実験家族

ヤナギサワ カズキ

実験家族


夏休みにはいってから、僕の家族は父さんの一声でちょっと変わった生活をしている。




変わっているといっても、実際は極めて退屈だ。父さんは部屋に籠ってずっと仕事の事を考えているだけ、母さんは居間の隅で終日編み物をしている。


妹は僕ら家族のために食事を運んでくる以外は、居間でマーベル映画をずっと見ているだけだ。妹のジェシーは僕の体感上、夏休み前に比べ巨大化しており、ジェシーに踏まれないように家の中を慎重に移動しなければならない。まるでカフカの小説みたいだ。


父さんはきっと面白い夏休みになるといったが、僕にとっては家族で引きこもっているだけで、ジェシーの巨大化以外なにも事件が起こらないため、正直期待を裏切られた気分だった。





しかし、夏休みに入って1ヵ月、衝撃的な事件が起こった。


母さんが父さんを捕食したのだ。


僕が朝起きて、居間までいくと母さんの編み物の横に父さんの足が4本散らばっており、母さんの編み物の中でに父さんの頭部が絡まり、父さんの5つ目の目がぼくの方をギロッと見ていた。


母さんは、僕を見るなり腹部からヒュッと糸をはきだした。僕は糸をみると、糸には母さんのメッセージが書かれていた。




《ジェシーが毎日持ってきてくれるショウジョウバエは全く食欲がわかないわ。だから我慢できずに、さっきお父さんを食べちゃった。やっぱり生命本能への抗体が希薄みたい。お願いだけどジェシーに実験中止の合図をしてくれる?》




僕もいつ母さんに捕食されるかわからない。僕は慌ててジェシーの部屋に行き、ジェシーの右手にそっと糸をはき出した。


「あ!お兄ちゃん。やっと終わったんだね。あー退屈だった。それじゃ、アトラクトするね」


ジェシーは僕の糸に気づくと、地響きを立てながら父の部屋に行き、部屋にある父のハイパーネーション・カプセルを操作し始めた。





僕はㇵッと目が覚めた。横をみると父さんと母さんはすでにハイパーネーション・カプセルからでていた。


僕もカプセルからでると、父さんと母さんが口論をしていた。


「母さん、たしかに蜘蛛に痛覚神経がないから、僕は母さんに食べられても痛みは感じなかったよ。だけど、何も言わず突然僕を食べないでくれよ。ジェシーが僕の脳に信号を送って、意識を人体に戻すのがあと数秒遅かったら、僕の意識は居間にあるあの蜘蛛の死骸ととともに二度と戻らなかったかもしれないんだぞ。」


「あらそう。でもね、あなた生物学者の端くれとしてとして、蜘蛛は自ら捕らえた獲物以外は本能的に食欲がわかないこと、雌蜘蛛が雄蜘蛛を捕食することぐらい知っていて当然でしょ?あなたの前提条件の認識があますぎるわ」




僕の家は代々生物学や生命工学を専攻する科学者ファミリーである。母さんは昆虫学者、父さんは神経科学者、妹と僕は大学でそれぞれ生物学と工学を専攻している。米国政府がSTEM教育を推進するようになって35年がたった今、僕らのような一家はさほど珍しくない。




しかし、『人間の意識を環境適応能力の高い昆虫に転移することで、今後の地球環境の劇的な変化の中でも保全させる』などというぶっとんだ命題を掲げ、家族全体を巻き込んで実験するクレイジーな一家は僕の両親以外にいるはずもないだろう。




昆虫の神経細胞の数は人間細胞の数は1万分の1しかなく、脳機能が異なりすぎるため、昆虫と人間の脳の比較実験はこれまで活発に行われてこなかった。しかし、夏休み前、母さんが昆虫の脳内にあるオクトパミンにある一定の電気信号を与えると神経細胞が爆発的に増え、人間と同程度の情報処理能力を持てる可能性を発見し論文に公表した。父さんは母さんの研究に目をつけ、自身が開発したBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)によって被験体である僕、父さん、母さん脳内意識を3匹のクモに共有させ、ジェシーにBMI及び僕らの肉体を保管するハイパーネーション・カプセルの管理を任せた。





父さんと母さんの口論は白熱し始め、いよいよ専門的過ぎてついていけない話にはいってしまった。


僕は隣にいたジェシーと顔を合わせた。ジェシーは肩をすくめ、二人の間に入った。


「二人とも、今回のことは一旦お互い水に流そうよ。多分、実験で使った蜘蛛がよくなかったかもしれないね。糸の繊維のパターン構造から言語を生成してコミュニケーションをとるっていうお母さんの着想はよかったけど、蜘蛛の関節は脆いし今回みたいに共食いのリスクがあるじゃない?だから、次は丈夫で共食いのリスクが低いクマムシかゴキブリあたりで試してみたらどうかな?」


父さんと母さんはそれを聞き、納得したようにお互いに顔を合わせた。


僕の家だったらグレゴール・ザムザも絶望せずにすんだかもしれない。

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