第40話 勝利の凱旋③【下】

「はい。名のある鍛治職人である親父の背中を見て育って、憧れていたんです」


 アレン・クロスフォード。


 僕の祖父であり、父さんの父親だ。


 お爺ちゃんが言うには――何百年にも及ぶ歴史があり、何代にも渡り至上の武具を打つ鍛冶職人は、師匠と同じ名前や銘を継承する慣わしがあるらしい。


 鍛冶の師匠に認められ、初めてその名を名乗れる。


 だから過去何代もアレンという名の鍛冶士はいる……ということは知っていた。


 しかし、父さんは――


「――ですが、なれなかった」


 重い、父さんの声。


 どうやら僕の勘は当たってしまったみたいだ。


 父さんは……お爺ちゃんのアレンという名を、銘を持っていない。


 きっと、お爺ちゃんは、父さんの腕を認めなかったんだ。


「私は……いつまで経っても良い剣が打てず、師であった親父とも喧嘩して……結果、十五のとき逃げる様にシベリタ卿の領主館に駆け込んだんです。領主館に行けば職を貰える。そう聞いていたので」


 父さんは、落ち着いた語調で語り続ける。


 その話は、信じられないようで何故か腑に落ちる。

 それはきっと……僕が父さんの息子だからだろう。


 声色から、表情から、言葉から、何よりも……僕の身体に流れる何かが、父さんが感じていたそのときの気持ちを、克明に伝えてくる。


「そして、シベリタ卿にいただいた職業が――剣士でした」


 ……それが鍛冶士を志していた父さんの、剣士の道を歩むきっかけ――


「そこで働いている際に、後から領主館へ従者として入ってきたベルに出会いました」

「そうだったんですね……」


 父さんに見つめられたベルさんが、感慨深そうにぽつりと呟く。

 ここで、父さんとベルさんの縁ができたのか……。


「シベリタ卿の推薦で聖レベリタ騎士学院に行かせていただき、後はなされるがまま近衛騎士団に……」


 そこまで言うと、父さんは膝の上に置いた拳を、きつく握り締める。


「私はその多大なる御恩に報いることができず……加之、陛下と閣下からお守りするよう任された皇太子殿下達も魔物に命を奪われました」


 強められた語気に、僕たちは硬直する。


 その声色には、悔しさと自身への怒りが滲み、いつもの父さんとは違う、熱を帯びつつも何処か冷ややかな雰囲気を纏っていた。


 一瞬の間を置き、父さんは俯いた。


「ついには反逆の咎を疑われ、大戦後に取りこぼした魔物たちから襲われても、手入れの不備か、はたまた己の積み上げた罪の報いか、鞘より剣を抜くことすら叶わず……


 その場にて愛する妻から託された我が子を抱いて、親子二人で何とか生き抜こうと志したは良いものの……上手くいかず、失意のもとおめおめと故郷の森へ逃げ仰せた大馬鹿もの」


 僕たちは、ただ、聞き入る。


 かつて英雄と謳われた、ただひとりの男――


 己が罪と定めた業の、誰に向けるでもないひとり語りを。


「何も見えない暗闇の中、襲い来る恐怖から逃れようと何も分からず無我夢中で剣を振るい、気づいたときに立っていたのは自分ひとりだけだった。ただそれだけの男なんです。私は」


 悔恨が滲む父さんは、そう言って顔を上げた。


 そして、父さんの目の前にいる――サラに何でもない自嘲的な笑みを向けた。


 サラは、その乾いた視線をただ受け止めると目蓋を閉じ、小さく息をした。


 ひとりの男がひた隠し、今このときに紡ぎ出した言葉の一片を、己の小さな身体に沁み込ませるように。


 沈黙が流れた客車内、刹那の静けさで満たされた空間で、ひとりの少女が応える。


「――たとえそうだとしても、あなたは英雄よ」


 サラは、当然とばかりにそう言うと、朗らかに微笑んだ。


 そして、そのまま僕とベルさんがいるほうの窓を小さな指で指し示す。


「外を見なさい」


 その言葉通りに、父さんは外を見た。


 そこには――


 南大通りを統制し護衛をする……

 皇都城下近衛騎士団の団員の向こうには――


 おびただしい数の馬車縦列渋滞を眺めにきたのか、


 こちらを見物する子どもや大人の集団、


 それらを尻目に力強く荷台を引く商人、


 赤ん坊を抱き連れている親子――



 闊歩し、悠々と行き交う人々の……活気に満ちた営み。



 十年前、数多の剣士が血の川と成し、流れ――

 危機に瀕したという町の今があった。


「十年前。あなたが襲い来る魔物や魔族を前に、一歩も引かず、最後まで剣を振って戦ったから、この町はあるのよ。もっと誇りに思いなさい」


 光に満たされ、溢れんばかりに輝く町の今を指し示したサラは、父さんにそう言い放つ。


「しかし、私には……」

「――セドリック・クロスフォード。己の生きた軌跡を誇りなさい」


 柔和な笑みを浮かべつつ、サラは優し気に語りかける。


 そして……、


「もしあなたを逃げた大馬鹿ものなんてなじる者がいたなら、私がそれを断罪するわ」


 そう飄々と言ってのける――芯のある凛とした声が客車に響いた。


 やや冗談じみた調子だけれど、実際そうなったらサラはそれも辞さないだろう。


 サラは、本当に父さんのことが好きだからな。


「ですが……」


 だが、父さんはなおも頑なだ。


 珍しいな。


 大抵のサラの言葉に傅くのがいつもの父さんなんだけど……。


「……確かに、あなたは逃げたのかもしれない。でも、最後にはちゃんと向き合った」


 サラは譲らない父さんに沿うような口ぶりでそう言うと、視線を僕に向けた。


 僕は何のことか分からず首を傾げる。


 その反応に、サラは小さく、くすりと笑うと、再び父さんに視線を戻し――


「だから、あなたはこうしてここにいるのよ」


 と、何もかもを包むような……朗らかなる温和な口調で断言した。


「ルミ、ス……」

「え?」

「いえ、何でもありません。私めには過分なお言葉、感謝します」


 サラの言葉に圧倒されていたのか、父さんは反応が遅れつつも深々と頭を下げた。


 父さんが溢した言葉、ルミス――サラの名前にある単語だ。


 けど、普段は姫様と呼んでいるのに……どうしてそれを?


 少し引っかかる僕をよそに――


「いえいえ、こちらこそ。セドには今回いっぱいお世話になったし、何より私たちの仲なんだから、これくらい当然よ」


 サラは笑顔でそう言うと、満足気に腰に手を当てて胸を張る。

 今にもふんすと鼻息まで荒くしそうなほどだ。


「僕も父さんのこと、大馬鹿ものだなんて思ってないよ」


 サラに倣って、僕も素直な気持ちを父さんに伝える。


 父さんには、僕が思っていた以上に大変な過去があったことを今初めて知った。


 ベルさんから父さんの過去について聞いたことがあったけれど、それよりも僕にとってみれば大きな過去だった。


 それでも、それを知った今でも、僕は父さんに笑っていてほしい。


 父さんあっての僕なのだから。


「ありがとうな、ユウト」


 何とかいつもの調子に戻った父さんが、またも頭を撫でてくれる。

 撫でられすぎてもはや朝整えた意味がない気もするけど……。


 まあ、そんなことはどうでもいいや。父さんに笑顔が戻ったのだから。


「そういえば先輩、もう殿下にもバレてしまったのでここで確認しますが、シベリタ卿との会談で考えた策は決行できそうですか?」


 僕たちの様子をあえて沈黙で見守ってくれたのだろう。

 ベルさんが、頃合いを見つけたとばかりに口を開いた。


 それで、空気ががらりと切り替わった。


「ああ、今日一日は城にいらっしゃるらしい。たぶん時間もとれるだろう」

「そうですか」

「策ってなに? 父さん」


 何やら頷き合う二人に、僕は訊ねる。


「ああ、姫様の婚姻の件だよ。そのお相手の方が今日お越しなんだ」


 ……なるほど。サラの婚姻に関してか。


「そうなんだ。その、サラの婚姻の相手って誰なのかな?」


 実は、サラの婚姻の相手に関して僕は極力知ることを避けていた。

 婚姻に関する張り紙もそこら中にあったけれど、あえて見ないようにしていたのだ。


 でも、もう訊いても大丈夫だろう。


 たぶん、貴族の人だと思うんだけど……。


「スロールラバン連合帝国のラルス王子様だよ。当初は殿下のお誕生日を祝うための予定だったそうだけど、丁度折が重なって皇女戴冠の儀が開催されるから参列されるみたいだ。海を渡って来てくださったそうだよ」

「え。サラの婚姻の相手って別の国の王子様なの?」


 驚いて、教えてくださったベルさんに訊き返してしまう。


「うん、そう……なんだ」

「……サラは知ってたの?」


 ベルさんの返答を経た僕の問いに、サラは静かに頷いた。


「何で教えてくれなかったの! スロールラバンって海の向こうじゃないか!」


 心中を駆け巡る激情の赴くまま、僕は席を立ち、声を荒げる。


 スロールラバン連合帝国といえば、今なお【どれい】がいると言われている海の向こう側の国。いわゆる大陸の国だ。


 港を介して大陸への船が出ているとは聞くけど、原則としてハイリタ聖皇国の国民は、許可証なしに四方領土の外に出ることを許されない。


 しかも、その許可証は商人のみで、港から遠く離れた場所へ行ってはいけないと聞く。


 そして、婚姻――結婚は一緒に暮らすことを指す言葉だろう。


 往々にして、王宮やお城は奥地、内地にあるらしいし。そんなところに行ってしまえば――サラとは会えなくなる。


「結婚してもお城にいるって言ってたのに……嘘だったの?」


 荒ぶる感情のまま抑えが効かず、僕はあろうことかサラに責め立て、詰問してしまう。


「ごめんなさい……言ったらユウが落ち込むと思って……」


 あまり見せたことのない僕の反応に、サラは視線を落とし、俯いてしまう。

 普段なら、言い返してきそうな気もするのだけど、今日は折れてしまった。


「だからって! 何で――」

「落ち着いてユウトくん」


 眉尻を下げ俯いたサラに、歯止めを失いなおも言い募ろうとする僕を制する手が見えた。

 手が伸びる方向を見ると、近衛騎士団の鎧姿が目に映る。


 ……止めてくれたのは、ベルさんだった。


「そうだぞ、ユウト。相手が海の向こうの王子様だとしても、気にすることないだろ?」

「ごめんなさい……つい……」


 父さんにも諫められ、やっと、僕は冷静になれた。


「サラ、ごめん……」


 変なところで熱くなってしまった僕は、とにかくサラに謝る。


「いいわよ。隠していた私が悪いんだから」


 サラはううんと首を振って、僕を宥めてくれる。


 ……情けないな……本当に。


「まあ、ユウトが不安になるのもよく分かる。相手が相手だから皇王勅命申請書だけじゃ無理があるかもしれないしな」


 父さんはそんなことを言って場を荒げた僕を擁護してくれる。


「だから、皇国議会が終わった後の会談で、シベリタ卿と案を煮詰めて、共に婚姻の解消を促す話を王子様とできたら……と考えたんだ。先方が姫様の誕生日にいらっしゃることは前から分かっていたしな」


 優しい父さんの擁護は続き、その内容からサラの婚姻について深いところまで知っていることが十分に伝わった。


 そして、今話してくれたサラとの会話で出た会談のことも、父さんがどれだけサラを慮っていたかも、まざまざと察せられた。


「もちろん、剣覧会で俺が負ける可能性もあったから、そのときはこれが最後の手段として考えていたんだが……ユウトのおかげでいい状態で臨めそうだ」


 父さんはそう締め括り、安心させるような笑みを僕に向ける。


「そっか。良かった……」


 父さんのそれに、急に荒ぶった心が鎮火していくのが感じられた。

 意図せず胸を撫で下ろし、再び席に着く。


 サラは、僕がこうなることを予期していたから黙っていてくれたんだ。


 いつも助けられてばかりだな……サラには。


 ありがとう。


「サラ、ありが――」


「あ、思い出したわ。セド、あのとき会食って言っていたけど何か食べたの?」


 感謝を告げようかと思ったそのとき、突然サラは父さんに話を振った。


「それが何も食べていないんです。皇国議会と会談、その後の皇王陛下の発表と、多忙を極めていましたから約束していた会食までは……」


 首を振る父さん。


 会食か。確かにそんなことも言っていた記憶があるような……ないようなだ。


 相変わらず、サラの記憶力は凄まじいな。


「そう。好みの料理があったら同じものをシェフに作らせそうと思ったんだけど、それじゃあ仕方ないわね。食べたいものがあったら遠慮せず言いなさい。今日は、祝賀の宴会もあるはずだから、たくさん食べるといいわよ」


 軽く考える仕草をしたサラはその後、父さんに向けて器用に片目だけを閉じてみせる。


 宴会もあるのか。それは初耳だ。


「いえいえ! そういうわけには……!」

「しかし、先輩は大食らいですからね。質はともかく量が足りるといいのですが」

「まあ、そうなの。じゃあ、たくさん用意してもらわないといけないわね」


 ベルさんの言う通り、父さんは結構食べる。


 一緒にお酒を飲むとそのままバタンと倒れることがあるけど、基本的にはかなり食べる。


 味の好みも濃いめ、薄口は味がないとよく言っているしね。


 これはたぶん、騎士団時代のままの舌とお腹をしているからだと思う。


「ベル! 姫様の前でなんてことを言うんだ! ひ、姫様……? 違うんです。私は本当は食が細くてですね。そんなに料理の量は必要じゃないんですよっ! 


 ただ騎士団にいるとき作戦行動中はあまり食べられませんし、その絶食期間の空腹の悪夢が襲ってくるもので、そのクセが抜けないと言いますか、酒はあまり飲めないからその分飯で補お……とか、そういうのでもなくてですね。


 ええっと、あの……そう! 美味しいので、つい口に入れていると消えていくと言いますか、勝手に料理あっちの方がなくなるのが悪いわけでして……て、聞いてます……? 姫様……?」



 連綿と途切れることなく続く父さんの釈明の言葉と、それに伴う手を大げさに振るような所作に可笑しくて――サラはお腹を押さえ、ベルさんは苦笑い、僕はふたりの様子に誘われて大声で笑ってしまう。


 皇女に近衛騎士、息子が途端に笑い出すものだから、一瞬困惑の表情を浮かべた父さんだったが、もう諦めたように僕らに巻き込まれ、その渦に飲まれてしまう。


 それにより、客車の中は温かな笑いで満たされ、包まれた。


 僕のせいで重くなってしまった空気も見事に消え去り、皆のおかげで元に戻った。


(父さん、ベルさん、サラ。ありがとう……みんな)


 心の中で、ひっそりと感謝の言葉を呟く。


 いつの間にか、一行を乗せた馬車は……南大通りを越え、平和の広場を抜けて、高い塀と、深い堀に囲まれた城区へと――


 平民は許可なく何人たりとも立ち入ることができない堅牢なる聖域へと入っていた。

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