【大本編】鍛冶屋と勝利の凱旋

第40話 勝利の凱旋①

 澄み渡る青空がハイリタの地を覆う。

 心地良い風が吹き、鳥が囀り、草葉がそよぐ。

 ああ、良い天気だ。

 空と大地が喜びに満ちている。


 それはまるで今日という日を祝うように――



 ――神降歴、九三五年、五月十六日。



 剣覧会から三日後の今日。


 剣覧会優勝者に授与される称号の任命式典『親衛隊武具御用鍛冶士任命式』が皇都城区のお城で執り行われる。


 審査員であった四方領主様方はもちろんのこと、ハイリタ正教会の司祭様や近衛騎士団の式典栄誉儀礼を執行する儀仗隊ぎじょうたい、総騎士団長、副騎士団長に加えて親衛隊も参列し――


 ――皇王陛下から御用鍛治士に任ぜられるのだ。


 また、例年、剣闘会優勝者に破魔の剣を見せる『武勲者ぶくんしゃ神聖剣開帳かいちょうの儀』も剣覧会本戦の在り方から特別に執り行われることとなった。


 そして、奇しくも今日は僕の幼なじみサラ皇女殿下の十歳の誕生日である。


 そう――国中の話題の的であった『皇女戴冠の儀』も同日開催されるとのことだ。


 ということは……機を同じくして『皇女親衛隊叙任式じょにんしき』も執り行われるはず。


 これで晴れて、法規に基づく正式な親衛隊――



 泣く子も黙る『サラ皇女親衛隊』が誕生する。



 幾重にも慶び事を寿ぐ本日。


 まさしく、今日はハイリタ全国民の祝日。栄えある一日である。


 そんな良き日に、僕は城下町を目指す壮麗にして厳かな馬車、その豪華な客車の中で揺られながら、極めて普遍的、常識的な思考を巡らせて、襲い来る緊張から逃れようと現実逃避を試みていた。


 が――


「さすがユウトくんでしたね」

「ああ、自慢の息子だ。まだちっこいけどな」


 と、向かいの席に座っている――いつものポーカーフェースを大きく崩した満面の笑みを浮かべる迎えの近衛騎士ベルさんと――


 僕の左隣に座り心底嬉しそうに口角をあげた元剣士長父さんの……剣と鍛冶、二人の師匠による温かい視線によって、否応なく現実へと引き戻される。


 相対する僕はと言えば、ただ縮こまり、赤くなるばかりだ。


 このむずがゆく耐え難い変な空気に何も為す術がないことが、未だ僕がどこか夢心地でいることの証左だった。


 そして、今まさに僕のお尻を据え付けている――馬車の客車に備え付けられた長椅子の柔らかな感触にまだ慣れず……皇都ハイリタを目と鼻の先にした今此処に至ってもなお、何処か自分が場違いでおそれ多いと思っていることを、遅いながらも自覚した。


 だって……まさかあんな森の中――僕の家に突然見たことも無いような豪華な馬車が来たんだからビックリするに決まっている。


 たとえ、知っていたことだとしても、だ!


 それから現れた御者の人――モリスさんが頑丈そうな硬い皮製の鞄を取り出すと「こちらにお召し替えくださいませ」という言葉と同時に、これまた凄い煌びやかな服が脈絡なく飛び出てきた。


 おそらくサラの差し金で用意されていたそれに気圧されつつも「父さんが買ってくれた服があるから」と失礼にならないよう言葉を選んで丁重にお断りした。


 しかし、それでもなお食い下がってくるモリスさんに


「では、せめてこちらを」


 と硬貨ほどの大きさを持った鉄の板を、皮色の紐で通し繋いだ――何だか得体のしれないモノを渡された。


 鉄板が何かをはめ込むような台座の形状をしていたのと、細くても丈夫そうな紐の様相から察するに何らかの装飾具であることは何となく分かっていた。


 とりあえず、父さんに教わって首に通し襟を締めてみたけど……何だか息苦しい。


 そんな感じで何かとバタバタしていて、ここ数週間ほどいつもポケットに入れて常時携帯していた鍛冶の手袋まで一張羅いっちょうらの懐に突っ込んできてしまった。


 癖とは恐ろしいものだ。


 強張る心と体を少しでもほぐすため、ほぼ無意識に朝の惨事を思い出しながら、ひとり苦笑する。


「ですが……審査員評価発表のときは肝を冷やしましたよ」

「それは俺も同じだ。だが、俺は信じていたよ」


 珍しく声のトーンを落とし、加えてあからさまに伏し目になって呟いたベルさん。それに同調しながらも、僕にとってとても嬉しいことを言ってくれる父さん。


 そのせいでほとぼりが冷めた顔からまた熱を帯び始め、ほぐれた緊張がまた蘇るという余剰効果を生んだのは言うまでもない。


 最近は常時カッコいいモードな父さんなので、僕はたじたじするしかないんだ。


 何だか……悔しいなあ。


「ええ、私も信じていました。しかし、驚いたのも事実です」

「……あの少女のことか?」


 首肯しつつも疑問顔を返したベルさんに父さんは核心を突く問いをかけた。


「はい。一体何者なのでしょうか? あのような畏れ多い方々が集うその面前で口を開くなんて……それも年端もいかない少女です。不思議に思うのは当然では?」


 美しく整った細い眉を顰めながら、何処か納得いかないようで疑問符でそう返す。


 ベルさんの言う少女――それは、前にサラを城下町まで送り届けたとき、ノーリタ卿の忠臣ガルエンス騎士長閣下から突飛もないとが……貴族不敬罪に問われた女の子。

 そして、剣覧会の評価で僕の負けが確定的となったとき、皇女であるサラの宣言を遮って突如声を上げた女の子。

 


 ――他でもない。サラの友達になったミヤさんのことである。

 


 そういえば、ベルさんはミヤさんのことを知らないんだった。


 まあ、たとえ知っていたとしても、ミヤさんの行動に疑問符を浮かべるのは当然かもしれない。剣覧会は、皇女であるサラは当然として、四方領主様を始めとする各界の長というべき方が審査を担当していた。


 その中で、臆することなく声を上げたミヤさんの行動は異質であり、サラが言うには年功序列身分社会であるこの国に於いて殊更に際立って見えた。


 ミヤさんを知っている僕でさえ、そう思うのだ。


 ベルさんにとって見ず知らずの彼女がそんなことをすれば、おかしいという以前に理解し難く映ってしまうんだろう。


 しかし、そんなベルさんを見て、


「俺は見覚えがある」


 父さんは思い当たる節を見つけたのか、顎に手を当てながらそう呟いた。


「本当ですか?」

「ああ。確か城下町の路地裏でパン屋を営んでいた得意先がいてな。そこの娘さんだったと思う。――なあ、ユウト」

「う、うん! ミヤさんっていう子だよ」


 父さんに突如話を振られてドギマギしながらも答える。


「え、ということは……ノーリタ卿の件の?」


 驚いた様子のベルさんに、僕は小さく頷いて肯定する。


 すると、ベルさんは腕を組み、


「そうか。あの子が……。だからか。……あはは、殿下にもがいたのですね」


 などと一人で納得していた。


 謎の少女に関して考えていたからか曇っていた顔が晴れ晴れとして、何やら冗談めいたことまで溢していらっしゃる。


「それはどういう意味だ?」


 ベルさんの反応が予想外だったからか、今度は父さんが疑問符を浮かべている。


 斯く言う僕も同じ気持ちだ。


 ちなみにだけど、以前ベルさんを援護するため、父さんにノーリタ卿の件を話したとき、話に枝がつかないようミヤさんの名前だけしか話せていない。アルベント聖騎士団の騎士長が拘留だの処刑だのと言っていたのと、道に侵入した僕やサラを最初は無視していたことを話しただけだ。


 そして、父さんは、たぶん得意先の看板娘の名前までは知らない。


 だって、僕も知らなかったんだから。真実は分からないけど……。


 対してベルさんはサラから全部聞いているのかもしれない。


 だけど、当事者であり、全てを把握しているはずの僕でさえ、ベルさんの反応に分かりかねる部分があった。


 ミヤさんは紛れもなくサラの友達になったのだから、これから敵対することはないだろうし……間違っても強敵にはなり得ないと思うんだけどな。


 やっぱりポーカーフェースが無くなっても、師匠の考えることは読めないや。


「いえ、こちらの話です。……お、噂をすれば」


 ひとりでうんうんと何度も頷いていたベルさんは、無慈悲に話を切り上げると目を客車の外に向け、意味深にそう溢した。


「少し、この馬車も賑やかになりそうですね」


 飄々とした近衛騎士の言葉に首を傾げる鍛冶屋の親子は顔を見合わせる。


 騎士に軽やかな手つきで促され、荘厳な装飾が枠に施された窓を開けてみると――いつの間にか馬車は皇都城下町に入っていた。


 石畳で整えられた南大通りを進む馬車。


 今まさに向かっている方を見ると、領主登院時と同じような、いやそれ以上の厳戒態勢を敷いた皇都城下近衛騎士団の団員たちの姿を認めた。


 そして、領主登院時野次馬が集まっていた道の端を見やる。


 すると脇を行き交う人々の合間を縫って、ひらひらと何かが動いているのが見えた。

 

 鍛冶屋の親子は再び顔を見合わせる。


 何事かと思い、またその動く何かに視線を注いでいると……次第に、それは浮き彫りになって来た。


 紛れもなくこちらに向かって来るそれは――見たことのある帽子を浅めに被り、小麦のような美しい黄金こがね御髪おぐしを靡かせながら、細く白い手を振っている。



 鍛冶屋の親子は三度目の顔を見合わせる。



 それは、良く見知った容姿と似ていた。

 数舜の間の後、確信に至る。


 叫び掛けられる声。言葉は聞き取れないが……少女の、甲高い調べ。


 透き通り、それでいて明瞭とした、何処か知性の高さが窺える声色を持つのは、あの齢にしてしかいない。



 そこには、我らが皇女殿下――城下を駆けるサラの姿があった。

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