尊き日々<3>
そうしてはんなこは村の学校に通い始めた。
そこは小さな学校だったが評判はよく、わざわざ遠い村から通いに来ている名家の子もいるほどだった。
教師一人に、生徒は十人だけ。進むべき道と、その子の特性を生かすための授業、そして試験のための授業。
卒業するころには誰もが世に必要とされる人物になれると言われていた。
入学した時に、はんなこが城で働けるようになりたいと言ったら、先生は統一試験のための授業計画を立ててくれた。
先生について毎日しっかりやれば、城のメイドくらいなら落とされることはまずないはずだと言われ、はんなこはそれを信じて必死に取りくんだ。
城にいる間は王族として育てられたはんなこは、読み書きなどの一般的な教養はすでに身に付けさせられていたこともあり、早退を含めてでも――トトに呼ばれればすぐにプリンセスナイトとして出撃しなくてはならなかった――応募資格がもらえる歳までに必要な範囲を終わらせることも、通過するだけの合格点も、十分に見込めるだろうと言われた。
進むべき道ができたことで、心のゆとりと自信を取り戻していったはんなこは、次第にほかの生徒とも交流を持つようになった。
「あ~~~もう、わけわかんねえ……。せんせー、これどーしてもやんなきゃだめかあ?」
年齢も出身地もばらばらの中、はんなこと同じ村に住む同じ年の少年ソラトと出会ったのもこの時だ。
「剣術はそのあとで教えてあげます。ソラトはまずお家を継ぐための勉強を積み、大学へ進学しなくてはいけませんね」
「へいへい~。あ、はんなこ、おまえここ教えて」
「ん? いいよ、どこ?」
「こらっ、まずは自力で解きなさい!」
ソラトは商業を営む家の一人息子で、大学まで行ってきちんとした教育を受けて家業を継ぐことを期待されていた。専門的な事柄を学ぶための大学に進む者も、はんなこと同じ試験を受ける。
「先生! 弱い~」
「ごめんごめん。でも先生が弱いんじゃないぞ」
約束通り、剣術を教えるために校庭で剣を交えた先生が、降参するようにしりもちをつく。
「ソラトにちょっと才能がありすぎるんだ」
「あっ! やっぱり~? ごめんなーせんせー! あははははっ!」
「またソラトってば調子に乗って~」
二人分のお茶と手ぬぐいを持ってきたはんなこは苦笑いして近づいた。
「もうせんせーが限界みたいだし、また明日にしよーっと。あ、はんなこ宿題教えてよ。明日の予習も」
ソラトはしりもちをついたままの先生から練習用の貸剣を回収し、自分の使っていたものと一緒に袋に入れて校舎に戻っていく。
ソラトは自分の剣の素質を信じていた。先生もそれを理解し、なるべく早く勉強を終わらせて、剣術に時間を割こうとしていた。
他の生徒に教えていて先生の手が空いていない時は、はんなこが一役買った。
「ここは、光の国の歴史じゃなくて青き国のほうを見なきゃ間違えちゃうよ」
夕日が教室を照らし出す時。
「なー」
どこか呆けたように窓の外、生徒と昆虫を採取する先生を見ながらソラトが声をかけてきた。
「はんなこ。おまえ、ここ卒業したら城で働くんだよな」
むろん、それは決めていたこと。
「そうだよ」
このときすでに番子は国王から試験に受かりさえすれば城でメイドをすることの許可をもらうことができていた。もちろん、正体がばれないよう大量の条件付きであったが。
「俺さ、やっぱ剣の才能あると思うだろ?」
得意げな顔をしてソラトが訊ねる。照れ隠しの役割も持つその顔に、はんなこも笑って頷いた。これはソラトの自惚れではない。
「だから……どうしても、剣士になりたいんだ。あんなへっぽこせんせーと戦うだけじゃなくて、ああ、いや、せんせーのことは好きだし尊敬してるけど……んー」
見果てぬ夢に、戸惑って言葉にできない。
ソラトはつまり、こう言いたいのだった。
自分の力を試したい。この力が、一体どこまで通用するのか、人生をかけてでも知りたい。
「試験は、大学のためじゃなくて、剣士になるための方を受けようって、思ってる」
「そうなんだ……。ソラトはそのほうがいいと私も思うけど……でも」
はんなこは問題を解く手を止めた。ソラトの家は、百貨店経営をしている。それも今まさに勢力を拡大しつつある家だ。
「わかってる。親父にはもう、話した」
ソラトはそう言うと、力なく深く息を吐き、「ほら、見ろよ~」と、ぺろんと服をめくった。ひきしまった腹の素肌に、青い痣ができていた。
「別に跡継ぎなんて、統一試験の優秀者をもらえばいいだろーっつったらさ、殴られた。……で、好きにしていいって、言ってくれたけど」
ソラトが真っ直ぐなのは、両親の影響なのだろうか。愛情の証のようなその痣。
「でもさーこういうとき殴るとしたら、普通顔とか頭じゃね!? なんで腹!? おかしくね!? おかげで防げなかったっつの……」
はんなこはぷっと吹き出した。
「でもよかったじゃん。やるなら本気でやりなよ。この村の誇りになるくらい!」
「わかってるって。『光鳩勲章』だって獲ってやるよ」
「あは! 獲れる獲れる!」
細く長く伸びた影が、揺れながらも前へと渡り廊下を駆けぬける。城中が黒入道騒ぎによる火災の復旧作業に追われている中、番子はメイド服の裾を翻し、探していた。
「そこ、破片が多くて危ないよ!」
風の吹きこむ割れた窓の前で、箒を手にした小太りのメイドが忙しなくしゃがみこみながら注意した。絨毯の繊維にまぎれこむようにしてきらめく窓ガラスの破片を、箒でほじくりかき集めている。
「……?」
落ちかけの太陽に照らされた絨毯の上を、一瞬大きな影が通りすぎていった。ぱっと窓の方を見てみると、真っ赤な空に遠く小さく鳥の影。その鳥は昇り竜の様に、上へ上へと羽ばたいていく。メイドはよいしょと体を起こし、次の割れた窓ガラスへと移っていった。
夕日に暖められたぬるい風が気持ちいい。思い切り鼻から吸い込むと、目から涙が押し出された。でも、それもすぐに乾いていく。
一羽の鳥が脇をすり抜けた。風に乗り、あっという間に前方へと消えていく。
番子はふっと力を抜いて、両の手を広げた。プリンセスナイトとしての力も抜いて、あとはひたすら自然落下。
城の西棟の最上部が焼けて、ダンスホールがむき出しになっていた。番子は変身を解いて、静かにそこへ降り立った。二本の金の尾を引いて、白のエプロンから煤を払って。
一陣の風に流されて翻った彼の前髪がいやに目立つ。片眼鏡の奥で見開かれたままの小さな瞳が、らしくない。顔の下半分を覆うベールのようなマスクがはためいて、ちらりと見えた彼の口は、やはり驚いた表情を形作っていた。
番子は居住まいを正し、メイドドレスの裾を軽く持ち上げた。
「ユカリコ姫様からの、贈り物をお持ちいたしました。ハル王子様」
そう言ってメイドらしく、楚々として軽く膝を折って。
「君は……」
彼――ハル王子の短い問いに、番子は深呼吸をすると、胸を張ってうなずいた。
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