不調IH

「――」

 呼びかける相手は目を閉じ黙したまま何の反応も示さない。 

「――」

「?」

 繰り返し呼びかける声に、瞼が僅かに震えて反応を見せる。

「――IH」

 やっと呼び声を認識して目を開けた。焦点の定まらない虚ろな目をこちらに向けて彼は首を傾げる。

「何」

「これ、お願い」

 差し出すのは水の入った薬缶。

 ああ、と頷いて白い手袋をした手が薬缶を受け取った。起動した彼の目が赤く点る。

「最近どうしたの、反応鈍くない」

「そうだね」

 両手で抱えた薬缶に目を落としてIHは己の不調を肯定する。

「電源用の電池切れとか?」

 ガスコンロだと点火用に電池が組み込まれている。同じようにIHにも起動用に電池が組み込まれているのではないか。その電池が切れたから、最近反応が鈍いのでは。

「でも電気ならコードで供給受けてるからね」

 挙げられた可能性に、当人は緩く首を横に振った。明度の低い赤の瞳がこちらをみる。動きだしてしまえば、こんなに普通に仕事をするのに。

「それじゃあ、やっぱりあんた自身の不調なのか」

「かもね」

 気にした風もなくIHは再び薬缶に目を落とす。彼の手の中で沸騰に向かう水がざりざりと音を立てて震えている。

 調子の悪い機械はどうなるだろう。

「修理かな」

「丸ごと交換かもよ」

「人が気を遣って言わなかったことを」

「あはは」

 自分の行く末の話だというのにIHが薬缶を抱いて笑うから、私もマグカップにインスタントコーヒーの粉末を出しながら、何でもないことであるように言う。

「来月、この部屋から出るよ」

「そう」

 入居者が部屋を引き払った後はメンテナンスが入る。掃除が行き届いていなかった所は汚れを落とされ、調子の悪くなっている所は修理や交換などの手が入る。

「何、愛着湧いちゃったの」

 面白そうに笑うIHの手で、薬缶の水はすっかり沸騰している。

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擬人化小話 傍井木綿 @yukimomen

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