第5話 お姫様と幼い傍付き①

 星たちが煌めく群青色の夜空の下、鍛冶屋商店の扉を背にして立つ。


「じゃ、行ってくるね」


 まだ中にいる父さんに振り向きつつ、軽く手を振る。


「ああ、行ってらっしゃい……お、そうだ、これを持って行きなさい」


 手を振り返したと思ったら、どこからか鞄を取り出して渡してきた。


「……? これは……?」


 重くはないけど……なんだろう?


「はは、気にするな。直に分かる」


 僕の問いには全く答えず何だか含みがありそうな笑みで応えきた。うう、不安だ。



「あと、剣も持っておけ。それに――これもな」


 扉のすぐそばの壁に備え付けてあった短い子供用の剣を渡され、腰に剣を差していると細長い鼠色の袋に入れられた、硬く極めて物騒な武器を持つように促される。


「……念のため?」


 父さんの促されるままにそれを受け取り、細長い袋の端から端にかけて黒に近い茶色の肩掛けがついているので肩に掛けながら確認する。


 僕はこんなのいらないと思うけど……。


 というかこんな物騒なモノ、大袈裟すぎるんじゃないかな。父さん……。



「そうだな。それもあるが……姫様の護衛が武器も持たず傍にいるだけなんて許されないぞ?」


 などと今度はきちんと答えてくれた父さんだが、いまいち信用度が乏しい。

 ここは一応、サラに確認をとった方がいいだろう。


「……そうなの?」


 後ろにいるサラに真偽を確かめようと訊くが……、


「どうしよう……ああ、今更だけど恥ずかしくなってきた……やっぱりやめようかな?」


「……サラ?」


 全く僕の声は届いておらず、夜で少し肌寒いくらいだというのに身体中の見える範囲が紅潮して今にも湯気が出そうな勢いだ。


 呼びかけても応答はないし……むう、やっぱり僕じゃ不安なのかな……。


「まあ、姫様も今はそれどころではなさそうだ。とにかく、しっかり護衛するように!」

「は、はい!」


 まだごっこ感が否めないものの、大きな声で兵士調の返事をして、回れ右――


「ほら、サラ? 行くよ?」

「ひゃあ! え、ちょ、ああ、待ってまだ心の準備が……」


 リンゴみたいになったサラの手を引いて、目的の綺麗な水がある場所に行くため、深緑の森に向け出発する。護衛、やり遂げてみせるぞ。たぶん、何もないだろうけど……。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 木々が生い茂る自然の森。


 その木々を切り払って建てたらしい僕の家である鍛冶屋の近くには小川が流れており、そこから鍛冶に使う水を得ている。洗濯などの生活水にも使うこともあるその小川の上流を目指していけば、いずれは父さんの言っていた『ちょっとした湖』に到着するのだ。


 幸い、月明かりが周囲を明るく照らしており、明るい。うん、大丈夫だ。

 でも隣を歩くサラは不安なのか、ずっと赤くなっている。


 これは……どうにかしないと。


「ご、ごめんね、サラ。僕が護衛で不安だよね……でも、僕、頑張るから……」


 我ながらぎこちない笑顔でそう励ます。


「もう、そうじゃなくて……」

「こ、こっちだから、この川沿いに歩いてすぐだからね。大丈夫だよ」


 安心させるように再び手を握り足早に進む。


「ええ、わ、分かったわ。でも、その……」


 サラの声は段々と小さくなっていく。まだ、足りない。サラはまだ、不安そうだ。


 僕、だから、不安なのかな。


「父さんじゃなくて……ごめんね……」


 僕の意思とは関係なく、自然と歩みが止まる。

 僕が、頼りないから。そんな顔をするのかな……ごめんな。サラ。


「……そういう意味じゃ、ないの。だから、謝らないで?」

「え?」


 突然止まった僕に文句を言うでもなく、サラはそんな意表を突くような言葉を紡ぐ。


「だから、その……ユウにはもっと自信を持って欲しい……かな。うん」

「自信……」


 依然として変わらない見たことがない顔――


「そう、自信。ユウは……弱くなんてないわ。強い男の子だと、思ってる」


 ――そんな顔で僕の目を凛と見据え貫く。


「そんな……慰めなんて――」

「慰めなんかじゃないわ。本当に、そう思ってるの」


 そんな……僕、が……?


「……本当に?」


 信じられず、サラに問う。

 その問に、サラは小さく、それでいて力強く頷いた。


「そう、なんだ」


 思わず、にやける。そ、そっか。うん。ふふ。


「あ、川の上流に行かないとだね。こっちだよ」


 足取り軽やかに目的地の方向を指差しながら、歩き出す。


「あ、その……」


 再び歩き出したのは良いもの、サラに声で引きとめられ振り向く。


「手は……繋いでてほしい……な」


 あ、さっき止まったときに離しちゃったからな。案内するんだから、手を引かないと。


「うん。分かった」


 再びサラの手をとり、小川のせせらぎを聞きながら進み始める。

 とは言っても湖までは後ほんの少しだ。頑張ろう!



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 あれから数分歩くと少し開けた場所に出た。 


 緑豊かな森から解放され目の前には自然の岩の壁を上から下目掛けて落ちて行く滝が現れる。五メートルは超えるであろう滝と小さな滝というか、水が落ちている場所があり滝壺になっている。その脇には比較的水深の低そうな水たまりがある。


 たまにはここで飲み水を汲むときがあるが、サラは……何に使うのかな。


「着いた。ここだよ」


 案内人兼護衛なのでそれっぽく言うと、サラは「わあー!」と感嘆の声を溢しつつ、水たまりの方へ駆け寄って行く。


 おっと、置いていかれないようにしないと。


「凄い綺麗な水ね……透き通ってる」


 屈んで水をすくって綺麗さと透明度を確かめている。

 その言葉に僕は頷いて、


「うん。なんかこの滝の上には精霊様? ……がいて水を清めているんだって」


 とサラの後ろ側に立って父さんが前に言っていた豆知識を披露する。


「精霊……ピクスターたちがこの上に……ふふ、それはちょうどいいかもね」


 ぴ、ピクスター? なんだそれ。


 僕はサラの言葉の意味が分からず少し首を傾げる。

 すると屈んでいたサラが突然立ち上がり、


「少しの間、後ろ向いててくれない?」


 と言ってきた。


 な、何で?


「え? でもそうしたら護衛が……」


 振り向いたサラの顔は若干赤く染まっていて、有無を言わさない雰囲気を醸し出し始めていた。


「いいから、お願い」


 そう言ってサラはおもむろにスカートの裾を『ギュッ』と掴み皺を作る。

 うーん……声も震えていてよく分からないけど……。


「わ、分かった」


 頷くしかない。幼なじみとして。


 言われた通りサラに背を向けると、水面に打ち続ける水音と時折風が吹いて森の木々を揺らし、葉が擦れる音が僕らを包み込む。


 雄大な自然が、心を落ち着かせてくれる。


 それをずっと感じていると……ゆったりというか、少し退屈とも言える時間が流れ始め、別に何か異変が起こるでもなく、何をすればいいか分からず手持ちぶさたになってしまう。


 ……サラ。何してるんだろうな。


「後ろ向いてて」


 とはお願いされたけど……気になる。


 僕が向いている方向とは反対側、背中側ではサラが何かをしているのは確かだと思うんだけど……。


 ああ、何か考えれば考えるほど気になってきたぞ。


 そんなよこしまな考えを巡らせていると『ちょっとくらい見ても大丈夫なんじゃないか』というイケナイ考えが頭の中でささやき始めてしまう。

 

 ――ええい、もう限界だ。こうなったらこっそり見てやれ。

 

 退屈でどうしようもなく、サラが気になって仕方ない僕は己の悪魔の囁きに乗ることを選択してしまう。鉄は熱いうちに打て――決意が鈍らないうちにやってしまおう。


 無理矢理感が否めないが、そう結論付け、体は背を向けたままこっそりと後ろを窺う。


 止まった虫も逃げないようなゆっくりとした速度で、サラのいる水場の方へ、首だけで振り向く。そして、僕の目に飛び込んできた光景は――


 ――っ!?


「え、ちょ、ちょっと! ど、どうして……!?」


 突然視界に現れた肌色の多さに素早く目を背ける。


 不思議に思っておもむろに地べたを見るとご丁寧に畳まれたサラの衣服があった。


 う、うう。


 やっぱり見てはいけなかった……よね、たぶん。


「も、もう。覗くならバレないようにしなさい?」


 思わず声を上げてしまった僕に怒るでもなく、むしろからかうような調子でたしなめてきた。


「別に覗こうとなんてしてないよっ! てか、どうして、服脱いでるんだよ!」


 まさか、服を着てないなんて思わないじゃないか!


「ど、どうしてって……服を脱がないと身体を洗えないでしょ……? その、だから……」


 あ、ああ……そういうことか……それで綺麗な水がある場所に案内して欲しかったのか。


「う、うん……」


 少しだけ恥ずかしそうな震え声の言わんとすることを察し、それに頷きつつ自然と身体がサラから背を向けた。


「身体、洗いに行きたかったの?」


 サラと何の会話もしないのも何となく恥ずかしいので必死に話題を振る。


「うん……いつもはお昼に聖賢の間にある泉で身体を清めてるんだけど……」


 セイケンノマ? 


 今日のサラはよく分からないことばかり言う。

 けど、何となく身体を洗わないといけないというのは伝わった。


「そっか……なら、ちゃんと流さないとな。汗、いっぱいかいたろ?」


 かけっこでお互い必死だったからな。サラも結構汗をかいていた。


「もう、私そんなに汗かきじゃないわよ? ユウこそ結構汗だくだったから、私の後で流すといいわ」


 ちょっとムッとした声が返って来た。


 て――


「ぼ、僕も?」


 思わず自分を指差す。誰も見てないのに。


「うん。それに私だけ恥ずかしい思いするのは不公平よ」


 流れるような水音と一緒にこれまた不満げな声。


「そ、それも……そうなのかな? ……でも着替えが……」


 サラの言葉に疑問を浮かべつつ、思案する。


 せっかく身体を洗っても汗にまみれた汚い服を着たら本末転倒もいいところだ。


「私も着替えが欲しいな……でも、ないわよね……どうしよう……」


 身体を洗いたいというのはあったけど着替えまでは考えていなかったのか、サラも悩むような声で意見する。


 うーん、何か手は……あ!


「あ、もしかして……」


 行く前に父さんに渡された鞄。もしかしたら……。


 そう思って、中身を見てみると――あった。


「あったよ、着替え……僕のは……」


 鞄の中には僕の服、ズボン、ご丁寧に下着までもが入っていた。


「え? ユウのだけ……?」


 着替えがあったことに驚きつつもサラは『ずるい!』と咎めるような声。

 その声に、答えるべく鞄の中を再び見ると……、


「いや、でも……もうひとり分ある……僕のだけど……」


 もう一セット同じものが入っていた。でも、何で?


「そう……それ、貸してくれる?」


 僕の報告を受けたサラは予想外のことを言いだした。


「え? でも、僕の服だよ?」

「べ、別に私、気にしないから……ユウが嫌じゃないなら貸して欲しい……の」


 サラは、そう言ってるけど……でもな……。


「嫌じゃないけど……汚くない?」


 僕は率直に不安なことを訊くと、


「汚くなんてない!」


 僕の懸念を吹き飛ばすように大きな声で否定したサラ。今は顔が見えないから、どんな気持ちなのか詳しくは分からないけど、サラが気にしないなら……別にいいか。


「そう、かな……わ、分かった……洗い終わったら言ってね」

「うん!」


 何故か何処となく嬉しそうなサラの声を背に、見つけた着替えを大事に鞄にしまう。

 皇女サラの護衛だけれど……何かこんなのでいいのか不安になるな……。



 僕の気持ちとは裏腹に空には変わらず、満天の星々が悠々と浮かんでいた。

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