第10話 お姫様と鍛冶屋の行商

 父さんと作った朝ごはんを食べ終えた僕ら三人は、朝一番から父さんが色々用意をしてくれている馬車の前にいた。

 簡単に説明するならば、上下を輪切りにした大きな木箱に車輪がついているという実に素朴な作りの馬車だ。これはいつも行商に使っているもので、使わないときは鍛冶屋の裏手にある馬小屋の傍に置いてある。

 今日は途中の村にもよる予定だからか、鍛えた鍬、鎌といった農機具や、小さな金属製の部品を収めた木箱や風呂敷がわんさかと積まれている。

 この光景を見たのはひさしぶりだな。


「よし、行こうか」


 馬車の車輪やら納品する品物やらの各部をきっちり確認していた父さんは僕の方に振り返り、親指で馬車を差している。

 見たところ問題はないみたいだね。


「朝ごはんも最高だったわ。後でまたご褒美をあげなきゃね」


 腰まである後ろ髪を結いツバのついた帽子で隠した一見して男の子に見えるサラはご満悦の笑顔で僕ら親子に対してそんなことを言ってくる。

 それに父さんは身震いというか痙攣というか身体をビクビクと震わしている。

 全く、しょうがないな……。


「別にご褒美なんていいよ」


 父さんの代わりに僕が苦笑いで答えてあげる。それでやっと痙攣が解けた父さんはぶんぶんと何度も首を縦に振る。

 そんな父さんと僕を見たサラはただただ悪戯っ娘のそれで微笑むだけだった。

 ……全く、父さんをからかうのも程々にしてほしい。

 正体を隠すのにサラの後ろ髪をたくし上げ、上でまとめて首元まで垂らすという襟足の長い男の子に見えるように凝った結い方をした僕の苦労も気遣ってほしいところだな。

 あ、そうだ。


「サラ……これを身体に塗ろう」

「……? 何、これ?」

「母さんが昔使ってた……ええっと、日焼け止め? か何かだと思うんだけど……」

「そうなのね。でも、何でこれを塗るの?」

「父さんが言うには母さんが外に出るときはいつもこれを塗っていたらしいんだ。だからもし良かったらサラも塗ったほうがいいかなって思って……イヤだったらいいんだけど」

「別に構わないけど……」


 良かった。僕はサラサラとした少しだけ粘度のある塗り薬を指で絡め取って、サラの露出した白い肌に塗っていく。


「ユウト、お前どうしてそれを……」


 父さんが驚いた顔で言う。


「玄関口の棚の中にあったんだ。父さんが教えてくれたんだけど……不味かったかな?」


 勝手に取ってきてしまったから少し不安になる。父さんは怒ってはないみたいだけど、顎に手を当てて何かを考えている。どうしよう……。


「……いや、ちょうど良いかもしれない。姫様の身体の、服に隠れているところもできるだけ塗ってあげなさい」


 しばらくしてそんなことを言ってきた。どうやら塗っても問題ないことになったみたいだね。でも服に隠れているところも塗るって……どうしてなんだろう?


「う、うん。分かった」


 そんなことを疑問に思いつつも頷く。

 父さんの言葉で赤くなってしまった幼なじみだけど、時間も押してきているし、そんなことはお構いなしにただひたすら薬を塗りたくる僕だった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 森の奥深くに鎮座する小屋から出発したお姫様とお供の鍛冶屋親子の一味は早速、馬車に揺られて北へ北へと進んで行く最中だった――などとおとぎ話の一節のような文章を頭で思い描いてしまうほど僕とサラには何もない退屈な時間が流れていた。


 いい話相手になりそうな父さんは馬を操るため前側の席に座っており、僕とサラは今朝荷物を乗せた馬車の荷台に乗って荷物にもたれかかる様に座っている。

 特に何もすることはなく、ただ時折、空や流れていく景色をぼやーと眺めるだけ。


 暇を持て余すとはこのことを言うんだろうな。


「暇だな」

「もう、さっきからそればっかじゃない」


 ぼやく僕を窘めるように呆れ顔でそう言うサラだが、その顔からは僕と同じ退屈という皇女らしからぬ気持ちが窺えた。


「だって、暇なんだからしょうがないだろ?」


 反抗するような言葉で僕は同意を求める。


「はあ……まあ、気持ちは分かるわ。でも、もう安心しなさい。退屈な時間はそろそろ終わるわ」


 溜息を吐いたサラは同意はしてくれたけど、妙なことも言った。


「どういう意味?」


 単純に気になって訊いてみる。


「城下町の手前のシルリア村に行くんだったわよね。シルリア村には近くに大きな川が流れていてそれを水源とした農業で栄えていると聞いているわ」


 サラは目的地の詳細を説明してくれる。その情報にはもちろん間違いがない。


「うん。そうだけど……それがどうかしたの?」


 首肯するが、まだ退屈じゃなくなる意味が分からないので首を傾げつつ訊いてみる。


「察しが悪いわね……ということは川が見えればシルリア村は近いということよ」


 まだ分からない僕に腕を竦めながら核心を突くような分かりやすい説明をしてくれる。


「それを踏まえて、あっちを見てみなさい」


 サラはそう言って僕の後ろ、背中の方を指で指し示す。


「あ、川がある」


 サラの指の先を辿るとそこには大きな川が遠くに流れていた。その川の水面は太陽の光を照り返して、鳥が川の上をくるくる旋回するように飛んでいる。


「そう。あれはシルリア川。昔から精霊の力が宿っていると言われていて、川を流れる水は凄く澄んでいるからあっさりとした美味しい魚が捕れるそうよ」


 なるほど……鳥たちが川の上をくるくる回って飛んでいるのは川を泳ぐ魚を狙っているからか。……美味しいんだろうな。


「へえ、そうなんだ。いつか食べてみたいね」


 サラの説明と鳥が川に急降下し魚を突っついて捕獲した場面を目の当たりにした僕は、その後、新鮮な魚を頬張っているだろうことを勝手に想像してしまい……恥ずかしながら思わずよだれが出てしまう。


「……そうね」


 よだれを拭い、サラの浮かない返答を特に気にするでもなく――


「――もう着くぞ」


 という前方からの父さんの報告に胸躍らせるのだった。

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