第21話 お姫様と曇る心

「サラ……今の……」


 衝撃の場と化した平和の広場で、僕はサラと向き合い問い詰める。


 ――嘘であって欲しい。


 その思いが止めどなく溢れてきて、抑えられそうにない。心臓が飛び出そうだ。


「本当よ。婚姻の話。相手は……まだ分からないけど」


 サラはあの騒動からずっと手に持っていた僕の帽子をかぶり直し顔を地面に向けて、僕から目を伏せた。

 なんだかいつものサラじゃない。いつものサラならはっきりズバズバ物を言うのに。


「そう……なんだ……」


 サラの異常な様子も相まって頭がクラッとする。

 目の前の視界がぐらつくのが鮮明に分かる。


 結婚……するんだ。……本当は気付いていたんだ。


 いつかは、そういう日がくるって。覚悟していた。

 だけど――それがたとえ今このときで、仮に本当だとしても!


「でも、でもさ。お城にはいるんでしょ?」


 僕は、泣きそうになりながらサラにぶつける。

 ……頼む。そうであってくれ。まだ、まだもう少しだけ君のそばに――


「……あ、当り前じゃない! 私はこの国の皇女なんだから!」


 今度は僕の目をしっかりと見て、腰に手を当てながら眩いほどの光のオーラを纏ういつものサラでそう言ってくれる。

 そんなサラをみると僕はすごく安心するんだ。 


「そうだよね! ……良かった」


 一縷の望みを賭けた問いかけの返答に、僕は胸を撫で下ろす。


「……もうそろそろ城に戻るわ」

「そっか。もう日暮れ前だもんね」


 気づけば、今は午後六時頃。もう少ししたら空に一番星が煌き出すだろう。


「うん。今日は楽しかったわ。セド、ユウ――護衛ありがとね」


 サラは僕と父さんにどこか悲しそうな顔で微笑むと、後ろに立っていたベルさんの方に振り返る。


「ベル。城までのエスコートを頼むわ」

「かしこまりました。……皇王陛下のご叱責に備え、裏門から入城致しましょう」


 快く承諾したベルさんは現実的な発想のもとにそう進言するが、


「いや、正門から行くわ」


 あろうことかサラは真正面から行くつもりらしい。

 その潔さと真っすぐな姿勢は憧れる。僕も、ああなれたらな……。


「……本当に素直じゃないですね、殿下は。もう少し素直にならないとユウトくん誰かに取られちゃいますよ?」


 ベルさんはサラを窘めるように冗談めかした雰囲気でそう言い放つ。

 ……取られるって?


「いいのよ。あの子には、他にピッタリな子がいるから」


 サラはサラでなんか怖い感じがする……。ぴ、ぴったりな子って何?


「……はあ……これは前途多難そうですね、先輩」

「俺に振るな、ベル。――姫様、護衛の褒賞光栄に存じます。またお会いできる日を楽しみにしておりますぞ」


 ベルさんのどこか投げやり的な反応に流し目で対応した父さんは、姿勢を正して一歩前に歩み出るとサラに向き合い別れの挨拶を述べた。

 サラは言葉に表すのが難しい――何かに耐えて今にも壊れそうな淡い笑顔で頷く。


 そして、その様子をみた父さんがサラの側へと近づいていき――


「――ご安心ください。婚姻の件はシベリタ卿と策を練っております。姫様は気負うことなく吉報をお待ちください」


 何やら耳打ちする様にぼそぼそっと告げた。

 それに一瞬目を少し見開いたサラは、先ほどまでとは違う雰囲気の、優しそうな良い方の笑顔になる。


「……ほんとに、無茶するんだから。でも、ありがと。もう覚悟はできてるから」


 サラは何かを愛おしむような、慈しむような、そんな声で答えた。

 覚悟って……? 何の話をしてるんだろう?


「……では失礼します」


 サラの反応に何をするでもなく、父さんはただ一礼する。その後「行くぞ、ユウト」と僕の脇を通り抜けて南の大通りへと――おっと、いけない。置いていかれたら大変だ。


 急いで追いかけないと。


 もたついているとふとサラと目が合った。

 迷う僕を貫く優しい瞳。

 すべてを見透かすようで、神秘性を秘めるサラの瞳に囚われる。


「じゃあね。ユウ」

「うん。サラも元気でね」


 ふたりで他愛もない、いつもの挨拶を交わして父さんを追う。


 これを幾度となく繰り返してきた。出会って、別れて、また出会う。

 その繰り返しの日々。

 僕らの於かれた状況が変わろうと、唯一変わらない運命の不文律。

 決して外れることのない歯車。こんな人生の日々が続く。ずっと――



 ――それが終わりを迎えるときは近い。



 僕の思考を鬼気迫るようにそれが占めていく。頭がそれでいっぱいになる感覚に、まるで僕が僕でなくなるような……今まで感じたことのない感情が支配していくのを感じる。


 どうして、こんな気持ちになるんだろう? 


「ユウ! 今日は楽しかった?」


 背中ごしに声が聞こえた。


 それは昨日もサラに訊かれた問い。

 その言葉に渦巻いていた思考は停止し僕の思いが一挙にあふれ出す。

 僕は、大きく振り返って――


「――うん! 楽しかったよ! また、一緒に遊ぼう!」


 人目も憚らず、大きな声で叫んだ。

 心なしかさっきまでかき乱されていた僕の心は少しだけ落ち着いたような気がする。

 それはどうやらサラも同じだったみたいで――


「……うん!」


 大きく頷いてくれた。


 よし、これで踏ん切りがついた気がする。

 サラの満面の笑顔を見届けた僕は決意を新たに振り返るとそこには父さんが立っていた。


 突然のことに僕は驚嘆の声を上げてしまう。

 当の父さんは、同じく気配を消していたベルさんにドヤ顔をする。


「ベル、姫様はいつだって素直なんだよ。こうやって人目を気にしないくらいにはな」

「そうみたいですね。私もあれくらい素直になりたいものです」


 父さんのドヤ顔に答えるように華奢な腕を上品に組んだベルさんは「いつからいたの……?」と驚くサラを羨ましそうな目で見つめていた。


 そんな他愛のない大人同士の会話と恒例とは少し違うサラとの別れの儀式を終え、僕と父さんは皇都城下町を後にした。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 鍛冶屋への帰路についた僕と父さんは、軽くなった馬車には乗らず、馬を引き並んで歩いて南方の道を行く。あと少しすれば真っ暗になっちゃうんだけど……なんとなく、気分的にこうして帰りたい。父さんもそれは同じだったようで、言葉を交わすでもなく自然に歩く形になった。


 ……やっぱり、親子だな。


 僕らの住む森へと続く道すがら、手持ち無沙汰になったのか父さんは口を開いた。


「大変なことになったな」

「うん」


 正直に言って、まだ動揺が収まらない。

 いつかはそんな日が来ると覚悟はしていた……つもりだったんだけど、実際はそうじゃなかったらしい。情けないな……幼なじみなのに。


「ユウ。姫様がもし結婚されたら、どうする?」


 父さんが意味深にそんなことを訊いてきた。そんなこと言われても……。


「……どうするって言われても……どうしようもないよ」


 僕には分かる。伊達にサラの幼なじみをやってはいない。


 サラのあの態度は相当の覚悟をしているものだった。真剣度が桁違いのような気がする。

 それにこれは国の行く末に係わる重大なものだ。そこに平民の意思や願望、ましてや子供の平民の意見が介在する余地など……ありはしない。


「ふむ。確かにそうだな。けど、打開できる策はあるだろ?」

「え?」


 思わず自然と伏せていた顔を上げる。


「忘れたのか? 剣覧会。優勝すれば勅命の申請書がもらえるぞ?」


 父さんは口角をキリっと少しだけ上げた凛々しい笑みを浮かべ、自信満々に無茶な提案をしてきた。


「む、無理だよ! 僕がろくに鍛冶できないの知ってるでしょ……? ましてや優勝なんて……できるわけないよ」


 小さな頃から父さんに倣って剣を打ったことはあるものの、とてもできたものじゃなかったし、なによりそれで優勝を目指すなんてことは不可能だ。


「……そうか」


 苦笑いで答えた父さんは、腕を組んで考える仕草を取った。

 ……今なら、城下町でのことを訊けるかもしれない。


「ねえ、父さん。ひとつ聞いていい?」

「ん? なんだ突然」


 首を傾げる父さん。なかなかにレアな感じがする。それはともかくとして……、


「えっと、前に言ってた親友さんの話なんだけど……」


 実はずっと気になっていた城下町で会った北の領主様。もしかしたらもしかするかもしれない。


「親友? ああ、カルラのことか」

「カルラ? 女の人なの?」


 名前が似てる感じがするけど……響き的には女の人の名前だ。

 違う、のかな?

 そう思っていると父さんは首を横に振った。


「いいや、男だ。まあ、あだ名みたいなもんだな……本名は良く知らないが、そう呼べと本人に言われてからそれ以上追及しなかった。……て、なんでその話を?」


 ……脈あり。畳みかけてみよう。


「ちょっと気になることがあって……もしかしてだけどその人、騎士学院を首席で卒業してる?」


 この問いの返答で全てが分かるはずだ。……少し、ドキドキする。


「ああ、確かそうだったな。同期だったしよく覚えている。本当の名前もそのとき初めて聞いた気がするんだが……か、カルベ……なんだったか……」

「――カルベアラ・ジェルサレス=ノーリタ。じゃない?」


 名前で詰まった父さんの言葉を続けてみる。


「おお! 確かそんな名前だったような気が……ノーリタ?」


 ――反応を見るに父さんがカルラと呼ぶ親友と北の領主様は同一人物。

 その確証が得られた。


「やっぱりそうだったのか……まさか父さんの親友さんが領主様だなんて……」


 その事実に思わず頭を抱える。


「なるほど……ノーリタとは北の領主に与えられる称号。高貴な家柄だとは言っていたが、まさかアイツがな……」


 父さんは僕のもたらした新事実に驚きの表情だ。

 でもそれだけじゃないらしく、何やら納得したように、


「どうりで似ていたわけだ……もっと早く気づいていれば……」


 と意味深に呟いた。


「……父さん?」

「いや、なんでもない。そういえば大通りで騒ぎがあったと聞いたが、何か知らないか?」

「……ちょっとね」


 なんかはぐらかされたような気がするけど……この問いには答えにくいな。

 僕は返答の言葉を濁してしまう。


「……カルラと、何かあったのか?」


 父さんの心配そうな声に僕は目を逸らしつつ、小さく頷く。

 隠したいけど迷惑はかけたくない。ことがことだし父さんにはきちんと話しておきたい。


「分かった。今はまず帰るぞ。考えるのはそれからでも遅くないだろ?」


 静かに大きく頷いた父さん。まずは目の前に集中しろという頼もしくカッコいいそれは、今の僕に最も響いた言葉だった。


「うん」


 気を取り直して鍛冶屋の親子は帰り道を急ぐのだった。


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