第9章 はしくれのプライド

はしくれのプライド

 小鳥のさえずりが遠く聞こえる、まばゆい光の中、


「はなちゃん、もう、やめてくれないか」


 白い部屋の静寂を破ったのは、どこまでもまっすぐな視線を向ける少年の頼みだった。


「何を言ってるの? 私が戦うことをやめたら、この国は終わっちゃうんだよ」


 その先には、巻かれた包帯を勲章のようになぞりながらとんでもないとでも言うように笑う番子の明るい笑顔。瞼をこじ開ける朝日に似て見つめていられないというように、ハル王子は目を背けた。


 あれから、光の国第一王女であるユカリコ姫に訴えて、ハル王子は傍に寄り添うようにして常に番子の病室にいた。日に日に増えていく危険な出撃と、それに伴って持ち帰ってくる傷。治療がまるで追い付かない。このままではやがて死に至る。


 ひと呼吸置き、深呼吸。ハル王子は番子に正面から向き合うと、意を決したようにこう言った。


「君は……青き国に嫁いで、王妃になってくれないか」

「え?」


 はっとして目を見開き振り返る番子に、聞き返す暇さえ与えず打ち明ける。


「僕と結婚してほしい」


 わけもわからず驚くだけだった番子の顔に朱が差した。


「僕は、君とずっと生きていきたい。僕の父上は病を患い、あといくらも生きられない。できれば早めに、僕の国に来てほしい。僕の国で君にそれなりの爵位を授けて、本当の貴族にしてあげる。それから僕と結婚すればいい」


 王子は最も望むことを伝えた。


「だからもう、戦うことはやめるんだ――」


 しかし、番子は長い髪で顔を隠すように、うつむいて黙っている。


「もう無理だ。君の国はもう終わりなんだ」


 これは破綻だ。でもそんなの、君が引き受けることはないじゃないか。


「光の国も、王家さえなくなれば黒入道だって霧散して消えてしまう。君が戦いをやめて、王家をあきらめさえすれば、もう傷つくこともないんだ」


 ハル王子は、考えていたことを提案していった。


「しばらく光の国は混沌とした無秩序状態になるだろう。でもそうしたら青き国が全面的に保護する。君は――」

「ハルくんも、立派な王様だね。……立派な支配者だ」


 するとぴしゃりと会話を打ち切るように、番子はそう言い放った。


「はなちゃん……」


 ゆっくりと上げられたその顔には、不自然に笑みが張り付けられていた。戦場で心安らかに話せた相手が実は敵兵だったとわかったときの兵士はこう笑うかもしれない。


「わたしは、『光の国』王家の長女だよ。黒入道を止めつづけてみせる。この身が滅びようとも、ね。青き国に支配なんかさせないよ」


 朗々と。内に秘めたものを歌にして、軽く口ずさむかのように。


「僕はそんなことを言っているわけじゃない! ただ、僕は――」


 ハル王子は普段なら、驚嘆すべき誉れ高さとして番子を抱きしめただろう。だが、今だけはそんなもの、特別でもなんでもない幸福を手に入れることさえ阻害する悪しき枷としか思えなかった。見ている視点が違いすぎて、話にならない。


「支配なんかしてみなよ。黒入道は繰り返す……永遠に」


 そう言って、使命感にその身すら燃やしてしまいかねない一国の姫君。誰より深く愛し、誰より辛抱強く見守り続けた少年はそこで、想い人の幸せの形を悟るのだった。その瞳に映るのは、自分だけではない。光の国王家、妹のユカリコ姫や友人や仲間、それから、もっと大きな――そう、「光の国のすべての国民」を、見ている。


(あくまで……君は……一国の王女として生きることを望むんだね。今も――そして、これからも――。僕の傍で僕を支える、お嫁さんとしてではなく)


 もし君が、一人の人に求愛されて、その人と楽しく仲良く平凡でも心豊かに生きることを望むような、どこにでもいるごく普通の女の子だったら、僕はこんなに大変じゃなかったんだろう……一国の王子として、まるで君に敵わない。僕の方が生まれも育ちも王族なのに……。


 でもそんな君だから、僕は惹かれて好きになったんだと思う。


「君の……願いを、叶える」


 ハル王子はそう言い残し、病室を後にした。


 男として、君を守りたかった。でも君が望むなら――僕は王子として、君と共に戦う。


 棟を移動し、通いなれたある一室へと通してもらう。


「やあ。ユリちゃん……」

「あら、ハル王子」

「忙しそうだね。会ってくれてありがとう」


 書き物をしていたペンを置き、両手を広げておどけたように、桃色の袖を揺らしてユカリコ姫は変わらぬ調子でにこにこ笑って迎えてくれる。そんな中、探るようにこちらを伺う瞳。なにかあったことを敏く気付いてくれているのだ。


「また両国王会議を開きたいのだけれど」

「ふふ。いいわよ」


 まったくこの姉妹は、笑顔の裏に色々なものを隠す。

 ハル王子はため息を一つつくと、手土産の果物を差し出して、足を踏み入れた。

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