返す。


「……女ひとり守れない剣士と誹りを受け、国内一の鍛冶屋にもなりそこねた俺に居場所など最初はなからない。だから、俺がここにいる理由は――必要ない!」


 歴然たる事実を厳と述べ、俺は件の首謀者と思しきノーリタに木剣の切っ先を向ける。


「そう……ですか。仕方ありませんね。……貴方達だけは巻き込みたくなかったのに」


 悲嘆を帯びた声色の彼の者は端正な顔立ちに、何処か影を落とした。


 そして、


「――蒼天よ。我が主命に応えよ――」


 急に、美しい整った抑揚で神聖法理術の詠唱起句を諳んじた。


 それに伴って、砂粒のような光が舞い始める。


 瞬く間に、一つが二つに、二つが四つに――驚くべき速さで累乗的増加を見せた光の粒子を身に纏った。


 そのとき、固く閂のように結っていた口角をここで初めて上げると、こちらに悲しげな顔を向けた。


 その間にも、光の粒子は増え続け――


「では、決着を付けましょう。どちらが早いか、勝負です」


 そう言った瞬間、ノーリタの全身が光に包まれ、そう思った直後に霧散した。


 光の粒が散った後には、何もない。


 無駄と知りつつも、サラ様と俺はノーリタのいた場所へと駆けるが、


「何処へ行った……!」


 無論、そこには見る影もなし。


 サラ様の御前だというのに、思わず舌打ちをしそうになる。


 そういえば……騎士学院で、転移神聖術について習ったことがある。


 しかし、それには自らの有視界内に転移したい地点を捉えるか、転移地点の位置を特定するため並々ならぬ強い思念が必要……と聞いたことがあるが……。


「――私のせいだわ」


 突然悲嘆するサラ様のお声に、俺は詰まらぬ思考を中断する。


 お声の方を見ると尊きお顔を俯かせておいでだった。


「皇国議会の決定に、もっと早く合意していれば……! こんなことにならなかったのかもしれないのに!」


 激しく自責のお言葉を放ち、今日のために皇統儀礼院の者たちが用意したドレス姿であることも憚らず膝をつき、炎に炙られていてもまだ冷たい石床に独白なされるサラ様。


 皇国議会では、サラ様の婚姻を取り決める法案が可決された。


 その法案を提出したのが、名目上当代の皇王陛下を輔弼ほひつし、外交補佐を務める彼の者だったそうだ。


 まだ、それが原因と決まったわけではない。


 もし仮にそうだとしても――


「姫様!」


 俺は、畏れ多くもサラ様の前に出て片膝をつき屈むと、両肩を掴んだ。


 ほぼ同時にサラ様は俯いていた顔を俺に向けると――いつもは可憐な皇女殿下のお顔が、戦いが生じた悲しみと自らへの怒りでひどく歪んでいた。


 まずは、サラ様の精神衛生を正常になせねばならない。


「自暴自棄になられてはいけません。あ奴をひっ捕らえて、罪を償わせねばなりません」


 俺はできるだけ柔和な笑みを浮かべるように努め、サラ様に進言致す。


 しかし、


「……でも! 私が婚姻の話を渋ったから! 私があの子を諦めきれなかったから!」


 再度、俯きになられ美しい黄金のような御髪を宙で乱して頭を振られるサラ様。


 その弾みか――サラ様が皇王陛下より直々に賜った小冠ティアラが床に落ちる。


 蒼き天が、目の前の少女を皇の乙女――聖なる皇女と認めないとでもいうように。



 ――己の心意を優先し、他をおもむろにせんとした者に、皇女たる資格なし――



 それこそ導きましし神が我らに示したる啓示と俺には映った。


 確かに、そうなのやもしれない。


 だが、俺にとっては――


 見たこともない神、定められし条理の運命に抗うが如く、俺は落ちた小冠を拾い上げる。


 手に取ったそれを――


 然るべき処、


 在るべき処、


 志す処……、


 他がどう言おうと俺が斯くあらせられると認める処に戻した。


 そして、それは他ならぬ――皇女の正章が、再び少女の頭上に煌めいた。


 驚き見上げる少女の、悲しみのしずくを湛えた瞳に吸い込まれる前に――


 きつく抱き寄せる。


 俺自身も痛いほどに。


「……そうであったとしても前へ進まねばなりません。私と息子をおもんばかってくださったこと感謝の極みです。……当の息子は相変わらずですが、必ずや姫様の隣に立つに相応しい者になりましょう」


 俺は震える小さな肩を抱きしめたまま笑顔で述べる。


 それはさっきの無理をしたような笑みではなく、自然と出たものだった。


 そして、そのまま俺は、


「……たとえ今のこの光景が、姫様の渋ったが故の惨状だとして、私と私の息子がただ指を咥えているわけがありますまい? してやられてばかりでは癪ですからな」


 口角を上げながらも厳然と続けた。


 息子、ユウトも気がかりだ。

 無論、不安で気になって仕方がない。


 だが、アイツなら、きっと……そう思う自分がいた。


 他ならぬ、俺の息子なのだから。 


 そして、俺自身も、成さねばならぬことが目の前に転がっている。


 使命ともいうべき、看過しがたい現状が、剣を抜けなくなった俺にそうさせている。


 惜しいながらもきつく抱いた腕を解くと、そういう俺の心意を見透かしたように――


「……わかった。あの一等貴族に一泡吹かせてやるわ」


 我が息子と親しき少女……サラ様は、目元を掬うといつもの快闊な笑みを浮かべられた。


 強いお人だ。取り乱すこともなく、実に毅然となされる。


 本当なら、お止めするべきなのだろうが、今不思議とそういう気も起らなかった。


 ユウトは……こういうところに信と心を置いているのかもな。


「そのいきですぞ。では、彼の者を探し出しましょう。実のところ心当たりがあります」


 サラ様の精神が安定したことに胸を撫で下ろしつつ、そう上申した。


 彼の者ノーリタがどこにいるのか分からないが、先ほどは紛れもなく破魔の剣を狙った。


 実は……見るのは今日が初めてだったが、騎士学院で学んだ通りならば、恐らく破壊されたあの破魔の剣は形代かたしろ――つまり本物ではないんだ。


 いや、一言本物ではないというとやや語弊がある。


 騎士学院の教本曰く――破魔の剣は、この城の地下深くにある聖賢の間に安置されているのだが、皇国の領土全域に魔を排する結界を張るために形代を天に近い場所に置いて、能力を広く媒介させているらしいのだ。


 即ち、どちらも本物といえる。


 しかし、より本物と言える存在がある。


 ……彼の者の真の狙いまではわからない。


 だが少なくとも神器に何かしら用があるという推論は立つだろう。


 それに彼の者は、どちらが早いか、と言った。


 奴はバカではない。


 俺の考えを読み、そこに至ることに、確信を得ている顔だった。


「案内を頼むわ。実は……私も思い当たる場所があるの」


 俺と共に心も体も立ち上がられたサラ様は、俺と同じようなことをおおせになる。


 皇女殿下も聡いお方だ。きっと、俺と似た推察をなされたのだろう。


「は! ご命令のままに」


 俺の答礼を合図に、サラ様と共に思い当たる場所へ向かわんと駆け出そうとした――そのそばだった。


「殿下!」


 突如、張り詰めた声が鼓膜を打った。


 振り向くとそこには――


「ラル?」

「良かった、ご無事なようですね……」


 礼儀作法に則り剣を逆手に持ち直しつつの親衛隊々長殿が安堵の息を零す。


 確か名はラル・ソラゲル。


 ソラゲルと言えば、勲三位くんさんい騎士貴族家の名で馴染みがある。


 見たところ齢は俺よりも若く、まさしく新進気鋭の新人だ。


「城内は敵兵の攻撃によって危険区域となりました。つきましては今すぐ避難を――」

「いいえ。私は逃げないわ」


 敬虔なるラル殿が注進なされるが、主と体するサラ様は強かな語調で厳と拒否なされた。


「な! 何を仰っているんですか殿下……! ここにいては危険だと――」

「ラル、皇女として初めて下令する――親衛隊は直ちに城下居住区に向かい、皇都城下町の状況を確認せよ。その状況次第では……剣を抜き、皇都城下近衛騎士団と協力して我が臣民しんみんを死守すべし。なお、これ以後の指揮権は別命あるまで皇王陛下に帰属す」


 叙任式では涼しく爽やかだった顔色を焦燥のそれに変えたラル殿だったが、サラ様に忌憚きたんなく遮られる。


 ああ、間違いない。自分は幾度と受けてきたが、これは初めにして最たる本物だ。


 今までのお戯れとは違う、まごうことなき――王族の勅令が渙発された。


「し、しかし! 未だ敵兵の目的が分からず城区内の状況さえ……」


 ラル殿は突然の勅令に吃驚し、不安げな声を上げて尻込みをしているようだ。


 無理もない。これは、彼女にとって初陣なのだろうから。


 だが、それでも――


「だからよ。機動力に優れる貴方達親衛隊じゃなければ、最速の城下の確認は困難。今、私たちに必要なのは情報よ。それを手に入れて近衛騎士団々長か皇王陛下に報告なさい」


 皇女殿下は頑なにその任務の重要性を諭される。


 不測の事態に於ける最重要項目は、現状の確認だ。


 これは騎士学院で習うことではあるが、サラ様はそのことをご存じだったのだろうか。


 しかも、城に攻めが及んでいる現状から城下の状況まで気を回していらっしゃる。


 まだ齢十の少女とは思えない視野の広さと回転の良さだ。


 その現状確認の優先度を城下に設定した所以ゆえんは、民を守るという王族の使命からくるものなのか、或いは、サラ様ご自身の気質というべきものなのかは分からないが、これも正しい判断と畏れながら思い致す。


 その任に自らの親衛を当てたことも、機動性を重視し、伝達と守備の両面を保持せんがためと、状況によっては御自らが陣頭指揮を執る遊撃として活用するためなのだろう。


 今馬が使えるかどうか分からないが、親衛隊に選抜さる剣士は皆駿馬しゅんばの如く俊足しゅんそくであるからな。


「……承知しました。しかし、殿下は急ぎ避難を」

「言ったでしょ。逃げないって」


 皇女の危うきを排せんがために、ごうに食い下がるラル殿。


 それに対するサラ様の帯びる風格が、より強かになられた。


「何故です!? 殿下の御身に万が一のことがあれば皇国の未来が……希望が潰えます!」


 ラル殿が大仰な身振りを交えて力説する論旨は正しい。


 サラ様亡き後の皇国など、あってないようなものであろう。


 断じて俺はそうは思わないが――サラ様は陰で才も能もない小娘と評されているらしい。


 知有厳禁と秘匿されているようだが、サラ様は聖なる力と神器を扱えないと噂で聞く。


 しかし、たとえそうであったとしても、各貴族の力の均衡が崩れた大戦後から、皇国がかろうじて内戦を防いでここまで来れたのは、サラ様の存在が大きい――当時サラ様は四歳ほどであらせられたか――と近衛騎士団に籍を置いていた頃の詳報で読んだことがある。


 その所以が、今まさにもくするところとなるだろう――


「多くの者が見た通り、どうもノーリタ卿がこの件に絡んでいるのは間違いないわ。だから私は探さなければいけないの……そして訊かなきゃいけない」


 我らが皇女殿下はそこで一端言葉を切り、含みを持たせるように一拍を置くと――





「こんな馬鹿なことをした理由をね!」





 高々に毅然と宣言なされた。



 ……俺は思う。


 大戦後に徐々に廃れ行く皇国が、争いつつも平和で、これまで歩んで来れたのは――


 きっと――この真摯な眼差しに、誰もが逆らえなかったからだ。


 その瞳に淀みはなく、此処に至っても彼の者に対して一抹の疑いすら宿っていない。


 ただ、知りたい。

 そして、変えたい。



 知れば変わると信じている純な心に、皆が応えようとしたからだ。



 そんな、この世界を覆いて見守る天空の如き蒼き瞳に、確かな意志が宿っていた。

 

「殿、下……」


 身近な言葉でさえ詰まる親衛隊々長殿は、サラ様のお言葉に面を食らい、いたく感銘を受けている様子だ。


 そして、それに畳みかけるように、


「ユウ――御用鍛冶士の件も気になるけど、ひとまずノーリタ卿さえ見つかれば、自ずとユウの居場所も分かるはずよ。とにかく時間が惜しいわ。急ぎましょうセド!」


 と息子のことも視野に入れられたサラ様は俺を促される。


「……というわけです。親衛隊々長殿、ここは私に任せてください」


 サラ様に振られたため、俺は静かに胸を叩くが、


「あなたは鍛冶士の……しかし、素人を護衛にするのは如何かと……」


 整った細い眉を顰めるラル殿に難色を示されてしまった。


「素人じゃないわ。セドは――こう見えても近衛騎士団元剣士長。元王族親衛隊々長候補だったんだから。剣技章も二振りよ?」

「もう昔のことですがね」


 有難いことにサラ様がフォローしてくださり、俺は面映おもはゆくて軽く後ろ頭を掻く。


 如何に剣技章二振りといえど、それはもう十年も前のこと。今となっては腕は鈍ってしまっているだろうが……そもそれ以前に俺は……いや、それは今考えるべきことじゃない。


「……失礼しました。もう何も言いません。……殿下をよろしくお願いします」


 頑なに食い下がろうとしていたラル殿はそう言うと、美しい立式敬礼をし、


「はい。必ずやお守り致します」


 俺も同じく逆手で木剣を持ち、何年来という久々の答礼を返した。


 それを見たラル殿は、俺の持つ木剣にやや不安げな顔を見せると頭を振り、親衛隊の隊員たちに伝えるためか、謁見の間の方へ踵を返していく。


 その様子を見届けた後、麗しいドレス姿の皇女殿下とお供のしがない鍛冶屋の元剣士長は、敵の侵入を許した城内を再び駆け始めたのだった。

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