少女にお疲れ様

赤木入伽

少女にお疲れ様

「ありがとね」


「頑張れよ」


 放課後だというのに、そんな声が教室から聞こえた。


 ただ、その声の主が誰だか、私にはすぐにわかった。


 実際、すぐにその片方が教室から出てきて、それは予想通りだった。


 去年から一緒のクラスメイトで、男子から大人気の可愛い可愛い女子だった。


 これが「ありがとね」の声の主だ。


 私は「やっほー」と適当な挨拶をし、相手も「やっほー」と適当に適当を返してくれた。


 だけど、なにか用事でもあるのか、さっさと走り去ってしまった。


 廊下は走っちゃいけないのに。


 ただ、こうなると残り物の「頑張れよ」が教室に残っているはずなので、私は教室に入るなり声を出した。


「やっほー、有沙」


「おっ、奈々子。やっほー」


 私が教室に入ると、こちらの声の主も予想通りであり、また適当に適当を返してくれた。


「なにしてんだ、こんな時間に」


「忘れ物」


 言って私は机の脇にかかった鞄を取る。


「お前、忘れ物ってその鞄か? じゃあ、お前手ぶらで下校したのか?」


「うん。家について――あ、鞄忘れたって思い出したの」


「まったく、相変わらずお前はマイペースだな。ま、それがお前のいいところでもあるけどな」


 そう言って有沙は、髪の毛をかきあげた。


 とてもかっこいい仕草だ。


 有沙は女子に人気のある女子だ。


 背が高く、かっこよく、男前で、かっこよく、なんでもできて、かっこいいからだ。


 ちなみに私も憧れているけど、私とは幼馴染。


 よく羨ましがられる。


 誇らしい。


「今の、また相談事?」


 私はさっき出ていった子を思い出して問う。


「ん? ああ。まったく、参っちまうよ。あいつ、今月で四度目だぜ」


 有沙は肩をすくめ、私は「ふーん」と相槌を打った。


 相談事とは、端的に言うと好き嫌いの話だ。


 有沙はかっこいいので、そういった相談事をよくされる。


「ふぅむ。お疲れ様だったね」


 私は言いながら、鞄をごそごそし、スニッカーズを有沙に手渡す。


「これが報酬? ま、ありがたく。つっても、基本的には愚痴を聞いているだけでいいんだけどな」


 有沙はスニッカーズを男らしく大きな口で齧りつく。


「それで――、大変だな、気持ちはわかる、一発代わりに殴ってやろうか、とか共感の言葉を並べればいいんだ」


「有沙、手慣れてるね。流れ作業みたい」


「確かにそうだけど、流れ作業ってのはなぁ」


 有沙は歯を見せて苦笑すると、窓の外を見た。


 かっこいい有沙が外を見ていると絵になる。


 ただ、ここで風が有沙の髪をなびかせてくれたら百点なのだけど。


「流れ作業じゃない?」


「いやまあ、うん」


 私が問うと、有沙は困ったように言う。


「流れ作業でもいいんだよ。あいつは結局別れる気はないんだし。最終的には惚気聞いてる気分になるんだよ。まったく参っちまうよ、あいつには」


 さっきと同じことを言う。


 私はそれにさっきと同じように「ふーん」と相槌を打った。


 そして、有沙が窓の外を向いたままだったのを私は確認。


 たっぷり五秒。


 私は忘れ物だった鞄を机に置く。


「ねえ、有沙」


「なんだ?」


「お疲れ様」


「ん? おお。さっき聞いたぜ」


「そうじゃなくて――」


 私は、おもむろに有沙を肩を引っ張り、私の方へ向けさせて、


 抱きしめる。


 本当はその顔を胸に抱きたかったけど、身長差でそれは諦めるしかなかった。


「お、おい……、奈々子?」


 私は有沙をぎゅぅと抱きしめた。


 有沙は運動部だから、ちょっと抱き心地が硬かった。


「どうした? なにか嫌なことでもあったか?」


 有沙は困惑している。


 けれど私は抱きしめたまま言う。


「お疲れ様だったね」


「いや、だから――」


「お疲れ様、だったね」


 私が言うと、有沙は黙った。


 しばらく黙っていたけれど、


「……ああ」


 と、絞り出すように返事をした。


 そして、


「奈々子、悪いけど――」


 有沙は私の腕をほどくと、その場で膝をついて、


「胸、貸してくれるか?」


 うつむきながら言ったので、私は有沙の頭を抱きしめた。


 有沙も私を抱きしめた。


 けど、また黙ってしまった。


 小さな呼吸だけが聞こえる。


 顔も見えないけど、有沙は見られたくないんだろう。


 有沙はかっこいいから、かっこ悪い姿はなかなか人には見せない。


 たまにスポーツで失敗しても、すぐに挽回してみせる。


 とってもかっこいい。


 だけど、幼馴染の私は知っている。


 有沙はかっこよくて、臆病で、かっこよくて、臆病で、かっこよくて、臆病だった。


 昔から身長があってかっこよかったけど、そう思われるから、私や他のみんなが憧れるから、有沙はかっこよくあろうって頑張っていただけだ。


 だから、有沙は好きな人ができても、告白できなかった。


 しかも好きな人に別の好きな人がいるって知ったら、自分は勝てないと思って距離を置いた。


 しかもしかも、自分が好きになった相手が自分と同じ女の子だったら、その時点で諦めた。


 臆病だから、何もしなかった。


 だって言うのに、その子から相談事をされれば、かっこいい有沙は聞いてしまう。


 それが恋愛相談だとしても、一ヶ月に四度だって聞いてしまう。


 かっこいいから。


「有沙、平気?」


 けっこう長い時間、抱きしめていて、私もいいかげん疲れてしまったので、聞いてみた。


 すると、少しだけ時間がかかったけど、「ありがとう」と言って、有沙は離れた。


 その目はちょっと赤くて、私のシャツの胸元も少し濡れていた。


「有沙。私も少し休憩したら、もう一回抱きしめてあげるけど」


 私は言って両腕を開いてみたが、有沙は立ち上がって髪をかきあげた。


「いや、もう大丈夫だ。本当にありがとうな」


 有沙は笑顔を見せた。


 私にはそれが、まだ偽物っぽい感じがしたけれど、とりあえずは平気そうなので、「そっか」と頷いた。


「それならいいや」


 私は改めて鞄を手に取る。


 さすがにここで鞄を忘れるほど私もマイペースではない。


 だけど、


「それじゃ、また明日ね」


「この流れでもう帰るのかよ。ほんと、お前はマイペースだな」


 そう言われてしまった。


 せっかく慰めてあげたのに、ちょっと傷ついた。


 私は「ぷんすか、ぷんすか」と呟きながら、廊下へ歩きだした。


「おい、奈々子。どうした? 怒ったのか? 悪かったよ。待てよ。私も帰るから」


 有沙が後を追いかけてくる。


 今は煩わしいけど、いつもの調子だ。


 だから私は歩みを止めない。


 けど、有沙が横に並んできて、


「ありがとう……悪かった……お疲れ様」


 そう言ったので、少しだけ歩くのを止めた。


 有沙も私を追い抜いてしまったけど、少しだけ歩くのを止めた。


 少しだけだけど。


 私は「いいよ」と言って、また歩きだした。


 私はただ有沙のマネをしただけだ。


 有沙が、自分が好きな相手でも恋愛相談を受け付けるように、私は、自分が好きな人が失恋で悲しんでいたから抱きしめてあげただけ。


 マネしただけ。


 有沙はかっこいいから。


 たとえ有沙が、一人で勝手に失恋したりする臆病者でも、私からの告白を保留する臆病者でも、全部ひっくるめて好きだから。


 私は有沙に憧れているから。

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少女にお疲れ様 赤木入伽 @akagi-iruka

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