第38話 御恩と建前【閑話】

 乱れた衣服を整え、黒いメイド服のスカートについた埃を払いつつ、先刻のことを考えます。


 ――会議は踊る、されど進まず。


 貴族の社交会と化した地方小中議会を揶揄する言葉がこの国にはあります。


 一時、剣覧会もその状態になりそうでしたが、何とか話は収束したようです。


 私の提案によって舞台は変わり、同じく平和の広場で定期的に開催され近衛騎士団が主催する模擬試合――剣闘会のものを設置することになりました。


 その舞台――正七角形を象って造られた分厚い本一冊くらいの高さの台――を土俵と言ったり、剣闘場と言ったりします。


 そして現在、その剣闘場を衛兵が設置し終えて親衛隊の隊員達に三組の鍛冶職人達が武具の特長や特性などを教えているところです。


 そこには――かつて猫を追いかけ登院行列を遮ってしまった私を助けてくれたユウトくんの姿もありました。


 正直、舞台の上に立つ彼を見たときは驚きました。


 彼がお父上様と共にパン屋に訪れ『自分は鍛冶屋に向いていない』と溢していたのを私は聞いていたから。


 ――でも、彼は現にあそこに立っていた。


 ということは、想像を絶する努力とそれに伴うべき苦労があったに違いありません。


 剣覧会は多数の票を得た鍛治職人が優勝者となり皇女親衛隊御用鍛治士に任命する――サラ皇女が御婚姻されるという触れ書きの隣にそう書かれていました。


 皇女殿下をお守りする親衛隊――皇女、親衛隊、そのどちらの意思も介入し得ないという剣覧会に私は疑問を持ちました。


 だから、私がしたことは一皇国臣民としての正当なる主張に過ぎません。



 決して、私情を、挟んだつもりはありません。



 ――ああ……これは嘘。都合の良い建前だ。


 分かっています。


 あのとき、あの子たちが庇ってくれなければ……私は今ここにはいなかったでしょう。


――つまり多大な御恩があります。


 ユウトくんが選ばれないことを悟った皇女殿下のお顔は、この世の終わりかと思うほど悲壮な表情でした。


 ユウトくんも後ろから震えているのが私には分かりました。


 ……だから、あのとき私は一歩を踏み出せた。そこに戸惑いという感情はなかった。


 衛兵を呼ばれてもいいと思った。


 先のことなんて考えていなかった。


(ほんの少しだけど、あの子たちに返せたかな?)


 本当は、それだけの理由ではないけれど……今はまだこの理由で許してください。


 ――私は少年の鍛治士を見ながらそんな逡巡をしていると、


「実際に武具を纏い、扱う親衛隊同士でその真価を確かめよ――そういうことか」


 剣闘場の側で確認を行っている隊員達を舞台の上から眺めるシベリタ卿が呟いた。


 私の無謀とも言える行動を受け止めてくださった方だ。


「僭越ながらその通りです。これなら貴族平民を問わず、皆様一目瞭然で優勝者が分かるはずです」


 不敬にならないよう舞台の下でシベリタ卿の言葉に頷く。


 そう、剣覧会本戦はそのルールが大きく変更された。


 本戦ではなかったはずの模擬戦闘、演武が追加されたのだ。


 そして、その演武は審査員の採決により二回戦行われることになった。


「なるほどな……いや、もしやそれ以上に其方の進言は意義があるのかもしれんな」

「それはどういう……?」


 意味深なことを言うシベリタ卿に私は疑問符を投げかける。


 すると、シベリタ卿は教えている鍛冶屋や隊員を見遣り――


「ほれ、あの者たちを見よ。実に活き活きとしておる」


 と私に隊員達を見るよう白い髭の生えた顎で示した。


 私はそれに従って見ると――そこには目を輝かせ、剣や盾を扱う隊員らの姿があった。


 話に聞くと王族親衛隊とは精強な剣士が地方騎士団や近衛騎士団から引き抜かれた組織らしい。その隊員ならば武具を扱う喜びも他の剣士よりも多いのだろう。


 そう思っていると、


 まだ隊員に鎧や盾について教えているユウトくんの姿が目に入った。


 一生懸命、大人の隊員に話しかけ説明している。


 カッコいいな……前に会ったときよりも逞しくなっているように見える。


初めて会ったときも猫を追いかけて一緒に探してくれたっけ……。


て、いけないいけない! そんなこと考えちゃ!



 ――っ!



 不意に目が合った。



 彼は動じることなく僅かに微笑みを向け、黒髪をペコっと下げた。


 かわいい。ってそうじゃない。


 頭を振って一礼する。


 恥ずかしさを隠すようにシベリタ卿に視線を戻すと、シベリタ卿の後ろに上座から降りて舞台に立つ皇女殿下が映った。


 すると私と同じく武具と戯れる男達や、衛兵の並ぶ剣闘場の外側にひしめく民衆を見回している。まるで誰かを探しているような……ユウトくんを探しているのかしら? 


 不思議に思ってずっと皇女殿下を見ていると、今度は皇女殿下と目が合い……彼女も私に頭を下げてきた。


 私も同じく頭を下げる。


 そして、顔を上げると私しか見ていなかったのであろうシベリタ卿が首を傾げていた。


 再度、皇女と顔を見合わせたとき――あったのは二人の笑顔だった。

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