第5章 縋る思い

縋る思い<1>

 城から離れ、街の空に出ると、雨雲のように真っ黒くもくもくとした雲が、街をなめるように闊歩していた。黒入道が通り過ぎた町は、突然の嵐に見舞われて、ざわつきとともに水にぬれて光っている。


 プリンセスナイトに変身した番子は、トトを振り払うようにして風を切って進んでいた。


 ――トト、あなたは隠していたのね。


 知らなかった。

 知らなかった。


 他でもない王の口から判明した事実。


 黒入道は天災ではない……黒入道は国民の……不満の……表れ? 怒りや悲しみ、絶望が、黒入道を生み出し、黒影となって暴れているなんて。


 あまりの事態に頭がくらくらした。


 この国が多くの犠牲の上に成り立っていることは知っているつもりだった。


 平メイドの労働環境は決して楽ではないが、しかしそれも食いっぱぐれないだけまだましな方。


 関所で切られた外れ町などは、その日に食べる物さえ事欠く人間であふれているし、生きるために盗みを働くことは当たり前、物乞いや、春を売り歩くことでしか生きていけない少女が大半だ。


 不満を抱くものが多く集まる場所から生まれ、一直線に王都――王家の住む城へと向かってくるのが黒入道……武力で制圧され武器や自由な思想さえ許されない国民が、一矢報いる唯一にして最大の希望の武器――一部に苦しい生活を強いて、既得権益を必死に守ろうとする国のしくみを壊し、平等を手に入れるための武器が、黒入道であり、黒影であるのだと。


 「光の国」の光とは希望であり、「黒入道」「黒影」は影とは名ばかりで、事実は全くの逆だった。影こそが、国民の希望であり光だったのだ。


 黒入道を前にして番子は、いつもと違うような感じを覚えた。


 空が、狭い。


 黒入道が……異様に大きい? 違う。大きく見えるのだ。もう……すぐ近くにいるせいで。


 城を囲う、王都のすぐそば。雲の動きが早かった。風に流されるようにして街を駆け抜け、一気に王都へ向かっている。


 このままじゃ――


 番子は長い髪の直線の軌跡を残して、羽ステッキで空高く飛び上がる。そして慣性で重力に逆らって空中にとどまる間に羽ステッキから降り、


「ええええええい!」


 杖を振り上げ、急降下。一筋の光線のように、まっすぐ黒入道を貫いていく。受けた黒入道は、切り口から砂ようにさらさらと崩れ落ち、無数の黒影となって街に広がっていった。街へと広がりゆく黒影を空から見ると、水たまりのようにたまっているのがわかる。


 今頃、街では出動した外衛の騎士たちと戦闘が繰り広げられていることだろう。


 番子はそれを念頭に置きながら、大部分を失いながらもまだ動いている雲に羽を振っていく。


 斬撃を逃れ千切れ雲のように空に取り残されていた部位は、ふわふわと浮きながら、それぞれ引き寄せられるようにして再びくっつく。番子は大まかに、徐々にその体積を減らしていく。


 真っ黒な雨を降らす雲の中から、あたりを一瞬だけ明るく照らすいかずちのごとく、プリンセスナイトは黒々とした空を切り裂いていく。


「くっ――」


 黒入道の直下に、大きな門――通称、大王門が見えた。それは、王都へ黒入道の侵入を許してしまったということを示していた。


(なにこれ……! やっぱりこの雲! 早すぎる――!)


 このままでは王都の被害が大きくなりすぎてしまう。番子は、今日だけは自分も最初から最後まで外衛の黒影退治に加わることを決意し、黒入道を浄化していくスピードを上げた。空にいても、王都からの悲鳴が聞こえてきそうだ。


(外衛さんたち、ごめんね! ちょっとだけ耐えて!)


 実際、地上はまさしく戦場だった。


 しかも、王都に住む人間は黒影から避難することに慣れていない平和ボケした貴族ばかりである。迫りくる雨嵐と、闇の中からぬらりと現れる黒影に恐れおののくあまり、腰が抜けてまだ家に入ることすらできていない者、造りのいい頑丈な家を持っているにもかかわらず、一瞬でも扉を開けることを恐れて助けを求める声に非協力的な者、この土壇場で金をちらつかせ、プリンセスナイト以外に唯一黒影を斬る手段を持つ国軍兵士を私有化し、自分だけ助かろうとする者までいた。


「やりにくいな……」


 黒影に、周囲を絶望的に取り囲まれるたび、奇跡の殲滅を可能にする――明らかに他の騎士と強さの違う一人の剣士・ソラト――困窮した王都でも目立っていた彼は参っていた。


 黒影に対してではない。その貴族たちに。


 まだ直接的な危険が及んでいないにもかかわらず、窓から金と顔を出して「金はやるから私を守ってくれ!!」と懇願してくる彼らを、嫌な汗をぬぐうように無視しながら、ぶつけるように影へと剣を振った。


「なんとしてでも止めろ! 城内へだけは侵入を許すんじゃないぞ!」


 団長から檄が飛ぶ。


 それはこの場にいる外衛全員がわかっていることだった。


 次から次へと、これまでに類を見ないほどの急激な勢いで黒影の数が増えていく理由もそのため。街を守れ、王都を守れ、城を守れ。それにしても、対処しきれるのか――!? と、騎士たちの表情にも不安の色が差してきた。


 そこへ、


「みんな、お待たせ」


 朝焼けのように薄暗い中、まばゆい光明とともに、羽を散らして白い少女が降り立つ。


「プリンセスナイトだ!」


 誰かが叫び、その声を聞いたものは反射的に上を向く。


 闇のような雲を散らし、暖かく明るい陽をもたらしながら、羽ステッキに座って微笑みをたたえてゆっくりと。天使のような清らかさと、女神のような温かさで、彼女は地に降り立つ。


「「プリンセスナイト!」」

「ありがたい!」

「助かった! 早く何とかしてくれ!」


 さすがに今回ばかりは体裁も何もあったものではないというように、騎士たちはプリンセスナイトの浄化能力を頼ろうとした。プリンセスナイトならば一瞬杖を振るだけで、一気に複数の影を倒すことができる。


(……皆は知っていたのかな)


 おそらく、知らないだろう。


 私たちは、国を守ってはいても、国民を守っている存在などではないことを。


「はな様! 新しい黒入道がっ――」

「えっ!?」


 空を巡回していたトトが、戻ってくるなり言い放つ。番子はまともに浄化もできないままに、再び空を見上げる。


 まさか、そんなことが!?


 だが、たしかに。遠く街の方、ゆらゆら、ゆらゆらと遠くに黒入道が現れていた。


「同時にっ!? こんなことって!」


 そしてまた、強風に乗ったように勢いよくこちらに向かってくるのだ。


「ごめん! やっぱり、行かなきゃ……!」


 番子は絶望する傷ついた剣士や住民を地上に残し、もう一度空へと高く飛び立った。


 黒入道がこんなに短い間隔で現れるのはこれが初めてだ。ただでさえ今日は王都で黒影が暴れていて、プリンセスナイトが黒影撃退に加わることを、待たれている日だというのに。王子も来国している、こんな日に限って――。


 だが、どんなときでも被害を最小限に食い止めるということをあきらめるわけにはいかない。嘆いている時間があったら、何か、策を講じなくてはならない。


「えええええいっ!」


 ひたすらに、黒入道を浄化していく。だがそれだけじゃ軍の数が間に合わない。


 どうする!?

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