第29話 英雄の過去
竜の巣を訪れてから数日後。
雲ひとつない晴天の中、僕は住み慣れた鍛冶屋の前でいつもの稽古を受けていた。
「んッ! はっ! やあ――ッ!」
何度も剣を振り絞り、近衛騎士団の鎧を纏った師匠のベルさんと木剣を打ち合う。
「いいよ。その調子、その調子!」
涼しい顔で僕の剣閃を撫でるように片手でいなされる。たまらず僕は跳躍して下がり、ベルさんとの距離をとる。はあ……剣一本で敵と対峙する西方剣術の使い手に稽古日を数えて一週間くらいは稽古をつけてもらったというのにこの調子だ。
さすが近衛騎士団の騎士としか言えないな。
鍛冶の修行と並行してやっているのもあるかもしれないけど……。
「さて、今日もたくさん打ち合ったことだし、もうそろそろ終わりにしようか」
自分の不甲斐なさに理由を付けているとベルさんが稽古終了の合図を告げてきた。
「はい」
師匠の言うことに従うのが僕のモットーなので素直に剣を下す。
しかし、ベルさんは木剣を下すことなく再び構えた。な、何故?
「今日は頑張ってるユウトくんへのご褒美にいいものを見せてあげるよ」
「いいもの?」
どういう意味だろうか? 今まで稽古受けてきてこんなことを言われたのは初めてだ。
「うん。いいもの。じゃ、いくよ」
ベルさんはいつものように木剣を正中線に構えた。
状況から察するに正面から打ち合おうという合図だ。
どうやらいいものの説明はしてくれないらしい。一体、何を見せてくれるんだろうか。
少しドキドキするな。
「――はい!」
胸の高鳴りを覚えながら元気よく返事をした。
カンッ! という木剣同士がぶつかり合う音で本日最後の打ち合い稽古はスタートした。
予想通り、一撃目は両者とも鍔迫り合いの形だ。始めたばかりのときはこれだけで後ろに吹っ飛ばされたり、剣を弾き飛ばされたりしたものだったが、今はこうして打ち合えるようになった。領主館のときは相当手加減してくれてたんだな。
ほんの二週間かくらい前の出来事を思い出しながら鍔迫り合いを解くため両手に力を込め後ろに下がる。今のベルさんは隙がない。こういうときは強引に攻めるのは控えて観察に徹した方が身になる気がする。
そう思って防戦に徹する構えを見せるとベルさんはニコッと笑った。
にこやかというか柔和な人の笑顔は見ていて和むのだけど、今のベルさんのものは少し怖い。……打って来いってことかな?
――仕方ない。これはベルさんが何か僕に教えようとしてるんだ。
戦術的な意味合いは捨てて打ち込みに行こう。
そう決めて木剣を再び構え直し足を踏み込んで二撃目の剣を放とうとしたとき――ベルさんが動いた。
何て速さだ!
急遽攻勢から防御に移行し身構えるが――来るはずの衝撃が、剣戟が、剣閃が……ない。
どういうことだ!?
そして一気に研ぎ澄まされた感覚が、あるものを捉えた。
いち早く振るわれたベルさんの左手に――剣がない!
あろうことか目の前の地面に切っ先を向けて突き立っているっ!
「なっ――」
「はああああああああ!」
想定外の出来事に防御態勢を崩された僕は体が反応できない。
この絶大な隙に物理法則でベルさんへ倒れてきた剣を受け取った右手の
――逆巻け――
その掛け声と共に。
「うああああ!」
僕は木剣の構えの隙を突かれ、後ろに大きく吹き飛ばされてしまった。
――完敗だな。
「……さ、流石です。ベルさん」
ベルさんに賛美の言葉を送る。倒れたまんまじゃ様にならないけど。
それくらい今の袈裟切りは強かった。
なんて回想している間に心配して駆け寄ってくれたベルさんは、
「ごめんね、つい強くしすぎちゃった。大丈夫?」
と手を伸ばしてくれた。それに甘えて「はい。問題ないです」と気丈に答えつつ立たせていただく。未だに脇腹が痛いけど我慢するぞ。
この威力、本気を食らったら間違いなく死ぬな。……いいものってこれのことかな?
「これもユウトくんが頑張りすぎたせいだね」
「はは……この技は、流刃と言うんですか?」
微笑を湛えながら褒めてくれるベルさんに、痛みに耐え苦笑いをしながらさっきの剣術について訊いてみる。剣を手放す技なんて聞いたことがないからな。
僕の問いにベルさんは頷いて、
「そうだよ。キミのお父さんが危機のときに使っていた技なんだ。ひょっとしたらユウトくんも知ってるかなと思ったんだけど……どうやら先輩は教えていないみたいだね」
と詳しく教えてくれた。僕は素直に首肯する。
「父さんは僕が剣を握ろうとする度にイヤな顔をするんです。辛くて、苦しくて、悲しい。そんな顔を……」
親心か、それとも何か別の理由があるのかは分からないけど、父さんが僕に剣術を教えてくれることはなかった。
小さい頃、教えて欲しいと願ったこともあったけど結局まともに教えてくれなかった。
今日だって、ベルさんとの稽古に行くとき顔を合わせたけど目を反らされたしな……。
「そうか。先輩はあのときのことを自分の責任だと……そう考えているのか。馬鹿な人だな……ホントに……」
ベルさんは綺麗な白銀の髪をしな垂れさせ、頭を抱えた。
その反応で、僕は忘れかけていた重要なことを思い出す。
目の前に立つ白銀の騎士は数少ない――昔の父さんを知っている人物だということを。
それに気づいたと同時にベルさんは僕に向き直った。何かを決めたように。
衝撃的な事実を知らせるべく重い口を開く――そのときは突如として容赦なく訪れた。
固く封をされ禁じられた歴史の一ページ。
セドリック・クロスフォードの過去を。
――あの人はね。騎士団にいた頃、皇太子殿下の剣術指南役だったんだ。
「え?」
思わず疑問の声が出た。
ベルさんの告白、その内容の理解が追い付かない。
しかし、そんな僕などいざ知らずベルさんは話を続ける。
「僕がいた
明かされる衝撃的な事実の羅列に、僕は圧倒される。
親衛隊の隊長候補? 皇太子殿下の剣術指南役? 王族兄弟のお傍付き?
僕の知っている父さんからは全く想像できない肩書きの列挙だ。
「将来、皇王となられるお方は剣術も神聖術も、そしてそれに伴う知識も豊富じゃなきゃいけない。でも誰かが剣を教えるなんて
懐かしむようにベルさんは話し続ける。
憧れの人のいいところを教えているような、柔らかで、和やか、そんな面持ちで。
「……僕なら、断っていただろうね。でも先輩は……喜んで殿下たちのお傍に行った」
その話から、段々僕もベルさんの話が分かって来た。
「自分の力を見込まれた嬉しさ、それに伴って背負うべき責任。僕にそう説いた先輩は、殿下たちのためになるならと、批判を諸共せずに真っ向から立ち向かった」
ああ、間違いない。それは父さんだ。僕をここまで育ててくれた。だから――
「……だから僕は――キミのお父さんに憧れてるんだ」
ベルさんは僕に微笑みかける。知っている。この気持ちを。僕は知っている。
それと似た気持ちを、僕も父さんに持っている。
話はまだ終わっていないようで虚空を見つめ始めたベルさんは再び口を開いた。
「何れ来る魔族の侵攻を退けるために王族自らが剣を取る決意を示す。その皇室の意向に従った皇太子殿下と皇子殿下は唯一対等にいてくれた先輩を深く信頼し、いがみ合っていた王族親衛隊、近衛騎士団を結ぶ架け橋となった――先輩はその象徴となったんだ」
父さんの性格から考えればそうなったのもよく分かる。
「でも、魔族の動きが活発になったとき、先輩は僕が当時いた哨戒班に配属された。そこで活動するうちにある若い女性と出会って……結婚したんだ」
そこまで言い切るとベルさんは僕を再び見る。
「……キミはその女性とよく似ている。とっても、ね」
ベルさんはそう言って僕の頬を撫でる。その手つきはどこか……儚げで哀しそうだ。
そこからベルさんが急に機能停止したのでたまらず「ベルさん?」と声をかけると「ああ、話がそれたね。んん」と再起動してくれた。師匠だけど……よく分からない人だな。
「……結果として魔族大戦末期は皇都近郊が戦場となるほど追い込まれ、敗北と絶望ちらつく苛烈な戦局になった。そんな状況下に於いても王族と民を守りながら戦う先輩の姿が皇都の人々の記憶に刻まれて後々【救国の英雄】なんて呼ばれるようになるんだけど……このとき城にいた皇王陛下は退路を塞がれていたんだ」
絶望的な状況下。勇む若き近衛騎士。残された皇王。そして今まで生きてきた僕の知識。
それらを統合すると、察するに余りある。
「それに気づいた皇太子殿下と皇子殿下は……」
今一度明かされる歴史に、ベルさんがまた言葉を止める。
「どうなったのですか?」
僕は訊く。訊かなければならない。何故か強くそう思うんだ。
「……亡くなった。先輩の必死の制止を無視して南方領主館近隣の森にある避難場所からラフィートルン城へ転進。皇王陛下の退路を作った上で――魔族の魔法に貫かれた……ご遺体も残らないほど激しい閃光だったと聞いてるよ」
「……教えてくださりありがとうございます」
辛い話をしてくれたベルさんに頭を下げ、深い感謝の言葉を捧げる。
「ううん。だから、ユウトくんの剣術は僕が教える。……先輩の分もね」
首を振り、明るい顔を見せるベルさん。
胸に手を当てて頼もしい騎士の敬礼を見せてくれる。決意新たに――て感じだ。
「はい。これからも、よろしくお願いします!」
僕も同じく答礼をする。
ベルさん、弟子の僕が思うのはおかしいかもしれませんが……あなたにはやっぱり笑顔でいて欲しいと思います。そして僕を、父さんに負けないくらいに強く鍛えてください。これからも――
「――おーい! もうそろそろ飯にしないかー!」
人が一生懸命これからの所信表明を考えていたところを大声が遮った。
振り向くとそこには予想していた声の主である父さんが鍛冶屋の玄関口に立っていた。
「お、噂をすれば先輩がお呼びだ。急ごう」
ベルさんは相変わらず柔和な対応で僕を急かしてくる。
「は、はい!」
師匠の言うことに従うのが僕のモットーだ。ここは仕方なく所信表明は後に回してもいいだろう。
皇太子殿下の存在、そして死亡、ベルさんの父さんを思う気持ち、そして――
――そして何より父さんの過去を知れたんだから。
その満足感とハイリタの業の歴史を胸に、いつの間にか美味しそうな香りが漂う我が家に向かうのだった。
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