鍍金の下は<2>

 その少年と再び会うようになるのは、試験に及第し、メイドとして城に戻ってきたとき――城の構造を調べて、プリンセスナイトの力を使ってまっさきにユカリコ姫に会いに行ったことがきっかけだった。


 ユカリコ姫以外の人には絶対に見つからないように、前もって出していた手紙で待ち合わせをし、そうして何度も会ううちに、「数年前に会った姫を、王子がいまだに探している、会ってあげてくれないかな?」とユカリコ姫に頼まれたのだ。


 あの子のことだ、とすぐに分かった。七歳までの記憶はどれも、何度も思い返して、番子の忘れられぬ記憶として脳裏に深く刻み込まれていたから。さすがに、まさかあの男の子が隣国の王子様だったとは、その時初めて知って驚いたけれども。


 ハル王子に会う勇気はなかった。彼は、姫だったころの自分に会ったことがある。はんなこ姫だったころの私。自分の姿はできればそのまま、囚われの姫として彼の心に残しておきたいと、そう思った。


「それなら、そうして、遊びましょ★」

 ユカリコ姫の、甘美な誘惑。


 言いたくないことは、言わなくったっていいじゃない。思いっきり飾り立てて、嘘を並べて、どこか貴族の令嬢になりきって……。


 それは陽気な夏の日に、海水浴でにぎわう海辺で出会った男女たちの一夜の恋の遊びにも似ていた。互いに夢のような肩書きを並べ立てて、真実を見透かさないようにしながら興に乗る。


 私は謎の令嬢・はんなこ。光の国のユカリコ姫とは仲のいいお友達なのですよ。私の正体ですか? ええと、……それは言えないんです。ごめんなさい、王子様。


 隣国・青き国の第一王子、ハル王子と恋仲。ミイも――いや上役メイドなんか目じゃない、貴族の誰より、光の国中の羨望を集めるだろう。ユカリコ姫さえも、羨むかもしれない。だって私は、王子様の恋人――。


 番子は時々わからなくなることがあった。

 私は、本当にハルくんが好きなのだろうか。ハルくんが好きなのか、ハル王子が好きなのか。


 だって本当は今でも、いつも叫び散らしたいほどに思っていたから。


 どうして私は王家の人間なのに、ユカリコとちがって身分を隠さないといけないの?

 ちゃんと王家の血だって流れているのに、使命だって果たしているのに……。

 どうしてユカリコだけがお姫様なの。

 どうしてユカリコばっかり父様と母様の傍にいられるの。

 私は、どうしてお二人に会うことができないの。

 必死に勉強してメイドとして城に入れてもらって、遠くから頭を下げながら、人目を盗んで、お二人のお顔をちらりと拝見できる程度なのは、なぜ?

 王家に近づくことすら禁じられていて――ユカリコとのこの違いはなに。


 なにもかもが、陳腐と滑稽、みじめな悲しみで彩られていた。


 本当は私は、ハルくんと――ハル王子とこれを機に恋仲になって、もう一度王家の身分に返り咲きたいだけだったんじゃないだろうか……。


 結局、どこまでも身分に振り回されていたのは自分自身で、物分かり良く抜け出そうともがいていながら、抜け出せなかったのは、自分の根底には厳然と――認めたくないことだけれど――今はもう手に入れられない昔の生活や身分にまだ未練があったから……?

 だからハルくんのことを好きになったと感じたの……?



 ハル王子は無言で番子の手を引いて、ダンスを踊り始めた。涼しい顔で。


 ぽっかり空いた穴から、夜になりかけの風が入ってきて、粉砕された壁の砂塵が舞う。


 足元は、いつ崩れ落ちるともわからない。王子は大仰なマントをはためかせて、暗い色をしたメイド服を優しく抱える。


「どうして、……どうして何も聞かないの?」


 番子はこらえきれなくなって、王子の手を離した。その勢いで空いた互いの距離。じっとこちらを見つめる王子は立ち止まり、逃げも追いかけもしない。


「僕には、それぐらいしか、君を助けることができないから」


 王子はそう言って、遥か遠くを見るように一度、正面から番子を見据えた。揺らぐことのない視線を受けて、番子はなんだかそこに、彼の決意のようなものを感じた。その気迫にのまれてうまく……言葉が出ない。


 それに、今はその視線を受けることが、どこかうしろめたい。


「それに……」


 王子はその場を和ませるように再び番子の手を取ると、


「男はあんまりしつこいと、嫌われるって言うしね」


 そう言って軽く掌に口づけ。そしてすぐにその手を離し、上目づかいで、にこっと微笑んでくれる。けれど、やわらかな唇に、違和感を覚える。


「ハルくんを嫌うことなんて……」


 言いながら、番子はうまく笑みを返せなかった。


「そんなこと、あるわけないよ……?」


 そう言うのが、やっとだった。そんなことない。あるわけない。いやだ……いやだ、そんな自分なんて……


「そう? それは、……僕が王子だから?」

「えっ……」


 ハル王子は見ている。


 何も聞いてこなくても、番子をじっと見ている。


「そんなこと……」


「囚われの姫」


 その言葉に、はっと古い記憶が番子の体を突き抜けた。


「え……? ハルくん、なんて……?」


「番子ちゃん」


 番子は両目を大きく見開いた。


「ハル……くん……?」


「番子ちゃん、はなちゃん――はんなこ姫。そして、この国のプリンセスナイト」


 信じられない、ありえない現象。その言葉が王子の口から出ているものと認識するたびに、拒絶するように心が無になる。


 けれど、鼓動が激しく脈打つたび、氷水を浴びせられたような衝撃を受ける。声が出なくなる。


 この場から、逃げ出しそうになる。


「なに……それ……? どうして……知って……」


 ハル王子は引き留めようとするように力強く手を握って、叫んだ。


「はなちゃん……番子ちゃん……なんだっていい!! 僕は君が好きだ!!」


 大きく穴の開いた壁から、寒い風が強く吹きこんだ。番子が想像もしなかった世界を連れて。

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