第40話 勝利の凱旋②

「さ、サラ!」

「ひ、姫様!」


 突如、群衆の中に認めたその姿に、鍛冶屋が親子の叫ぶ声が南大通りに響く。


 驚く僕と父さんのことなど全く気にも留めていない様子で、


「モリス、止まりなさい! 私も乗るわ」


 駆け寄ってきた僕たちが乗る馬車の御者――モリスさんに一度ひとたび声をかけると、二つ返事の如く馬車が止まった。


 そして、自ら勇み気味に馬車のドアを開け、颯爽と乗り込んで来たのは――


 紛れもなくサラだった。


 白いブラウスの上に明るい革色が引き立て合うような……ある意味、良く馴染むベストを羽織り、それを支えるが如くはいた


 ――膝下まで覆う薄いベージュをたたえる合弁の花が咲くかのような、少し動いただけでなびく広いスカートと、紐をり合わせたり蝶のように結んだりした装飾のあるくるぶし丈の革製ブーツで程よく纏めている――という、


 これまたよく見る町娘に溶け込むような服装ではあるけれど……ダメ押しとして、以前、僕が被らせていたを被っている。


 何よりも……その帽子から溢れ、腰にかけてしな垂れる美しい金髪と、頭をぶつけたら折れてしまわないかと心配になるほど細い首の上にちょこんと乗り、鼻筋が通っている整った顔から主張して止まない――


 万物を射貫くような蒼穹の眼差しが、彼女の出自を証明し、まさに彼女たらしめていた。


 うん、間違いなくサラだ。


 襟元には、僕が今朝着けたアレと似た感じがするものを着けているけど。


 そして、町娘風の衣服なのに、サラが着ると一段と冴えて見える。


 着映えのする女の子とは、サラみたいな子のことを言うのだろうなぁ。


「姫様! 今日は城で待機なされるはずでは!」

「いいの! 私のことは!」


 父さんが慌てた様子で話しかけるも僕の正面に立ったサラは一蹴する。

 この強引な感じはまさしくサラらしいのだけど、少しばかり様子が変な気がするのは僕の気のせいかな……。


「ダメじゃないかサラ。今日は大事な皇女戴冠こうじょたいかんもあるんだからお城にいなきゃ――」


 僕も、今左にいる父さんに右倣えならぬ左倣えをするが、


 ――がしっ! 


 突然、勢い良くサラに抱き締められてしまった。


 そして――ばたんっ!


「……いいの。いいのよ。今はこうしなきゃ、私が私じゃなくなりそうだから」


 などとサラに言われた後、自分がどんな状態なのか遅れて自覚できた。


 どうやら、抱き着いたまま偶々僕の後ろにあった馬車の長椅子に押し倒され……というか勢いだけで座らされたみたいだ……いてて、柔らかい上等な椅子で助かったな。


 けど、今はそれどころじゃなさそうだ。


 サラの少し震えている声。抱かれた感触から分かる力の入り具合。

 この普通じゃない感じ――


 ……ああ、なるほど。


「そっか、サラ、緊張してるんだね。それで抜け出してきたんだろ?」


 今日は皇女戴冠の儀。サラが正式な皇女になる日だ。


 その重大さと、その身に圧し掛かる重圧は計り知れない。

 現に僕も緊張している状態なのだから、サラが弱気になってこうなるのも納得だ。


 未だ抱き締められたままの僕は、少しでもサラの心が落ち着くように背を優しく撫でる。


「……ええ! そうよ! 緊張してどうしようもなくって、つい抜け出しちゃったの!」


 僕の問いにサラは抱き着いたまま、顔が見えない状態で肯定した。


 何故か怒気を含んだ不満そうな声色だけど……


 今は気づかないフリをしておこう。


 僕が「怒ってる?」と訊いたら、すかさずサラから「怒ってないっ!」の答えが返ってきて、その問答をひたすら繰り返すだけになることはこれまでの付き合いで分かっている。


 何に怒っているのか、分かったことは今まで一度もないしね……。


「なら仕方ないか。どうせこの馬車はお城に行くんだしね」


 自然に出てきた苦笑いと共に、僕は無難にいなしつつ、降参の旗を早々に振った。


 一度言い出したら成し遂げるまで止まらないのがサラだ。


 今更帰れと言ったところで無意味。サラは帰らない。


 いや……たぶん、これも違う。


 そんな、諦観じみた、冷たいものじゃなくて……、


 きっと、僕自身がここまで来てくれたサラを帰したくはないんだろう。


「そうよ。どうせ行くんだもの」


 僕の心を見透かしたような柔和な声でそう言うサラは、言葉を発すると同時に、僕のそれに応えるようにして抱き締める力を一段と強めた。


 ――い、いててててて!


 強力となった今となっては苦しいまであるサラの抱き締めは、狼に襲われたときと同じかそれ以上に感じられるけど、あのときとは違い、不思議と安心感のある抱き締めだった。


「いえ、そういう問題では――」

「先輩。ここでそれを言うのは不粋というものですよ。今日は特別な日。たまにはいいじゃないですか」


 サラの一蹴から、若干震えつつも見ていた父さんが口を挟むが、同じく僕らを見ていた――こちらは笑顔のベルさんに遮られてしまった。


 サラがお城を抜け出すのは、たまにじゃない気もするが。


 そこは言うべきじゃないよね。


「……それもそうか。姫様、今日だけですよ」


 斯くして、父さんは見事に丸め込まれ、ベルさんとふたりして御者のモリスさんに発車の合図を出してしまう。


 それに伴って、馬車は再び揺れ始めた。


 相変わらずサラやベルさんの言葉に甘い父さんだ。


 サラが皇女らしからぬ無茶をするのは、何も今日だけじゃない気もするんだけれど……これも言うべきじゃないよな。


 などと、父さんとベルさんの茶番じみたやり取りに突っ込みを入れようか思案していると……。


 お、サラが僕を離してくれた。


 うん。めちゃくちゃ満足そうな顔だ。


 ……撫でるのはよっぽど効果があるみたいだね。

 前、添い寝をしたときに、僕が撫でると安定した寝息を立てていたから安心するんだろうな。

 元はサラのアイデアなんだけどね。


 とにかく、覚えておいて良かった。


 そして、サラは僕の眼から少しだけ視線を落とすと……、


「あ、それちゃんと着けてくれたのね。――ってずれてるじゃない。……直してあげる」


 僕の首元を見ながら、ぱあっと明るくなったかと思うと、打って変わり何やらご立腹な様子だ。

 サラはそのまま、朝方モリスさんから渡されたよく分からないアレに触れる。


「え? あ、ごめん、ちょっとバタバタしてて……」


 たぶん、さっきサラが抱き着いてきたから、その煽りを受けたのもあるんじゃないかとは思うけど……まあ、事実僕もコレのことはよく分かってないからな……。


 そういう意味でもサラが来てくれて助かったかもしれない。


 しかし、そうは問屋ならぬ鍛冶屋が卸さないらしく……父さんが口を開いた。


「何!? こら、ユウト、だめじゃないか。今日は大事な式典の日。それも姫様や領主様方がお見えになるんだぞ? 身だしなみはきちんと、って姫様に直接直していただくなど、何とおそれ多い――」


「セドは黙ってて」


「ハイ」


「ふふっ」


 流れるようなやり取りだった。

 僕を叱る父さんに、またも一蹴を食らわせるサラ。

 それに為す術の無い父さんが、二つも出なかった一つ返事で応える。


 その後、見守っていたベルさんが少し噴き出すようにして何故か笑う。


(ど、どうして笑うんですか、師匠!)


 僕は、ベルさんの笑う意味がイマイチ分からず疑問符を浮かべてしまった。


「うーん。やっぱりちょっと長いわね。ハサミは忘れちゃったし……まあ、いっか」


 僕の首元で何やらもぞもぞしていたサラは、僕から得体の知れないアレを首から取ると、付いていた片方の紐を小さな口で咥えて――


「――んッ」


 短い声と共に、噛み千切った。


 どうやら、紐の長さがお気に召さなかったらしい。


 僕はどう反応すればいいか思案していると、


「姫様! そのようなことまでなされずともっ!」


 父さんがまた声を大にして口を挟んだ。


「いいの。これ勅命!」


 対するサラはどこ吹く風で、僕にまたアレを着け、まるで売り物を品定めしている商人のような目つきをしながら、勅命を渙発かんぱつなされる。


 勅命……ここまでくると乱用なんじゃ……。


「ぐっ。し、しかし……それでは姫様の尊き歯が折れ――」

「セド、後で貴方もしてあげるからそうカッカしないの。それに私の歯はそんなに軟じゃないわ。……試してみる?」


 口を尖らせたかと思うと、サラは「にー!」と怒った猫のように健康的な白い歯をむき出しにして父さんを威嚇し始めた。


 もちろん、その顔は笑っている。いつものおたわむれだ。


 なんだけど……、


「は、はい! 失礼いたしましたッ。ありがたき光栄であります、姫様っ!」


 言わずもがな、父さんにはとんでもないほど効果を発揮する。


 勢いそのまま、元騎士団員の癖なのか敬礼までして、席にとんとん拍子で座ってしまう。


「ところでユウ、これちゃんとひとりで着けてきたの?」


 またアレを締めてくれながらサラにそんなことを訊かれた。

 さっきとは、違った重みのある問いだった。


「うん。ひとりで着けてって御者の人に言われたから」


 どうせこれはサラの指示なんだろうけど……。


「そ、そう。よかった」

「え?」

「タイを締めてあげた女の子は私が初めて……そう、よね?」


 何やら「そこが重要!」とでも言わんばかりに、伏し目で訴えてかけてくるような真剣な眼差しで訊かれた。


 いつものサラにしては、少し歯切れの悪い感じがする。


 そして、口ぶりからして得体の知れなかったアレはタイというらしい。


 ……って、そうじゃなくて――


「そ、そうだけど……それがどうかしたの?」


 肯定しつつ、訊ねて首を傾げる。


「ふふふ。ならいいわ。ユウが気にすることじゃないの」


 タイというらしいそれに触れ、畏れ多くも僕の襟元を締めてくれるサラ。


 ベルさんや、何より父さんがいる手前、こんなことをされると僕は恥ずかしいのに……サラは、はばからず笑みを溢している。


 そして、満足気に「後でモリスにご褒美あげなきゃ」などと呟いていて、ご機嫌だ。


 今日のサラは、いつにも増して感情の起伏が激しい感じがするなぁ。

 でも、すっかり緊張は解けたみたいだね。よかった。


「微笑ましいですね。ね、先輩?」

「……ああ」


 笑顔で同意を求めるベルさんに、渋々口元を緩めた父さんは真意を吐露した。


 純に――その凛々しい黒い瞳だけは、二人のことを認めているようだった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 サラは前言の通り、父さんにもタイを締めてあげていた。


 父さんはずっと委縮してて、もはやタイどころじゃなかったけど……。


 ここまでガチガチの父さんは珍しいので、良いものを見られた気がする。


 けど……サラが父さんのところに行ってしまったので、ちょっと疎外感がある。


 何か、話題でもあればサラと話せるんだけど……あ、そうだ。


「ところでサラ、これは一体何なの?」


 僕は自分の襟元を指差しながら訊ねる。


 サラの口ぶりからという呼び名を冠しているみたいだけど……それ以外は全く分かっていない。


「ああ、そっか。ユウは知らなかったのね」


 サラは少し驚きつつも、咳払いをした。


 そして、せっかく締めた父さんのタイをほどいてみせると、


「これはタイ、正式にはタイパールといって、礼装の装飾よ」


 と僕に説明してくれた。


「ちなみにユウとセドにあげたのは、まだ完成してなくて、その途中のもの。任命式で私が台座に宝石を付けて完成するの」


 ああ、なるほど。この台座みたいな形は宝石を付けるからか。


「へー。サラが着けてるのも同じタイってやつなの?」


 サラも似たものを着けているので、疑問に思って訊いてみた。


 するとサラは頷き、自分のタイパール――何処か碧っぽい、奥行きのある蒼を湛えている大きな宝石に手を当てると、


「ええ、そうよ。これは略章りゃくしょうで皇女の紋章しるしが入ってるタイだけど、ユウたちに付けるのは鍛冶屋の紋章もんしょうが入ってるわ。だから……うーんと、例えるなら身分章……みたいなものかしらね」


 と、顎に手を当てながらこと細かく教えてくれた。


「鍛冶屋の紋章……そんなのあったっけ?」

「ううん。ないわ。歴史書とかで色々探してみたんだけどね。ドワーフ族のものしか見つからなくて……過去の御用鍛冶士はタイを授与していたけど、紋章自体はなかったの」


 首を振るサラは少し悲し気だ。


 元来ドワーフは神に遣われし種族と言われ、鍛冶屋とは彼らだけのものだったからな。


 この国の風土的な意味で鍛冶という行為は、もっぱら神聖なものらしいのだ。


 だから、人の手で行うことを禁忌とする考え方も根強い……らしい。

 人ならぬ者を恐れるからこそ神聖、ということかな。


 なんとも言い難い感情に駆られる。


 まあ、それを抜きにしても鍛冶屋を示す紋章なんてあるわけないよなあ。


 この国では嫌われているわけだし……。


「それなら! って思って私が勝手に決めたんだけど……ふふ、見てのお楽しみね」


 抑揚のある弾むような声色でそう言いながら、サラは顔を笑顔で綻ばせる。


 見てのお楽しみ……か。


「そっか。ありがとう。楽しみにしておくよ!」


 うきうきとしているサラを見ていると、やや落ち込み気味だった僕もそれが移ったように自然と気持ちが弾む。


 鍛冶屋の紋章か……どんな紋章が入っているのか気になるな。


 そんな浮足立つ客車のことなどお構いなしに、モリスさんが操る壮麗な馬車は、お城へと走り続けるのだった。

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