第22話 私の大切な思い出
子供ひとり専用にしては広く煌びやかな部屋――その一角に設けた天蓋付きのベットに私は疲れ果てた自分を放った。そして、仰向けに脱力しきった身を投げる。
お父様に軽く怒られたあと、撫でられた頭を軽く
ベルにお城まで送ってもらう道中、勝手に城を抜け出し、あろうことか無断で外泊までしてしまった私は皇王陛下であるお父様にどんなお叱りを受けるかと思っていたけど……予想よりも軽くて驚いたわ。
でも、それどころじゃないほど酷い心理状態ではあった。
『おかえりサラ。疲れたろう。今日はもう休め』
私の気持ちを汲んでくださったのか例の発表を終えられお城に戻られたお父様にそう命じられた。御意の通り、おずおずと自室の寝室に戻った私は、今日まで生きてきた中の出来事を順々と辿りながら思いを巡らせていた。
そして、それはついに私の九年余りに及ぶ人生に於いて最初の原点としてあり、頂点にも君臨するだろうある出来事に至った。
そう――私の人生を変えたあの日。私の人生の時が動き出した運命の日。
ある小さな男の子との出会いの過去を思い出す。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――彼と初めて出合ったとき、私はお城での神聖法理術の授業を抜け出していた。
追いかけてくる使用人や先生から逃げるのに夢中で前をほとんど見ていなかった私は、中庭を歩いている近衛騎士団の白い鎧姿をした男の人、その人が連れている子供にぶつかってしまい……丁寧に敷き詰められた石畳の地面におでこをぶつけそうになる。
けど、私はケガをするどころか地面に触れることすらなかった。
――私を咄嗟に受け止めてくれた子を下敷きにしてしまったから。
そんな酷いことをしてしまったのに怒るでもなく、あろうことか彼は私の身を案じ――
『いてて……だ、大丈夫?』
と優しく声を掛けてくれた。
そんな温かく優しい言葉を掛けられたのは初めてだった。胸が高鳴った。運命と感じた。
それからは使用人と先生から逃げるべく一緒にかくれんぼをしたんだっけ。
あのかくれんぼこそ私たちがした最初の遊び……まるで昨日のように鮮明に思い出せる。
たぶんあのときユウトに出会わなかったら今の私はなかったのだ。
ある日、お城でユウトに会ったとき、彼は苦手な本を読む私を見て目を輝かせた。
その顔が可愛くて、私は城の者以外に見せてはいけない書物を見せてしまう。
すると、彼は難しそうに眉をひそめた後に、私を見る。な、何?
『サラはすごいね! 本を読めるなんて……僕にはなんて書いてあるのか分からないや』
そう言って後ろ頭をかくユウ。
私は思わずきょとんとした。文字を読めない子がいるなんて知らなかったから。
通常、平民の子供は各地に散在する修道院の
けど、あまりにも地方になると修道院にも通えない子がいる。確かに知識としてはあったけど、実際にそこまでの考えが及ばなかった。実際そういう子はその子の母親が教えてくれるそうだけど、後に彼に訊くと母親を生まれて間もなくに亡くしていることを教えてくれた。
……このとき、私は決心したの。皇女として、いずれこの国を守る者として、民を愛する聖女の雛鳥として。お母様が教えてくれた『国を思い、民を守る、強き母』を胸に――
彼、ユウトの母親代わりになろう――と。
それを叶えるべく必死に勉強した。実際のところ全部苦手なことばかりで、成績も他の貴族家の子よりも悪い。今まで何一つとして取り柄もなく、神から授けられし聖なる力を行使できる王族皇女としても不完全どころか無能の姫だった私は、常に自分なりの皇女の在り方を模索していた。……自分にしかできないことを探し求めていた。
だから、いつも放り出していたお城での授業も聞くようになった。彼に、ユウトに私が教えたかったから。……いや、それも言い訳ね。
習いたての数の理の授業をユウトに教えたとき、彼は不思議そうな顔をした。
『数の理? よく分からないけど……サラは何でも知ってるね』
……ユウトは何かを教えると必ず私を褒めてくれる。
当り前、できて当然、できなければ皇女たる資格なし――周囲から何度もそう言われ続けていた。いくら頑張ってもお父様もお母様もただ頭を撫でてくれるだけ……それも嬉しかった。けど言葉にして言ってくれたのはユウトただひとりだけ……そうだ、私はただ褒めてもらいたかったんだ。こんな無様な私を許して欲しかったんだ。皇女らしからぬその心意に気づいたのは、彼と出会って三年の月日が経った七歳の頃だった。
それから少し経ったある日、私は授業の教材を持ってお城の中を歩いていると二人組の格式高い貴族家の淑女らが話しているのをたまたま目にした。
『ここだけの話、皇女殿下って神聖術使えないらしいよ』
『え!? それ本当ですか? 王家の血筋でいらっしゃるのに?』
……私への誹りだ。聞くよりも早く私は美しく整えられた庭木の陰に早急に身を隠す。
彼女らが言っている神聖術こと神聖法理術は才ある者しか扱えないらしく、私はその素質はあるものの、それを引き出す能力が他人よりも乏しいと皇統儀礼院の人に言われた。
何が原因か分からないがいくら詠唱を諳んじて力を込めようと、少しの火の粉や水滴が発現する程度でおおよその貴族子女が扱えるとされる初級の神聖術すら難しかった。
今は頑張ってちょっとはできるようになったけど、彼女たちには到底及ばないだろう。
……悔しい。思わず私は下唇を噛む。でも、向き合わなくては……私は再び様子を窺う。
『ええ。でも魔族大戦で皇太子殿下と皇子殿下が亡くなられて、もう皇女殿下しか皇位継承権をお持ちの王族の方はいらっしゃらないし……将来、皇王陛下になられるお方がこれでは先が思いやられるわね……』
肩を竦めるドレス姿がよく似合うスタイル抜群の子がぼやくと、
『え? 皇位って男系の殿方しか継承できないはずではなかったですか?』
失礼だけど少し貧相な胸元を覆う従者の服を纏った女の子が疑問を投げかけた。
『仕方ないじゃない。かねてより王族とされるシスティーリヴェレの名を冠する家はもう現代において皇王陛下の血族のみなんだから。皇統儀礼院もそう明言しているし、私の家の口伝で伝えられている【双子の王族の一族】も何処にいらっしゃるか分からない。ともなればもうサラ皇女殿下しか皇位継承できるお方はいないの』
ドレスの貴族子女が言う。確かにその通りだ。私が生まれるかどうかというときに魔族戦争により亡くなられたお兄様たち以外に皇位継承権がある王族は私を除いて他にいない。
……陰でこそこそと自分への誹りを情けなく聞いているだけのような、こんな私しか、いない。
『そうなのですね……皇女殿下。何だかかわいそう……まだ幼くいらっしゃるのに……』
従者は私を哀れむ。そんな感情を向けられるのも初めてだ。……なんて惨めなんだろう。
『……確かに可哀そうだとは思うけれど、神聖術が扱えないということはきっと神の力とされる【聖なる力】の行使も難しいはずよ。魔族大戦の皇王直下近衛騎士団戦闘推移詳細報告にはこうあったわ――その力なくして皇国の未来なし。かつては領土全体を覆っていたとされる聖なる結界も年々縮小しているそうだし、これも無関係ではないはず……』
――彼女の言った通りだ。
この国全土を覆う聖なる結界とは、この国の最重要国家防衛装置。
ハイリタの神が残した遺産――三種の神器の一角である【破魔の剣】が作り出す魔を排する盾となる結界だ。お城の中央中心にある聖賢の間にある台座にそれは刺さっており、王族の血が流れる姫巫女が祈りを捧げることで結界を確たるものにし、真価を発揮する。
魔物や魔族の侵入を阻み、農作物が実りやすくなり、民を豊かにするという伝承と共にハイリタの繁栄を支える神器として知られている。
祈りを捧げる頻度自体は多くなくていいのだけど、段々と結界の力が衰えてきている。
結界内領域の縮小も恐らく……私の能力不足に起因している。
でも、私だって頑張ってる。
祈りだって毎日捧げてる。神様に「どうか民をお守りください」と。でも、駄目だった。
いくら祈っても破魔の剣は応えてくれず私の持てる力を注いでも結界の強化することは叶わなかった。皇女が神器による聖力の行使が覚束ないなど今までに聞いたことがない。
……情けない。
陰ながら聞いて私は教材である教科書を強く抱き締めた。
『……私にはよくわかりませんけど……サラ皇女殿下が背負うべき責務は我々には到底はかりしれませんね』
『そうね。でも、背負うべき責務ではないわ』
『え?』
「……え?」
思わず私も小さく声を上げる。続けられた次の言葉に私は愕然とし、後に酷く心を締め付ける戒めの鎖となった。
『背負わなければならない責務ではなくて、これは果たさなければならない――義務。皇女として生を受けたなら、それに従わなければいけないわ。他ならぬ民のために――』
「――っ!」
思考を遮るために私はベットの大きな枕に顔を埋める。
どうしてこんなことばかり思い出すんだろう……。
ユウトとの良い思い出だけをと思っていたのに……ううん、逃げちゃ駄目ね。
【背負わなければならない責務ではなく、果たさなければならない義務】
……分かってるわよ。そんなこと。
でも、私には……どうしようもないの。なら、私は私のやり方で国を守ってみせる。
婚姻だってなんだってしてやるわ。
今日できた友達――ミヤさん。あの子ならきっとユウトを大切にしてくれるはず。
……ユウトが笑顔で暮らせるなら、私は何だって捨てられる。
もっと素直になれたらな。あの子みたいに。
セドさんは私を素直だと言っていたけど、あのときのユウトを見たら誰だってああ言うわよ。……ノーリタ卿にも城から出るなって釘を刺されたのに。鍛冶屋の仕事でしか城下町に来ることもできないのに……遊ぶも何もないわ。
そんなどうしようもないことを考えていると、扉を叩く慎ましくもどこか力強い音が聞えた。こんなときに……やけくそ気味に「……誰?」と誰何する。
「――近衛騎士団所属騎士ベルフェンスです。殿下にお話ししたいことがあり戻って参りました」
「……ベル? 分かった。入って」
さっき部屋まで送ってくれたベルが何故か戻ってきた。
用件が何か分からないけど、私は乱れた髪を手櫛で素早く整えながら入室許可を出した。
扉の奥で「失礼します」という声が聞こえた後、剣を携え白い鎧を着たベルが現れる。
「……殿下、少しだけ私の昔話を聞いてくださいませんか?」
入るや否やベルは左手を剣の鞘に添えて右手を胸に置く近衛騎士団仕込みの直立敬礼をしながらそんな突拍子もないことを言ってきた。
む、昔話?
「と、唐突ね。いいけど……」
「ありがとうございます。昔話というのは……私の家族のことです」
「ベルの家族?」
直立型の騎士敬礼を解くように右手で指示した私は疑問で返す。
「はい。私には剣士として幼き頃に――生き別れた妹がいます」
そこから始まったベルの話は俄かに信じ難く、でも不思議とすんなりと入ってきた。
たぶん、この唐突な昔話は私を思っての話だったのだろう。
そして、その話を聞いて私は決意を新たにした。
……後悔しないために。
「ベル。その話、ユウにしてもいい?」
この話は、きっと私の胸の内だけに秘めておくには、あまりにも大きすぎる。
ユウトにも話して一緒に協力したい。
「……はい。ユウトは私の弟子ですから。でも、あれは二人だけの秘密ですよ?」
相変わらずの男女共に惹きつける笑顔でからかうように釘を刺された。
「ふふ、分かったわ。……ありがとね。ベル」
「いえ、ではおやすみなさいませ」
「おやすみ」
終始礼儀正しく軽やかな足取りでベルは退室した。
自然と肩の力が抜けるが……寝るのにはちょうどいいかも。
ベルのおかげで、今日はよく眠れそうだ。
……素直になるのも楽じゃないわ。
でも、今日の夢はきっといい夢ね。
そんなことを思いながら、私は深い眠りに落ちていった。
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