第4話 共感覚

 世界が止まった。

 実際に世界が止まっている訳ではないが、春樹は世界の全てが止まったと感じた。

 少なくとも、春樹が認識出来る範囲のものは全て停止しているように思える。

 窓から入って来ていた風は一瞬冷たい風を運んできたと思ったらぴたりと止み、部屋に流れて来なくなり、外から聞こえた運動部の掛け声も丁度休憩時間にしたのか、学校中に響き渡っていた清々しい青春の声が聞こえなくなっていた。

 物が揺れる音すらしない静寂が部室内を満たす中、春樹の目の前では、枯葉姫こと湯島秋穂ゆじまあきほも無表情のまま固まっている。

 春樹の言葉に、怒ったり、体を震わしたりなどの反応をするでもなく、ただただ春樹を見つめたまま微動もせずにいた。

 春樹も、見えていたものの衝撃が大きかったとはいえ、自分が発言してしまったことの迂闊さに何も反応できなくなる。

 言った本人も固まり、何か言うのにも、切り出しづらい雰囲気になり、春樹は背筋から汗を大量に流す。

 しかし、いくら不用意な発言をした本人で、空気を止めたからといって、春樹自身その場の状態に我慢することにも限界があり、春樹は耐え兼ねて固まった口を動かす。

 

「あっ! いえ。今のは別に変意味とかではなく…」

「何で…そう思ったの?」  

春樹が自分の発言にフォローを入れようとすると、先ほどまで固まっていた秋穂がそれを遮り、春樹の目をじっと見ながら発言した理由を問う。  


「あ、あまりにも先輩の生気が薄かったもので…」

「嘘だよね」

「うっ」


視線を泳がせながら答える春樹の言葉を秋穂は一蹴する。  

春樹は、こちらを問い詰めてくる秋穂の表情には先ほどまとは違い、希薄な表情なのは変わらないが、その黒い瞳には強い意思が宿っているように感じた。

 そして、その吸い込まれそう瞳からの見えない圧力に春樹は言葉を詰まらせる。


「………」

「…………」


 どれだけ時間が経ったか、春樹には分からなかった。

 春樹には、お互いに無言になり、その間も見つめ続けて来る秋穂との睨めあいっこをしている時間を、実際には五分も経っていないのだろうが、体感的には三時間くらいに感じていた。

 理由を知りたいと頑なかつストレートに聞いてくる秋穂と理由を話したくなくて、無言で秋穂の重たい視線にちょくちょく目を逸らしつつも、視線を返す春樹。

 互いに物理的な動きが無いながらも、春樹の頭の中は葛藤を繰り広げている。

 理由を話した時のリスクと、話さずにこのまま無言を貫き続けることのリスク。

 春樹は二つを天秤に掛ける。

 天秤にかけた結果、ここで言っても今後この先輩と関わることがないだろうという考えの元、春樹は言っても問題ないという発想に至る。


「実は…見えるんですよ」


 話す覚悟を決めても他人に自分の秘密を晒すことへの怯えで、まだ微かに震える口から、春樹は自分の見えているものついて語る。


「何が、見えるの?」

「人の不安という感情です」


 春樹のカミングアウトに、秋穂は声を漏らさずに、静かに目を見開く。

その反応に春樹は内心、そういう反応になるよねという自嘲混じりの言葉を呟く。


「不安や悩みを持っている人の周りに、紫色の靄のようなものが見えるんです」


 春樹から見る世界には、人の持つ不安が視覚化されてた。

 それは、炎によって出来る陽炎みたいに人から湧き出ているように見えている。

 驚きながらも、春樹の言葉を咀嚼するかのように聴き続ける秋穂に対して、既に言葉を吐き出した春樹は、先ほどまでの震えは完全に止まり、冷静になっていた。

 春樹は下を向き、何かを考える秋穂の様子を窺いながら、秋穂が次の言葉を探し出し終えるのを待つ。

 そして、待つ時間はそう長くなかった。

 秋穂はすぐに春樹に質問することを飛ばす。

 

「それは生まれつき?」

「いいえ。高校生に上がる前くらいからです」


 ここまで来たら、質問に対して隠すことはないと、先程とは違い堂々と答える。


「それは、見えない状態と見える状態を切り替えることは出来るの?」

「出来ません。常に見えている状態です」

「それは日常生活をする上で支障にならないの? 人の顔を見れなくなったりとか?」

「う~ん。見えると言っても、人の顔が見えなくなったりとかすることはないですけど、色が色なだけに、ずっと見てると、こっちも鬱になってきますね」


 暖色や寒色と言った区別があるように、色はその色によって人の気持ちの上げ下げを行うことが出来る。

 春樹の様に明るい印象のない紫色に囲まれている生活をしていれば、気持ちが上がることがほとんどなくなり、無機質な性格になってしまうのは仕方のないことと言えるかもしれない。

 だからこそ、常に明るく悩みが少なく、不安がほとんどない故に靄も見えない直谷は、春樹にとって気持ちを沈ませずに話せる数少ない相手だった。


「病院で診て貰ったりは?」

「しました。最初は病気だと思ったので。でも異常は検出されませんでした」


 今でも、春樹の頭には、診断書を見ながら首を傾げる医師の姿が残っている。


「あなた自身は、それが見えるようになった原因とか分かってるの?」

「確信がある訳ではないですけど、心当たりなら」

「心当たり?」

「兄が色々とやらかす人で、その弟として昔から奇異な目で見られることが多かったんですよ。 でも、僕はそれが嫌で周りの表情や反応に機敏になって、作り笑顔もするようになりました。 そのせいで他人に対して敏感になりすぎたのかなって。 この力も共感覚みたいなものだと思ってます」

「共感覚ねぇ」


 事実を話しつつも、この力の発現の原因になったと考えている両親に離婚については触れず、春樹は自分の考えを述べる。

 共感覚というのも実際に、春樹自身が医師から投げ出され、自分で色々調べてみた結果、この共感覚というのが最も春樹の状況に当てはまったため、そういうことにしている。

 共感覚を持つ人間は少ないものの、珍しい訳ではなく意外と持っている人はいる。

 音を聴くと色が見えるという「色聴」や、文字を見るとそこにないはずの色が見える「色字」などがあり、他人の感情を五感の別の者に変換して感じることが出来るとかもある。

 春樹のものがまさに最後のものであり、人の感情を色覚認識していると春樹自身では考えている。

 そして尚且つ、感情の中でも、人の不安などのマイナスの感情に限定されている。

 秋穂も納得と言った感じで頷く。



「それにしても…」


 春樹は何を考えている秋穂に対して、自分が感じたことを言葉にする。


「意外と先輩って、喋るんですね。 もっと物静かんだと思ってました」


 噂では、物静かという話を聞いていたが、矢継ぎ早に質問を繰り返す秋穂には、物静かというイメージは合わず、春樹は最初に聞いていた話との齟齬に戸惑っていた。


「普段は特に会話をする意味を見出せないだけ。今は自分の気になることだから」


 あっさりと言う秋穂に、春樹は気が付く。

 この人はどこまでも、合理的で自分と同じタイプなのだと。

 自分が興味を持つことには熱くなれるが、それ以外の関心を持たないものにはどこまでもエネルギーを使おうとしない。

 それが、その儚げな雰囲気と合いまった結果、物静かという噂が広がったに違いないと春樹は確信する。

 そして同時に、今まで高嶺の花だと思っていた人物が、自分と同じタイプの人間だと知り、一気に親近感が湧いた。

 

「最後に」

「はい?」

「最後に質問良いかしら?」


 春樹が親近感を得ていると、何かを考え続けていた秋穂が、最後の質問だと言って、春樹に問いかける。


「普段から見えているものなら、どうして私の時には驚いたの?」


 それは、春樹が意図的に隠していたものの確信を突くものであり、秋穂が先程までの質問で導き出した疑問だった。

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