第10章 私は宮廷プリンセスナイト
私は宮廷プリンセスナイト<1>
心を冷たく武装したように閉ざし、誰とも会わず、笑うこともやめて黒入道退治と病室を往復するだけとなった番子の耳に、この大きな噂話が入ってくるのはかなり長い時間がたってからだった。光の国と青き国が統合され『
番子はもうすっかりケガの治った体を起こす。
「今日も……出動は、なしか」
国が大きく変わり豊かになっていくにつれ、黒入道の出現率は目に見えて減少。
(ユカリコ姫とハル王子が、うまくやっているんだ……)
ハル王子の力で、こんなに一気に国が変わるなんて思わなかった。
(いいこと、だよね)
「はんなこ様、お食事をお持ちいたしましたよ」
「……いらない」
食事を持ってきてくれた看護婦が、戸惑うようにテーブルに食器を置いていく。
思い出すのは、ハル王子の告白。
――「僕と結婚してほしい」
でも、自分の答えたことは決して間違ってはいなかったはずだ。自分の幸福と引き換えに光の国を差し出すなんてできない。だって私も、光の国王家の一員だから……。
(だけど)
あれから、自分をずっと見続けていてくれた優しいハルは来なくなった。ユカリコ姫と国を変えるために忙しい毎日を送っているからか、それとも、ユカリコ姫を正式に嫁に迎えるためか。
光の国と青き国が合わさって、みんなは前より幸せそう。隣同士の両国が手を取り合って、うまく回っていく。黒入道だって、もうほとんど出ない。自分が目指してきた目標が、叶おうとしている。
――私一人を、残して。
「なーんだ食わねえのかよ? じゃ、いただきー!」
看護婦がおかしなことをしゃべったと思ったら、その影に隠れるようにして、
「ソラト……?」
「よおよお。久しぶりだな」
すっと手を伸ばしてきたのは、ソラトだった。目が合うと、あきらめたように前へ出てくる。取られたデニッシュパンは、シチューにしっかり浸けて食べられたが。
「な、なんか、背……伸びた?」
小柄の印象の強い彼も背が伸び、顔つきもどこか大人びているような気がした。だが相変わらずの大きな瞳はそのまま機嫌をよく表わしていて、変わらない調子で笑っている。ただ明らかに違うのは――これまでに見たことのないほど立派な騎士服に身を包んでいることだ。近衛であるリキヤのような軍服を着て、さらにその上から、鳩葉の紋章入りの真紅の前立てを纏っている。そして象徴的なのが、まばゆいばかりの金鎧と鮮やかな赤マント。階級が一段階も二段階も前より上がっているのは確かだ。
「そういうお前は、やつれてんな」
裏表のない幼馴染に戸惑うように言われることほどつらいものはない。
「もうっ……帰ってよ」
でも、ソラトはすぐさまからっと笑い飛ばす。
「ははっ。番子おまえ、結局ハル王子の恋人なんかじゃなかったみてーだしな。ま、相手は王子だもんな。はははっ。ありえなーい、ありえなーい。見ろよ俺、『光鳩勲章』――今は『鳩葉勲章』か。貰っちまったぜ」
その胸には、クローバーを運ぶ鳩の描かれた鳩葉国の紋章入りの、金色に輝く勲章が光っていた。
「おっ――、おめでとう……! ソラト、ついに、あなた……」
「ああ。この春からは、高人専属騎士として新しいところに配属されるんだ。へへっ。頑張ってくるって。これからちょいと帰省して、父さんと母さんに見せてくるんだ」
「そっか……」
また、一人だけ置いていかれるような孤独もよぎったが、――しかしこればかりは、それを十分無視できるほど嬉しい。ソラトが評価されるべき剣士であることは、ずっと隣にして感じていたのだ。
「この軍服もかっこいいだろ? ただ、ちょっと装飾が多すぎて動きづれーんだよなあ。こんなんじゃあ、すぐ死ぬぜ」
華やかな真紅の前立てを、びろーんとのばして変な顔をしている。
「ぜったい騎士なめてる」
「ふふっ」
相変わらず、ソラトといるとどこか気が休まる。
「でも似合ってるよ、ソラト」
番子の微笑みに、ソラトはとぼけた顔で目をそらし――それから開き直るようににっと笑って、だろー? と大仰に腕を組む。これは昔からの照れ隠しだ。
「まあ、これがもらえたのも、リキヤに決闘を申し込まれたからでさ」
「リキヤって……近衛の東之リキヤ様?」
「そ。それで、ユカリコ姫様が大々的に開催した。おまえ知らないのか」
かすかに聞こえてくる看護婦の噂話だけじゃ、そこまでは知らなかった。
「結果は俺の圧勝だったぜ」
「そうなんだ……」
「ったくよ、俺様に勝てるはずねーのに。弱いやつが身の程をわきまえずに噛みついてくるから、恥をかくんだ。あンときみてーに、実力相応に引っ込んでりゃよかったんだよ。騎士のクセに、主人のユカリコ姫様にも恥かかせて、なにやってんだっつの」
「あのとき?」
「俺様が大活躍したときだよ。城が火事になったときあったろ」
あのときの。
「王家を黒影から直接俺がお守りしたんだ。他の連中は好き勝手に暴れてたけど、リキヤだけは俺に主力を任せてよぉ……そのほうが王家を守れるってわかってたんだろーな。正しい判断だぜ」
城が火事になったとき、黒影との本物の戦闘にのまれる近衛兵の前で、ソラトが気を失いかけながらも王家を守った。たしかに、リキヤはずっとユカリコ姫の傍について離れていなかった。番子はプリンセスナイトとしてその場に居合わせたので、「ふーん」と知らないふりをする。
「近衛のやつら、み~~んな俺様頼りでよぉ。あーんなのは綺麗な飾り服! 俺は王家の鉄の鎧としてだな……」
あれ……でも?
「リキヤ様は……ソラトのこと、自分より強いって認めてるんでしょ」
「だろーなー。だから大事な局面で俺に任せた」
「それなら、どうしてわざわざ決闘を申し込んだりするの?」
「は~?」
「だって、自分はソラトより弱いって、負けるってわかってて、それでどうしてわざわざ自分から決闘なんて……」
「んー……なんか今日は勝てる気がする! って思ったんじゃねーの?」
そんな楽観的なの、ソラトぐらいだよ……。
ソラトはこれ、うめーなーなどと言いながら、食事をどんどん平らげていく。
「欲張りなんだよー、あいつは。地位も名誉も欲しかったんだろ。巷じゃ、どっちが勝つかなんて賭博なんかもあったらしいんだけどよ、外衛の連中だけじゃない、近衛だって貴族だって裏ではみんな俺様に賭けてた。おかげさまでこづかい稼げたって何人からも感謝されたぜ? まあ、みんな俺に賭けちまったらそんなに儲けは出なかっただろうけどな。周りがそんな風だからあいつは、実力も認めさせたかったんだ。賞を取ったせいで、自惚れたんじゃねーの? ま、自滅して見せかけの栄誉まで失う羽目になったけどな」
「……」
ソラトから見たら、そう思えるだろう。将来は王族を守る大役を期待され、幼少期から剣を持たされ最高の環境で英才教育されたなんて、羨ましく思うのも無理はない。
(でも……)
だが番子は想像する。リキヤの視点で。生まれながら、剣に捧げる人生を。周囲に厳しく育てられ、また自分も使命を果たすため強くあろうとする日々を――
(それってリキヤ様にとっては、剣が好きで剣に生きることができたソラトが思うほど、すべてが満たされた人生ってわけじゃない)
才があるかないかに関わらず、目指すべき道とあるべき姿を決められて、期待されて重荷を背負わされて……それは――残酷な悲劇だと思った。ソラトより、よっぽど不幸な境遇だ。剣を愛するより、呪っただろう。でも、
「たぶん……違うよ。リキヤ様にも、誇りが……あったんだよ」
そこには、ソラトの剣や勲章に対する思いとはまた違う、剣だけを与えられて剣だけを見て生きてきた者としての、矜持や美学があると感じた。プリンセスナイトとして生まれたことを恨みながらも、プリンセスナイトとして生き、死のうと思った番子にはわかるのだ。不自由や窮屈さへの憎しみを超え、自分の道として受け入れた末の、その道への敬愛。彼はどうあれ、その道を誰より見つめ、誰より生きた人なのだから。
「自分より強いソラトを差し置いて、勲章を貰うのが嫌だったんじゃないかな」
どちらから言い出したのかわからないけど、ずっと傍にいたユカリコ姫も彼の気持ちをわかった上で、きっと、周囲の反対を押し切って決闘を認可したのではないか。自分の持つ騎士が外衛兵に勝負を挑み、そして負けること。それはたしかに恥だ。でも、形骸化した制度の現状を大衆に見せつけるためにも、それを受け入れた。国を変えていく者として。そして彼の心を知る主として。
「……リキヤのやつ、ばかじゃねーの」
小さく息をのんだソラトはそうつぶやいたきり、動かない。しかし彼の心のふらつきが、番子には伝わってきた。単純さゆえに強固だった足場がなくなっていく感覚。ソラトにとってリキヤは長らく憎しみと嫉妬、そして憧憬の対象だったのだろう。それが、崩れていく。リキヤの苦悩と、潔さと、そしてかすかに感じる、もしかしたら、彼も自分に、羨ましさを抱いているかもしれないという、両想いにも似た関係に。
「そうかよ。まあ……いいぜ。光鳩勲章はくれてやる。あれはあいつの勲章でいい」
だが、ソラトもまた、剣の道に生きた男。
「ただし、この新しい鳩葉勲章は渡さねえ。こっからは、実力勝負だからな」
次にはもう、認めるように、静かに笑っていた。
実力勝負か。それは、ユカリコ姫とハル王子の二人がもたらそうとしている新しい世界なのだろうか。
誰でも、どこまでも行ける権利を――?
どきんと心臓が高鳴った。死んでしまった体に、熱く赤い血液が送られていくような感触。だって、ソラトは、国一番の称号『鳩葉勲章』を取った。
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