第12話 お姫様と領主館③

 ベルさんが執務室から出て行ってからしばらくすると、メイドさんが食事の準備ができたと知らせに来てくれた。そのメイドさんの案内で階段を下り、二階にあるらしい食堂へと案内される。大人数が使うからか大きな食堂の両開きのドアを開けてくれたメイドさんにお礼を言って僕は中に入った。


 十人から二十人くらいならまだ少し余裕がありそうな食堂の中には、斧みたいな刃の槍を携えた大きな鎧の置物があり、執務室と比べて比較的高い天井からはキラキラと眩い光で食堂を照らす透き通る水晶のような装飾物がついたシャンデリアが吊り下げられている。暖炉近くの壁には鑑賞用と思われる細部に装飾が施された片手剣とそれと似たような拵えの小さな盾が飾られ、暖炉の上、中央にある領主館の紋章をあしらった金属製のエンブレムを称えるように交差して備えられている。


 そんな庶民たる僕には縁遠いとしか言いようのない煌びやかな造りの食堂にはこれまた豪華な長いテーブルがあり、その上には僕も食べたことのあるような身近な料理が高そうな食器類と共に並べられていた。


 領主様がテーブルの端に座り、それを囲うような形で領主様の隣にサラとベルさん、その隣に僕と父さんがテーブルを挟む。背もたれのついた細かな彫刻が美しい木椅子を慣れないながらもメイドさんに引いてもらい、席に着いた僕たちは神への祈りを済ませる。


 そして、いの一番に大皿に盛られたあるモノを手に取って頬張ったのはここ領主館の主たるレイモンド家シベリタ卿――つまりは領主様だった。


「おお、やはり美味いな。さすが我が領民、その舌は確かじゃの」

「そうですな。なめらかで柔らかく大変美味です」


 すごく美味しそうに食べる領主様の後に父さんも続く。

 僕もそんな大人たちに続くため、高そうな大皿に乗ったを手に取った。

 先ほどの領主様の話から察する限りではシャンデリアの下で黄金色に輝くそれは城下町のパン屋さんのものだろう。その他にもスープや飲み物、果物などが並べられているが、このメニューを見る限り昼食の主役たる品目はパンだ。……心なしか少し残念な気がする。


 しかし、舌の肥えているであろう貴族が美味しいというのだから、どんな味がするのか気になる。

 豪華で品格のある領主館の食堂で食べるにしては少し庶民的すぎるような気もするが、幸運にもこういう場に相応しく、役立つ知識を僕は知ったのだ。


 そう――パンを食べるときの貴族のマナーだ。


 昨日、サラがパンをナイフで切って食べていたのを僕は見ている。

 格式高い王家のシスティーリヴェレハイリタ家、その皇女たるサラがそうしていたのだからきっと上流階級の人間の食事マナーのハズ。さっきは領主様の前で硬直するという失態を演じてしまった僕だ。ここで汚名返上をさせていただこう。


 そう思って、早速食べようとするが……「っんん!」という悲鳴というかなんというかの声が聞こえた。聞こえた方向を見ると隣に座っていたサラが大皿に一生懸命手を伸ばしているのが見えた。なるほど、サラからのパンの盛られた大皿がある直線距離は遠いもんな。その様子を見たメイドさんが急に慌て出したし、これは非常にまずいのだろう。


 サラのために大皿からの距離が近い僕がもうひとつ取ろうにも、あろうことか僕が手の届く範囲にはパンはなかった。気づけば……目を離した隙に大人たちが予想以上にバカ食いしていたためだ。どんどんパンが口に吸いこまれていく様にベルさんは呆れ顔を見せる。


 ……新しいパンがなくなってしまったのは仕方がない。しかし、パンそのものはある。

 僕のパンを貴族の作法に則って切ってサラにあげれば万事解決、問題なしだ。

 品格など何処かに消え失せてしまった昼食だが、僕は自分のパンをナイフで切ってサラに渡そうとすると――一瞬、場が凍った。

 その様子を肌で感じ取ったのかサラは慌てたような様子で口をわなわなさせている。


 ……僕、もしかして何かやっちゃった?


「ふむ。さすが鍛冶屋の息子……道具を愛し、食物を分け与える慈愛とも言うべき精神、私も見習わなくてはな」


 そう言って僕の知るところのない何かに感心したように口髭をなぞる領主様。

 どういう意味かは分からないけど、その言葉は何かを皮肉っているような感じではない。


「も、申し訳ありません。シベリタ卿」


 何が申し訳ないのかよく分からないままの僕とは違って父さんは全て把握しているみたいだ。深々と領主様に謝っている。けど――


「何も気にすることなどない。むしろ、俄然がぜんお前の息子に興味が湧いたぞ」


 と領主様は特に気にしてはいないみたいで、何故か僕について気になっている? みたいだ。


「その……何か僕は不味いことをしてしまったのでしょうか……?」


 何か酷いことをやらかしてしまったのではと気が気でない。恐る恐る領主様に訊ねる。


「いや、何もしておらんよ。ただ、サラ皇女の前以外ではそれをやるのはお勧めしない」


 ……何もしていないけど、サラの前以外ではやるな……?


 どういう意味だろうか? もしかして、パンをサラにあげたのがいけなかったのかな。

 どうにも腑に落ちにない回答に、色々思案する中、


「……私にできないことを、お主ならやれるかもしれぬがな」


 領主様の呟くような言葉でますます分からなくなってきた。

 ……貴族の昼食って、貴族ってよく分からないな。隣にいる恥ずかしそうに赤いリンゴみたいになったサラはこんなにも分かりやすいのに。


「さて、皆。食事を楽しんでくれ。ああ、ベル。せっかくなんだ。アレも――」


 仕切り直すように領主様が父さんの隣にいるベルさんに声をあげるが、


「ダメです。どうせ城下町までいかれるんでしたら飲むんでしょう?」


 きつくそう言い切った。……さっきまで何を言っているのか分からなかった僕だけど、この話の意味は驚くほどに分かる。


「ぐ……それはそうなんだが――」


 苦い顔をしてベルさんにお酒を出してもらえないかと食い下がる領主様。

 こういうやり取りは、貴族も平民も変わりないみたいで安心する。

 壊れてしまった空気が戻り食事会が再開された。

 それにひとり安堵していると、隣のサラもほっと胸を撫で下ろしていた。


 ……いつもはこの正直で表に出やすい性格に振り回される僕なのだけど、今日ばかりはサラの分かりやすい性格に心の底から安心したのだった。

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