光と影<5>

 ひたすらに階段を下りて渡り廊下を渡って今度は階段を上っていくと、踊り場でユカリコ姫が手招きしていた。この廊下は、たしかユカリコ姫の私室へと続いている。番子を引き渡すミイに、ユカリコが「ありがと☆」と声をかける。


「いえ……」


 ミイはもじもじと照れて顔を赤くしたが、それは同時に姫からの別れの挨拶だった。王子が自由な時間は限られていて、準備のできる時間も限られる。急がなければ。


「さ、さーて! 準備しなくっちゃ!」

「は、はいっ」

「王子に贈り物を、こっそり渡すのよ~♪ それには、まず、あたしのお色直しからよね☆ ちょっと付いてきて」

「はい~っ!」


 しらじらしい小芝居を打って、番子とユカリコ姫は、急いで私室へと飛びこんだ。内側から鍵をかける。


 重々しい天蓋付きのベッドの前を通り、歴史や経済や哲学書なんかの難しそうな本の詰まった本棚の横の白いクローゼットを開ける。豪華絢爛なドレスがズラリ。室内は真紅のカーテンと絨毯以外はすべて白とピンク系統でまとめられていて、ドレスもその色合いのものが多かったが、それでも、毎日ちがう服を着たとしても一年は過ごせるのではないかという数だ。割合さえ無視すれば、その他の色も豊富。どんなものでもある。選ぶのにかなり時間がかかりそうだった。


「好きなものを決めたら、着替えて! ここを出ていくとき、私が先に行って様子を見るわ! 人がいたら、追い払ってあげるから……、その隙に、西棟に行くのよっ❤」

「あ、ありがとう!」


 番子は目がくらむようなドレスの中から、自分に似合うと思うものを手さぐりで探し出していく。


 髪が金色だから、白や黒などはまず似合う。思い切って、ませた真紅のドレスなんてのも魅力的かもしれない。だが、不意を突いて深緑のドレスなんてのもどうだろう。そこに黒のレース物を織り交ぜたらますます引き立つだろう。ああでも、これは形が好みじゃないな……。


 腰までの髪を活かして大胆に巻いたりして、ドレスはフリルの少ないシンプルなものも面白いかも……? いや、せっかくならドレスはうんと派手なものにして、髪はすっきり上にまとめようか。


 ああ、選択肢が多すぎて決められない。


 実は、こうなることがわかっていて、ここ一週間ほどユカリコ姫に番子に合うようなドレスを日替わりで着て過ごしてもらっていた。


 だが、次から次へと新しいドレスが出てくるので、結局決められずにいた。それで、もう仕方がないから当日の直感で選ぶことになっていた……ものの、やはり迷う。


「ばんこちゃん、まだかしら?」


 ユカリコ姫が気遣わしげにこっちを伺ってくる。出しっぱなしのドレスが、ソファに何着もかかっている。


「ご、ごめんね……! 散らかしちゃって……ええと、あまりにたくさんあって、その~……」

「あら?」


 その光景を見回したユカリコ姫は、きょとんとしたように首をかしげた。


「……ピンクは?」

「ええっ、ピンク?」


 出しているのは白、黒、赤、緑――その他には水色やオレンジ色などのドレス。


 ……そういえばユカリコ姫が普段着ていて見慣れた桃色のドレスは、選択肢になかった。ユカリコ姫の好みの色として被せないよう、無意識に遠慮して避けていたのかもしれない。


「べつに桃色はあたしの専売特許ってわけじゃないし★ ばんこちゃんが着てもかわいいんじゃない?」


 ピンクかあ……。


 クローゼットを見たら、まだ手つかずのドレスが半分ほど残っていたが、ほとんどが桃色だ。


「これ、着てみる……」


 ちろちろと細やかなレースが特徴的な、淡い色合いの薄桃色ドレス。恐る恐る、というように着てみた。


「まあ。似合うじゃない❤」


 ユカリコ姫が後ろの金具を留めてくれる。


「ちょっと、畏れ多い感じ……」


 ――なんだか、これではまるでユカリコ姫のようだ。番子は普段、こんなにかわいらしい色に包まれることなどそうはない。けれど、今日くらいは。


「ありがとう。……借りるね。これにしたいな」

「はぁい」


 ユカリコ姫は言うが早いか、ドレスに合うような髪型をすぐに作ってくれた。片方の耳元の一筋の髪を、細く編んで少女のように。全体の髪は、三つ編みをほどいたようなゆるいウェーブを描いて。その上には、銀色のティアラを戴いた。髪が終われば、顔には丁寧に粉をはたいて肌をなめらかにし、ぷるんと淡い色合いの口紅を引いてくれた。


「うんっ♪ かわいい、かわいい」


 満足げに、ユカリコ姫が頷く。


「ありがと☆」

「あら、口調が移った? うふ❤」


 ユカリコ姫も今日は桃色のドレスだ。まるでお揃い。この光景だけを見たら、仲のいい姉妹が、一緒の部屋で着飾りあって遊んでいるように映るだろう。お互いの髪や、髪飾り、ドレスのデザインが少しずつ違うのを、楽しむように。


「もう、王子が待ってるわっ。さあ、早く」


 ユカリコ姫は元気よく扉を開け放つと、先に駆けていった。あたりに人がいないのを確認しては、進んでいく。人がいたら、番子が通る前に用事を頼んでどこかへやらなければならない。番子はそっと扉の影から見守り、時間を置いて、出発した。人気のない廊下を、そそくさと歩く。このまま、西棟へと一人で無事につかなくては――。


 ユカリコ姫と一緒に移動することも考えた。しかしそれでは、いざというとき守ってはもらえるものの、目立ってしまって一緒にいるのがメイドの番子だとバレる可能性の方が上がってしまうと思い、却下していた。


「あら、失礼。こんにちは、えと……あ、初めまして?」


 びくっ。


 廊下を曲がったとき、出会いがしらに、黒のドレスを纏った三十代ほどの貴族の女性にさっそく話しかけられてしまった。


「光之はんなこでございます。こんにちは」


 素知らぬ顔で、番子は適当に名を名乗った。そこまではよかったが、さらにつっこまれるとまずい。だが、番子にはある武器があった。


「……北家の――北之ミヨ様、ですよね。いつもお世話になっております」

「!」


 彼女の顔が、こわばるのが見えた。


「あ、……失礼、光之はんなこ様。忘れていたわけではなくてよ?」

「はい。ありがとうございます」


 番子はにっこり笑って、そっと道を譲る。すると、彼女は逃げるように、ぱたぱたと忙しげに駆けていった。


「ふう……」


 番子はため息をついて、ドレスグローブで額の汗をぬぐった。貴族はとにかく人付き合いが大切だ。一度会った人の顔と名前を忘れるなんて失礼の極みである。


「北之ミヨ様……名前、覚えていてよかった……」


 ほっと胸をなでおろす。日頃の勤勉が、報われた気がした。貴族だったらあいさつをして、名前を言い当てるだけで向こうから逃げていくし、メイドだったら澄ました顔で通り過ぎるだけだ。そんな回避法で、なんとか進んでいくことができた。


 ズッズッズッコツ……


 また人が来る。前から。あの曲がり角から。番子は緊張したが、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。


(だいじょーぶ! 心を落ち着かせて、同じことをやるだけ……! おんなじ、おんなじ!)


 だが、番子は足を止めざるを得なかった。


 まさか……。


(この歩き方……間違い……ない……)


 何かをずるずるとひきずるような、絨毯と布の擦れる音。それは、足元まで覆い隠す真紅のローブだろう。そして、コツ、と重く響く音は、杖を付く音だ。そんなローブを身にまとい、杖を付いて歩く人は、この城の中で一人しかいない。


 国王様……。


 気がつくと同時に番子は近くのドアに飛びこんでいた。


 番子が今着ているのはユカリコ姫のドレスだ。ユカリコ姫は国王様の実の娘。姫は毎日ちがうドレスを着ているとはいえ、番子がそのドレスを借りていることを気付かれてしまうかもしれない――などと危機感を持ったわけではない。王様を前にして、番子にそんな余裕などどこにもなかった。


 ぱたんという音がして、国王が隣の執務室に入っていくことがわかった。番子は王子との約束に遅れてしまわないよう気にしつつも、息をひそめ、耳をそばたてた。王様と誰か――大臣だろうか、二人の話が聞こえてくるのだ。


「昨日、小競り合いがあったそうだな」

「はい、そのようです。兵士が、襲い来る黒影からその者を守った際、不遜な態度をとったことを注意したそうなのですが――」


 はっとした。これは、まさしく昨日番子が遭遇した事件だ。


「――するとその者は突如激昂し、自分は黒入道の正体を知っている、感謝などするものか、善人ぶって助けた気になるな、諸悪の根源は王家、……などと大声で叫び、愚弄したようです」

「其の者は」

「はい。その日中に、見せしめに処刑いたしました。しかし噂は相当な広まりを見せているとの報告がありました。ただ、――もとより噂は広まっていて、今回はその一部分が表面化しただけのことかと」

「うむ……。だろうな……」


 低く唸るような国王の声。


「プリンセスナイトの正体は?」

「正確にはわかりませんが、そこまではまだ知れ渡ってはいないようです。少なくとも、表立っては」

「そうか……。最低でも、そこだけは隠し抜かねば……その力までも保持しているのが王家と知れれば、どんな絶望の形を生み出すかわからぬ」


 国王の口から出たプリンセスナイトという言葉を聞き、番子はますますその場から動くことができなくなってしまった。


「しかし、武力で押さえつけて封じるも、限度がございます。やはり最終的には、民の口に戸はたてられませぬ」


 臣下の進言に、国王は「そうだな……」と苦々しく肯くと、こう続けた。


「国民の不満から生成され、王家を潰す黒入道か……」


 息をするのも忘れて目を見開く番子を、じっと見つめる一つの影。バルコニーの外に広がる風景。その手すりに、トトが止まってこちらをじっと見ていた。声をかけることなく、音も立てず。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る