第9話 お姫様と朝のひととき

 小鳥のさえずりと温かく優しい光が窓から差しこみ、昨夜は月明かりと蝋燭が少しだけで暗かった部屋を明るく照らしている。


 そんな心地よい朝を肌で感じながら、僕は四枚の薄いガラスを木製の枠が包む窓を開けて新しい風を入れる。そして、清々しい朝の空気をめい一杯吸う。これをすると心なしか身体が軽くなった気がするね。

 僕が深呼吸をしていると、脇にあったベットから布団が擦れる音が聞こえ、何かが起き上がる気配がした。うん。まずは挨拶しないとね。朝なんだし。


「あ、おはよう。サラ」


 髪や服装を整えて直したばかりだから心配だが、一日の始まりを告げる挨拶をする。


「うう、ふああ……まぁ……ふふ……セレナぁ?」


 大きな欠伸、けのび、そして目を擦りながらベットから起き上がった何か――サラは寝ぼけているのか僕ではない名前を呼んだ。


「僕はセレナさんじゃないよ……て――」


 と冗談めかして怒っていたのだけど、あることに気づいた。


「だ、大丈夫? ちょっとクマが出来てるよ?」


 サラの蒼い目の下には黒というかなんとも形容しにくい不健康そうなクマができている。

 昨日、寝れなかったのかな……。

 と思ってなどいると、突如として「……あ、ああああ!」と朝に似つかわしくない叫び声が僕を貫いた。


 すると間もなく僕の方を指差して、


「ゆ、ユウ! なんで、こ、ここに?」


 と、パチクリと驚愕の表情をした。起きてまだあまり本調子でない頭にさっきの叫び声はガンガンと響いているけど、寝起きのサラにとってはそんなことはお構いなしのようだ。


 まあ、いつもならお城の部屋で寝ているんだろうから驚くのは当たり前か。


「なんで……て言われても……僕の部屋だから、かな」


 髪をポリポリと掻きながらサラの問に答えてあげる。まだ頭はクラクラするけど珍しいサラの寝顔を見られたのだからさっきの叫び声は許してあげよう。


「……あ。そ、そうだったわね……そういえば……鏡、あるかな?」


 僕の家に泊まったことを思い出したらしいサラは少し赤くなって両手で顔の下半分、口元を軽く覆い、僕を見ていた目を斜へ向けると鏡を求めてきた。


「鏡か……ごめん、今手元に鏡はないな……」


 求めてきたサラに軽く謝る。鏡は一階にはあるんだけど、僕の部屋にはないんだよな。

 僕の返答を聞いたサラは少し落ち込んだ。


「そう……どうしようかしら……」


 そう言いながらサラは自分でぴょんぴょんとはねている綺麗な金色の髪を撫でる。

 ああ、なるほど。寝癖を直したかったのか。さっきの叫び声のせいかそこまで考えが至らなかった。


「髪が気になるなら僕がといてあげるよ」


 俯いているサラに僕はそう提案する。他人の髪をすくのは初めてだが、そう難しいものでもないだろうしね。


「でも……ううん。傍付き係だものね。お願いするわ」


 始めは断るような顔だったが、それを振り払うように首を振って、いつもの明るい顔でそう言ってくれた。よし、そうと決まれば準備しなきゃ。


「えっと……くしは机の上にあるから……あ、サラはそこに座ってて」


 さっき僕が使った柄の方に花が調印されてあるくしを取って、サラにイスに座るように指示する。


「分かったわ」


 そう言って頷き僕の服を着たサラは背もたれのついたイスに座る。

 それを確認した僕はくしを手に、サラの後ろに立つ。そうすると、サラがイスに座っているので、髪のはね具合やつむじまで全部まる分かりだ。

 ちょっとだけ優越感に似た何かを感じる。


「よし。じゃあ……失礼しますね、皇女殿下」


 断りを入れつつ、サラの髪にくしを優しく入れていく。すーと髪をすくと、くしは止まることなく最後まで流れた。


「相変わらず、サラの髪はサラサラだね」


 寝癖ではねていてもサラの髪は艶やかでサラサラと流れる。

 昨日の夜も撫でて触ったけれど、その前も少しだけ触ったことがあるのだがそのときと変わらない感触だ。


 僕の言葉を聞いて「それ褒めてるの?」とからかって僅かに笑うサラに「褒めてる褒めてる」と笑いながら返す。


 日の光に照らされて金色に輝くサラの髪。それを左右に分け、少しだけたくしあげると、いつもは髪で隠れていて見えない白く細い首筋が露わになった。


「でも、僕はこのうなじが好きだな。いつも髪で見えないからちょっと得した気分」


 この温かさにつられて、ついそんなことまで言ってしまった。

 ちょうど、晴れ渡る空に浮かぶ柔らかそうで全てを包み込んでくれそうな雲のような、それでいて健康的な血色を感じる白が眩しい。そんな感じなんだよな。サラのうなじは。


「へえ、そうなの……髪、切ろうかしら」


 僕の失言を拾ってしまったサラはそんなことを言う。

 うーん……それはどうだろうかな……。


「サラがしたいならそれも良いと思うけど……それはそれでもったいないね。切ってからまたここまで伸ばすの大変だろうし……」


 サラの髪は今腰にまでかかるほどある。僕は、髪の伸びる早さなんてそんなに知らないけど、今切ってしまうと元に戻るまで数年はかかるかもしれない。


「……そうね。じゃあ、このままにするわ」

「うん。そのままのサラが一番だよ」


 髪を切ることを思いとどまったサラの返答を聞いて安心する。

 うなじが見えないのは少し残念だけど、やっぱりサラはサラらしくが一番だ。


「っと、うん。こんな感じかな」


 そんな話をしていると最後のはねを直し終えた。

 でも、まだきちんと直っているか心配だ。ちゃんと確認しないとね。


「サラ、悪いんだけど少し立ってみせて?」


 そうお願いするとサラは「うん」と頷いてイスから軽快に立ち上がり、そのまま踊りの振り付けのように一周くるっと回って見せてくれる。


「どう?」


 と首を少し傾げて見せるサラ。寝癖が直ったか訊きたいらしい。見たところ、さっきまで見えていたはねにはねていた部分は綺麗に直っているように見える。若干、いつも通りのサラと違った印象を受けるけど……それもまた良い感じに纏まっているように思える。


「良い感じだ。よし、じゃあ、朝ごはんを食べたら城下町に行こう」


 サラの言葉に頷いて肯定しつつ、これからの予定を告げる。今日はまだ始まったばかりだけど、もたもたしていると時間はすぐ経ってしまう。きちんと計画通りやらなければ。


「そうね。また、美味しいのを頼むわよ? シェフ」


 サラも僕の言葉に頷いてくれた。ついでにからかうように大層な肩書きで呼んでくる。

「からかわないでよ……まあ、でも……期待して待っててね」


 これには僕も苦笑いで返す他ない。よし、今日の朝ごはんも頑張って作ろう。

 昨日は父さんがほとんどしてくれてたけどね。


「あ、何か手伝うことがあったら言ってね。私、何でもするわよ?」


 そう胸を叩いて嬉しいことを言ってくれるサラだけど……。


「それだと父さんが失神するだろうからここにいて欲しいかな」


 父さんがこの国の皇女たるサラに何かしらをさせるなんてことをしたら卒倒してしまうのは間違いない。


「そ、そうなの……ならセドさんに失神禁止命令を出しておくわ」


 極めて真剣な様子でそんな無茶をいうサラ。失神は生理現象なんだから勅令でどうにかなるもんじゃないと思うんだけど……。


「はは……まあ、今日のところは堪えて欲しいな。父さんも昨日の今日でいっぱいいっぱいなんだ……だから……ご容赦願えませんか、サラ皇女殿下?」


 無茶であっても本人は至って真面目に言っていそうなのでこちらとしても真剣に返そうと思い、前にお城で見かけた執事さんのような言葉遣いと物腰でサラにお願いする。


 まあ、若干いつものままごと遊びというか、ごっこ遊びの延長線になってしまっているのは否めない。実際のところ本当にサラは皇女なんだからごっこというのもおかしな話になるんだけどね。


「そうやって変な時だけ皇女扱いなんだから……まあ、分かったわ」


 いつもは皇女として扱いなさいなんて言うこともあるくせに、今に限ってはぷくぅとほっぺを不満そうに膨らませ、ご機嫌斜めなサラだが、なんとか折れてくれたみたいだ。

 とにもかくにも、これで父さんは失神から救われたね。良かった。


「うん、ではシェフはこれにて失礼いたします」


 そう偽物執事の振る舞いで言い残し、渋々了承してくれたサラを尻目に自室を後にする。

 そして、早くサラの食事を用意するべくいそいそと一階にある台所へと向かうのだった。

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