城での暮らし<10>

 ユカリコに見送られ、番子は歩きづらいドレスを、しかし感覚を取り戻したように裾を軽く持ち上げて、走っていった。直系の王族の誕生祭だけあって、貴族や来国者の人の出入りも激しい。姫のように着飾った見知らぬ若い女性が城内をうろついていたとしても、誰も引きとめてわざわざ身元を確認したりしない。番子の知り合いのような身分の者は、その日は忙しいあまり、こんなところにいないことも知っていた。


 ハルくんは、もう来てるかな。


 あと少し、もう少し……とメイクに手を加えてもらっていたら、つい遅くなってしまった。


 なんらかの理由を付けてユカリコ姫の指示で立ち入り禁止にしてもらった、西棟の最上階。画廊を走り抜け、突き当りの大扉を開けると、目の覚めるような広大な視界が広がった。人気のない、がらんどうとしたダンスホール。


 ただ一人――その中心。


「あ……」


 振り向くのは、いつものあの人。

 異国の雰囲気。


 やわらかそうなブラウンの前髪の間からは、王冠の代わりに下げられた大粒のサファイアブルーの宝石がのぞき、そこから大きな一枚の羽根が逆立っている。口元は白布で覆われ、左の耳の上あたりからは、細かい刺繍の施された飾り布が垂れていて、隣の国の古の文化であるターバンの名残りを思わせる。暖かな南の気候に育てられた彼の国の衣文化。そこに、寒い光の国に合わせて、華やかな軍服に、厚手のコートと、外套として深みのある色をしたマントを羽織っている。体の一部であるかのように馴染んでいる片眼鏡モノクルをかけた、どこかほっと落ち着く、聡明そうな優しい顔。


 そこには、ハルの変わらぬ姿があった。


 彼はこちらを見つめ、止まっていた時を動かすかのように、


「はなちゃん!」


 はじける声。


「ハルくん!」


 その声に、同じくぜんまいをまかれたように、番子は知らぬ前に止まっていた足を動かした。初めはこわごわと、徐々に早く――


 両手を抱擁の形に広げて待つ王子に、番子はとまどいながら飛びこんだ。


 どれくらいの長い時間、二人抱き合っていたのか。王子はそっとひき離し、今度は正面からゆっくり番子の顔を見つめた。


「びっくりしたよ。君がまた、綺麗になっているから……」

「似合って……る、かな?」

「そんなの……」


 言葉にならないと言ったように、何度も力なく首を振る。そしていとおしげに、毛先のカールを指で梳いて弾ませる。その先を追うように、視線を落としていく。


「素敵なドレス……」


 純白の幾重ものレース生地に、細やかな金の刺繍が施されている。広がったスカートには、金の糸束のような豪華な巻き髪が飾りのように垂れる。


「でも、きっと君が着ているからだね」


 口元の布を少しずらして微笑みを見せながら、気障なセリフを真顔で言う。番子はつい、顔をほころばせた。その時、油断して裾を踏み、躓いてしまった。


「あっ」


 でも、受け止める王子は馬鹿になどしない。それどころか、


「ほら、ドレスも嬉しくてはしゃいでる」


 なんて言って――


「ね。今度は踊りだした」


 取った手をぐいと引いて、勝手に流れを作り出す。番子は照れくさがる隙すら与えてもらえない。物腰やわらかで、豊かなリズムが生まれ――


 その時そっと、添えるように静かな音楽がかかった。王子が自国より連れてきた音楽隊の少数精鋭だ。ダンスは王子にとって生活の一部なのだろう。音楽が盛り上がってきたところで、そっと優しく腰を抱き寄せる指。回る視界。ふわりと浮いているような心地。体全体が、空気が、口より雄弁に愛の言葉を浴びせてきた。


 それにしも一体――ハルくんは、どうしてこんなにも私を、愛してくれるんだろう……?


 私のどこに、そんな魅力があるというのだろう。


 二人の恋は、なにもかもが楽しくうまくいっているわけではなかった。

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