第7話 勇ましき獣
サラの了解を得たことを父さんに報告し、すぐさま再武装して鍛冶屋の家を飛び出す。
「――こっちだよ」
さっきサラと歩いた道から少し外れ、僕の後ろを歩く父さんにそう呼びかけつつ、手負いの狼が逃げた木々の合間を縫っていく。
普段、誰も歩かないので足を草に取られてしまい急ごうにも時間だけは過ぎていく感覚がする。くそ……急いでるのに……。
対して父さんは剣と羽の紋章が刻まれているカンテラを手に僕の足元を後ろから照らしてくれる。その優しい明かりを元に、しばらく歩くと草が少なくなり獣道に出た。
土が見える地面には、時折、赤いものが点々と跡を残している。
もしかして、血……なのかな。
その血らしき赤いものを恐る恐る辿っていくと……少し開けた場所に出た。すると――
――暗がりの森の奥深く……その場所で息を絶やすまいと身体を横たわらせている影。
見つけた!
「いたよ! 父さん」
振り返り、嬉々として父さんに報告すると父さんはカンテラを影に向ける。
すぐさま狼と認めた父さんは急いで駆け寄り身体のチェックをしようと駆け寄るが……。
明かりと僕ら親子をその気高い瞳に捉えると、唸って牙を剥き出しにして牽制してくる。
たじろぐ僕は足が竦みそうになるが、父さんはその牽制をもろともせず、静かにゆったりと狼に歩み寄る。恐れを知らぬ白衣の剣士――その片鱗を見せるように。
父さんの後ろ姿を見るだけではダメだと思い、僕も後に続く。
次第に近づく距離に焦りと不安、そして恐怖が僕の思考を占めていく。
そして、ついにその距離はゼロへとなり……その白く輝く美しく強靭な牙をこの身に突き立てられるかと……父さんの後ろで身構える。が、狼は何をするでもなく……父さんが頭を撫で「すまない、少しの間身体を診させてもらうぞ」と優しく語りかけた。すると、凄んで睨み、警戒心を高めていた表情は一気に緩み、何処か愛嬌のある表情を見せ、目を閉じた。
一瞬で、僕らのことを敵対し害する者ではないと判断した……ということなのかな?
とにもかくにも、診察できる環境は整ったので父さんは跪いて力なく横たわったままの狼をくまなく診る。僕も恐る恐る、屈んで狼の身体をみる。父さんが近くに置いたカンテラに照らされた狼の白銀で美しい毛並み、その肩にかけて血が流れでており、毛は赤く染まっていた。
「おお、肩か。よくこんな小さい部位を撃ち抜けたな」
肩の傷を見た父さんは何故か感嘆の声を上げている。
「殺したくはなかったから……頭に当たらなくて良かった」
父さんの反応に若干驚きつつも、本心を吐き出す。
できれば撃つこともしたくなかったんだ。サラが逃げる間の時間が稼げたらそれでよかった。
それに、思っていたよりもこの狼は小さい……冷静に見るって大切だな。
「お前は本当に……いや、何でもない」
狼から僕へ視線を移し、少し呆れた声で僕にそう言う父さん。
「何でもない」で目を閉じ……、
「とにかく、手当てする。少し、周りを見ていてくれ」
と何かを切り替えるように目を開け、狼の方へ向き直った。
「うん、わかった。元気になるかな?」
父さんに頼まれた警護の任を了承しつつ、問う。
撃ってから時間も少し経ってるし、かなりの出血でもある。心配……。だけど、
「――まかせろ。これでも少しは剣を握った身だからな。多少の心得はある」
頼もしく力強い言葉が帰って来た。父さんがそう言うなら、間違いない。
そうと分かれば命じられた護衛をしないと……。
そう思った僕は屈んだ状態から立ち上がり周囲を警戒する。
「ところでユウト、この狼に襲われたとき、変なこととかなかったか?」
傷を負った狼の手当てをするかたわら、父さんはそんなことを訊いてきた。
「変なこと?」
「ああ。本来、狼は大人しく賢い獣なんだ。人を襲うようなことはまずない」
……確かに父さんと出かけるときは森の中で狼を見かけることはあっても、襲ってくるようなことはなかった。
「考えられるとしたら縄張りを荒らされたときだが、ここら辺は狼の縄張りからは外れているし、害を与えていない者に襲うなんてことはない」
……なるほど。だから出くわしても、僕達を襲ってきたことはなかったんだ。
「だから、どうしてこんなところに狼がいるのか、何故、姫様とお前を襲ったのか。謎だ」
何やら悩むような、怪訝な声で呟くように父さんがそうこぼす。
「何か、気づいたことはないか。何でもいいぞ」
何でもいいぞって……そうは言っても……。
「気づいたこと……あ、ひとつだけ、あるかも……」
思考を巡らすため狼を見た僕は、さっきまでの狼の睨み、僕を矢で射抜くような鋭い眼を思い出し、それにつられてなのか、あの時のことも想起してしまう。
「本当か。教えてくれ」
何やら狼の傷口を見ながら父さんが僕の返答を乞う。
求められている答えがこれでいいのか……まだ、少し疑問だけと……。
「……狼が変だった」
静かに、そう答えた。
「狼が変だった……か。どういう風に変だった?」
どういう風に……。考えを纏めて……整理して……よし。
「サラを襲おうとする狼の牙と剣で迫り合いになったんだけど……そのとき、狼は僕を見てなくて……サラしか目に映ってなくて……僕のことは眼中にないみたいだった」
そう父さんに説明する。あのときの狼の眼は確かに怖かったけど……さっきの狼の眼と違っていたような……あんなに血走ったような、ギョロギョロとした感じはしなかった。
変、というには少し可笑しいかもしれないけど……。
「……姫様を見ていたのか」
「うん。いなした後も、すぐにサラを標的にして追いかけてた。だから……撃った」
サラから視線を外すことは、あのときはなかった。
すぐに剣で斬り伏せれていたなら……サラをあんな危険な目に……。
追い払えていたなら狼を傷つけるようなこともなかったのに……。
「……なるほどな」
そう渋く唸る父さん。
「勇敢で賢い獣なのに……僕は……僕は……」
その声に、僕は、どうしようもなくなって……悔しくて自分の無力さに打ちひしがれる。
「いいか、ユウト」
「え?」
突然、手を止めた父さんに名前を呼ばれたので驚く。急に……どうしたんだろう?
「確かに狼は勇敢だ。それでいて聡い獣でもある。平原一の誇らしい獣、それが狼だ」
と狼についてまた背中越しに語り始める。それと同時に周囲一帯の空気が変質したのが、何となく……伝わってくる。緊張の糸が張りつめている……まるで、近づく者を全て滅するような……覇気が……漂っている。
「でも、疾風の如く速い足で追い、鋭い牙を姫様に向けた。そうだろ?」
そう言葉を紡いだ父さんは「そうだろ?」と首で振り返り僕の顔を見据える。
「そう、だけど……」
父さんの言った言葉に戸惑いつつも頷く。
それを見た父さんはまた狼に向き直り手を動かし始めた。
持ってきていた鞄から瓶を取り出し、止血作用のある薬草を練り込んだ軟膏を傷に塗り始める。ということは今までのは診察だったのかな……?
「ならお前のしたことは間違ってない。何も害を与えてないのに一方的に襲われるようなことを許してはならない。それに、何かしら様子が変だったんだ。目を覚ましてやるのもこの地に住まう俺らの務め。少なくとも、俺はそう思うぞ」
手当てをしながら、父さんはそう言ってくれる。
「父さん……」
その父さんの言葉がじんわりと中に入って来る。それに違和感はなく僕の身体の奥深くに浸透していく。
「だから、そう気負うな。お前は良くやった。それにお前が撃ったのも元はと言えば俺の見回り不足が招いたようなもんだ。だから……ごめんな」
父さんはそう言って何故か謝意を伝えてきた。
誇りの獣を傷つけた僕を責めるでもなく、むしろ褒めるようなことを言われるなんて……思ってもみなかった。
でも、その謝罪の言葉に僕は首を振り、それについて深く答えるわけでもなく――
「いつか、こんなものに頼らなくてもいいような世界になるといいね」
と、今も携える剣と肩にかけた銃に触れながら本心の願いの言葉を投げかける。
「……そうだな」
そう一言返したきり父さんは口を閉じた。
辺りを警戒しつつ、草が風に揺れ、葉が擦れる音と虫の音を聴きながら時間が過ぎるのを待つ。吹き抜ける冷たい風と目の前に広がる雄大な自然に謝意を伝えながら。
「――よし、できたぞ。これで良くなるはずだ」
しばらく待っていると、父さんがそう言った。
「本当?」
治る、のかな。
「ああ。でも、このままにしておくわけにもいかない……どうしたものかな」
僕の気持ちを払拭するように頷く父さんだが、腕を組み「うーん」と唸っている。
父さんの悩む気持ちも最もで、不本意ではあるが、誇りの獣たる狼を傷つけてしまったことには違いない。だから、ここに放置して帰るのも何だか違う気がする。
なら……。
「家に連れて帰る?」
悩む父さんにそう提案する。それしか、ないだろうと考えたから。
父さんは少し驚いた顔をして、数秒後に頷いた。
「そう……だな。鍛冶場の近くに少し場所を作ろう」
鍛冶場の近く……そこなら、安心かな。もしまたサラを襲うことがあっても商店からは少し離れているから対応できるはずだ。
「じゃ、決まりだね」
と僕ら鍛冶屋親子は狼の保護の方針を固める。
「よし、狼は俺が抱えて運ぶ。ユウトは周囲の警戒だ」
「はい!」
父さんの指示に敬礼で答える。
皇女の護衛の次は、皇女を襲った狼を運ぶ父さんの護衛をすることになるとは……。
本当に何があるか分からないもんだ。
でも、今は早く良くなって欲しい。そう、月夜の天空に祈るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます