第7章 鍍金の下は
鍍金の下は<1>
水晶のきらめいていたシャンデリアは、床に落ちて粉々になっていた。壁は火に焼け焦げたように黒く、バルコニーはその周辺の壁ごと下に落ちていた。
「はなちゃん……それ以上行くと、崩れるかもしれない。あぶないよ」
「うん……大丈夫」
ハル王子の制止の声に立ち止まる。
バルコニーのあった場所に、ぽっかりと空いた壁の穴から、静かな夕日が赤々と差し込んでいた。
「なんだかまだ、燃えているみたい……」
ため息交じりに、そうつぶやいた。そういえば出火元はここだったのかな。なんて、ぼんやりと想像したりもした。
「きれいだね」
ハル王子が力を抜くように目を細めた。
「そうだね……退廃的な感じ、っていうのかな」
身にまとった紺色のワンピースと、灰に薄汚れたエプロンは、この場にとても似合っているようで、どこか居心地がいいように感じた。
「ハルくん……わたし」
不意に言葉が口を突いて出た。言いかけて震える番子の背中を、ハル王子はそっと抱きしめた。
「大丈夫? はなちゃん。無理しないで」
どこまでも番子を優しく包みながら、手を差し伸べたままハル王子は、そう言ってそっと突き放す。
「……言わなきゃ……私」
だから今日は、その手を取る。こんな恰好でわざわざ会いに来たのだ。もう、覚悟はできていた。番子が打ち明けようと開いた口を、ハル王子の口がふさごうとする。でも、今は受け入れられない。
「だめ……待って、言わせてほしいことがあるの」
「いいんだ。もう……もう、言わなくていいよ。わかっているから」
わかっている? なにを、わかっているっていうの。
何もわかっているわけない。教えていないのだから。
*
「出してよぉ……出して、たすけて父様、母様、チトセ……」
肩を上げて手を伸ばしてやっとぎりぎり届くドアノブ。しかしそれは、どんなにひねったところでびくともしなかった。椅子を持ってきてドアノブの周りをよく観察してみたりもしたが、外側からも内側からも鍵がないと開かないようになっているらしかった。
ここはお城のどこなんだろう。記憶の中の座り込んだはんなこも、ぐるりと部屋を見回した。白で統一された部屋。
テーブルに椅子が一つ、壁際にはクローゼットにドレッサー。二本の柱の向こうは半円状になっていて、真ん中に天蓋付きのふわふわベッドが鎮座。枕元にはくまやうさぎのぬいぐるみが並んでいる。バルコニーへと続く窓は雨戸まで閉められ、鍵は高い位置でしめられている。
静寂の遠くのほうで、ドアを開けたり閉めたり、カチャカチャという食器の金属音など、誰かの生活音がかすかに聞こえた。出入りしているのは客人だろうか。それならここは、客室棟の近くだということになる。
窓も暗く閉ざされているために、昼か夜かさえわからない。時を告げる大きな鐘の音が聞こえると、知らないメイドがあわただしくやってきて食事を置いていった。
一口サイズの前菜がいくつも並んだプレート、フカヒレスープ、やわらかな白いパンやフルーツの香りのするパン、さっぱりしたソースのかかった鶏肉に、ウミガメのステーキ、デザートにはカスタードクリームの入ったブルーベリーのタルトに、ミルクチョコレートの甘いドリンクと紅茶。パーティ料理のフルコースだ。
機嫌を取るように豪華だが、父様母様だけでなく、何をするにも一緒だったユカリコからも引き離された一人きりの食卓では、少しもおいしいとは感じられなかった。
もうどれくらいこうしてここにいるんだっけ。二日? 三日? 四日? 何度食事が運ばれた? わからない。
そこは――まぎれもない、きれいな監獄だった。
もうだめだ。一生ここから出してもらえなかったらどうしよう。永久とも感じられるような時間が過ぎていく。途方もない。戸口に座りこみ、涙を隠すように顔を伏せた時だった。
どこか軽い、不規則な足音がした。時折早く駆けてはぴたっと止まり、伺うように忍び足になったり、戸惑うように大きく後ろに下がったり。
食事の時間にはまだ早い。さきほど、どんなに話しかけても無言を貫くメイドに、食器を下げられたばかりなのだ。
こちらを意識した何者かが近づいてきているのは間違いなかった。
その足音がドアの前で止まる。
訪れる静寂。その後にじゃらじゃらという聞き慣れた鍵束の音。しかしなんだかその音の位置が低く感じる。そして鍵穴周りでまごつくようにぶつかる金属音。今までと違う。なにかがおかしい。ようやく穴をとらえたのか、チャッ、という小さな開錠音がして、続いてゆっくり扉の開く音が響いた。
はんなこはごくりと唾を嚥下して、開いていく扉の上を見上げていた。
いったい誰? わたしをどうするつもりなの。
そんな不安と、警戒心を込めて。顔を見たらすぐ逃げられるように。
だが、
「見つけた! 囚われの姫!」
頭上に顔はなく、声は足元の方からした。
首を正面に戻すと、そこには小さな少年がいた。
「あ……あなたはだぁれ?」
自分と同じ年ぐらいの男の子。どこの貴族の連れ子だろうか。スーツに金色の肩章を揺らし、真紅の長外套を羽織って――、極めて立派な衣装をしているが、頭の飾りだけは見慣れないものだった。
透き通るようなブラウンのウェーブ髪から覗く、額を覆う輪冠の大きな宝石と、そこから逆立つ一本の白い羽が、異国の温かさの様にまぶしい。よく見ると薄い衣をその身にふわりと纏っている。すると彼はさっと番子の手を取り、マントのような長外套が床に広がるのも構わず、片ひざをついてはんなこの手の甲にキスをする。その動作は洗練されたように様になっていた。
「おれはハル! 君を助けにきたんだぜっ!」
だがそう言って立ち上がり、小気味よく笑う様子は、やはり年相応。
「……私を、助けに?」
「うん! 君は囚われのお姫様なんだろ?」
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