縋る思い<4>

 羽ステッキにまたがり空を飛ぶプリンセスナイトは、王城の周囲を飛びながら、開いている窓を探していた。


 城壁に張り付いていた黒影は、あらかた消すことができた。そろそろ一度、中の様子を見てみないと――死傷者はいないだろうか……


「あれはっ――!」


 王城最上階周辺まで上がったところだった。真っ赤な外套を着た国王に、王妃、ユカリコ姫、そしてその前で息を上げる近衛兵たちの前、一人、狂乱したように剣を振るう、青い鎧の騎士がいた。


「――ソラト――っ!!」


 これが自分の役目であるかのように彼は、居並ぶ近衛たちを頼ることもなく、黒影に立ち向かっていく。


「待ってて! 今行くから――」


 番子は自分も黒影退治に加わろうと急ぐ。それにしても、と思った。エリート兵であるという近衛兵は、なぜ指をくわえて見ているのか。でも、その理由はすぐにわかった。のまれているのだ。本当の戦闘というものに。


 加勢することもままならぬまま、ソラトがわずかに取り逃がした影を仕留める程度。


 ソラトは、もうほとんど本能的に動いていた。敵か味方かさえ、わかっていないほどに、見境なく突き進む。プリンセスナイトですら、うかつに近寄ると危ないほど。


 壁際後ろに控えた国王、王妃、姫という王族を狙う黒影は、立ちはだかるソラトを半円状に取り囲む。


 ソラトは、その状態を認識しながら、ただひたすら、目の前に波のように次々現れる黒影を、倒していった。倒す。それだけのために、腕を、足を、体を使う。この、錯乱状態ともいえるような状況に身を置きさえすれば、死ぬことはない。そんな自分への信頼が、ソラトの強さであるかのように。


 斧や、倒れた兵士から奪った剣を手にして向かってくる黒影。


「がっ――」


 骨に響くような衝撃とともに、ソラトの意識が遠のいた。ななめ後ろから、頭を殴られたようだ。よろけて振りあがる足。その足に畳み掛けるように、肉をすぱっと斬られる熱い感触があった。だが、止まるわけにはいかない。感覚的にでもいい……痛みなんか散り飛ばして、動かせ。そうすれば俺なら、あと一人二人は、やれるはず……。


「――ト! ソラト!」


 声が聞こえる。


「ソラト! もういい! 終わったわ! ソラト!!」

「へ……?」


 はっと我に返る。

 辺りは、変にがらんとしていた。


「まだ、まだ影がっ――」


 さっきまでそこらじゅうに、ほら、……あれ?


「もう、戦いは終わったから――ソラトとわたしが、やっつけたの! 止まって!! それ以上動いたら、本当にもう、壊れちゃうよ!!」


 プリンセスナイトに抱きとめられ、ソラトは酔ったように楽しく笑った。


「へへ……。おう。プリンセスナイトぉ……みろぉ、俺が、王家を守ってやったぜ。間違いなく『光鳩勲章』物の成果だろう……?」


 ばか! こんなときにまで……っ!


 番子が強く抱きしめた時、そう言い終えたソラトは、すっと気を失った。


 黒影に鈍器で頭を殴られたのが、今頃になって効いてきたらしい。そんなに強く殴られていながら、今まで気力だけで正気を保って動いていたという。むしろ、そっちの方が狂気だった。


「この剣士さんを、しばらく、休ませてあげて……」


 番子はソラトを床に寝かせると、近衛に向かってそう頼んだ。


 『光鳩勲章』に、それほどの価値があるものか。馬鹿らしいと思う人もいることだろう。けれど『光鳩勲章』を手に入れることがソラトの誇りであり、正真正銘、ソラトにここまでさせる原動力なのだろう。


 ――その気持はわからなくもなかった。


 国を守った一人のプリンセスナイトとして死にたい。


 それが自分の強さであり、弱さだとわかっていながら。


 誇り。


 何かをするには、誇りが必要なのだ。


 そう。たとえ今はもう、平メイドだなんて身分で日々を過ごしていても。


 近衛兵の奥。常人は同じ場所で空気を吸うことすらためらわれる、一国の主と目があった。重ねた歴史の深みをたたえた黄金色の瞳、獅子のごとき肩までの金髪、権威の象徴である王冠。そんな国王の傍らに立つのは、ユカリコ姫を思わせる淡い桜のような白銀色の、首下で消えるように真っ直ぐな髪をした、美しい妃。


 彼らはこの惨事にも取り乱した様子はない。だが傍観するでもなく、現状を脳裏に焼き付けるように、しっかりと目を開けていた。


「あの……」


 声をかけないでいられない。


「どうしてもお聞きしたいことが、ございます」


 だめだと、わかっている。でもここには、近衛兵と、王家しかいない。


「申してみよ」


 全身が総毛立つような王の声。それでも国王の瞳に、国王としてのもの以外の光が見えた気がした。


 この人は、国民の不満を力づくで抑えてまで己が栄えようなどと考えるものか。


 王の眼を見る。


「黒入道は――国民の不満不平、悲しみ、怒り、絶望からできているのですか」


 王妃の瞳を見る。


「この国をおつくりになった王家を壊すための、国民の武器だったのですか」


 それなら一体、私の戦う意味はなんですか。


 私をプリンセスナイトとして遣わした意味は――


「あなた」


 王妃が進み出た。懐かしい感じのするその声に泣きそうになる。


「たしかにまだそう見えるかもしれない」


 一歩踏み出し、真っ直ぐな髪が揺れた。


「でも王家の力で、この国をもっとよくしていきたいと思っているの」


 口元に、わずかに笑みさえも湛えて。


「そう――黒入道は王家を滅ぼすことができる。けれどそれは、不満をぶつけてすべてを破壊すること。すべてがゼロに戻るの。そういう平等なのよ」


 両の腕が開かれ、素手がドレスローブの袖からうつむきがちに出された。


「国を破壊して、平等をもたらしても、今度は敵国に攻め入られて、結局また支配される。その支配に喘ぎ、また黒入道を作って、ゼロにして……この島国はそんなふうに繰り返して統一されてきた。それで出来上がった最後の二つが、光の国と青き国」


 国民の不満から黒入道ができるなら、


「愚かなことだわ。わたしはそんなこと、わたしたちと、ユカリコたちの代で、終わりにしたいの。そのために、あなたには戦ってもらわなければならないの」


 その不満を真に取り除くのは王家の役目だ。その間、黒入道を足止めできるのは王兵とプリンセスナイトだけ。


 王妃は、さらに二、三歩歩み出て、番子の手を取った。


「たくさん勉強をしたわね」


 白く細々とした王妃の御手。このひんやり冷たくてどこか心和らぐ感触を、番子は知っている。それはなつかしさと共に。


「よく、頑張ったのね」


 香水と吐息の混じる、母の匂い。番子は両の手で王妃の手を包んだ。


「わたしも、一員……ですから」


 父様、母様。


 ――私も、光の国王家第一子として生まれた、王之はんなこ姫として。

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