第6話 お姫様と鍛冶屋の親子

 

 帰り道は行きよりも警戒を厳として、草葉が擦れる音すら聞き逃さないほど耳を研ぎ澄まし、東西南北問わず見渡しながら来た道を戻る。何かあればすぐさま抜剣できるように右手を柄にかけ、サラは僕の服を掴むように指示し見なくても居場所が把握できるような体勢で進む。夜の静寂が辺りを包んでいるだけで、特に何があるというわけでもなく僕の護衛の任は解かれそうだ。

 そう思い、幾ばくか緊張の時は流れて鍛冶屋まで帰ってこれた。うん、よかった。


 とりあえず、父さんの指示でサラを二階にある僕の部屋へ案内した後、一階のテーブルの傍で親子水入らずの時間ができた。


「ユウト、さっき銃声がしたが……何かあったのか?」


 それが指示の狙い、意図したことだったのか森に響いたつんざく音の正体――銃が弾を射出するとほぼ同時に発する音である発砲音について聞いてきた。


「え、ああ、その……狼がね……」


 こんな物騒なモノ必要ないと断じた手前、頬を人差し指でかきながら答える。

 まさか狼に襲われるなんて……思ってもみなかったから……父さんの言う通りだった。


「狼……? おかしいな……さっき見て回ったときはいなかったんだが……」


 僕の返答にカッコいい眉をひそめつつ、顎に手を添えるいつもの仕草をした。

 そんな父さんは数少ない光源である蝋燭の優しい火明かりに照らされていて、いつもの数倍カッコいい。だけどなんだか腑に落ちない様子でキリッとした目を閉じた。


「まあ、わかった。とにかく、姫様の護衛はちゃんとできたみたいだな」


 一旦そのことは脇に置いておくのか、閉じた目を開いて柔和な視線で僕を見据える。


「うん!」

「いい子だ」


 力いっぱい返事をすると、父さんは僕の頭を大きな手で優しく撫でた。

 護衛、ちゃんと出来たか不安で……それだけで胸いっぱいになる。凄く嬉しい。


「あ、そうだ。撃った狼が逃げた方向を覚えてるか?」


 突然、何の脈絡もなくそんな問を投げかけてきた。


「覚えてるけど……やっぱり、助けにいくの?」


 僕の頭から手を離した父さんを見上げながらその問の意図の推察を交え答える。

 すると父さんは頷いて、


「狼はこの辺りでは神聖な獣で、勇敢の象徴だからな。それに魔物だって退治する猛者でもある」


 と狼について教えてくれた。なるほど……父さんは物知りだ。


「……分かった。この後案内するね」

「おう。助かる」


 僕の言葉に父さんは笑ってそう返す。狼……無事だといいんだけど……。


「あ、そういえば父さん……僕のこと嵌めたでしょ?」


 何の気なしにサラの水浴びの件について聞きたいというか……問い詰めたいことを思い出したので父さんに真偽を迫る。


「なんのことだ?」


 と、僕の言葉の意味に気づいていないのか、疑問符付きの声色でそんな返答をしてきた。

 このダメ親父はしらばっくれる気らしい……これにはさすがに僕も負けるわけにはいかないので……、


「とぼけないでよ! サラが水浴びしたいってこと分かってたんでしょ!?」


 自分でも珍しいと思うくらい言い募る。証拠はいっぱいある。湖に行く前に持たされた鞄に入っていた物。それが決定的な証拠で、確信を得るには十分すぎる材料だ。後は……ま、まあ、これだけあれば十分だよね! うん!


「いや、その……少しは予想していたがまさか本当にそれだったとは……思わなかった」


 テーブルの上に鎮座する鞄を示しつつ迫る僕の気迫に圧されてか、犯人は自供を始めた。

 なるほど……予想とは少し違うけど、まあ、認めてはくれたね。これ以上言い争っても無駄だし……何よりあの辱めで味わった恥ずかしさは消えない。……よし、許そう。


「まあ、それはともかくもう夜も遅い。狼の手当てが終わったら姫様をベットへ案内しないとな」


 話の話題を逸らそうとしてかそんなことを言う父さん。若干、丸め込まれた気がしないでもないけど僕はそれに頷いて肯定した。だが、それとほぼ同時にあることに気づく。


「あ、狼のところに案内するときサラはどうしよう?」


 サラをまた外へ連れて行くのは危険だと思うし、かといって僕ら以外に人がいない鍛冶屋にいてもらうのも何だか不安だ。一体どうしたらいいのか……。


「……そうだな。姫様にはユウトの部屋にいていただくか……親父もいることだしこの家の中にいてくださればこちらとしても安心できる」


 父さんは僕の第二の案に当たるサラを鍛冶屋に残して行く提案をした。……ん?

 親父もいるって……?


「え? お爺ちゃん今日はいるの?」


 父さんの口からあり得ない言葉を聞いて思わず訊ねる。


「ああ、久しぶりに帰って来た。だから姫様の安全に関しては問題なしとみていい」


 そう、なんだ。お爺ちゃん、前に帰ってきてからそんなに時間が経ってないのに……。

 でもお爺ちゃんが帰ってきてるなら、ここの警備は万全だ。


「なら、サラについては安心だね」


 そう言うと、父さんは力強く頷いた。お爺ちゃん、今帰ってきてるらしいけどその気配は何処にもない。まあ、神出鬼没の鍛冶職人として名を馳せていたらしいから当然なんだけど……やっぱり帰ってきてるなら姿が見たいというのが孫としての気持ちだ。


「鉄は熱いうちに打て。狼のところまで頼むぞ」


 そんな息子の心情を知ってか知らずか、父さんは鍛冶屋の言葉で急かす。


「うん。あ、その前にサラに伝えてくるね」


 いくらお爺ちゃんが近くにいて安全だとはいえ、サラは今日怖い思いをしてるし、何より何も言わずひとりにするわけにはいかない。そう思って背を向けている方向に階段があるので、半分振り向きざまに父さんに言うが――


「はは、わかった。姫様のお許しをもらってからな」


 何が可笑しかったのか分からないけど少し笑った父さんは二階に向かう階段の方向に足を向けた僕の背中を少し押した。もう、何なんだ……いったい……。




「――サラ、ちょっといいかな?」


 階段を上ったすぐそこにある部屋のドアを開けつつ、中にいるサラに話しかけるが……サラは何やらベットの傍にある小さな机に対するイスに座っていてビクッと身体を跳ねらせている。その直後、長い金髪を靡かせながら部屋の入り口近くにいる僕を睨む。


「は、入るならノックくらいしなさい!」


 と胸の前あたりの高さで両手を握り、赤くなって激昂するサラ皇女殿下。

 服は僕の服だから見慣れないものの、見た限りではかなりご立腹の御様子だ。


「ご、ごめん……でも僕の部屋だったからつい……」


 後ろ頭をかきながら非を認める。普段誰も僕の部屋になんかいないものだから、ノックなんて考えもしなかった。次から気をつけよう。


「あ、そうだったわね……悪かったわ……ごめんなさい」


 するとサラも僕の部屋だったのを思い出したのか、すぐさま握った拳を解き、手を合わせながらバツの悪そうに謝罪してくる。


「いや、それはいいんだけど……僕、父さんとちょっと外へ出て来るよ」


 サラの近くに寄り、謝意を受け取りながらも出来るだけ手短に済ますべく端的に告げる。

 実際、時間もないしね。


「え? もうこんなに暗いのに?」


 サラはまさしく疑問顔で訊ねてきた。まあ、理由くらいは言っておくべきかな?


「うん。ちょっと狼の手当てにね」


 少しの不安を抱きながら外出理由を述べる。


「狼って……あの?」


 予想通りサラは不安そうな、少し顔の色が白くなっている。

 そのサラの確認の問に頷くことで返事に変えた僕はもっと深く踏み込んだ詳細を、外出理由を詳らかに説明することにした。


「僕が撃っちゃったから、ケガをさせた。だから、手当てしないと……死んじゃうかもしれない」


 実は――父さんに訊かれなくても僕から提案しようと思っていたことだった。

 狼だって命がある。尊くこの世界を共に生きる者なんだ。それを軽んじるのは、命を刈り取る殺めの武具を作り、それを売って生活を営む鍛冶屋の息子として、それ以前にこの地に住まう同郷の者として、ひいては生き物として――したくなかった。


 ――助けたい。そう思うんだ。


「……なら私も行くわ」


 サラも同じ気持ちなのか、はたまた何かしらの責任を感じてしまっているのか、イスから立ち上がり自分も行くと言い出す。だが、僕は首を横に振ってせっかくの提案を断る。


「いや、サラはここにいて」


 それだけ、静かに告げる。サラの気持ちは純粋に嬉しい。けど、やっぱり危ないからね。


「でも……私のせいで……」


 僕の拒否に顔を俯かせて悲観するサラ。自分を襲ってきた相手にそこまで思える……凄いことだと思う。だから、その思い込みは解いてあげないとな。


「誰も悪くないよ。サラも、狼も。今日は少しぶつかっただけ。僕はそう思ってる」


 思っていたことを、優しく伝え――


「だから、手当てしてあげなきゃいけない。でも、僕とサラはそんな技術はないし、父さんは技術はあっても狼が行った方向が分からない。だから僕が案内しなきゃいけないんだ」


 と続けた。そう――今日の出来事は少しぶつかってしまった不慮の事故のようなもの。だから誰も悪者なんかじゃないんだ。きっとね。


 考えてサラが納得してくれそうな理由を言ってはみたけど……どうだろう……?


「そう、ね。分かったわ……でも……」


 一応納得はしてくれたみたいで頷いてはくれたが……まだ何か言いたげだ。

 あ、もしかして。


「大丈夫、父さんもついてるし、下にはお爺ちゃんがいるから安心していいよ」


 『僕がひとりで狼のところに行くと思ってるのかも?』か『鍛冶屋にひとりでいなきゃいけないのが怖いのかも?』と色々推測し、安心して良いよと理由を述べ、そう念を押す。


 実際、父さんが言うにはお爺ちゃんは強いらしいしね。


「別にそんなこと心配してないわよ。でも、そう……アレンさんが帰ってるのね」


 僕の読みは見事に外れたらしくサラは苦笑いをしている。そしてお爺ちゃん、鍛冶職人アレンの名を呼び僕に微笑を向ける。


「うん。この家に帰って来るのは久しぶりだから、嬉しい」


 お爺ちゃん、前にこの辺まで帰ってきてたのを見かけて少し話をした程度だったのに、父さんの言い方からして商店の方じゃなくて鍛冶場かその離れの倉庫にいるっぽい。


 できたら会いたいところだけど……難しいかな。


 て、いけない。狼のところに早く行かないと。


「……じゃあ、行ってくるね」


 そう言ってサラに出かける挨拶をすると、サラは小さく頷いて手を振ってくれた。


「あ、言い忘れてたけど……そこの引き出しの中は見ないでね?」


 さっきまでサラが座っていたイスに対する机を示しながら忠告する。

 その引き出しの中は人に見せたくないモノが入ってるから、見られると恥ずかしい。


「み、見ないわよ! 私はそんなことしない。し、失礼だわ」


 サラは僕の言葉に心外この上ないといった面持ちで怒り、明後日の方を向いてしまう。

 失礼なのは重々承知なんだけど、その一連の行動が可笑しくて少し笑いそうになるのは許して欲しいな。


「ごめん。じゃあ行ってくる」


 気を取り直してまた挨拶をするが、


「行ってらっしゃい!」


 赤く頬を染めたサラは僕の方を見ることなく、そっぽを向いたままムスッと不機嫌そうに返してきた。ほっぺたまで膨らましてよっぽど僕の失言を気にしているみたいだ。


 それを見て本当に少し笑い声を出てしまう。ごめんね、サラ。


 まあ、思っていた過程とは少し違ったものの何とかお許しを得ることに成功を果たした。

 これで父さんを案内して狼の元へ向かえる準備は万全。

 そう思って、僕は自分の部屋のドアを閉める。閉まる直前チラッと片目だけでサラが見てきたような気がするけど……まあ、いっか。

 今は狼の命を紡ぐことに集中するのが先決だね。

 父さんにこのことを伝えるべく一階に通じる階段に足を掛けるのだった。



「……本当に、変わらないわね、ユウは。――私とは大違い」




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