第8章 なれの果て

なれの果て<1>

 過ぎていくすばらしい日々。ハル王子とは毎日会えるし、たまにユカリコ姫も遊びに来てくれる。けがが治るまで暇なソラトだって来てくれたし(もう呼ばないけど)、それに一度だけ、父様と母様も来てくださった。そして、里親のおじいさんとおばあさんも。


 贅沢なほど満たされた日常。穏やかに過ぎる南の風は、時々、高熱にうなされた時に見る奇妙な幻夢のように、番子の身の毛をよだたせた。終わりのない幸福なんてない。それがわかっている分、この日々を怖く思うこともあった。



 番子はハル王子と海辺を歩いていた。日は傾きかけ、気温も少し落ちて通り抜ける風が肌寒かった。空を浮遊していたカモメが降りて近づいてきた。遠く細く、海の空に浮かぶ真昼の三日月のようなその姿は、近づくにつれはっきり鳥の姿へと形を変えていく。そしてバサバサと大音を立て、砲丸のような勢いで二人の脇を通り過ぎた。磯の香がした。


「行くのかい? はなちゃん」

「うん……。やっぱりこれは、私の役目だから」


 また遠く飛んでいくその鳥の行く先を、追うように見つめる。熱帯樹がゆさゆさと揺れ、波の音が尾を引いた。


 番子は姿をプリンセスナイトへと変貌させた。見つめる王子の目は、寂しげだった。


「それじゃ」


 飛び立つのは一瞬。つま先で砂を蹴り、鳥のように舞い上がる。体が軽くなっていく感覚とは裏腹に、心は重い。ふと、下を向くと、波打ち際に残された王子の影があまりにも小さくて、振り返るんじゃなかったと番子は深く後悔した。


 黒入道は加速度的に増加していた。プリンセスナイトとしても、黒入道を崩す以外はほとんど休暇をもらっていた番子だったが、城の騎士団だけではやはり太刀打ちできないだろうと、復帰することになった。最近は、黒入道が二つ一気に現れるのも当たり前。合わさったような巨大雲だったり、まれに三つ同時出現することもある。黒い影に包まれゆく国は、番子が来るのを待っていた。



 王宮病棟。


「集中治療室へ! 急いで!!」


 宮廷医師の指示の元、看護師たちに治療室へと運び込まれたのは担架に載せられたプリンセスナイトだ。手術が終わっても病室は締め切られ、ごく少数の関係者しか立ち入ることができないよう制限された。


「彼女の容体は」

「命に別状はありませんが、今は絶対安静です。背後から黒影に剣で袈裟懸けに……。出血が多くみられます」

「彼女が目覚めても、勝手に病室から出さないようにしてくれ。決して、城の人間に気付かれることのなきよう」

「はい」

「――動けるぐらいまで回復したら、すぐに出撃の指示を。もう次の黒入道が現れている」

「……はい」


 白いカーテンが閉め切られた彼女の病室を、何人もの王家の人間が監視していた。

 光の国に来ていたハル王子は、従者も連れず、光の国城内をずんずんと進んでいく。深紅のカーテンや絨毯から一転、なにもかもが白一色の階層へ。


「プリンセスナイトがやられた」、「プリンセスナイトはもうだめだ」などという国民の声が上がる中、最後の出撃から一向に青き国王家の別荘に帰ってこないまま、戦闘ばかり続けている番子の居場所はもう、ここしか心当たりはない。


 光の国王宮病棟最上部。ハル王子は通りかかった看護婦を適当に捕まえて、プリンセスナイトの担当医を出せと無理やり取り次がせた。


「これはハル王子。恐れ入りますが、これより先は重病人がおりますゆえ、お引き取り願います」

「その重病人に会いに来たんだ」


 医師はへつらうような笑顔を崩すことなく頭を下げる。


「王子のお体に障ったら大変なことでございます。お引き取りを」

「構わん。ちなみに僕はこの国の事など、すべて聞いている立場にあるぞ」

「ええと……」


 白衣を纏った医者は、その理知的な瞳を翳らせて言葉を濁す。ハル王子は掴み掛らん勢いで顔を近づけると、小さくも怒りを込めた声で囁いた。


「いいか。いくらなんでも、戦わせ過ぎだろう。三日前の戦闘では、半死の傷を負ったと報告が来ている。その前の日に左腕を骨折していたのに添え木をさせて出撃させて――。プリンセスナイトとはいえ、平気なわけがないだろう!?」


 医者は黙ってされるがままになっている。すると、沈黙を破るかのように、ぱたぱたと足音がこちらに近づいてきた。


「先生、プリンセスナイト様が意識を回復されました!」


 番子の看護をしている看護婦か。


「……すぐにお出ししろ。国のためだ、やむを得ない」

「おい!」


 王子が医師の手をつかんで叫ぶも、医師の許可を得た看護婦はナースドレスを翻し逃げるように、ガラスの戸で仕切られた向こう側へと駆けていく。


「おまえ! ――それでも医者か」

「私は、宮廷医者にございます……」


 一発殴ってやりたい気分だったが、窓から差す穏やかな陽をちらと遮る、城の外に見えた影に気を取られ、その機を逸した。


 よろよろと力なく、いつもの俊敏さのかけらもない、一匹の美しい鳥。


「はなちゃん……」

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