第3話(3):もう一つの冒険譚

「……大きな街に着いたと思ったら、またすぐ旅なんだもん。早く帰ってジダと遊びたい」

「旅、というかお出かけですよ。旅の練習です。ちょっとずつ慣れていって、いつか遠くへ、本当の旅に出ましょう」


 向かいから歩いて来る二つの影があった。

 一つはコーネリアとハルタとあまり変わらないくらいの、緑色の髪をした女性。もう一人はまだ成人はしていないということがはっきりと分かるくらいの幼い少女だった。

 緑髪の方は常ににこにことした表情を浮かべているけれど、少女の方は不機嫌なのか、感情のあまり感じない無表情。


「こういった街道を歩くのも初めてでしょう? 林道よりもずっと歩きやすいですよ」

「それはそうだけど……」

「それに、こう言った人の交通路にしか現れない隣人もいるんですよ。…………あら?」


 緑髪がコーネリアとハルタに気付いたようで、何やら道の外れで石を広げている二人に訝しげな視線を向ける。少女の方も二人の姿を認めると、大きく首を傾けた。


「あのう、どうかされましたか……?」


 何かお困りならば力になりますが。彼女はそう言いながら、二人の傍に近づいてくる、


「石。石だ」少女は石の一つを拾い上げ、まじまじとそれを眺める。「こんなにいっぱい、どうしたの?」


「いやあ、その……。お恥ずかしい話ですが、荷物を盗まれてしまったらしくて……」

「えっ、そうなんですか!?」


 彼女はコーネリアの傍でぽっかりと口を開けている背嚢を覗き込んだ。そこの暗闇を瞳に映して、辺りに広がる石と野営道具を見て、閉口した。


「うん? 盗まれたらどうして石になるの?」

「荷物が急に軽くなってバッグが縮んでたら、盗まれたって直ぐに分かっちゃいますよね? だからカモフラージュとして石を入れておくんですよ」

「ああ、なるほど。賢いね」

「せこいって言うんですよ、そういうのは。……お二人とも、いつ盗られてしまったから心当たりはあります?」

「無い!」ハルタが断言した。「今朝から今まで、私はこの荷物を降ろしてないもん! だよね、コーネリア?」

「うん……、僕もそう思うけど……」


 コーネリアは曖昧に頷いた。

 先程から頭の中でいつ盗まれたのかを回想していたけれど、やはり誰も盗むことは出来なかったように感じる。

 しかし、現にこうして荷物が石に変わってしまっている。触れることなく荷物を石とすり替える、なんてことが可能ならば、この世は犯罪で溢れ返ってしまう。


「……なるほど」


 それを聞いていた緑髪の彼女は途端に真剣な表情になって、右手の人差し指で自分の唇を撫でて何やら考え込んでしまった。


「マルカさん、もしかして?」

「そうですね、多分」


 彼女は自分の背嚢をその場に降ろすと、そこの方から何かを取り出した。しっかりと口の縛られた、小さな袋だった。その口を開けて自分の手の中にその中身を出す。

 乾いた葉っぱのようだった。赤、黒、緑……様々な色の乾燥した葉っぱの細かくなったのが入っているらしかった。


「ククル、火を」

「はい」


 ククルと呼ばれた少女は、斜め掛けのポシェットから金属製の筒を取り出した。

 人差し指位の金属の筒、そこから紐が伸びてこれまた金属の棒とセットになっている。その道具には見覚えがあった、火筒と呼ばれる人ならざるものの力を利用した道具だった。


 ククルは筒に棒を指しこむ。カチっと金物同士がぶつかる音が聞こえると、筒の先から小さな火が飛び出す。ハルタは目を輝かせてそれを見ていた。

 マルカは葉っぱをいくらか地面に置くと、ククルにそれを燃やすように指示。ククルがそれに火を近づけると、コーネリアの嗅覚が甘ったるい不思議な香りを捉える。


「ハーブティの茶葉です」


 鼻をくんくんと動かしているコーネリアとハルタに、マルカが説明してくれる。


「丁度持っていて幸運でした」

「これで……どうなるんですか?」

「そろそろですよ……あ、ほら!」


 マルカが石たちの一点を指さした。そこに視線を移したコーネリアは目を疑った。石が三つほどもぞもぞと動き出したかと思うと、そのまま走るようにして一目散に逃げ出してしまった。

 そして次の瞬間、コーネリアが瞬きをした時だった。

 石達が食料に変わっていた。コーネリアとマルタが持っていた食料に戻っていた。


「え……。今何が起こったの?」


 あんぐりと口を開いているハルタ。きっと自分も同じような表情をしているのだろうとコーネリアは顎を閉めながら思った。


「ねえねえねえ! 何が起こったのー!?」


 ハルタがマルカの肩を両手でつかんでぶんぶんと揺さぶる。マルカの緑色の髪の毛が暴れまわってハルタの顔にべしべしと当っているけれど、彼女はそんなこと気にならないようだった。


「ステサセネズミです!」

「……ステサセネズミ?」

「は、はい! これは隣人のせいだったんですー!」


 ようやっと解放されたマルカは、目を回してしまってその場に座り込んだ。「大丈夫……ですか?」とコーネリアが手を貸すと、弱弱しい笑みを浮かべながらそれを力なく握った。


「ステサセネズミは旅人の荷物の中に紛れ込んで、自分自身とそこにある食べ物を石に見せかけます。旅人が石になってしまった食べ物に気付いて捨て去ったところで、それを全て巣に運んでしまうんです」


 ふらふらしながらマルカは立ち上がった。ククルが火筒を仕舞いながら「ウサギドリと同じだ。でも賢いんだね、そのネズミさん」とマルカに言った。


「はい、賢いんです。普通に盗めばいいと思うかもしれませんが、それだとばれてしまうかもしれませんし、全ての食べ物を手にすることができません。目先の食糧ではなく未来のことを考えるというのは、自然の中では珍しい考え方ですね」


 コーネリアは先程石たちが逃げて行った方を見た。勿論、もうそこには何もいない。


「どうしてネズミは逃げて行ったんですか?」

「ステサセネズミ……というかネズミすべてに言えることなんですけど、ハーブやお香の様な強い匂いが苦手なんですよ」

「ああ、なるほど……」


 ステサセネズミがハーブティの燃やした匂いで逃げ出したのは、異能の力なんて全く関係のない、ただの生き物としての性質という訳だ。

 痛かったり、臭かったり、それをただ嫌がるという生き物の性、


「ステサセネズミ……」


 ハルタが呟くと、「はい、ステサセネズミです」とマルカが反復。


 ステサセネズミ。隣人というのはその特性がそのまま名前になりやすいとは知っていたけれど、にしてもあまりにも安直すぎる名前じゃないかとコーネリアは苦笑。

 ああでも、彼女にハルタと名付けた自分も同じようなものか。コーネリアは更に苦笑を強くする。過去に自分が使っていた名前を、そのまま彼女に付けてしまったのだから。


*


「すみません、色々とお世話になってしまって……。あのままだったら、僕たち行き倒れてましたから……」

「いえいえ、良いんですよ。本当にたまたま、わたしが対処法を知っていただけですから」


 荷物をしまい直すのを手伝ってもらってから、コーネリアはマルカに深々と頭を下げた。

 本当にこの出会いが無かったら、一瞬間と経たずに二人は飢え死にしていただろう。


「本っ当にありがとう!!」


 ハルタはククルのほっぺたをもちもちと触りながら、満面の笑みを見せた。ククルは相変わらずの無表情だったが、少しむすっと、唇をとがらせているように見えなくもない。


「マルカさん。あなたはもしかして調査人ですか?」

「あ、はい、そうですよ。隣人図鑑、見ます?」

「…………」


 コーネリアは唖然とした。隣人図鑑を持っている、すなわち公認調査人。その言葉の意味するところを知らない大人はいないだろう。

 毎年春に実施される公認試験の難易度はあまりにも有名で、それは三年で合格できれば優秀と言われているほど。


 この資格があると何かにつけて便利――というか社会的信用が段違いなので、そう言った目的でコーネリアのいた教団支部の大人たちが公認試験を受けに行ったことがあった。そして全員返り討ちだった。

 それから五年間、彼らは試験を受け続けたけれど、結局合格できたのはたったの一人だけだった。


 それがを、自分と同じくらいの少女が――。


「うん、どうしたの? それってそんなに凄い事なの?」


 一般常識程度の知識はあるとはいえ、幼い子供の知識の集合であるハルタにはその凄さ――凄まじさは分かっていないようだった。コーネリアの態度をまじまじと見ているククルも、きっと分かっていないのだろう。


「あの、何かお礼をしたいんだけど!」


 がばっと手を大きく上げながら、元気よくハルタが言った。


「とは言っても保存食くらいしか持ってないけど……。飢え死にしないくらいなら持って行っていいよ! ね、コーネリア?」

「あ、いや、そんなの悪いですよ!」

「いえ、どうか受け取ってくれませんか? こちらとしても、助けていただいたのに何のお礼もさせてもらえないというのは……」

「うーん……」


 マルカは自分のこめかみを両手で触って、眉間にしわを寄せて考え込んでしまった。どうしてそんなに悩んでいるのだろうか、コーネリアにもハルタにもそれは分からなかったけれど、彼女の流儀というかこだわりのようなものがあるのかもしれなかった。


「貰っちゃえば?」


 ククルが肩をすくめる。しかしマルカは「いや、でもそれは……」と煮え切らない様子。


「……じゃあ、こういうのはどうでしょうか」顔を上げてマルカは言った。「お二人にお願いがあります」

「うん! 何でも言って!!」


 大きく頷いたハルタを見て、マルカはにっこりとほほ笑んだ。


「お二人は旅をしてるんですよね? その道中、今のお二人のように困っている人を見る機会があるかもしれません。その時に、見て見ぬ振りをしないで、話を聞いて助けてあげてください」

「……えっと、それがお願い?」

「はい、そうです」

「うーん?」


 訳が分からないという風にハルタは首を傾けた。髪の毛が地面と直角に垂れる。


「わたしは今、お二人を助けました。だけどそれは、わたしも旅の途中で困ってしまって、そして他の人に助けてもらったことがあったからです」


マルカは二人を交互に見て、続ける。


「どうしたらいいか分からない時、他に誰もいない時、すっごい不安ですよね。実は案外何とかなっちゃったりするんですけど、でもすっごい不安でしたよね」


 荷物が石に変わっていた時、コーネリアは遠くない未来に死を覚悟した。

 金もない、食料もない、旅のノウハウもない。どこかで植えて、ハルタと一緒に死んでしまうのかと、そこまでの覚悟をした。


「そういった人はたくさんいるんです。旅の途中でたくさん見かけるはずです。ですから、助けてあげてください。さっきの二人の『ありがとう』の気持ちを忘れないで、さっきの二人の安心を忘れないで、その手を、その気持ちを、差し伸べてあげてください」


 そして彼女は、再三にっこりとほほ笑んだ。

 その言葉に、コーネリアとハルタはただ頷く事しかできなかった。


*


 不思議な人だった。

 変わった人だった。

 そして、優しい人だった。


「優しい人だったね」


 ハルタの言葉に、コーネリアはどきっとした。考えが口から洩れてしまっていたのかと思ったからだ。


「なんか憧れちゃうよね、ああいう人!」

「…………そうだね、僕と同じくらいの年齢だろうに、凄いしっかりしてるよ」


 彼女は随分と旅慣れした様子だったし、それよりなりより公認調査人だ。世界を知らない苦労を知らないが故のあの発言――ではない。世界を知って、苦労を知って、それであんなことが言えるのだ。出会った人を助けろ、なんてことが言えてしまうのだ。


 憧れる。憧れはするが、余りにも眩しすぎて、遠すぎて、自分がみじめにすら感じる。

 自分は少なくとも幸福な人生が遅れていない――まあまあ不幸な人生だとは思ってきた。


 孤児で、カルトに引き取られ、そこで洗脳教育を施されて、でも洗脳されなくて、仲間を罠にかけて、でも『御神体』を恐れてカルトから完全に足を洗うことが出きなくて、その後数年それに縛られて――。


「コーネリア? どうしたの?」


 気が付けば、ハルタの顔がすぐ近くにあった。「うわぁっ!」びっくりして、ドキッとして、大きく後ろに仰け反って背嚢の重みでそのまま尻餅をついてしまった。


「えっ、あっごめん! だ、大丈夫……かな…………?」

「……うん、大丈夫。ちょっとぼーっとしてたかな」


 ハルタの手を取って立ち上がる。彼女は心配そうにコーネリアの顔を見つめていた。


「ぼーっとっていうか、難しい顔してた。今もしてるよ?」

「そう……かな」

「うん、そう。どうしたの?」

「……マルカさんと自分を、ちょっと比べちゃって」

「それで落ち込んでたの?」


 コーネリアは無言で頷いた。

 するとハルタは何故か泣きそうに目元をぐにゃっと歪ませた。しかし直ぐに笑顔に切り替わり、ふにゃあっとした嬉しそうな表情になる。


「マルカさんはすごかったかもしれないけど、でもコーネリアだって優しいの! 二人は違くて、だから比べるのも違うよ!」

「……そうかな」

「そうだよ! だって、私は今こうしてコーネリアと一緒にいる! コーネリアが優しくなかったら私はまだあそこにいたし、って言うかもう死んでる!」


 それは違うんだよ、ハルタ。コーネリアは、それは声には出さなかった。

 それは違うんだ、ただ僕は君が怖くて、それで嫌々世話をしていただけにすぎないんだ。旅に連れて行ったのも、完全な善意だったとは言えないんだ。僕は君が怖かったから――。


 怖かった。怖かった。

 しかし、コーネリアは気付く。今はもう、怖くない。旅が始まってから、彼女のことを怖いと感じたことなんてほとんどない。


 だけれどコーネリアは落ち込む彼女に優しい言葉を掛けたことがあったし、自分の分の食事を分けてあげたこともある。親切にしてもらえばありがとうと言った。

 そして、荷物が石に変わっていた時に真っ先に考えていたのは、彼女のことだった。

 自分は良い、しかし彼女が野垂れ死んでしまうのは困る。そう考えたはずだ。


 どうしてそう考えた?

 どうしてそう思った?


 関係ないだろう――彼女が死んでも僕には関係ないだろう。

 彼女は人ではないし、友人でも恋人でもないし、ただ怖かったから一緒にいただけだ。

 でも、僕は彼女が死ぬのは嫌だと思った。死んでほしくないと思った。


 どうして――いや、どうしてじゃないだろう。自分の好きな人が苦しむのは嫌だし、自分の身近な人は死んで欲しくない。人間として当然の、ただ当たり前の感想じゃないか。

 そしてそういう思考こそ、ハルタの言う「優しさ」と呼ぶのではないだろうか?


「……コーネリア、ねえ、コーネリア」

「…………あ、うん。またぼーっとしてた」

「私ね、コーネリアに感謝してるの。いっぱいありがとうって思ってる。だから、この気持ちをいっぱい返したいの。この感謝を君に返したい」

「うん」

「そしてね、私はコーネリアのことが好きなの。もっと一緒にいたいと思ってる、ずっと一緒に居たいと思ってる」

「……うん」

「だから私は、コーネリアと一緒に旅がしたい。旅をして、一緒にいて、いっぱい恩返ししたい。ねえコーネリア。コーネリアは自分のこと優しくないと思ってるかもしれないけど、少なくとも私にとっては命の恩人で、私にとっては凄い優しい人なの。それじゃ、ダメかな。ダメなのかな?」

「……良いと思う、それで。旅のことも、優しい人のことも」

「だよね。うん、私もそう思う」

「うん」

「行こう! 今度こそ日が暮れちゃうかも。ちょっと早めに歩かないとね!」

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