第3話(2):ハルタ

『御神体』が泣き止むにつれて、コーネリアも冷静な思考を取り戻していく。そして途端に恥ずかしくなった。彼女の体に対してだった。


 失敗した『御神体』の肉体は性的な目的で使われるから容姿は魅力的に創られる。彼女も例に漏れず……美しく、魅力的な容姿をしていた。コーネリアがとりあえず自分の上着を渡してそれを着るように言うと、彼女は泣きはらした目をぎゅっと細めて「ありがとう!」と笑った。

 地面にへたり込んでいた彼女が立ち上がると、コーネリアは慌てて目を逸らした。


「君は名前、なんて言うの?」


 衣擦れの音と共に彼女が聞いた。それに対してただ短く「コーネリア」とだけ答えた。


「コーネリア……。へえ、いい名前だね!」


 だけれど、彼女はすぐに「あれ……?」と不思議そうな声を漏らす。


「コーネリアって、それ、女の子の名前だよね? 君、もしかして女の子なの?」


『御神体』には知識があるようだった。それはそうだ、「ありがとう」という言葉を発したのだ。きっと『種』は、感情と一緒に少量の記憶も奪うのだろう。


「男だよ。ただ、なんかそういう名前なんだ」


 教団では教祖直々に教徒に名前を付けなおすという戒律があった。そしてその名づけには一定のルールがあるらしく、コーネリアという名前にもれっきとした意味があるらしい。


 孤児として施設に居た時は別の名前があった。それでも未だにこの名前を使っているのは、別に教団に未練があるわけではない。ただこちらの名前の方になれてしまったというだけ。


「へえ」そして彼女は小さく笑った。「へんなの。でも私は、いい名前だと思うよ!」


 衣擦れの音が止まって、恐る恐る視線を向けると丁度最後のボタンを留め終えたところだった。長さもしっかり、膝の上まで隠せている。「ありがとうね」と彼女は、もう一度礼を言ってほほ笑んだ。


 今までの『御神体』は、感情の無いただの人のガワだけだった。感じるのは恐怖だけだった。

 しかしこうして動いて、喋って、笑っていると、そこにいるのは一人の少女だった。

 彼女の肌色が、恥ずかしい。彼女の笑顔が、気まずい。勿論恐怖は消えていないけれど。


 彼女は再びその場に座り込むとにこにこと笑顔を作って、隣で胡坐をかくコーネリアの顔をまじまじと見つめた。

 コーネリアはそれが気まずくて、なんでもいい、とりあえず何か会話を試みようとする。


「……名前は?」

「うん?」

「そっちの名前は?」


 すると、彼女はひどく難しい表情をした。


「……分かんない」


 まあそうだろうなとコーネリアは思った。そんなことくらい分かっていたけれど、彼にはこの質問しか思いつかなかったのだ。


「ごめんね、コーネリア……」


 そしてどうしてだか、彼女は泣きそうになって鼻と頬をむずむずと動かし始めた。どうしてその程度のことで泣くのか、彼には理解不能だった。

 どうしたものかと頭の中がパニックになり始めるコーネリアだったが、ぱっと、瞬間的に彼女の顔に笑顔が浮かぶ。


「あ、そうだ! じゃあコーネリアが付けてよ、名前!」

「……えっ?」


 彼女の台詞は、コーネリアにとって完全に予想外のものだった。だけれどよく考えればそれは自然な流れだったと思う。名前が無い、だから付けてもらう。コーネリアは自分が冷静に戻っていると思っていたけれど、それが判断できない程度にはまだ普段の思考を取り戻せていなかった。


「いや、それは無理だよ」

「どうして?」


 耳が肩についてしまうくらい、大きく首をかしげる彼女。


「だって、僕には責任が取れないよ……」

「責任? なんの?」

「人の一生の名前を決めるっていう責任が――」


 言いながら、コーネリアは自分の言葉におかしいものを感じていた。

 人の一生? 何を言っているんだ僕は?


 彼女が人間ではないということは知っているし、散々そう思って接してきたはずだ。

 彼女の一生なんて、知ったことではない。もう『御神体』の世話をしなくて良くなったのだから、後は恨まれないように適当に言いくるめて別れるだけだ。


 人の一生だなんて、まるで僕が彼女のことを一人の人間として見ているみたい――じゃないか。


「責任? ……どうしてそこに責任が生まれるのか分からないけど、好きに付けちゃっていいんだよ」


 彼女はおもむろに立ち上がって、その場でくるりと一回転。その際に床に広がった、彼女が先程まで浸かっていた液体に足を取られ大きく姿勢を崩した。

 なんとかバランスを立て直し彼女は転ぶことは無かったけれど、その際に上着の裾が大きくめくれあがってしまい、コーネリアは慌てて目を瞑った。


「私君に付いて行くから。だから、好きに、呼びやすい名前を付けてよ」

「……えっ?」


 コーネリアはまたもや情けない声を出した。今何と言ったんだ?

 僕に付いて行く?


「私これからどうすればいいか分からないもん。自分がどういう存在なのかとかは――うん、まあちょっとは分かってる。だから、私にはコーネリアに付いて行く以外の選択肢が無いと思うのですよ」

「それは…………そう、かもしれないけれど」


 彼女の言うことは一理ある、というか正しい。しかしそれは少なくとも彼女にとってはだ。

 しかしコーネリアの場合は、それが最悪の選択肢ともいえる。教団の遺物である『御神体』と行動を共にするのはあまりにもリスクが大きすぎる。


 コーネリアはこの家に普通に住んでいるけれど、仕事はしていない。この村の人間たちには学者だと名乗り極力関わりを持たないようにして、この礼拝堂に遺された資金で辛うじて食いつないでいるのだ。

『御神体』への捧げものが底をついたら旅に出ようと思っていた。適当に旅をして、良い思いとか嫌な思いとかして、そして適当にどこかで死のうと思っていた。


 その旅に彼女を同行させる?

 それは……どうなんだろう。考えていたら、それでも別に良いような気がしてきた。

 リスクはあるけれど、どうせどこかで行き倒れてもいいと思っていた旅だ。そんなの、会ったところで別に関係ない。死ぬ理由がひとつ増えただけだ。


「……ダメ、かな?」


 ずっと考え込んでいたコーネリアを気を悪くしたと思ったのか、彼女は不安げな症状で上目遣いに見た。

 この短時間なことに色々なことが起こりすぎた――いや、御神体が目覚めたというだけなのだけれど、それがあまりにも大きすぎた。

 コーネリアはすっかり疲れてしまって、考えるのに疲れてしまって、もうそれでいいかな、そう思って頷いた。


「いいよ。……僕は旅をするつもりだったんだけど、一緒に旅をしよう」

「――――――やったあ!!」


 彼女はその場に大きく飛び跳ねて。

 そして、再び液体に足をとられて、今度は大きく転んでしまった。

 顔をしたたかに打ち付けたけれど、それでも彼女は嬉しそうに笑っていた。


「じゃあ、名前! 名前はどうする!?」

「…………そうだなあ」


 いろいろと案を心の中で上げてみたけれど、コーネリアの知識の多くは教団内で身に着けたものだったので、そのほとんどが宗教がらみのものか同僚の名前に酷似したものだった。


 自分の名前はしょうがないとして、彼女にはその名前は付けたくなかった。もっと別の、この教団とは関係名前を付けたかった。


 コーネリアは記憶をもっと前、自分の孤児院時代にまで遡る。あの頃の友達はどんな名前だったっけな、名前――。


「ああ、じゃあこういうのはどうかな?」

「……どんな? どんな!?」

「この名前はね、ずっと昔に――――」


*


 彼女に出会ったのは、ハルタと旅に出て三日目のことだった。

 旅に出たことなどないコーネリアにとっては何が必要な物かは分からなかったけれど、とりあえず寝食さえ確保できれば何とかなるだろうと、野営道具とありったけの食料を背嚢に詰めた。


「コーネリア、遅い遅い! もっと急がなきゃ暗くなるまでに次の村に着けないよー!」


 どういうわけだか、ハルタはコーネリアよりも歩くスピードが速かった。彼女の方が荷物の料が少ないというのは勿論だけれど、それを差し引いても明らかにコーネリアよりも体力に溢れていた。


「……いやあ、はあ。これでも、結構急いでる、はあ、つもりなんだけどね」

「ええー。荷物変わろうか?」

「それは、いい…………。なんだか、悔しいから、はあ」

「そんな意地張るよりも、急ぐ方が優勢だと思うけどなあ」


 ハルタの言い分はその遠いだった。だけれど彼女の表情は緩んでおり、このやり取りもまたハルタにとっては楽しいものらしかった。


 コーネリアは、ひとまずこの辺りでは一番大きなイェネアの街に進路を執ることに決めた。特に深い理由は無い、とりあえず大きな街に行けば必要な物は揃うだろうという、ただそれだけだった。


「……じゃあ、ちょっと休憩を執ろうか? 私も、ちょっと疲れてるしね」


 ハルタはが移動の端に座り込んだ。疲れているというのは嘘ではないだろうが、しかしそれはコーネリアを気遣ってのものだということは明白だった。

 少し悔しさを感じるけれど、それに抵抗するだけの体力もなかったので、ハルタの隣に倒れ込むようにして座り込んだ。


「ご飯にしよう。まだちょっと早いけど」


 そう言ってハルタは自分の背嚢を降ろすと、中身を開いて覗き込んだ。

 ハルタは食べることが好きらしかった。大食漢という訳ではないらしいけれど、胃に物が入るならば常に何かを食べていたいと言う程に食事が好きらしい。


 うきうき顔で背嚢の中を覗き込んでいたハルタの顔が――そのまま固まった。

 どうかしたのかと思ってコーネリアも彼女の背嚢を見て、そして同じ表情をした。

 慌てて自分の背嚢も確認するが――今度は表情が固まる、では済まなかった。


「なに、これ――」


 ようやっと動き出したハルタが、呟くような声量で、ぽつりと言った。

 コーネリアは何も言わなかった。荷物のほとんどが石になっていた時に発するべき言葉を、コーネリは知らなかった。


 コーネリアは呆然自失のまま中身を全てその場にぶちまける。形状や大きさは様々だけれど、衣類や野営道具を除いて――少なくとも食品全てが、石に変わっていた。


「う、う。ううううぅぅぅぅ」


 ハルタの表情が見る見るうちにしぼんでいく。瞳には涙があふれ、ぽろぽろと、それがこぼれはじめる。

 ハルタは感情が豊か――というか、喜怒哀楽その全てのふり幅が異常なまでに大きかった。その理由は言うまでもない、大勢の感情を基に人格が生まれたからだ。

 普段は底抜けに明るくてこれからの不安なんて忘れてしまえるくらいなのだけれど、少しでも心が追いつめられてしまうとすぐこうなってしまうのだ。


 盗まれてしまったのだろうか。いやしかしそれはありえない、と思う。

 今朝宿で朝食を摂って、その際には荷物があった。それから村を出て今に至るのだ。

 だから盗まれるとしたらその村、ということになるのだが……盗む機会があったとは思えない。だけれど、こうして食べ物が無くなっているということは、そういうことなのだろう。


 油断をしていた。甘かった。

 これはまずい。あまりにもまずい。金はあるにはあるけれど、旅立ちの際にそのほとんどを荷物に変えてしまった。このままじゃ飢え死にだ――。

 僕は良い、僕は平気だ。もともと適当に野垂れ死のうと思っていたのだから。

 しかし、ハルタだけは、せめて何とかしなければ――。


「ねえ、マルカさん。今度の旅はどれくらい?」

「そうですね、三日四日くらいで街に戻ろうとは思っていますけど」


 女性同士の会話が聞こえたのは、その時だった。

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