第41話 お姫様と手ずの贈り物

 ――皇都城区内馬車停留場。


 平時は貴族院の登院等に使われる広大な施設だ。


 言ってしまえば単なる馬車置き場なのだけれど、ハイリタ聖皇国最大の都市である皇都の城区だけあって、その敷地面積は他の領主館の相当施設と比べるまでもないだろう。


 と言っても、僕は南方領主館しか見たことないんだけどね。


 近くには荘厳な建築様式を露わにしている皇国議事堂がそびえ立ち、国政の中枢である知の威光をこれでもかと光らせていた。


 その広い停留場に馬車を留めた御者のモリスさんが席から降りると、豪華な客車の扉を、白手袋をした品のある手つきで開けてくださる。


 ベルさんと父さんが先におり、僕もそれに続く。

 最後の乗客であったサラが下りようとするが――乗降する足場でつんのめった。


 おお、危ない危ない。


 咄嗟に、空中で何かを掴もうと遊んでいたサラの手を取り、崩れた身体サラの均衡を支えて客車から降ろしてあげる。


「ありがと。ユウ」


 恥ずかしいのか少し頬を赤らめたサラはお礼を言ってくれる。


「ううん。馬車でずっと座ってたから、お尻とか痛くない?」

「大丈夫。平気よ」


 首を振るサラはどこも異常はなさそうだ。


 ならよかった。


 座りっぱなしだったから、急に立ち上がったり動いたりするとああなるからね。


 いつも動き回っているようなサラみたいな子だと、よりなりやすいのかもしれない。


「では、式典のある城まで行きましょう。案内致します」


 ベルさんがいつかのように案内役を買って出てくれたため、僕たちもそれに続く。


 そのとき、僕はサラの手を握ったままだったことに気づき、何の気なしに離すと――


 ――別に繋いだままでもよかったのに、と耳元で囁かれ、今度は僕が赤くさせられる番なのだった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 ベルさんに導かれるままに、僕たちは城に向かう。


 ……今思うと馬車停留場からここまで歩いているのだから、渋滞も馬車を降りて歩いた方が結果的に早かったんじゃないかな……などと無体なことを考えながら歩を進める。


 まあ、いっか。今さら思いついたところで時すでに遅しだ。


 そうひとり合点している様子が全て顔に出ていたのか、いぶかし気に僕を見ていたサラに、色々取り繕っていると……やっと、僕が最後の希望と定めた目的地に着いた。



 ――皇都城区中央域区画・皇国天佑てんゆう領主館・ラフィートルン城【本丸】



 その存在はこの国の大部分から視認でき、美麗な青と白の対比が特徴的な巨大建築物。


 他でもないハイリタ聖皇国を象徴するお城であり、我らが皇国の国家元首たる皇王陛下のお住まい……御所でもある。


 一般的に城区全体を城郭と呼び――


 東西に二つの巨塔、

 それに挟まれる形で天高く聳え立つ本丸、

 その背後に鎮座する創生ハイリタ大聖堂


 ……という三位一体で構成されている。


 この本丸のことを皇都御所。

 皇城とも言うそうで、呼び名からしても仰々しい。


 サラが言うには【神聖獣の楼閣】とか【神の加護を賜りし砦】とも称されているそうで、北方領土にある古代遺跡群と並ぶ神聖なる場所として定められているらしい。


 名実共に偽りなく、さっき見た皇国議事堂や先の南方領主館の比ではない荘厳なお城だ。


 その仰々しい本丸に備えられた大正門の扉前までくると、突然歩みを止め――


「相変わらず壮観だな。この城は」


 とお城を見上げつつ父さんが眩しそうな顔で呟いた。


「皇城ラフィートルン。どの領主館の城よりも美しい城ですね」


 案内をしてくださるベルさんも父さんの言葉に同意している。


 僕はこんな立派な門口ではなく、裏の方からこっそり入る道しか通ってこなかったため、細部まで見たのは今日が初めてと言ってもいいかもしれない。


 うん。綺麗だ。


 父さんは思い出があるのか、意味深にお城を仰いで見ている。


 ……僕も、同じ気持ちだ。


 ここは……五年ほど前に僕とサラが初めて出会った――お城の庭の近くだから。


 その感慨もひとしおに、僕たちは開かれた大きな扉の中へと進む。


 城の閂たる大扉を仰ぎながら潜ると……そこには――どこかで見たようで、どこでも見られないような光景があった。


 いざ入城すると、普通の家の玄関にあたる部分は広々と取られ、弧を描くような大きな階段が存在感を堂々と見せつけるようにして、左右対称に備え付けられている。


 基本的な造形は南方領主館の小城とあまり変わらない。


 あるものももちろん似ている。


 けれど、違う。


 通常の城よりも広く取られた大ホールに、気高く並んでいるのは――豪華絢爛な調度品。荘厳な威風堂々たる彫刻。美術品と一目で分かるような高貴な鎧具。その数々だ。


 何より――かなり高い天上から厳然と吊られている繊細で美しい刺繍の垂布の存在が、此処がハイリタ聖皇国の要であり、すべての中心とされる場所であることを示していた。


 青地に金が眩いそれにあしらわれているのは、ハイリタ聖皇国王家の紋章――聖陽紋。


 それを守るように一回り小さい垂布も東西南北に符号する形で吊られている。


 四方領主様の紋章がそれぞれ刺繍されているみたいだ。


 まさしく、此処でしか見ることのできない……厳かで壮美な空間が広がっていた。


 僕もやたらめったらに通ったことがない場所だから、その気品と美に圧倒される。


 いつもサラと遊ぶときは、此処を守る衛兵の人から隠れ隠れだったからなぁ。


 だけど、サラを筆頭に父さん、ベルさんは特に何を思うでもないように歩を進める。


 仕方なく、僕もサラに続いて如何にもお城然とした慎ましい空間に身を投じる。


 ……のだが、


「あれは……」


 少し進んだだけなのに、思わず声が出てしまう。


 僕たちの真正面には、美しい弧を描く階段に挟まれた再度の大きな扉があり、その奥の部屋で今日の式典が行われるらしいのだけど……扉の前に見覚えのある人影が見えた。


 清々しい青の鎧を纏ったおじさん騎士の傍らに、同じく青を基調とした落ち着きがありつつも格調高い衣装を身に着け――


 ――長い白金色の髪が見目麗しく、琥珀色の宝石のような瞳を湛えた……青年。


 その姿を見間違うはずがなかった。


 この組み合わせは、かつて南大通りで見た北方の――


「ノーリタ卿と騎士長ガルエンス……それにあの礼服はスロールラバン連合帝国の外交官だわ」


 サラが若干驚きつつも先方に聞こえないような小さな声で見た通りを口にした。


 僕がこの剣覧会に出るきっかけとなったノーリタ卿と、従者の騎士長ガルエンス閣下だ。


 北方の領主様とお付きの護り手が、扉の前で知らない男の人と話している。


 どうやらその男の人は、ハイリタ聖皇国の隣国であるスロールラバン連合帝国の外交官らしい。


 見たことのない服を着ている外交官は、ノーリタ卿に何か……小さな箱を渡しているな。


「ノーリタ卿って外交の担当なんだよね」

「ええそうよ。外交大臣だからね。たぶん、今日の式典について色々説明しているのよ」


 ノーリタ卿がそれを受け取り、懐に仕舞うのをサラと見ながらそんな会話をしていると、


 何やら重々しい大層な足取りで正教会の神官の服を着た初老の男の人が僕らの後ろから現れ――驚く僕らを気にすることなく北方領主、騎士長、外交官の輪に寄っていった。


 あれは……確かノーリタ卿が大高神官とか何とか呼んでいた……ハルネス助従教士様だ。


 どうやら遅れてきたらしいハルネス助従教士は、短く謝意を伝えると、騎士長に文句を言われている。


 しかし、大高神官としての誇りがあるのか、それを聞こえていないが如く、騎士長を無視して領主様であるノーリタ卿と話し出した。

 如何ともし難い態度に、血管を浮かばせた騎士長はこちらにも聞こえそうなほどに唸り、見て分かる歯ぎしりをしている。


 どうやら立場関係は、ハイリタ正教会大高神官・助従教士の方が上らしい。


 主のノーリタ卿と話す彼との間に何としても割って入りたいのか、文字通り頭を抱えた。


 その様を冷ややかに見つめる外交官に少し親近感を覚えながら推移を見守っていると、唐突に騎士長はぽんと手鼓を打つ。


(いや、分かりやすいな!)


 僕は心の中でそうツッコミつつ、じっと沈黙を保つ皆に倣い、様子を見る。


 誰が見ても分かりやすい従者である騎士長は、意気揚々と両者の間に割って入り、忠義を尽くしている主、ノーリタ卿に剣を渡そうとしている。


 拵えを見る限り相当の業物だ。

 おそらくは、ノーリタ卿の剣なのだろう。


 何とか会話を遮れたとあって、ご満悦の騎士長閣下。忠心を注ぎ仕えている当の領主様は、少しだけ考えるように目を閉じ、数舜して綺麗な琥珀の瞳を己の従者に向けると……帯剣を固辞するように手で制した。


 それが予想外の反応だったのか、栄えある騎士長閣下は口を開けて固まってしまった。


 なんとも……報われない一幕、だな。


 消え入る蝋燭の火のように腑抜けた顔になった騎士長ガルエンス閣下だけど、それは仕方ないとも思う。


 ノーリタ卿は、その代わりなのか腰にを携えていたのだから。


 軽く見た限り、年季が入っていて結構使い込まれていそうだ。


 考えると、ベルさんとの稽古のときに使ったそれとよく似ている。


 ……もしかして、あれは修練用の……卒業した騎士学院のものかな?


 などと思っていると、やっと僕らの視線を感じたのか、ノーリタ卿は凛々しい顔をこちらに向けた。


 すかさず僕たち……というよりも、僕の隣と後ろにいるだろうサラと父さんを視界に捉えると舌を噛むような顔をして、逃げるように何処か向こうの方へと行ってしまった。


 それでやっと正気に戻ったらしいガルエンス閣下が慌てて後に続く……前に、助従教士に顔を向けて鼻を鳴らし威圧、遅れて敬愛しているらしい主人を追いかけて行く。


 残された外交官と大高神官は、両者互いにまったく興味がないようで、話すこともなく各々散っていった。


 一部気になる反応はあったものの……少し面白い反応が見れただけだったな。


「カルラ……」


 朧気に父さんがぽつりと呟いた。


 ――いてっ!


 突然、何かがぶつかったような痛みを覚える。


 唐突なそれに四方八方を見回してみると、本丸大ホールには今まで気に留めていなかった大勢の人がいて、皆同様にばたばたと忙しなく行ったり来たりをしている。


 どうやら、その誰かの身体が知らず知らずのうちに当たったらしい。


「皆、忙しそう……」

「そうね。今日は式典が目白押しだから――と、それは置いておいて……」


 溢した僕の言葉に頷くと、隣にいたサラがひょいっと軽快な足取りで前に出てきた。


 な、何だろう? 


 そう不思議に思う僕に、サラはこのときを待っていたのか強かにこう言った。


「ユウ。遅くなったけれど……優勝おめでとう!」


 僕の眼前に華麗な足捌きをして現れたサラは、細い腕を後ろで組み、少し見上げるようにして華やかに微笑んだ。


 そこには、嬉々と喜びに満ちた文字通りの満面の笑顔があった。


 その屈託のない笑みが、何でもない、誰でもない、ただ僕の勝利を祝ってくれている。


 嬉しい、嬉しい……。凄く、嬉しい。


 ただ、それだけが僕の胸の中を染めて、埋めて、踊り、天を衝くようにいなないていた。


 でもそれに応えようと紡ぎ出した言葉は、とても安直なもので――


「ありがとう。サラ」


 と何の変哲もない、日々の生活で使うその域から出ないものだった。


 自然と口角が上がり、むず痒いのに何故か心地良い感覚になる。


 いざとなると、こういうときどういう風に言えばいいのか……分からないや。


「いえいえ。ユウは私よりもあの子にお礼を言わなきゃね」


 しかし、サラにはしっかり伝わっているみたいで、いつもの何処か憎たらしいけど、愛嬌のある笑みで僕をからかう。


 でも、これには否定できないところがあるな。


「そうだね。今日の式典が終わったら一緒に食べに行こうか」

「そうね。こっそり行きましょ?」

「うん。そうしよう」


 僕らは頷き合い、幼なじみふたりで秘密の約束をした。


 ……いや、今日という日で、サラはもうちゃんとした皇女殿下。


 なら、これも『密約を交わす』って言った方がいいのかな?


 ふふ。サラが皇女なんて、幼なじみの僕が言うとおかしいかもしれないけど……なんか、らしくないな、ホント。


 でも、それと同じくらい、サラじゃなきゃ皇女じゃないと思っている自分がいる。


 だから彼女は……後にも先にもこの国のお姫様で――皇女なんだ。


「ユウトくん。ぜひ私からもお祝いの言葉を送らせてください」


 何だか変なところで感慨に耽っていると、男の人とも女の人とも言えない中性的な声色が鼓膜を震わせた。


 その声のした方へ向き直る。


 白銀の髪に灰色の凛とした瞳。この国で最高位の剣士たる証の白い鎧を纏い、忙しい合間を縫って僕に剣を教えてくれた師匠――優し気で芯のあるベルさんの声。


「剣覧会の優勝おめでとうございます。とてもカッコよかったですよ」


 そう言いながら柔和な笑みを浮かべる師匠は、屈んで僕と視線を合わせてくださる。


「い、いえ! ベルさんの協力があったからここまで来れました。こちらこそ、お礼を言わせてください。ありがとうございます」


 褒めてくださる師匠に僕はただただ頭を下げる。


 剣覧会に出る準備……ベルさんが皇都や領主館、商都や工業都市群など四方領土を早馬で駆け、父さんと共に材料集めに奔走してくれたから鍛冶の作業に支障が出なかったのだ。

 他にも剣覧会に関する書類手続きなどは全てベルさんが負ってくれた。

 剣技のみならず、裏方として尽力してくださった。


 本当に、感謝してもしきれない。


「そう言ってもらえると嬉しいですね。でも、鍛治の剣覧会で優勝したからと言って剣の稽古を怠ってはいけませんよ? ユウトくんの剣の腕は以前よりも格段に上がってはいますが、姫様をお守りするには日々の鍛練が必要不可欠です。今後とも、指導を続けるつもりなのでよろしくお願いしますね」


 語り口は優しいけど「疎かにすると……『めっ!』ですよ」という圧を孕んだ指を立て、轟々と雄弁するお師匠様は――す、少し……というか、かなり怖い。


 稽古の苛烈で厳しい日々を思い出し、人知れず背筋が震える。


「は、はい! ご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」


 言葉を発すると同時に胸に右手を、本来鞘がある腰に左手を添え、深々と礼をする。


 やや大仰な手式最敬礼だ。


 この所作は剣を握る右手に魂を宿し、それを礎に振るうことを誓う――という意味や、自らの命を向ける人に預けるという意味があるそうだ。


 また、鞘に手を添えるのは、帰る場所を忘れないという決意と一度剣を抜いたなら、目的を果たして納めるまでが戦いであると覚悟する儀式的な意味があるらしい。


 ベルさんに仕込まれたこの所作は、何だか一生抜けそうにない気がする。


「そういえば、ユウはベルに弟子入りしてるんだったわね」

「うん……まあ、ね」


 サラの声を合図に僕は身体を起こし、後ろ頭を掻く。

 こういうところを見られると、妙な恥ずかしさがあるな。


 あははは……。


「まあ、頑張りなさい。剣の腕もきっとこの先で役に立つわ」

「そうだね」


 笑うサラに流されて頷いてしまったけれど……剣の腕が役に立つ、か。

 できれば、遠慮したいところだな。


 それは、サラが危険に晒されるような未来を暗示しているようだから。


「ベルに倣って俺からも言わせてもらおう」


 思考が沼に沈まないうちに、渋い如何にも男の人という感じの声が耳に響いた。


 ベルさんに続いて、またその方向に向き直る。


 僕と同じ黒い髪色、静かな夜のような冴えた黒い瞳。白衣の剣士、救国の英雄と謳われた不撓不屈の剣士長にして、今世間から睨まれ疎まれる鍛冶屋を営む――真名セドリック。


 いつも逃げていたばかりの僕に、鍛冶を教えてくれたもう一人の師匠。

 唯一無二の父。僕の父さんだ。


「ユウト。道中色々あったが……何にせよ、優勝はお前だ。おめでとう」


 渋くても快活な声色が僕を包む。

 ああ、やっぱり、この声が一番落ち着くなあ……。


「……ありがとう、父さん。父さんが教えてくれたから剣覧会に出場できた。何度も失敗したけど……父さんが付きっきりで見てくれたから、納得できる良い剣を打てたんだ」


 そうだ。父さんがいたから。


 何度も失敗して、材料を無駄にして、不安を抱えて余裕もない僕に……、

 丁寧に、何度も、向き合ってくれて、


 優しく教えてくれたから――


 僕はここまで来れたんだ。


「だから……こちらこそ、ありがとうございます。……師匠」


 今までの感謝を込めて、僕は感謝の言葉を紡いだ。


「俺はただ助言をしただけだ。剣とは何か、その答えを考え見つけたのはお前だぞ」


 そんなこと何でもないという顔をして、父さんは僕の肩に手を置いた。


 それから流れるような所作で屈み、僕と少し見上げるようにして視線を合わせた。


「ユウト。お前は自分の力でここまで来たんだ。お前が、剣覧会に出ると決意したその日から、皆を引き込んで来た。それは紛れもなくお前の力だ」

「父さん……」


 跪きながら力強く言う父さんに、僕はひどく感激する。


 憧れる父さんにそんなことを言われると……胸がいっぱいになって、溺れそうだ。


「では、恐らくもうそろそろ式典が始まりますから、準備をしましょうか」

「おお、もうそんな時間か」


 ベルさんの言葉に、父さんは「よいしょ……っと」などと何故か哀愁漂う掛け声を上げつつ立ち上がった。


「しっかりしてください、先輩」


 父さんの様子に苦笑いするベルさんは、こほんと咳払いをすると、


「では、殿下もお召し物を変えなければならないようなので、自室にお戻りください」


 声色を粛然と正して、サラに献言した。


「分かったわ」


 サラもこれには素直に従い、回れ右をして……って、マズイ。


「あ、少し待ってください」


 僕は歩き始めたサラとベルさんを呼び止める。


「どうしたの? ユウ」


 不思議そうに首を傾げるサラは、いつかも見た疑問顔だ。


 たぶんいつもは察しが良いほうのサラなのだけど、今日は大事な式典の日だからな……。


 まあ、仕方ない。


「ちょっと待ってて……ん」

 僕は、不敬なその思いが出ないように忍ばせつつ、ズボンの懐に入れていた手のひら大の小さな箱を取り出した。


「……っ!」

「サラ、これ……」


 そう言いながら僕は取り出した箱を手のひら乗せ、ぱかっと開いて見せた。


 渡す時期を逃してばっかりだったから……今渡せてよかった。


「これって……首飾り、よね?」


 サラが綺麗な蒼い目を見開いて、疑問符を投げかけてきた。


「そうだよ。サラが前に好きって言ってたフロリカの花を彫ってみたんだ」


 僕が箱の上にどんと鎮座しているのは――


 銀色に光る金属の紐に、サラの好きな花を丁寧に可愛く象った彫刻が細い金輪の一点に瞬く装飾具アクセサリー


 まあ、その……貴族の女の人がよく着けている様式の首飾りペンダントだ。


 父さんもベルさんも、驚いた顔を僕の手のひらに向ける。


「……もしかして、くれるの?」


 口に両手を当て信じられない、といった面持ちのサラ。


 そ、そんな大仰に驚かなくても……。


「うん。そのために作ったからね。誕生日プレゼントなんだけど……受け取って、くれる、かな……?」


 サラの予想外の反応に、僅かながら、いや大きな不安を覚えながら恐る恐る訊ねる。


 この仄かな動揺を悟られまいと僕は平然を装って頑張ってはいるけど……たぶん、サラには伝わっているだろうな。


 めげずに正対するサラの心情を掴もうと、綺麗な蒼い目を注視し、試みていると――


「もちろんよ」


 うんと頷いて、サラは流麗な足運びを披露し、見惚れるような動きで後ろを向いた。


 流れるように自分が被ったままだった帽子を取ると、そこにいたベルさんに渡した。


 それだけに留まらず、サラは腰までしな垂れていた後ろ髪を両手で軽く束ね、豪快にたくし上げる。


 その拍子に、というか必然的に、サラの白いうなじが見え、見え……。

 ……って、そんなところに注目してる場合じゃなくて!


(これは「着けて」ってことだよ……ね?)


 僕は少し迷いながら、それでもサラをこのままにしておくわけにもいかず、箱に入れていた首飾りをおもむろに取り出す。


 っと、今度はベルさんが僕の方に寄ってきて、空になった箱を受け取ってくださる。


 にこやかながら、少し頬が紅潮している。珍しいベルさんだ。


 それはともかくとして、僕は再びサラの首元を背中から見やる。


 首飾りを手に恐る恐るサラに近づき、後ろから抱き締めるように手を運ぶ。


 その最中、サラの髪が僕の鼻を香とくすぐり、花の蜜のような良い匂いがすうーと身体を抜けていく。


 構わず、そのまま手をこちらに引き寄せ、ついにサラの細い首へ首飾りが当たると、不意だったらしい金属の冷たい感触にビクッと華奢な肩を震わせた。


 僕も少し驚きつつ、邪魔にならない丁度いい長さで留め具をしっかり結び……よし。


 首飾りの着用任務をやり遂げ、僕は近い距離を正すため惜しいと思いながら一歩下がる。


 僕の気配が離れたことを合図に、サラがたくし上げた髪を静かに下した。


 また先と同じような要領で僕の方に向き直る。


「ど、どうかしら?」


 僅かに赤くなったサラは、俯きがちにそう言ってきた。


 そんなサラの首元――大きな宝石のような皇女の略章の少し上には、さっきまではなかった首飾りのフロリカの花が咲き煌めいていた。


 幸か不幸か、それほど華美ではない首飾りだったので、煌びやかな略章とも折り合い、上手く合わせてられている気がする。


 僕が作った首飾りを身に着けたサラは……その、何というか……。


「うん、似合ってる。可愛いよ」


 頑張って賛嘆のげんを紡ごうとするが、また簡単な言葉しか出てこなかった。


 生来のサラが持つ気品とハツラツさが、僕の首飾りによってお淑やかで上品に、清らかな雰囲気になって、本当の貴族家の子女のように、純然とした女の子らしさを湛えている。


 いや、本当は貴族家どころか王家に連なる皇女殿下なのだけれど!


 と、とにかく……凄く、良い。


「そ、そう? ……あ、ありがとね!」


 えへへ、とさらに紅潮させた顔を綻ばせて、サラはお礼を言ってくれる。


 今まで見たことがない感じの顔だ。


 はにかむサラの様子から察するに……ど、どうやら喜んでくれているみたい……?


 なら、良いんだけどな。


 そう思案していると、サラは僕のあげた首飾りに触れて、口角を上げ――


「ユウ! 後でね!」


 と、突然走り始めた。

 靡く金色の束が、僕の視界を覆う。


「ああ、殿下! お待ちください!」


 突飛もないサラ皇女殿下の行動に、遅れながらも急いで後を追う近衛騎士ベルさん。


 サラを追いかけるのは結構体力を使うので、ベルさんには頭が下がる。


 あ、まだサラにがあったんだけど――……まあ、もう遅いよな。

 小さな息をひとつ吐いて、その様子を苦笑いしながら見守っていると……、


「そうだ。――先輩! 儀礼用の木剣があるので後でお渡しします。ユウトくんの分もお持ちするので、少しの間そこで待っていてください!」


 急に立ち止まり振り返った師匠の、気を使ってくださるお言葉が大ホールに響いた。


 それに父さんと顔を見合わせ、頷き合う。


 父さんは手を振ることで応え、ベルさんはそれを見ると再び駆け始める。


 今日は大切な式典で重要な日のはずなのに、何だかいつもの空気感を覚えるな。


 まあ、その理由は考えなくても分かっている。


「姫様はいつも突然だな」

「うん。いつも通りだね。サラは……」


 鍛冶屋の親子はそれぞれの皇女の評を溢し、ふたりして笑みを咲かせるのだった。

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