第2話 環境

 二年目の高校生生活が始まって二ヶ月。

 春樹はカーテンの隙間から差してくる、この頃暑くなり始めて日によって目を覚ます。

 この二ヶ月、春樹はるきは惰性に満ちた毎日を過ごしている。

 一時は猫の件もあったが、春樹にとっては日常の一部に加わった一出来事でしかなく、時が経つにつれて春樹の記憶の中から猫の存在は薄れていた。

 ただそれだけであり、それ以外は何も変わらない。

 朝、毎日同じ時間に起きて学校に行ってはクラスメイトとは離れ過ぎず、近づき過ぎずの距離感を保つために、休み時間は昨日やっていたテレビの話やスマホゲームの話で盛り上がり、授業は真面目に聞きつつも、説明下手で聞きたくない教師の教科の授業を子守り歌代わりにして寝ては、学校の時間を潰す。

 放課後は運動部などに属してはいないため、バイトが無い時は自習室で少しだけ好きな数学を勉強して親が帰ってくる時間になるまで、時間を調整してから帰ることにしていた。

 ただそんな毎日を繰り返す日々を過ごす。

 春樹は別に学校が嫌いとか、人と話すのが嫌いとかでは決して無かった。

 学校の知り合いを話すのは楽しく思うし、友人と過ごす時間は有意義だと思っている。

 学校内にいる間では誰かといることも苦ではなかったが、一緒にどこかに出かけて遊びに行ったりと、もう一段階踏み込んだ関係になろうとは思えなかった。

 それはひとえに春樹は性格故のものだった。

 春樹は自分がネガティブ思考であることを自覚している。

 親しい人と話している時は、相手を傷つけないように言葉を選んで話をする。

 それも行き過ぎてしまい、相手の心を常に考えるようになってしまっていた。

 もしも、相手を傷つけるような発言をしてしまったり、自分自身を追い込むことを言ってしまった時は、例えそれを相手が気にしないようなことであっても、春樹はその時の言葉を思い返して自分の中で反芻して大きくしてしまう。

 そして、そこからもしものことを考え過ぎてしまう。

 春樹はそれを人に話すと、妄想が強すぎると言われるが、春樹自身は極度の心配症なんだと思っている。

 しかし、その性格は今さら変えようがない。

 だから、春樹は自分の性格を直すことを諦めて受け入れることにした。と言ったら、聞こえがいいが、春樹はそれをする努力をすること自体を面倒に思って諦めた。

 故に人と話すのには春樹にとって気力を人一倍削がれる行いであるため、人間関係に中々踏み込めなかった。

 春樹は今以上の日常を求めようとはしない。

 今の毎日ずっと続けばいいと思ってすらいる。

 そして春樹は今日もまた、いつも通りの時間に起きて学校に向かう。




 学校に到着すると、すれ違う知り合いと軽く挨拶をしながら教室に入った。

 既にいくつかのグループごとに話し込んでいるクラスメイトの脇を通りつつ、教室の後ろに壁に備え付けられている各々のロッカーに向かい、荷物をロッカーの中に仕舞うと、会話を楽しんでいるクラスメイトの輪に交ざることをしないで、窓際の後ろから二番目にある自分の席に直進する。

 席に着くと、机の中から一冊の本を取り出して読書を始める。

 学校に着いたら、本を読むのは既に春樹の日課となっており、クラスメイトにとっても見慣れた光景だった。

 だから誰も読書中の春樹に声を掛けようとはせず、春樹にとってもその方が好都合だったが、一人だけ、春樹の都合よく行かない人物がいた。

 

「よぉ! 今日は何の本を読んでんだ?」


 春樹は後ろから掛けられた声に、振り向かずに本から目を逸らさずに言葉だけ返した。


「ライトノベルだよ」


 本タイトルは答えずに本のジャンルだけ答えると後ろにいたその男子は春樹の前に回り込み、本の表紙を見る。


「先週読んでた本とは違うんだな。先週は一般文芸のミステリーものじゃなかったか?」

「よく覚えてるな」

「後ろの席だからな」


 春樹はその男子の理由になってない理由を聞いたところで会話を途切れさせるために、本に再び集中しようとするが、そんな春樹の気を知ってか知らずか、男子は気にせず春樹に質問を飛ばした。


「それにしても、春樹の本の守備範囲は本当に広いな。好きなジャンルとかないのか」


 春樹はこのまま無視しても、一方的に話され、これ以上本に集中できないと判断して本を閉じる。

 そして、諦めて目の前に立っている爽やかな男子……青山直谷あおやまなおやに目を向けることにする。


「一番っていうのは無いけど、強いて言うなら……ミステリーかな」

「その心は?」

「一度読み終わった後でも、伏線探しをしたりとか、何度も楽しめることが多いから」


 春樹が質問に対して少し間を悩みながらも正直に、好みについて話すと、それを聞いた直谷は少しだけ意外そうな顔をする。


「何で聞いたお前が驚いた顔するんだよ」

「いやぁ。予想してた答えと違ったからな」


 驚き顔をされた春樹は突っ込みを入れると、直谷は自分の予想が外れたからだとはっさり答える。

 春樹は直谷が何を予想していたのかを想像しながらも、確かめの意も込めてどんな予想をしたのかを聞くことにした。


「逆に何て答えると思ったんだの?」

「ライトノベル」

「だろうな」


 直谷の答えは、春樹の考えた通りだった。

 しかし、直谷がそう予想するのは必然であることを、春樹は直谷との関係上分かっていた。

 直谷はバスケ部所属であり、次期エースと目されている。顔立ちも良く女性からは学校内で十位以内に入るほどの人気を得ている。だが、少し釣り目で、身長高いせいか威圧感があるため、話しかけて来る女性は少ないが、機会があれば話を掛けたいと思っている女性は多い。本人はその事実を知ることはない。

 そして、一見すると春樹と無縁そうな直谷だが、意外なことにアニメ好きと言うオタク的一面を持っている。

 春樹もそれを知ったのはつい最近のことだった。

 席替えの際に直谷が後ろの席になったときは、春樹自身もこんなに関わるというよりは関わってくるとは思っていなかった。

 事実、今まで同じクラスメイトとは言え、会話はあまりしておらず、すれ違えば挨拶する程度の仲であったが、今日の様に偶々ライトノベルを読んでいた時に、春樹の机の横を通った直谷が目にして、直谷が凄い食いつきで反応してきた。

 今でも、その時の反応は衝撃的で、春樹は思い出すことがある。


「猫川……だったか? お前、それのアニメ見てるか?!」


 その時の反応を春樹自身、陽キャにいきなり声を掛けられた陰キャと言う図という言葉がぴったりな程みっともない様子だったと振り返る。

 それ以降、直谷は良く春樹に声を掛けるようになった。

 どうやら、直谷はバスケ部など周りにはあまりアニメの話を出来る人がいないようで、この前も、もっと語り合える人を増やしたいと欲望を春樹に漏らしていた。

 春樹も別に本が好きなだけであって、ライトノベルオンリーや強くアニメ好きと言う訳では無かったため、二次元の話でも熱意の違いはあったが、それでも原作視点とアニメ視点で話を出来るのは直谷にとって嬉しいことだったらしい。

 今では、休憩時間などちょっとした合間に良く会話するようになった。

 それを繰り返した結果、最初は苗字呼びだったのも、最近ではお互い名前呼びになっている。

 春樹も、アニメ視点で本の話を議論したりするのは楽しかったため、直谷の話をするのは嫌いでは無かった、本を読んでいる時にはあまり声を掛けないで欲しいというのが春樹の願望である。

 しかし、春樹はわざわざそれを言って、向こうに不機嫌になられても面倒だと思い言ってはいなかった。

 例え言ったとしても、直谷はそんなことでは不機嫌になるような器の小さな奴ではないと分かっているが、どうしても最悪の想定をしてしまいがちな春樹には、言うことは出来なかった。

 結局は自分が我慢すればと言う形に収まっている。

 それでも、春樹にとってポジティブな性格であり、悩みごとの少ない直谷と話すのは苦にならないので、本を読んでいる時以外は話を掛ければ、積極的に話を合わせて話すように心掛けている。

 そんな風に春樹が当時のことの思い出を振り返っていると、直谷が怪訝そうな顔をして春樹を見る。

 

「どうした?」

「いやなんでも無いよ」


 春樹は直谷の言葉を流す。

 直谷もそれを気にした様子はなく、会話を続けた。

 今期のアニメは原作ではこうだったや、ここが良かったなど、他愛のないいつも通りの会話を直谷と春樹はした。

 気が付いたら、ホームルームが始まる時間になっており、スピーカーから流れるチャイムを聞き、友達と話していたクラスメイトも担任が教室に入ってくる前に自分の席に戻る。

 直谷も名残惜しそうにしながらも、自分の席に戻る。

 

「春樹がバスケ部に入れば、もっと話せるのにな」

「残念だけど、それはね……」

「どうにかならないのか?」

「親に負担掛けられないから」

「……そうだよな」


 戻り際に、直谷は春樹をバスケ部に誘う。

 既にこの会話も何度したか分からない。

 春樹も運動するは面倒とは言え、知り合いと好きなものの会話をしながら、やる部活はきっと楽しいものになるだろうと思ってはいる。

 好きなことの会話をしながら、汗を流して、仲間と共に成長する。

 青春の模範みたいな生活に、憧れないかと言われればそうでは無かった。

 基本的に無気力な春樹でも、何かに対して憧れることはある。

 しかし、自分がその憧れに手を伸ばすことが出来ないということも春樹は自覚している。

 その最たる理由が、直谷にも言っていたことであった。

 春樹の家庭は現在、母親と兄一人に春樹を含めた三人家族である。

 父親は春樹が小学生の頃に会社の金を横領してしまい、会社をクビになった。

 春樹の父方の祖父が、その会社の上の方と伝手があったため、逮捕を免れることは出来たが、前々から父親と喧嘩の多かった母親は、その一件をきかっけに堪忍袋の緒が切れて、父親を突き放した。

 その際に、兄と春樹はどちらの親について行くかの選択に迫られたが、二人とも母親について行くことを選択し、母親もその選択を喜んでくれた。

 それからは、母親が女手一つで兄と春樹を育ててきた。

 母親は薬剤師の資格を持っており、それなりの所に勤務もしているため、詳しくは聞いたことは無いが、給料は良いようで、二人の息子を問題なく養えている。

 しかし、それでも生活余裕にはなく無駄な出費をすることは出来ない。

 そのため、出費の大きい運動部は入らずに過ごしているうえ、自分の使う分のお金が自分で稼ぐのが猫川家の当たり前になっていた。

 春樹としては、元々運動部に憧れることはあるが、入る気はほとんど無かったので問題は無かった。

 そして、春樹の家庭の事情は直谷も知っているが故に、会話の締めとして部活に誘うことはあっても、しつこく迫ってきたりはしない。

 そういうしっかり相手の根幹に関わることには気を払う直谷の言動は、春樹にとってもありがたい限りものだった。


「ほぉい。全員座れぇ」


 春樹は覇気の欠けた声と共に入って来た担任の方にクラスの視線が集まる。

 ちなみ、この担任の顔立ちは美人と言う言葉が似あっているが、目の下に常にある隈とボサボサの整っていない黒髪、極めつけにダウナー気味の雰囲気を纏っているせいで、残念美人と言われている。

 一部の生徒にはそのダウナー感が良いらしいが、春樹にはその感性は良く分からなかった。

 春樹は担任がホームルームで連絡事項を話す内容を、頭の中を真っ白にしながら聞き流す。

 大体内容は毎回同じ様内容のため、春樹は聞く意味があまり感じていなかった。

 担任が最後に、「不審者が目撃されているから部活で遅くなる奴は気を付けろよ…まぁ。遅くまで残るのは大体運動部の奴らだから大丈夫だろうが」という注意喚起しているのかしてないのか分からない情報と共に、話し終わると教室を出ていき、入れ替わりで一限の担当教師が入ってくる。

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