第2話 お姫様の舞踏指南

 皇女殿下による踊りの指南は空が美しく紅色くれないに染まる時間まで続いた。

 昼下がりくらいに始めたかけっこからかなりの時間が経っているんだけど、体感ではそう感じない。まだ、おやつの時間くらいの気分だ。


「まあまあ踊れるようになったわね」


 おやつの時間など忘れ勝者の特権を僕に踊りを教えることに使ったサラ皇女は満足気だ。


「はあ……はあ……そう、かな……」


 そんなまだピンピンしている彼女とは違い……地べたにへたばって呼吸を荒げる。慣れないことをした疲れもあるが、もともと体力がないのですぐにへたってしまう。


「ええ。始めたばっかよりは格段によくなってるわ」

「だと、いいんだけどね……はあ……」


 仰向けに寝転がった僕の上に仁王立ちする皇女は得意げに見下ろしている。


「でも、まだ私の域には達していないわよ。そこは理解しておいてね」


 忠告するように細くそれでいて白い小さな指を僕に向けた後、手を差し伸べてきた。


「……はい、かしこまりました。皇女殿下」


 呼吸を整え、角ばった言葉遣いと苦笑いで返しつつサラの助けを得ながら立ち上がる。


「よろしい! でも、もう少し練習しないとね」

「また踊るの? できれば今日はもう……」


 眩しい笑顔を湛えるサラの口から勘弁願いたい旨の発言があったので苦言を呈する。

 皇女殿下であらせられるお方の御命令になると従わなければ平民たる僕の命と家業の鍛冶屋が危ぶまれるので、ここはどうにかご容赦願えないだろうか……?


「うーん……できたらしたいけど、今日はもう暗くなってきたし、お稽古さぼっちゃったし……やめておくわ」


 やった! 楽しかったのは楽しかったが、身体中の普段使わないであろう部分の筋肉が悲鳴を上げているのでこれ以上踊らされたら天界の女神様のもとに召されてしまう。


「さ、左様ですか。残念です」


 しかし、あからさまに喜ぶのも失礼というもの。もう僕も十歳になったのだ。

 大人な対応をしなければ。


「ふーん。そう。ユウがそう言うんならもう少しする?」

「え!? あ、そ、その……」


 背伸びした結果、まさか思ってもみない返答がきたのでドギマギする。

 ど、どうしよう。かけた刃は元に戻らないと言うし……責任は僕にある。


「お、お言葉に甘え――」

「なんてね! 冗談よ。やりすぎたらかえって身に着かないもの」


 覚悟を決めて、言葉を続けようとしたらサラがさっきと違うことを言ってきた。

 キョトンとする僕を前に、


「――それに、ユウがヘトヘトなのに、それを顧みない私じゃないわ」


 と力強く続けた。


 その言葉の端々から慈愛と、夕日を背景にして国民を思う皇女の顔があった。


 その凛々しさと、美しさを前に圧倒されるだけで僕の心を深く貫いた。


 そうか、もうサラは幼なじみではあっても、普通の少女ではない。


 民を思い、国を担う、ハイリタ聖皇国を率いる皇室の皇女。


 そう、なのだ。


「でもユウは……ユウトは楽しんでくれた?」


 途中で言い直し、ちゃんとした名前で僕を呼び、先程の凛々しい笑顔とは一線を画す年相応の可愛いらしい笑顔で訊いてくる。少しだけ声が震えているのはどうしてか分からないが、その問の答えは決まっている。


「楽しかったよ。そんなに上手く踊れはしなかったけど、サラが教えてくれたから」


 五歳くらいからある出来事がきっかけでいつも遊んでいた僕らは数々の約束事で競争をしてきた。


 負けたらひとつだけ勝った相手の言うことをきく。


 危険がないものに限る。


 お互いに納得の上でする。


 合意がなければお互い親に言いつけるなどなど……いつもは、飲み物や食べ物、競争で得たものを勝った人にあげるとか、家から抜けだす手伝いをするとか、そういったものだ。


 その中でも今日は珍しい命令ではあったけど、いつもと同じく、いや、それ以上に楽しかった。何でなんだろうな。


 そして、僕が言った直後、サラは金色の髪とスカートを靡かせながら背中を見せた。


「そう。なら、よかったわ。ささ、早く戻りましょ?」


 これから国を背負う小さな背中でそう言うと、走り出した。


「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」


 そう呼びかけても彼女は止まらず走り続ける。このままじゃ、置いていかれる!

 たまらず僕も幾度と踏んだステップで疲れた足を夢中で動かし、柔らかな草原をかける。


「早く帰らないとセドさんに、こんな時間まで私を連れ出して何してたんだ! て怒られるわよ?」


 少し前を行き、走りながら振り返るという器用な芸当を見せる彼女は、僕を囃したてるように両手を口元に添えてそう叫んだ。


「そ、それだけは嫌だ! 父さんサラが絡むといつもより厳しいんだ!」


 否応なく、僕も必死になって追いかける。


「あら、そうなの。いいこときいちゃった!」


 同じ口調でからかうようにそう言う。な、まさか!


「サラ! 今なんて言ったの!? まさか父さんに何か言うつもりじゃ――」

「――さーねー。内緒よ内緒。秘密!」


 そう言い放ったが最後、また背中を見せて駆けだす。人間は普通前を向いて歩くのだから、走るときも同じなわけでぐんぐんと速度を上げていく。


「今日は、最高に楽しかったわ。これまでの人生の中で最高の幸せよ!」


 誰にも聞かれていないと思っているのか、そんなことを叫びながら駆けている。

 皇女殿下がこう仰っているんだから、今日も良かったということにしておこう。


「……僕もだ。サラ」


 ひとり、走りながら呟く。

 でもいつだってそうだったろ?

 今日は昨日よりも、今日よりも明日の遊びが最高だった。

 だからこれからも、同じだ。

 それだけは僕らの於かれた状況が変わろうと、唯一変わらない運命の不文律。

 決して外れることのない歯車。こんな人生の日々が続くんだ。ずっと。

 そうだろ? 僕のただひとりの友達で、最高の幼なじみサラ――


 夕日に照らされる草原からうっそうとした森に戻ると周囲から獣の鳴く声が聞こえる。


 獣の声が聞こえたので、ふと空を見上げると木々の間からは星たちが彩り始めており、ひと際輝く二つの星が見えた。ひとつは大きく金色に輝き、もうひとつは土色というか鈍い色、地味な輝き方だ。その両方が月の近くにあり、その光景が柄にもなく綺麗だなと思った。感傷に浸るように見上げていると、いつしか雲が覆い隠してしまった。


 ――それで、我に帰る。


 いつの間にかもう夜になりかけているみたいだ。冗談抜きで急がないと。

 いくら平和になったからといっても夜は危険なのは変わらない。

 

 少し前を走るサラが速度を落とし始めたので僕が速度を上げて何とか追いついた。

 ふたり、顔を見合わせて頷き合う。そして一緒に叫ぶのだ。


「「競争だね!」」


 夜は大人の時間だと言うけれど、もう僕は十歳。サラももう少しで十歳だ。

 この国で十歳とは騎士から任を受けても良い年齢。半分、大人と認められる齢なのだ。

 だから、少しは大目にみてくれるだろう。なあ、父さん。


 そんな願望を抱きつつ、群青色に変わっていく空の下、皇女サラと家を目指す。


 ――鍛冶屋【守り人の羽休め】を。

 

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