第19話 お姫様と新しい友達
舌戦を交えたノーリタ卿が乗る御料馬車が彼方へと消えた頃、隙をみて僕とサラは集まる民衆から逃げるように走った。
路地を迂回し少しあの場から離れれば、僕らはただの子供にしか見えない……はず。
皇女の顔を知っているのは、城区の人間くらいだからね。
「はあ……」
「大丈夫?」
「ええ、少し疲れただけよ」
大きな溜息を吐いたサラはそう言って心配する僕に少しだけ笑って見せる。
その笑みはさっきの緊張がほぐれたおかげか何処か安堵が窺える。
しかし顔にはそれと矛盾する感情である不安も同時に浮かんでいた。
「それにしても……厄介なことになりそうね」
先ほど、北方の領主ノーリタ卿を退けたサラは、もう消えた御料馬車の虚空を睨みつつぼやく。
そうだ……謝らないとな。
「サラ、ごめん。巻き込んじゃって」
僕はサラの皇女としての力にすべてを賭けた。
状況を打開できる唯一の手段だと思ったから。
けれど、僕はサラに頼りすぎて、僕自身は何もできなかった。
それにサラにはお城から出られなくなってしまう制約が……僕のせいだ。
「いいのよ……気にすることないわ。それに謝るなら私のほうよ。力不足で……ごめんね、ユウ」
僕の謝罪に、何処か悲しみを滲ませた笑みを見せ、サラも僕に謝る。
それに首を横に振って否定した。
「僕が巻き込んじゃったのが全部悪いんだ。でもサラのおかげであの子が助かったよ」
後半は寂寥感を払拭するべく明るく言った。
「……憲法を持ち出したのはいいけど、咎の裁判の条文を引き合いに出してこなかったから助かったわ。裁判沙汰なんてイヤだもの」
肩を竦めてみせるサラ皇女殿下。ああ、確か前にサラが教えてくれたっけ。
すべての罪は教会が裁くみたいな憲法の条文があるって。
でも、貴族への非礼は貴族の判断で断罪できるらしく、サラはそれに疑問を持って仕組みを変えるような法案を提出したとか……。
でも裁判ならあの憲法第三条で何でもごり押しできそうなものだけど……。
「サラは王族だからもし裁判になっても勝つんじゃないかな?」
もちろんならない方がいいと思うけどね。
でもサラは首を傾げた。
「それはどうかしら……。実は……憲法はもはや形骸化しつつあって、今ではほぼ建前みたいなものよ。貴族でも王族をどうとも思わない人だっているし。教会ならなおさらね」
「え? じゃ、じゃあ、サラが憲法の条文を言ったのって……」
僕は疑問符の付いたサラに驚く。
サラの言う通り、憲法が形骸化、建前的なものになっているんだとしたら、法律上の正当性はあちらにあることになる。
それだと、もし仮に裁判になったとしたらサラが負ける可能性があったんだ。
「半分は賭けだったのよ。まあ、負けたんだけどね」
平然と言ってのけるサラ。
「でもあの自信満々な顔してたじゃないか」
「演技よ。少しでも状況が味方してくれるかなって思ったの。逆に強権を振りかざしたと喧伝されたかもしれないけれど……それでもいいと思ったの」
さすがサラだな。なんていう演技力だ。
僕が勝利を確信した笑みは……サラの決心の表れだったのか。
そこまでしてまで守りたかったんだ。あの子の命を。
本当に、自分の国民が大好きで仕方がない皇女殿下だな。
「……ノーリタ卿が最初憲法を曲がりなりにも尊重してくれたのには驚いたわ。色々言われたけど……最後には折れてくれたし、そこは良識ある誇り高い貴族――人の命を重んじる人だったってことね」
「誇り高い貴族……か」
吃驚しながら呟くサラの言葉で僕はある記憶が呼び出される。
父さんが以前僕に言ってた『俺の親友は高飛車で
誇り高い名家の生まれだから、とも言っていたけど……まさかな。
「にしても、何で彼女だけを咎にかけたのかしら……ユウを拘留しなかったし……。一緒に行動することもあるけど、あいつは何を考えているのか分からないわ」
サラはいつもの考えるときのクセ、腕を組み唇に一指し指をあてがう。
僕もサラに倣って色々考えを巡らせる。
するとあのときサラが溢していたある言葉が頭の中で引っかかった。
「サラ、そういえばあのときあの法案を通した……とかなんとか言ってたけど……それって何?」
「そ、それは、えっと……」
サラが何故かとても言いづらそうな顔をした――まさにそのときだった。
「――あ、あの!」
後ろから僕らに声をかけられ、びっくりしながらも二人して振り向く。
そこにいたのは――さっきのパン屋の女の子だ。
あ、案外簡単に見つかってしまった……。
どうしようかと僕がサラの顔を見ると……ガバッ!
女の子が深々と頭を下げる。
「も、申し訳ありません! あなたたちのおかげで助かりました」
ふと見ると女の子の後ろには猫を抱えた小さな女の子が頭だけを覗かせていた。
その子が小さくペコリ。頭を下げた。
……良かった。僕はその子に微笑みかけるとその女の子もほんの少しだけ笑ってくれた。
それで緊張が解けたのか、何処かへと駆けていく。
その行く先を見ると少し離れたところに女の子のお母さんと思しき女性が立っていて、走ってくるその子を力強く抱きとめた。
その様子を見ていると、思わずお母さんと目が合い深々と頭を下げてきたので僕はまたサラと顔を見合わせる。
どうやらサラも僕と同じ気持ちらしく満足気な顔だ。僕らも揃って礼を返す。
その他愛もない数秒のやり取り後、嫌疑に掛けられたパン屋の女の子の方を向いて――
「気にすることないですよ。それにお礼ならサラ……こほん。サラ皇女殿下に仰ってください。あの状況をどうにかできそうだったのがサラ皇女殿下くらいでしたから。……ね? 皇女殿下?」
僕は話をサラに振った。あのときの最大の功労者なんだから当然だ。
「どうにかできているようで、できてないのが不甲斐ないけど……まあ、伊達に皇女をやってるわけじゃないわ。法律は苦手だけどね……」
苦笑いをしながらサラは肩を竦める。あれで法律が苦手とか、王族の教育は凄いな。
「や、やはり……ほ、本物の皇女殿下……も、申し訳ありません! 皇女殿下であらせられるとは露知らず、数々の非礼を伏して謝罪致します! 先ほどの不敬罪の件もお忍びで城下にお越しになられた殿下の名に謂われなき傷をつけてしまいました。それも無関係な私の罪を拭うため、現下大衆の面前で……殿下の顔に泥を塗るに等しい無礼を働きました……」
半信半疑から確信に変わったのか、ハッという驚くような顔をした女の子は、責任感と罪悪感で押しつぶされそうな震え声で頭を下げて謝罪してくる。
……真面目なんだな。
「こら、顔をあげなさい。私は自分が正しいと思ったことをしたまでよ。それに……」
サラは落ち込む女の子に明るい語気で語りかけ、女の子が顔をあげる数瞬の間を置いた後に――
「――我が臣民であるあなたを無実の罪から救うのはこの国の皇女たる私の責務よ。責務を果たすためなら泥だろうが何だろうが被ってやるわ。だから、無関係なんかじゃない」
と力強く続けた。その言葉からは皇女としての誇りや心持ちが垣間見える。
本当に、カッコいいな。サラは。
でも、その熱い気持ちをぶつけた相手の女の子は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いて驚き、しばらくしてその目を反らせてしまう。
「ありがたきお言葉です。……ですが。ですが!」
「はあ、仕方ないわね……。あなた名前は?」
溜息を吐いたサラはさらに踏み込んでいく。
「は、はい! ミヤと申します。既知の通り、城下の路地にあるパン屋オルゴで働いています」
パン屋の女の子はそう名乗り、簡単な説明までしてくれた。
それにサラは微笑んで小さく頷く。
「そう。次は私の番ね。ウォッホン! ――私はサラ。お城に住んでるただのサラよ」
「……え?」
わざとらしく大きな咳払いを交えたサラの言葉に女の子――ミヤさんは何を言っているの? という感じだ。
「これであなた――ミヤは私のことを知って、私はミヤのことを知った。これで無関係じゃない――友達よ」
サラは自分とミヤさんを交互に指で指し示しながらそう宣言した。
「友……達……」
「ええ。だから気にすることはないの。困ってる友達を助けるのは当然のことなんだから」
胸に手を当て力強く頷きながら優しく微笑みかけるサラ。
民を思い、国を担う、強く気高い聖女――ハイリタ聖皇国の皇女らしい幼なじみの姿が僕の目の前にあった。
「……あ、ありが、ありがとうございます……! こ、このご恩はいつか必ず!」
ミヤさんはさっきまでとは違う震える声でお礼を言ってくる。
「お礼ならもうもらってるからいいわよ」
「そんな! わ、私はまだ何も――」
恩義に報いようと必死なミヤさんの唇にそっと人差し指を当て問答無用に黙らせたサラは少し恥ずかしそうな声で、
「――パン。私にくれたでしょ? それで十分よ」
静かにそう告げた。サラにとってはそれだけで嬉しかったんだな。
幼なじみだからよくわかる。
緊張して素っ気なく対応してしまったけど、僕もさっきもらったとき嬉しかったしね。
「でも、それだけでは……お、お友達として足りないような……」
ミヤさんはサラにここまで言われても食い下がってくる。
すごく大人しそうな見た目をしているのに、我が強いというか、意思の固さが垣間見えるな……。
外面はともかく内面という点では、なんとなく、サラに似ているような気がする。
「しょ、しょうがないわね……そうね……じゃあ――これからもユウと仲良くしてくれる? ユウはこう見えてそそっかしいから、よく見てあげてほしいの」
サラは赤くなったと思ったら、途中からミヤさんに囁くようにして耳打ちをした。
な、なんだ?
チラチラと僕を見ながら話しているところを見ると心なしか嫌な予感がする。
「は、はい。分かりました。皇女殿下。……ゆ、ユウト様とおっしゃるのですね。ふふ」
サラの耳打ちに笑顔で頷くミヤさんは、僕の顔を見て微笑んだ。
それは一体……?
「サラ、何言って――」
「サラでいいわ。じゃあ、約束」
「は、はい!」
僕の疑問の言葉など一切なかったかのように指切りをする二人。
感動的な場面に立ち会っているはずなのだけど、こうも心が騒めき、落ち着かないのはなぜだろうか……解せない。
「……よし。この一件はこれでおしまい。お互いこの件を引きずらないようにすること。それと――ユウ、もうそろそろセドさんとの約束の時間よ」
両手を合わせて事態の収束を告げるサラはそんなことを言ってきた。
「あれ、もうそんな時間か。じゃあもう行かないとね」
サラの言葉に近くにある時計を見る。
気づけば午後三時五十分を示していた。
もうそろそろ待ち合わせの時間である午後四時だ。
急がないと。
「うん。あ、それともうひとつあるわ」
サラが僕の元へ足を向けたと思ったら途中で思い出したようにミヤさんの方へ振り向く。
「パン、美味しかったからまた食べに行くわ。せっかく値引き券ももらったしね。じゃ、そういうことだから――ユウ、行くわよ」
「う、うん。……じゃあね!」
そう言って手を振り別れる僕たち。
別れ際の――既に通行が許された南大通りを行き交う皇都の民に紛れて輝く、どこか気品さを帯びた姿勢正しく深い礼が僕の脳裏に印象深く刻まれた。
ミヤさん。今まで名前すら知らなかったけど、僕もまたオルゴのお店に行くからね。
あんまりお金はないけど……絶対に。
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