第5話 お姫様と幼い傍付き②

 何だか聞いていて落ち着かない後ろから微かに響く水音が止んだ。


 ということは――


「――じゃあ、着替えここに置いておくから、着替え終わったら言ってね」


 父さんが持たせてくれた鞄に入っている僕の服――


 サラの着替えをとり出す。


 僕の服で申し訳ないとか思いながら、その軽い物を水場近少し大きめな岩の上にそっと置いて背を向ける。


 うう、少しだけサラの身体を見てしまった。


「分かったわ。何から何までありがとね。ユウ」


 そんなのは気にしていない……のか、サラは普段通りの声色でお礼を言ってきた。


「僕は、何もしてないよ」


 ぱちゃぱちゃと水の中を歩く音が消えたのを背に感じつつそう言い返す。


「またそんなこと言って……駄目だよ?」

「で、でも――あ」


 サラの言葉に少し振り返り気味になって、気づいた。


 ――不味い!


「え、な、何?」


 僕の返しを不審に思ったのか、サラは疑問符のついた声で聞き返す。


「避けろ! サラ!」


「え――」


 状況がまだ飲み込めておらず、下着だけ身に着けていたサラを押しのけるように、腰に差した剣を抜きながら――駆けるッ!


 そして、が後ろ脚を蹴って飛びかかるその刹那――


「――くッ」


 何とか、サラとヤツとの間に割って入り、刃で受け止める。


 牙をむき出しにして今にも剣ごと噛み砕こうとするコイツは


 ――狼。


「に、逃げろ、サラ! ここは僕が、何とかする!」


 開いた恐ろしい大きな口に、辛うじて刃をあてがい牙と迫り合いながらサラに言い放つ。


 それに、何なんだ……こいつッ。


 僕に牙を剥き出しにしているけどその眼にはみたいで……僕を、見ていない。


 ど、どういうことだ。


「で、でも――」

「いい、から! 早く、僕の家にッ……逃げて!」


 まだ迷いがあるサラに必死に避難を呼びかける。

 身体はそんなに大きくないのに力が強い狼……段々、後ろに下がらざるを得なくなる。


 一歩、二歩、後ろに下がりつつ、必死に考えるが……対処法が思いつかない。狼も力を強めてきて、もっと下がりそうになるもすんでのところで踏みとどまり……


 耐えるッ! 


 そうこう押し合いと防御一遍になる僕を見たからか、サラが着替えを放り出してここへ来た方向に走り出す。


 い、いいぞ。


 サラ、それで。


 でも、ぼ、僕の方が。


 も、もう……もたない……ぞッ!



 ついに、僕は耐えきれなくなって……狼を受け流すように力の方向を曲げるように剣の向きを変えていなす。


 湖方向へといなされた狼は僕の後ろへと回って、逃げたサラ目掛けて俊敏でありながら獰猛さを秘めた足で駆け始めた。


「――しまったッ!」


 僕を無視してサラを標的として選んだらしい狼は、逃げるサラを追いかけ……その距離は縮まっていく。サラは凄く足が速くて狼だって振り切れそうな勢いなんだけど……裸足だからかいつもの速さがない。


 僕も必死に剣を手に追いつこうとして頑張るが……追いつけない。


 足が……かけっこなんてするんじゃなかったッ! 


 ――うッ!


 地べたに身体を持って行かれ、地面とキスをする。い、石に躓いて盛大に転んだらしい。


 その拍子に父さんが持たせた【細長い鼠色の袋】その中身が――鈍色に輝くそれが飛び出し、


 硬い金属音を鳴らしながら目の前に、現れた。


 まるで、今このとき【使え】とでも言うように――


「……クソッ! やるしか、ない!」


 それを手にとって、幸か不幸か躓いた石はどうやら打てば火花を散らす火打ち石の上位互換、同系統の物だ。


 それを使って素早く準備し――


 構える。


 静かに、狙いを定め――


 天高く飛翔した狼の肩に当たる部分に即時照準を合わせる。


 いつもは静寂に包まれた森。


 そこで、つんざく様な音が響くと一帯が異様な空気になった。


 狼は何かに撃ち抜かれ地面に叩きつけられる。


 僕が持つそれの口からは静かに煙が上がっていた。


 内心慌てつつも、それを地面に丁寧に置き、放り出してしまった剣を拾って握り直し、サラの元へ向かう。


 サラの近くに着くと狼が起き上がって――僕を一瞥した後に重たい足取りでありながら、それでも素早く逃げ出した。


 それを見て、僕も剣を鞘に納める。


「だ、大丈夫か? サラ――」


 腰が抜けたのか土が露わになった地面に力なく座りこんだサラに目線を合わせるべく屈むと――


 突然、抱きしめられた。


「怖かった……凄く……怖かった……ユウがいなかったら私……私……」


「……ごめんね。怖い思いをさせて……僕のせいだ」


 少し驚きはしたものの、サラの頭を撫でつつ謝意を伝える。


 実際、僕がもっと強かったらこんなに危険な目に遭わせることはなかった。

 僕の力不足が原因だ。


 でも、僕の言葉にサラは首を横に振る。


「ユウのせいじゃない。私がわがまま言ったせい……全部……私のせいだわ」


 その言葉に僕も首を横に振る。


 そしてまだ抱きついたままのサラを優しく離し――


「……そんなことより、また身体洗おう? ほら、また汚れっちゃったし……汗もかいたしね!」


 土埃と血に塗れたサラの蒼い瞳は涙で潤んでいる。

 その涙を拭ってあげながらまた水浴びをするよう提案するが俯いて、


「いえ、いいわ……それどころか……帰れないかも……」


 などと悲しげな声で言ってきた。


「え? どうして?」

「もう怖くて……足が、動かないの……情けないわ……」


 そ、それもそうか。……狼に襲われたらそうなるよね。なら、


「じゃあ、僕が洗ってあげる」

「……え、え?」


 サラは俯いた小さな顔を上げて突拍子もない僕の言葉に驚いている。


「それなら……大丈夫そう?」


 一応、確認のために問いかける。

 がすぐに返答はなく……しばらくして小さく頷きつつ、


「う、うん……」


 とか細い声で了解してくれた。

 のはいいものの……また俯いちゃった。


 でも、このままじゃいけないのは間違いない。

 少し、失礼かもしれないが背負って水場、湖に戻ろう。


 あ、その前にアレは回収しておかないとね。


 とりあえずは岩の近くに置いておけば大丈夫だろうし。


 思い立って月明かりに照らされ鈍く光るソレを回収しに向かおうとするが、サラが無言で僕の服を掴んで離してくれない。


 ……仕方ない。


 サラを背負って湖まで行くのと同時進行で行こう。


 ……途中、何事もありませんように。

 


 サラを背負おうとするとモジモジしてどうしようかと困っていると、サラが急に何かを決心したように恐る恐る僕の背中に身を預けてくれた。


 道中、一度サラを降ろしてアレを回収、それを袋にしまう。


 そして、またサラを背負って湖まで戻って来た。

 ええっと、身体を洗わないとなんだけど……剣はともかくその他の荷物が邪魔だな。


「サラ、その……ちょっと荷物を降ろしたいから少しの間、立てそう?」

「うん。歩くのもゆっくりならいけるかも。たぶん……支えてくれたら……」


 サラがそういうので降ろしてあげる。

 立てはするけどちょっと震えてる。確かに支えがないと歩くのは無理そうだな……。


 そうと分かれば負担をなるべく掛けないように、ゆっくりとサラのこじんまりとした肩を支えながら歩く。


 とりあえず、荷物は着替えを置いた岩の上に置いておこう。


 ちょっと周りを警戒しつつ湖の方に目を向けると、サラが元々着ていた衣服、それに逃げるために放り出した僕の服であるサラの分の着替えがあった。これも例の岩の上に置いておく。


 よし、これで準備万端だろう。


 さっきと同じくゆっくり確実に歩みを進めて、サラと一緒に湖の水に足を踏み入れる。

 そして夜空の下、背を向けたサラの身体を水で流してあげるが……、


「ひゃ、つ、冷たいっ!」


 サラは小さい悲鳴を上げる。い、いきなりすぎたみたいだ。


「ご、ごめんっ! もっとゆっくりするね……」


 謝りながら今度は慎重に水をかける。洗っていて気づいたのだが小さな肩から背中はあまり汚れておらず、細い手足は土で汚れていた。腰が抜けて地面に座ったからかな。

 前の方は……どうしよう。


「謝るのはこっちのほうよ……ごめんなさい……こんなことさせちゃって」


 そう言って、サラは僕の方を向いてきた。血で汚れたその顔を優しく洗ってあげる。


 整った端正な、幼くとも知的な雰囲気がする。


 でも、その眼は少し腫れていた。


「そんなこと、気にしなくていいよ」


 僕を見つめるサラの蒼い瞳から、目を逸らしつつサラの身体を順番に水で洗っていく。

 出来るだけ見ないようにしながら、サラの周りを一周して汚れがないことを確認する。


「はい、きれいになったよ」


 そう言って笑顔を向けるが、内心風邪でも引かないかと心配しかない。

 早く服を着てもらわないと。


「……ありがと」


 サラにお礼を言われて少し照れながら、僕は着替えを置いたままの岩の元へ行くため森の方向へ歩き出す。すると後ろを歩いていたサラが僕の手を取って、


「ユウも洗ってあげる」


 ととんでもないことを言い出した。


「え? ぼ、僕はいいよ」

                  

 そんな、皇女殿下に平民の僕の身体を……い、いけません!


「私がしたいの!」


 力強く僕の手を握るサラ。さっきまでの弱々しいサラは何処へやら……。

 ちょっとは余裕が出てきたってことかな……なら、良かった。けど、


「じ、自分で出来るよ!」


 それとこれとは別の話。譲るわけには……。


「いいから、いいから」


 僕の思いなどいざ知らず、そう言いながらサラは僕の服に手をかけてしまう。

 ああ、こうなったらサラは止まらない。幼なじみだからよく知ってる。


 もう、なるようになれだ。

 

 サラに服を脱がされかけたが、それはあまりにも恥ずか……畏れ多かったので自分から脱ぎ、今唯一の武器である剣も外して、脱いだ衣服と一緒に岩の上に置いた。

 現在、僕は丸腰であり皇女で幼なじみのサラになされるがままだ。


「どう? 気持ち良い?」


 僕がしたときと同じく丁寧に水をかけて流してくれるサラ。

 まさかこんなことになんて……。というか、丸腰で護衛ができるかな……。


「気持ち良いけど……ちょっと冷たい」


 気持ちは良い、冷たいのも我慢できるけど……でも恥ずかしいのはどうしようもない。


 うう、サラもこんな気持ちだったのかな。


 悪いこと、したかも……。


「でしょ? もう少し温かかったら良いのにね」


 などと優しく語りかけてくれる。さっきとはまるで逆だ。

 それにしても温かい水……探せばあるのかな。父さんに何時か訊いてみようか。


「ほら、綺麗になったわ」


 しばらくの間、そんなことを考えていると、サラが水浴びというか何というかの完了を知らせてくれる。結構くまなく洗ってくれたらしく、う、嬉しいような、いや、やっぱり恥ずかしさの方が大きい。


「あ、ありがとう……あ、これ、さっき詳しく中をみたら拭く布もあったよ」


 拭えない複雑な感情はあるけど、お礼を伝える。それと一緒に父さんが持たせてくれた鞄にいつも使ってる水気を拭きとる布も入っていたのでそのことも伝えた。


「ほんとに? じゃあ、拭いて着替えないとね」


 鞄を漁り拭く布を取り出す僕を見ながらそう言うサラは笑っている。


 先程までの様子とは打って変わって涙のなの字もない。


 そして、その布をサラに手渡しすると「ありがと!」とご機嫌なサラのお礼が返って来た。


「じゃあ、帰りも……よろしくね?」

「う、うん」


 サラのお願いに頷いて身体を拭く。まさか、狼に襲われるとは思わなかったが……サラのトラウマになっていなければそれでいい。


 とにもかくにも、最後まで気を抜かずにやり遂げよう。皇女サラの護衛を。

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