最終話 春の日、あの場所に還る。

 俺はどれだけ待たせてしまったんだろう……。

 天音の問題に取り組むからと言いながら、結論を先延ばしにしてしまった。

 いつも彼女の笑顔に救われてきた、あの日、夕日に照らされた学校の屋上で、

 はにかみながら告白してくれた時から、俺の胸に焼き付いて離れない……。


 俺の一番大切な人、住田弥生すみたやよい…… その名前を口にする。

 春は弥生、春の季語、語源は冬が終わって春に草木の芽吹く季節を表している、

 ずっと冬のまま過ごしてきた俺の心を、春の訪れのように溶かしてくれた。


 君がいれば何も要らない、俺の隣にいつも居て欲しい、

 そんなシンプルなことに今更気が付いた……。


「弥生ちゃん!!」


 息を切らせて控え室のドアを開ける、そこにいたのは……。


「猪野先輩……」


 大きな姿見の鏡に映った姿は、土偶男子のメンバー、中空土偶の衣装を纏った

 弥生ちゃんだった、ダブルデートで行ったコスプレカフェと同じ装いだ、

 中空土偶の特徴的な刺青メイクを施して、いつもの彼女と違って見える。


「……弥生ちゃん、どうしてみんなといっしょに来なかったの?」


 彼女は俺の問いかけに黙ったままだ、一体どうしたんだ……。


「……泣いてしまうから」


「えっ!?」


「今、猪野先輩の優しい笑顔を見たら、私はきっと泣いてしまうから……

 だから会えませんでした」


 彼女の大きな瞳の中の光彩が激しく揺れ、大粒の涙が溢れそうになる。


「大事な大会の本番なのに、泣いてしまったらメイクが崩れてしまいます、

 ううん、メイクだけじゃなく、私の気持ちも……」


 弥生ちゃんが顔を上げ、涙を必死で堪えながら自分の気持ちを吐露してくれる。


「弥生ちゃん、俺に言わせてくれないか……

 俺の気持ちから先に」


「猪野先輩……」


「ずっと寂しい想いをさせてゴメン、あっちこっちフラフラしていて、

 弥生ちゃんと約束した格好いい男には程遠い俺だけど……」


 俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて、ずっと言いたかったことを告げた。


「……もう待たせない、いや俺が待てない、君にずっとそばにいて欲しい、

 俺、猪野宣人は住田弥生のことが好きだ……」


 ……言ってしまった、でも俺の偽らざる気持ちだ、

 怖じ気付いて今まで言えなかった言葉。


「……駄目です、猪野先輩」


「えっ!? もしかして告白が遅すぎた?

 それとも俺じゃ駄目なの……」


 俺は彼女に拒否されたかと思ってしまった……。



「……違います、すっごく嬉しいんです、だけど涙がこぼれて、

 中空土偶のメイクが崩れちゃいます……」


 みるみるうちに彼女の双眸に涙が溢れ、メイクを濡らした。


「猪野先輩はズルいです、私の気持ちをこんなに揺らして……、

 この責任を取ってくれますか?」


 鼻をすすり上げながら彼女が泣き笑いの表情を向ける。


「猪野先輩の彼女にして下さい…… それで許してあげます」


 そうだ、この笑顔だ、俺は今まで何度救われてきたんだろう、

 この笑顔を守るためなら何だってする、後悔なんてしない。


「責任は取るつもりだ、これはその前払い……」


 俺はポケットに忍ばせていた物を取り出そうとする、

 その際に親父からの手紙が床に落ちてしまう。


「ごめん弥生ちゃん、親父から手紙を貰ったんだ、

 こんなこと珍しいんだよ、手紙なんて貰うの初めてじゃないかな……」


「きっとお父様、大切なことを書いているんだと思います、

 手紙、先に読んでください……」


「……ありがとう、じゃあ弥生ちゃんも一緒に読んでくれるかな」


「はい、喜んで!」


 俺は手紙を拾い上げ、開封して読み始めた、


(拝啓、息子よ、お前が立派に成長してくれたことを、親として嬉しく思う、

 思い起こせば男手一つで育てて、子供時代のお前に寂しい経験をさせてしまった、

 どんなに頑張ってもお父さん一人では母親の不在を埋めることが出来なかった。

 まずそのことを詫びたい……)

 何だ、親父の奴、妙にかしこまって……。 変な気分だな」


 俺は苦笑しながら手紙を読み進めた……。


「何々、もう一つお前に詫びたいことがある、って何だ?」


 その先に目を通した俺はもう笑っていられなかった……。


「……!?」


「猪野先輩? 一体どうしたんですか……」


 手紙を握りしめ、固まったままの俺を心配して弥生ちゃんが声を掛ける。


「弥生ちゃん、悪いけど手紙、俺の代わりに読んでくれないか……」


 あまりの動揺に手紙を持つ手が震える、弥生ちゃんは理由を聞かず、

 手紙を代わりに読み上げ始めた。


「(もう一つ、宣人に謝らなければいけないことがある、

 亡くなった押山真司おしやましんじくんのことだ、お前は彼が海で自分の身代わりになったと

 思っているだろうが、死因は違うんだ……)

 猪野先輩!? これって……」


 弥生ちゃんも手紙の内容に絶句してしまう……。


「……そうだ、俺はずっと兄貴の死因は腹部に刺さったボードの鋭利なフィンだと

 思っていた、でもそれは違った、兄貴は若年性のガンで余命宣告を受けていて、

 それが原因で亡くなったそうだ」


 何故、親父は俺にそのことを隠していたんだ!?

 兄貴のガンのことも含めて全てだ。


「猪野先輩、手紙の続きを読みます、

(宣人、お前に何故、嘘をついたか、許して欲しい、これは真司くんの希望なんだ、

 宣人にガンのことを知られたら、一緒にウインドサーフィンが出来なくなる、

 真司くんには時間が無かった、宣人お前に何故、無償で道具を提供したか、

 分かるか? 真司くんはお前に自分の代わりにウインドサーフンで活躍して

 欲しかったんだ、持てる技術を全部教えたいと……。)」


 ……兄貴が俺に!?


「宣人、お前は何色にも染まれる、この海のブルーにも、

 更にこの空のブルーにも」


 あの約束の場所で俺に言ってくれた兄貴の言葉が蘇る。


「猪野先輩のお父様はこう書いています、

(宣人、真司君が間際のベットでお前に言った言葉がある、

 Never say die 死を口にするな! 弱音を吐くな、悲観するなという意味もある、

 真司くんがお前に伝えたかった最後の言葉だ……)」


 余命宣告を受けて死にゆく人のどこにそんな闘志があるんだろう、

 俺は兄貴の強い想いを感じた……。


「……兄貴、どこまで俺のことを」


 今度は俺が泣く番だった、兄貴には敵わない、全部お見通しだったんだ、

 俺の今の状況も…… 以前、電車で見かけた兄貴そっくりの男性、

 俺はスピリチュアルの類いは信じないが、あれはきっと兄貴だ、

 あの世から心配になって俺を見に来てくれたんだ……。


 膝から崩れ落ちて、左手で床を叩きながら号泣してしまった。


 そんな俺を弥生ちゃんは優しく抱きしめてくれた、

 そのか細い腕でしっかりと……。


「……弥生ちゃん!?」


「猪野先輩の悲しみは私の悲しみです、

 そして猪野先輩の喜びも私の喜びです、全部ひっくるめて、

 先輩のことを愛しています……」


 弥生ちゃんが俺の目を見据えながらこう言った。


「猪野先輩、こんなわがままを言うのは初めてです、

 私にキスしてください……」


 彼女の唇が緊張で固まるのが分かる。


 俺はそっと唇を重ねた……。


「猪野先輩、嬉しい……」


 甘い吐息が流れ込んでくる、

 弥生ちゃんの口唇の柔らかさが心地よい。


 俺はやっと辿り着けたのかもしれない、


 大切な人と本当の約束の場所に……。



 *******



 季節は流れ、俺達は否応なしに変わっていく、

 時間がないんだ青春は! とは誰が言ったんだっけ?


 余談かもしれないが、我が中総高校の制服も自由化することが出来たんだ、

 そのお陰で顧問の八代先生も出世して学年主任に昇格になり、

 大会での功績のお陰だとホクホクしていた、まったく昔から現金な人だ。


「宣人お兄ちゃん、僕は先に行くね!!」


 天音は男装女子を続けている、何故なら恋人がソレを望んでいるそうだ、

 俺もよく知っているその人の名前は…… いや野暮なので言わないでおく、

 時代は変わってきた、その人が好きならば男とか女とか関係ない、

 ほらまた長いリムジンが天音を迎えにきたぞ。


 そして俺は……。


 久しぶりに新調したウエットスーツに袖を通して、先にセットアップした

 セイルとボードをビーチ際まで運ぶ、春の陽射しは暖かいが、

 水に入るとまだ寒さを感じる、道具の進化も浦島太郎状態だ、

 もし兄貴がいたら驚くだろう、何でボードが水面から浮いてるんだよ、

 フィンもクソ長いし……、今にも軽口が聞こえてきそうだ。


 道具をいったん砂浜に置いて、風よけ代わりのテントに戻ると、

 俺の大事な人が迎えてくれた、満面の笑顔は何よりの宝物だ、


 何々、気が早いけど、俺達が将来結婚して子供が出来たら、

 男の子だったら名前を真司にしたいって!? 


 兄貴が聞いたら何て言うだろう……。


 俺は彼女の頭を撫でながら軽く頬にキスをした、

 彼女の髪の毛が激しくなびく、いい風が吹いてきた、

 最高のライディングが期待できる。


 矢も楯もたまらず、俺は浜辺に向かって走った。


 ボードを着水させセイルに風をはらませ、ビーチを後にする、

 懐かしい感覚がボード越しの足裏に伝わってくる、

 俺はやっと戻ってきた! こちら側の世界に……。


 みるみるビーチのテントが小さくなる、待っている彼女が

 大きく手を振るのが見えた。


 俺の大好きな女の子の名前には春の季語が入っている。


 ああ、春はやよい……。


 こんな俺をみて兄貴だったら、きっとこう言うだろう……。



(宣人! 目の前の女の子一人笑顔に出来ない奴がウインドで頂点てっぺん取れるか?)


 兄貴、俺はやっと目の前の女の子を飛び切りの笑顔に出来たよ、

 これならウインドの頂点てっぺん目指していいよね……。


 荒れた海面をトビウオのように疾走するボード、足を入れたストラップと

 手元のセイルで細かくコントロールしながらさらに加速を強める。

 激しい風切り音の中、俺の耳元に懐かしい声が聞こえた気がした……。


(宣人、まっ認めてやんなくもねえよ、お前が寿命を全うして

 あの世に来たら三途の川でウインドサーフィンやろうぜ!!)

 俺が行くまで待っててくれよ兄貴、あの世で鬼でもぶっちぎろうぜ!!


 兄貴は笑ってこう答えるはずだ、

 (馬鹿、バイクじゃなくてウィンドで競うんだよ、

 それに俺が乗ってたのはカタナじゃない、青いVT250Fだ……)


 兄貴の形見として譲り受けた青いVTは、カバーを掛けてあの時のまま、

 うちのガレージで眠っている、兄貴が大切にしていたバイク、

 ずっと乗ることが出来なかった……

 

 今度、この海が見下ろせるあの高台にVTで行ってみようか、

 そう、あの約束の場所に、俺の大切な人を後ろに乗せて……。


 【お兄ちゃんは認めない!!奇跡の美少女と言われるお前が

  美少年になるなんて!?】




 本編完




 *******



 後書きと御礼



 長い間、ご愛読頂き誠にありがとうございました、

 作者が初めて書いた作品で、拙いところばかりでしたが、

 一番、思い入れがありました……。


 宣人くんや天音ちゃんの物語は、

 これでいったん終わりになりますが、すでに書いている

 スピンオフ作品、「さよりとあまね」もありますし、

 他の作品にもキャラクターが登場するかもしれません。


 本編では描写が薄かったなと思われる百合的な物も

 補完していけたらと考えております、ぜひご一読ください。


 最後になりますが、こんなに長い物語を最後まで追いかけて頂き、

 応援してくれた皆様に最大級の感謝を送ります。


 本当にありがとうございました<(_ _)>



 2021・11・24


 kazuchi

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

学園一美少女な俺の妹がある日突然男装女子になった件。 kazuchi @kazuchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ