なれの果て<2>
街の上に、黒い影が広がっている。倒さなきゃ。私が。あれを。
「きた! プリンセスナイト!」
「おーい! 助けてくれ!」
悲鳴にも似た歓声を受けて、
「黒入道を崩すよ!」
そう言って番子は浮上しようとして、やめた。自分がステッキでわざわざ切り崩さずとも、黒影は飽和した水蒸気のようにあちらこちらから勝手に地上へと降り始めていた。
「こっちだ来てくれ!」「こっち頼む!」
戦士たちが口々に叫ぶ声が耳に届いてくる。
「わかった!」
番子は三階建ての朱い瓦屋根の壁を蹴って方向転換、落下しながら空中から影を一掃。着地をし、その足で石畳を蹴ってまた飛翔。自由落下の合間に敵の位置を確認し、すぐさま壁を蹴り急行する。そして浮上。ステッキを構え直して、しばし空中から戦況を確認しようとするが――
一陣の風のようなものが、目にもとまらぬ速さで通り過ぎていくと同時に、
「熱っ――」
左上腕に鋭い刺激があった。続き、右の大腿が弾けるように、がくんと衝撃を受ける。燃え上がるような感覚に倒れ込むようにして落下――屋店のテントに真上から落ちた。
「くっ……」
受け身は取れなかったが、日除けテントが緩衝剤になってくれたおかげで無事だ。破れた布の隙間から暗い空が見える。あんなところから、撃ち落とされたのに。上腕の傷は浅い。でも、番子は顔をしかめて太腿を見た。激痛の沼の中で、ごろりと石が動くような感触。まるで太腿から一本の羽が生えているようだ……矢だ。矢が刺さっている。下から撃たれたらしい。鏃まで深々と突き刺さっている。番子は声が漏れないように唇を噛んで――「……ぅ!」一気に引き抜いた。どぽっと黒っぽい血が溢れた。鈍く重い体を引き摺るようにして動かし、身を隠す。
被った布の間隙から外を覗く。弓に矢をつがえた黒影が、うろうろと獲物を探してうろつきまわっている。かなりの割合で、空を警戒している。プリンセスナイトを探しているのだ。
(どう……して……)
聖剣以外、黒影に対して効果がないことは軍全体が承知していることだった。だから遠距離武器は、奪われるリスクを考えて、使用しないことになっている。奪われると、空を制するプリンセスナイトの有利性が大きく損なわれ、戦況が著しく悪化する。
よく見るとそれは、国軍が扱うような磨かれた正規の弓矢ではないことが分かった。素人が竹に弦を括り付けただけのような、粗末な造り。だが、湧き出る黒影の中に、知識を有するものがいるのか、なにか影の力を使ってか、その場で改造して威力を増強している。
(誰かが作った飛び道具が……どこからか流されているんだ……)
プリンセスナイトを封じるために。
「行かなきゃ……」
踏み出した足が……まるで支えにならない。大きな音を立てて転倒し、テントを巻き込んで埋もれる。
「はな様! ここは、一時撤退を――っ」
トトの声に、番子は首を振る。
「……でもっ、城に帰ったところで……」
もう一度飛翔するとともに無数に迫る矢の雷。的として狙われている。ステッキで黒影は消せるが、放たれた物理的な攻撃を防ぐことはできない。番子は凍るような思いで小さく身を屈めながら、当たらないことを願って移動する。
痛む体を無視して、プリンセスナイトとして番子は空をかけぬけていく。私も王家の一員として、王様やユカリコ姫が国を変えるまで、国民を抑えていなくちゃ――! そのとき、信じられないような光景を見た。
「あれは……何?」
関所の強大な壁の向こうから、黒入道が生まれている。もくもくと、まるで煙突から吐き出される黒いガスの様に、次々に生み出されては、空に浮かんでいる黒入道につながっていく。
番子は黒入道を一部浄化してあとは後回しに、一直線に関所の向こうへと急いだ。
「プリンセスナイトだ!」
血しぶきを散らして大きく跳躍し、高い関所を越えるとき、下から声が上がった。番子はいつもの通り、努めて明るく声をかけようとして関所の壁のヘリに立ち、安心させるために微笑んでみせる。
「みんな! 助けにきたからもう大丈夫――」
――言葉をなくした。関所の外の住民が集まって、こちらを見上げてにらみすえている。
「助けなんかじゃないんだ……」
「プリンセスナイトは引っ込んでろ!」
石を投げられた。上まで届かないそれは、壁に当たってコン、コンと音を立てる。
「あの影は僕たちの武器なんだよぉ」
「もっと暴れて、関所も壊してくれよ! 黒影!!」
「プリンセスナイトなら開けられる? あの関所を開けて、僕たちも入れてくれる?」
「もっと憎めばいいんだ。光の国の王家を。そうすれば、奇跡は起こるんだよ!」
彼らは明らかに黒入道の正体に気が付いていた。今、同じ意志を持った集団となり、王家を倒す手段として王家への憎しみを集めている。
そのとき、
「おまえたち! 集まって何をしている!」
常駐している兵が駆けつけてきた。すると、慣れたように全員一目散に逃げていく。でも、散り散りにされても彼らの意思は一致団結したままだ。逃げながらも密かに視線を交わし合い、心を一つにまとめている。
叫び声が響いた。番子が気付いて駆け寄った時にはもう遅かった。空から降りていた一匹の黒影が少女に襲い掛かり、首を絞め殺した。番子が浄化したものの、彼女はもう冷たくなって動かない。
「王様やユカリコ姫が、国を良くしてくれているわ。だからみんな……こんなもの生み出さなくても、大丈夫なのよっ」
番子の叫びは町に乾いて響いた。町はぞっとするほど静まり返っている。そして、大きくなっていく黒入道。番子は立ち上がり空を見上げた。強大化した黒入道は、渦巻くようにして国を覆っていく。
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