第3話 枯葉姫

 つつがなく授業も進み、帰りのホームルームが終わり、担任が出ていくと、部活がある者たちは一世に席を立ち上がり自分達の活動場所へと向かっていく。


「じゃあな春樹」

「直谷も部活頑張れよ」


 春樹の後ろの席の住人である直谷も他の人達同様に素早く立ち上がり、一言だけ別れの挨拶をすると、教室を出ていく。

 急ぐ用事がない春樹はその背中を見送った後ゆっくりと片づけをして、人が閑散となる頃合いを見てから帰ることにした。

 十分もしない内に、教室には部活動がなく駄弁っている者だけになる。

 春樹はそのタイミングで教室を出て、外に出る。

 このまま家に帰るか自習室で勉強するか考えたが、春樹は一つ用事があることを思い出し、踵を返して校門の方に向かっていた足を職員室に歩ませる。

 教室で貸し出し表に名前を書き、とある部屋の鍵を借りると、文化部の部室が集まる部室棟に向かう。

 二階に上がると、部室棟に端にある部屋へとたどり着く。

 その部室の室名礼には将棋部と書かれていた。

 春樹は運動部に属してはいないが、部活に属してはいないわけでは無い。

 入学当時は部活に入る気は無かったが、当時いた三年生に勧誘され、春樹も最初は断っていたが、お金が掛からない点と学校に教室以外の居場所を作れるというメリットを考えた結果、不定期でなら来るという条件で入部した。

 春樹自身、幼い頃から偶に将棋は指していたため将棋は嫌いでは無かった。そのため、去年までは何だかんだ言って週一回は来て、先輩たちと指していた。

 しかし、春樹が入部当時は、三年生が四人に一年生である春樹が一人という偏りがある人数構成であり、その後増員されなかったため三年生が卒業後の部室は春樹一人のものとなっていた。

 春樹も誰もいない部室にわざわざ行くつもりは無く、初めの内は自分だけのプライベート空間が出来たと少しだけ喜んだものだが、教室から部室棟は遠く移動する労力を考えた際に、勉強などのために一人になりたいからと言って来る必要は無く、自習室で十分じゅうぶんだし、本を読むのも教室で読めば良いだけだったため、今では掃除するために一ヶ月に一回、時間があれば寄る程度のものとなっていた。

 一度は折角部室があるのに使わないのは勿体ないと考え、人を増やそうかとも思ったが、春樹には勧誘などのする気が起こらずに諦めて、なるようになるという思考に落ち着いた。


「……一カ月ぶりか」


 春樹最後に訪れた時のことを思い出しながら、鍵を取り出す。

 部室には、パイプ椅子が数個に長机が一つに、将棋盤や駒などを入れておく棚がある程度のとても簡素な部屋模様となっている。

 そのため、毎回の掃除は三十分もあれば済んでしまう。

 春樹は今回も三十分あれば終わるかなと考え、鍵を鍵穴に差し込んだ瞬間に違和感を覚えた。

 鍵を回す際に手に感じる引っ掛かりが伝わってこなかった。

 春樹は不審に思い、鍵を回さずにそのまま引き抜いてドアノブを回す。

 少しだけドアを引っ張ると、ドアは微かに開く。


「間違いなく閉めたよな?」


 春樹は一ヶ月の自分が鍵の閉め忘れとしたと思ったが、毎回鍵を掛けた後は一度ドアノブを回して確認してから去っている。

 そのため閉め忘れは考えにくかったが、なにぶん一ヶ月も前のことであるため、春樹自身自分の記憶に自信を持てなかった。

 だから春樹は自分の閉め忘れだと結論付けて一気に扉を開ける。


「え?」


 扉を開けた瞬間、何故か開いている反対側の窓からドアを開けた影響で吹き抜けるように入ってくる風をその身に一身に受けながら、春樹の耳には聞こえる筈のない声が聞こえた。

 そして棒立ちになる春樹の瞳に映るその部屋の光景は、春樹が知っている光景とは少し違っていた。

 長机には、専門書や文庫本などのジャンルがバラバラの本が複数置かれており、将棋盤や駒を置くのみだった本棚には、多数の本が詰まっている。

 それだけでも春樹にとっては大きな変化であるが、一番の変化は、誰もいない筈の部屋で、子に座りながら本を読んでいる女性だった。

 その女性は、背中の真ん中くらいまで伸びた長く絹のように流麗な黒い髪とモデルの様に細い足に、日の下に出たことがないのかと思ってしまう程に健康的な白い肌を持ち、お世辞にも大きいとは言えない胸ながらも、一般的な女性が憧れる様なスレンダーな体と相まって、触れれば壊れてしまうガラス細工のような儚さがある雰囲気を醸し出している。

 さながら深窓のお嬢様という言葉がぴったりであったが、その凛とした顔立ちには、少しだけ驚いた感情の混ざった、希薄な表情で入って来た春樹の方に視線をまっすぐ向けていた。

 春樹はその女性のことを知っていた。

 正確に言うならば、春樹だけでは無い。

 学校に来ている人の大半が知っているのではないだろうかという程の有名な人であった。

 それはあまり周りに関心を持たない方である春樹も知っている人物だった

 春樹が目の前の光景に声を失っていると、女性は椅子から腰を上げて、春樹の方に歩いてくる。

 そして、春樹の前で足を止める。

 

「初めまして、三年の湯島秋穂ゆじまあきほと言います。貴方はここの部員?」


 そう言って自分の名前を名乗る女性こと湯島秋穂は、笑顔にでもなるわけでも、人が来たことに嫌そうな顔をすることも無く、希薄な表情で淡々と説明をするように自己紹介を告げる秋穂を見て、春樹は秋穂の学校の人たちから呼ばれているあだ名を思い出す。

 

(確か、枯葉姫かれはひめ)


 秋穂は、そのルックスから人気が高く密かにファンクラブが出来ていると言われているが、もの静かかつ無表情とも思える感情の乏しさから、多くの人に陰から枯葉姫かれはひめと言われている。

 そのあだ名には、その秋穂と言う名前である、秋と言う単語と彼女自身から溢れる儚さが掛けられている。

 春樹はそのあだ名を聞いたとき、上手いことを考える人がいるものだと思うと同時に、枯葉と言うのは言い過ぎではないかと考えていたが、実際に秋穂に会い、そのあだ名がぴったりなものであり、きっとそのあだ名を言い出した人も考えた結果では無く、咄嗟に秋穂のことを表現する言葉として漏れ出たのだろうと推測した。

 それほどまでに、秋穂には生気を強く感じることが出来なかった。

 何も知らない人が秋穂を紹介されて、持病を持っており、人生を達観していると言われても納得してしまうかもしれない。

 実際そうなのかかもしれないが、春樹は別に秋穂のファンでもなんでもないため、そこまでの詳しい事情は知らなかったが、少なくとも、持病を持っているような人が、誰もいないとは言え、部室に不法侵入して勝手に使うとは思えなかった。

 秋穂にはもう一つ呼ばれているあだ名もあったが、目の前に光景の衝撃に春樹はそれを思い出せずにいた。


「ごめんね。誰も使ってないと思って、勝手に使わせて貰ってたわ。ここ……静かだし」


 誤りながら手短にここにいた理由を話す秋穂。

 そして、未だに口が開きっぱなしになる春樹に、秋穂はもう一度名前を尋ねる。

 

「それで、貴方の名前は?」


 その問いに対して、春樹がするべきことは自分の名前を名乗ることだった。

 何よりも、春樹はここに入ってから驚きのあまり一度は声を出していない。

 普通ならば目の前に勝手に部室を使用している人がいると言っても、学校の人間であり、先輩である秋穂にちゃんとした挨拶をするのが筋と言うものだろう。

 秋穂も無感情な表情ながら、春樹が名乗り挨拶するのを待っていた。

 しかし、この時春樹が発した言葉はそんな普通とは一線を画すものである。

 目の前の春樹の見える光景故に衝動的に出てしまったとは言え、春樹自身この時の自分を振り返ると何故、あんなことを言ってしまったのかと後悔するだろう。

 それほどまでに、常識外れな一言だった。

 

「自殺するんですか?」


 春樹はその瞬間、窓から入ってくる温かい風が冷たくなったように感じた。

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