第5話 追及

 春樹の心臓が跳ね上がる。

 心臓の鼓動が速くなるたびに、血を運ぶ血管が強く脈打っているのを意識しなくも感じ取れる程に春樹は精神的に圧力が掛かる。

 春樹はここで言うことが、もう関係を持つことがないと思っていた、分と秋穂のこれからの関係を決定づける分水嶺だと直感する。

 息が荒くなるが、春樹は言葉を決めあぐねる。

 そして無言でいる春樹に代わり、秋穂が続けて口を開く。


「貴方は私の質問に答えながら、最初の驚いたことから論点を少しずつずらしているよね。しかもそれを意図的に」

「そ、そんなことないですよ。偶然ですよ」

「ううん。貴方は、最初の私に驚いたという事象に話題が行かない様に、自分の身の上は話とかして、自分のことに私の意識をずらそうとしていたよね」


 見抜かれていた。その事実が、更に春樹の心の中にある余裕を失わせていく。

 まるで、秋穂に見えない刃物を首に突き付けられたかの様に血の気は引き、春樹の顔は青くなり、背中には冷や汗が流れる。

 言葉も語気が強い訳でもなく、どこまでも変わらない温度のまま言う。

 だからこそ何も春樹は逆に不気味に感じてしまった。

 しかし秋穂の瞳にあるのは人を追い詰めているという実感を全く持っていない、悪意の欠片もない。そこにあるのは、ただただ純粋な好奇心に満ちたものだった。

 それ故に春樹は秋穂を騙すようなことを言うことに躊躇を覚える。

 

「それにいつも見ているなら私の靄を見たからって驚かないよね? それとも、貴方は靄が見えた相手全員に、自殺する?って聞くの?」


 今の状況を他の人が見れば、噂など信じないだろうと思える程に饒舌だった。

 秋穂は淡々と無自覚に追い詰めるかの様に自分が導き出した疑問の根拠を答える。

 理不尽なことは全くなく、論理的に出した答えは、良心の呵責で言葉を詰まらせる春樹には畳みかけられているように思えて来る。

 間違ったことは何も言ってない。

 春樹は、自分の失言を心の中で恨む。

 しかし、既に言ったことは引っ込めることは出来ない。

 春樹は恨み言を自分への恨み言をつらつらと内心で呟きながら、加速的に鼓動を速める心臓を落ち着けるために深呼吸をする。

 

「わ、分かりました。話します。話すのでちょっと待って下さい」


 目線を泳がしながらこれ以上追及され続けても心が持たないと判断して、一旦先輩の言葉を遮る。

 そして罪悪感から先輩とは目を合わせずに、少し斜め先を眺めながら話をする体制を整える。

 春樹は自分が本当に完璧な無機質人間ならば、こういう場面でも臆面無く話せるのにと思う。

 こういう時、春樹は、結局自分は周りに無関心なだけの小心者だと実感する。


「まず、見える靄には人によって大きさと濃さが違うんです」


 春樹が再び説明を始めると、先程まで真っ直ぐにこちらを見ていた秋穂の視線は、下に移る。

 腕を組みながら、顔を下に向けている。

 その体勢が秋穂にとって一番話に集中できる型なのだろうと、春樹は思いながら、続きを説明しようとする。

 靄の大きさは、抱えている不安がその人の心の中で占めている大きさであり、その不安の深刻度を表している。

 そして、春樹は秋穂に紫色に靄が見えていると言ったが、それは正確ではなかった。

 確かに基本色は紫であることは間違いなかったが、実は色には濃淡があり、その濃淡の度合いによって読み取れる感情が違っていた。

 大きなくくりでは春樹が共感覚によって見えているものは、相手が持つ不安というものだが、不安というマイナスの感情の中にも、その不安が何に対してなのか分かれている。

 春樹は、相手が何に対して不安を抱いているのかを色の濃淡で判断することが出来る。

 大きさと色の小さな違い。

 これによって、春樹は他人の感情状態を知ることが出来る。

 春樹がその事実を伝えるようと。


「まず、大きさは…」

「大きさはその人の悩みの大きさで、濃淡はその人の悩みの種類ってところかしら」

「?!」


 秋穂は春樹の言葉に被せて、自分の見解を話す。

 そして、それは全くの的外れと言う訳では無く、限りなく当たりに近いため、春樹も秋穂の言葉に驚きを隠せず、秋穂から少し外していた春樹の視線も、秋穂の方に無意識に向いてしまった。

 その際に、勢いで再び目が合うが、そこには、もう謎は解けたと言わんばかりに春樹の力への興味を失わせているように感じたが、元々表情が希薄故に、先程少しだけ違うと思ってしまう程度の小さなもののため、本当に興味を無くしたのか、別のことに移ったのか春樹自身は判断がつかない。

 

「さ、流石ですね。ほとんど正解です」

「ありがとう……考えるのは得意な方だから。でも、ほとんどってことは完璧ではないのよね」

「はい」


 春樹の称賛を素直に受け取り、少しだけ、本当に少しだけ、希薄な表情に得意げな笑みを浮かべると、秋穂は自分の解答が完璧でなかったことを認めながら、視線で暗に自分の解答の補足をするようにと、春樹に促す。

 春樹も秋穂の言葉の意図を汲み取り、説明をする。

 そして、全ての話を聞き終わると、秋穂は確認してくる。


「じゃあ。貴方には私の抱えてる不安の原因とその深刻が分かるの?」

「はい」


 秋穂の確認に、春樹は嘘偽りなく頷いた。

 そしてここまで情報が揃えば、秋穂が最初に会った際に、春樹の言った言葉の理由を想像するのも容易であった。

 

「つまり、貴方から見た私には、普通の人とは比較にならない大きな靄が視えているということね」

「そうです」

「それで、私が異常な程深刻な悩みを持ってると思ってついつい言ってしまったと?」

「その通りです」


 最初に春樹が秋穂を見た時の光景。

 それは今、秋穂が言った通りだった。

 普通の人には、まるで心を魅了させる絵画の様に見えるワンシーンに見えるかもしれない。

 しかし春樹の目には、その誰もが目を向けたくなる絵画みたいな光景に、黒みがかった深い紫色である、深紫で作られた絵の具で上塗りしたかの様な異様さがあった。

 まるで、絵を描いた画家が、描き間違えた失敗部分を怒りで塗り消したかのように、周辺と溶け込めていなかった。

 そして、それは秋穂の全身を包んでいた。

 秋穂だけを周りから切り離すかの様に。

 そんな光景がいきなり目の前に現れた春樹は、驚くしか出来なかった。

 今まで、そこまで歪な景色を見たことがなかったため、どうしたらいいのか分からなくなっていた。

 そして、動揺もしながらも、そこまで大きな不安を抱えた人間が今まで通り生活出来るとは思えなった。

 大抵の人間は、悩みを抱えてそれを吐き出さずにいると、自分の中で不安を大きくして、追い詰められる。

 だからこそ、そこまで大きくなったものを抱えていた秋穂を見た時、春樹は秋穂のことを自殺直前の追い詰められている状態だと考えてしまった。

 更に言うなら、誰もいないと思っていた部室に人がいたという驚きと、それが学校でも高嶺の花と思われていた枯葉姫と言うトリプルブッキング衝撃に、口を滑らせてしまった。

 それが、春樹から見た全てだった。


「驚かないんですね」

「何に?」

「こんな馬鹿げた話にですよ」


 今まで質問される側だけだった春樹が、今度は質問を返す。


「普通ならこんな話、信じにくいじゃないですか」


 春樹はどこか自虐的に質問をする。

 普通の人ならば笑い飛ばしてしまい、嘘だと断じることを、春樹の目の前に立つ秋穂は、春樹の言葉を疑わず、むしろその言葉を基に推察も行った。

 春樹は、何故秋穂が自分の言葉を信じられたのか気になった。 

 他人に無関心なことが多い春樹だったが、気にせずには言われなかった。


「確かに、普通なら信じられないよ」


 返って来た秋穂の言葉は、春樹の期待していた明るいものではなかった。

 春樹は一瞬、秋穂は面白いものとして聞いていただけであり、心の底から信じている訳ではないのだろうと考える。

 そして、春樹は内心落胆をしてしまう。

 しかし、その落胆はすぐにかき消された。

 

「でも、共感覚と言うものがあるのは前に聞いたことがあるし、貴方が話してくれたことの筋も通っていたからね……もしも貴方があの話をその場の思い付きで言ったなら、詐欺師の才能があるのだというしかないだろう」


 秋穂は、口元を僅かに綻ばせながら言葉を紡ぐ。

 その話し方は、どこか子供のように純粋でありながらも、悪戯心の混ざったもののように見えた。希薄な状態は変わらないので、本当に些細なものだったが、それでも自分の話を信じてくれた。

 その事実が春樹にとっては何よりも嬉しいものだった。

 そして秋穂は最後の理由と言わんばかりに一言添える。


「何より、貴方の私を見た時の反応が偽物だとは思えなかったから」


 どこまでも秋穂は淡々としたまま言ったが、淡々としているが故に無用な感情が薄い分、その言葉は信用に値するものだと……紛れもない本心だと春樹は思えた。

 春樹は胸が熱くなるのを感じた。

 その感情を最後に感じたのがいつ振りだろうかと想起してしまう程懐かしい気持ちに、春樹は涙を流しそうになったが、ぐっと堪えた。

 それでも感情の濁流は止まらず、先程までの警戒色が含まれていた春樹の顔には微かな緩みが出ていた。

 しかし春樹の警戒色が消える一方で、秋穂の表情は先程までのほんの少しだけ見せていた口元の緩みも無くなり、何ならば、今まで一番険しい雰囲気を発していた。

 

「どうしたんですか?」


 秋穂の気配に不穏なものを感じ取とり、春樹は再び質問を飛ばす。


「……」


 しかし秋穂からすぐに返答は返って来ず、代わりにもう見慣れてしまった、下向き腕組み姿を取る。

 一体なにを考えることがあるのだろうかと春樹の中で疑問が溢れる。

 既に春樹が取った秋穂への態度の原因を知った。これ以上何を悩むことがあるのだろうかと春樹は首を傾げる。

 春樹は数瞬疑問に悩んだがすぐに面倒になり、回答を待つ受け身を取ることに徹した。数十秒の後、秋穂の考えの結論が出来たのか、秋穂は口を開く。


「私は一体……何に不安を抱いているのかしら」

「えっ?!」


 秋穂が言っていることが分からなかった。

 春樹は人の不安を視て、何が原因か知ることが出来る。それでもその不安が生まれてた過程や、事情を知ることは出来ない。

 結局のところその不安については本人が一番自覚しており、詳しい。

 春樹にはその人の不安の表祖を視ているに過ぎない。

 本人よりも詳しく知ることはない。

 だからこそ秋穂の言葉には驚愕だった。

 誰よりも大きな不安を持っているのに、それについて本人が自覚していないというのは驚きを隠せない。

 しかし、秋穂は春樹の驚きをそっちのけで聞いてくる。


「ねぇ。私は……一体何に困っているのかしらね」

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シュレーディンガーの猫と僕 鶴宮 諭弦 @sao3104

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