第4話(1):害獣
例えば、灯り。灯籠虫の持つ衝撃で発光する器官を用いて、人は火を使わずにこれを用いる方法を確立した。
勿論火だって使うことができる。火蜥蜴の唾液を使用して即席で火を起こすことのできる火筒という道具を開発した。
人は人ならざるものの能力を利用して発展してきた。その弊害か純粋な化学は発展を止めてしまったけれど、それはやむを得ないだろう。光を生み出す、火を起こす、その過程を研究することに対して誰もがばかばかしく感じでしまいほど、隣人たちの能力はただ『結果』を持っていた。
だけれど、それでも人がまだ手に入れていない――技術として確立できていない能力が存在する。いや、この世界で見れば人が手に入れていない力の方がよっぽど多いのだけれど、その能力はきっと有史以来から望み、あれこれ策を講じ、しかし未だに原始的な方法の延長線上にしかない。
つまり、連絡手段だ。長距離で、瞬間的に連絡を取る方法。それはまだ人類が手にしていない能力である。
「……マルカか、丁度いい所に」
旅――というか遠征から帰ってきたマルカとククルが目が覚めたのは昼過ぎだった。朝食兼昼食を摂ろうと身支度を整え部屋を出たところで、後ろからムスティフに呼び止められた。
まだ眠気を感じる目を擦りながら振り返ると、ムスティフが軽く手をあげた。その表情は、やや神妙な面持ちに見える。
そして、彼の隣には不思議な格好をした男がそわそわとした様子で立っていた。
赤いフードと顔の上半分を覆うマスクを装着した男。その格好に見覚えがないはずがない、それはギルドの伝令官の制服だった。
この不思議な格好には伝統的なあれこれがあるらしいけれど、それはマルカの知る由ではなかった。
「伝令官さん……? どうかしたんですか、ムスティフさん」
二人を見ながら訪ねると、ムスティフは「もう行っていいぞ」と伝令官の背中を軽く叩く。彼は「は、はっ!」と少しぎこちない動作で敬礼をすると、階下に降りて行った。
「どうやらまだ新人らしくてな、喋りがたどたどしくて苦労したよ」
「はあ……?」
ムスティフは苦笑をして肩をすくめる。
なにやら自分の混ざれる空気ではないぞと判断したらしいククルは、大きな欠伸をしながら一歩後ろに下がった。
「何の伝令だったんですか? 何か緊急事態でも……?」
マルカは不安になって訊ねた。
マルカはギルドに所属はしていないフリーの調査人であるために、伝令官と関わったことは一度もなかった。伝令と言えども具体的にどのような命令が下るのか、その緊急性や重要度は知らなかったものの、彼らを普段から見かけることはまずないので、決して低いものではないということは理解していた。
そもそも普通の伝令であれば、民間の伝令を通しての紙面上のやり取りで構わないのだ。だけれどそれでは時間がかかってしまう、そのためのギルド直属の伝令官なのだ。
「……ああ、まあ、多分な」
「多分……?」
ムスティフは曖昧な返事を返す。緊急事態かと尋ねられて「多分」とは、一体どういう訳だろうか?
「詳しい話をさせてくれ」
そう言ってムスティフは扉の空いていた応接室を指さした。普段は施錠されていて受付で鍵が管理されているはずだけれど、きっと先程の伝令官とここで話をしていたのだろう。
「分かりました。ククル、少し部屋にいてもらってもいいですか?」
「うん。多分二度寝してる」
「すまないな」
そこは応接室の中でも一番狭い部屋。ムスティフが奥の椅子に座ると、マルカは扉を挟んでその向かいに腰を下ろした。
「お前と違って回りくどい説明は得意じゃねぇからよ、端的に言うが」
「……わたしはちゃんと一から十まで説明してるだけですよ」
「冗談だよ、冗談。…………気を悪くしたのなら謝る」
それはわたしだって、ちょっと気にしていることなのだ。
マルカはちょっとの拗ねと自分の癖が見破られていたことに対する恥ずかしさを感じたが、それを表情の奥に押しとどめる。
それを見たムスティフはマルカが別に気にしてないものだと思って、話し始めた。
「俺が先日サイクロプスを殺したってのは言ったよな。あれはまだ子供で、どうしてだかキヅの森の浅い所に巣を張ってたんだが」
「サイクロプスは情の無い生き物です。子供でも一人なのはよくあることですし、浅部にいたのも他のサイクロプスから追いやられてしまったのでは?」
「話は最後まで聞けよ、流石の俺も――というか害獣に関しては俺の方が詳しい、それくらいは分かってる」
害獣というのは、例外的に「絶滅させるべきだ」と判断された人ならざるものの通称だ。マルカはこの呼び方があまり好きではなかった。
「特殊調査人の害獣対峙には伝令官が必ず付き添って、近くの村で待機することになっている。ギルドがその死骸を回収するから、その連絡を素早くするためだな」
「はい、それは知ってます。あくまで知識として、ですけど」
「俺が討伐したサイクロプスも当然同様に報告を済ました。だが、そのサイクロプスの死骸が見つからなかったらしい」
「なるほど」
「……驚かないんだな」
それは決してあり得ない話ではない。
種族によっては仲間の死骸を持ちかえるものも存在しているし、獣にとっては大きな生き物の死骸というのは食糧庫だ。それに、ハイエナ――特殊調査人や冒険者の討伐した獣や害獣の死骸を奪うことを生業にしている者たちもいる。
それを防止するために特殊調査人には伝令官が付き添い、素早い回収をする手はずになっている。
「その通り、それはありえない話じゃねえ。十回に一回くらいは起こりうる」
「今回起こったのはありえないことだ、と?」
「……死骸回収者たちは、死体を発見できなかった際はその周囲を捜索することになってる。ハイエナを発見して処分するためだ。そして……それを見たらしい」
それ、とは。
ムスティフは眉間に手を当てて、口をもごもごと動かした。
言おうかどうか悩んでいる、というか、彼自身でもそれを信じていないといった風だった。
「別のサイクロプスが、そいつを埋葬していたらしい」
「そんな、ありえません!」
反射的に、衝動的に。
マルカは椅子を蹴って、声を荒げていた。
「……俺だって同じ気持ちだよ」
「だってサイクロプスは、感情を持たないのですよ!?」
「知ってる。……そいつに関しては俺の方が詳しいって、さっきも言ったろう」
害獣に認定される存在は非常に少ない。当たり前の話だ、幾ら人間にとって脅威となる生物だからって、人間の裁量でそうやすやすと絶滅させていいわけがないのだ。
例えば人ならざるものには『危険生物』という区分がある。第二種危険生物は人間にとって深刻な被害を与える存在とされ、第一種危険生物は存在自体が災害に当たるとされている。
これらが人の生活域に現れた場合、国軍主導で腕利きの調査人や冒険者と共に討伐することになっている。がしかし、それはあくまで自己防衛としての討伐だ。
わざわざ彼らの生息域に赴いて討伐するなんてことはしないし、ましては絶滅を画策するなんてことはありえない。
「だが、それを見たというんだから信じるしかないだろ。埋葬しながら子供の死を悼んでいるようだった――その現場を見た回収者はそう証言してるんだ」
「それは、その人がサイクロプスについて詳しくなくて、だからそう勘違いしてしまったのでは……」
「そんなことはない。回収者は調査人ほどじゃなくとも人ならざるものについては詳しいんだ。少なくとも、自分の担当するやつがどんな存在かくらいは知ってるよ」
「じゃあ本当に…………」
「……見間違いってことも無い訳じゃねえと思うが――例えば他のサイクロプスを撲殺しようとしてる姿が穴を掘ってるように見えたとか、そういうことが無い訳じゃねえとおもうが、まあ、『無い訳じゃない』、ってことだ」
害獣と認定される存在には、共通点がある。
害獣と認定するにはある条件が必要となる。
それは殺意の怪物であること――人を殺す為に生まれた存在であること。
つまり、魔女によって生み出された存在だということだった。
人にとっての害、ではなくて。
世界にとっての害――それが害獣なのだ。
*
魔女の起源というものは、もはや魔女自信でさえも知る者はいない。
そしてそれを知ることに意味はない。ただ僅かな好奇心を満たし世の学者たちが満足するだけだ。
知らなければならないのは、魔女が生態系の頂点捕食者であり、自然の冒涜者であり、人類文明の破壊者だということだ。
魔女は第一級危険生物と同等の人知を超える力を操り、人類の文明を破壊する。だが魔女の許されざる点は、新たな生命を生み出すということだった。
サイクロプスやゴブリン、トロルといった新たな生命を生み出し、繁栄させる。これ以上ない生命に対する冒涜だ。そして魔女の生み出す生命は決まって人類に対して強い殺意を抱いている。
「それはククルも聞いたことあったけど、魔女って本当にいるの?」
馬車の中で手持ち無沙汰になって退屈そうにしていたククルだったけれど、モーランの話に興味を示したようだった。爪を弄る手を止めて、一つ隣のモーランの向かいの席に座り直した。
「いるわよ。伝説的な存在だけど、でも伝承じゃない。確かに、確実に、存在するわ」
「あ、えっと、そういう話じゃなくて」
モーランは首を傾げてククルを見た。ククルは腕を組んで「うーん」と唸っていたけど、ポシェットから火筒を取り出して掲げて見せた。
「……火筒? そんな高級品、どうしてククルが持ってるの?」
「あ、それわたしのです。わたしの背嚢は荷物でいっぱいだから、使う頻度の高いものはククルに預けてあるんです」
「そんな高級品を子どもに持たせるなよ……」
呆れたようにムスティフが言った。たしかに火筒は高いものだけれど、でもククルは雑に扱ったりはしないし、単純な機構だから暴発する心配もない。
マルカがそう言うと、ムスティフは「まあそれもそうだが……」とばつが悪そうな顔をした。
おほん。ククルが咳払いをして、「ごめんククル、続けて?」とモーランが促した。
「火筒は簡単に火を起こせる。灯籠虫は光を起こせる。人間がもともとできないことだけど、こういう道具を生み出して可能にしてるよね」
「そうだけど……」
「魔女の使う魔法って、そういうのの凄いやつってことはないのかな? 魔女自信に特殊な能力があるんじゃなくて、……そうだな、頭が良くていろんな道具を生み出してそれを使ってる、みたいなことはないのかな?」
「それはないよ」
即座に否定したのはマルカの背嚢から聞こえた声だった。
ひょこっと、背嚢の横に付いたポケットから猫が顔を出した。『石畳に走る影族』のケット・シーの一匹、ジダだった。先日のケット・シーとキャラバンのいさかいの際、族長のナルリオスと一緒に現れた一匹だ。
あの一件以来『石畳に走る影族』は、キャラバンの面々だけではなくマルカやククルと親しくなった。特にジダとククルは気が合うらしく、しばしばマルカの部屋へと遊びに来たりするのだ。
「どうして?」
「や、確かにその可能性はあるかもしれないけど、でも魔女は生物を生み出せるんだよ? それは道具で説明の付くものじゃないよ」
「ああ、それもそっか……」
……実はそうじゃない。そうじゃないことを、わたしは知ってる。
怪物を生み出せるかどうかは分からないが、少なくとも人間の肉体は生み出せるのだ。
マルカは、外の景色をぼんやりと黄色の瞳に映していたムスティフを見た。ムスティフはマルカの視線に気づくと一瞬目を合わせ、すぐに、瞼を降ろした。
「……話が大分逸れちゃったけど」モーランが金髪を指で弄りながら言った。「あたしが言いたかったのは、害獣は危険だから気を付けなさいよってこと。危なくなったらとにかく逃げる、いいわね?」
「うん、分かってる」
「ジダもよ。危険を感じたらククルを連れて逃げるのよ」
「うん、ボクだって分かってるよ」
「…………それが分かってるならどうして付いてきたんだ?」
ムスティフはジダとモーランの顔を見て大きくため息を吐いた。気が付いたらマルカの背嚢に潜り込んでいたジダと、「途中の村に用事があるから乗せて行ってよ」と口から出まかせを言って同情してきたモーランとの「降りろ」「嫌だ」の不毛な欧州に、ムスティフはもう疲れてしまったらしかった
「あたしを連れてて悪いことはないわよ? 野党も泣き出して金銀を差し出す、あの亜人のキャラバンの構成員なんだから」
モーランの言い分は少し誇張されているけれど、戦力として申し分ないのは確かだった。彼らから聞いた話によれば、亜人のキャラバンに傭兵としての戦力提供の依頼が来ることは珍しくないのだという。あくまで彼らは商人であるため、それは断っているらしいけれど。
「それはそうかもしれねえが……」
「それとも、なに? 調査人の仕事に部外者は顔を突っ込むなってこと?」
「いや、そうじゃなくて……。部外者どうこうというか、これは俺らの仕事でな…………」
たじたじになりながら必死に怒らせない言葉を考えるムスティフ。最初の頃の丁寧な言葉遣いはどこへやら、モーランはムスティフに対しても気丈な言葉を使うようになっていた。
あの一軒からムスティフは何度もキャラバンに顔を出しているらしく、彼女とムスティフの距離が縮まったということなのだろう。親しくなったと行くことなのだろう。そういうことにしておこう。
「なら尚更。大事な仕事なら絶対に失敗できないでしょ? どんなものでも利用して成し遂げなさいよ」
「……そうかもしれねえけどよ」
ムスティフは助けを求めるようにマルカを見た。マルカはモーランとジダの飛び入り参加には驚いたけれど、しかし彼女の言う通りキャラバン隊員の戦力は折り紙つきだ。ジダも……逃げ足は速いだろう。
勿論危険な事態に出くわした際に無関係な二人――一人と一匹を巻き込んでしまうという懸念はあったし、だから力づくでも馬車から降ろすというのが一般常識的な判断だろう。
そして今回の件は異常事態だ。一体全体、マルカとムスティフをしても何が起こるか予想もつかない。だから、だからこそ、使えるものは何でも使っておきたかったのだ。
植物と心を通わせることの出来ると言われる植物人のモーラン、そして妖精であり獣でもある亜妖精ケット・シーのジダ。彼女らの力が必要になることがあるかもしれない。そう考えてマルカはモーランとジダの同行には肯定的だった。
「…………そうか、お前はそういうやつだったな」
マルカの表情から察したのだろう、ムスティフは呆れるようにため息を吐いた。
「あはは。はい、わたしはそれで構いませんよ。ただし、さっきモーランさんが言ったように、危険を感じたらすぐに逃げてください。わたしとムスティフさんが全力で皆さんを護りますけど、自分の身は自分で守る、これは鉄則です。……勿論モーランさん自身もですよ?」
はあいと声をそろえて三人が頷いた。
ククルの声が、一際大きく馬車に響いた。
見計らったようなタイミングで馬車が止まった。
さあ、仕事の開始だ。マルカは背嚢を背負い直して、一番に馬車から飛び降りた。
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