第3話(1):『御神体』

 その時、『御神体』が動いた――ような気がした。


 とある国、とある地方、とある家。

 そこにコーネリアしかいなくなってもう数年になる。

 ああ、いや――彼女がいるか。コーネリアは新しい捧げものを設置しながら、『御神体』をちらりと見た。

 あまり視界に入れたいものでもない、しかし自然と目が吸い寄せられてしまう魅力、というか引力が、この『御神体』にはあった。


 ここは何の変哲もない一軒家だ。しかしそれは表向きで、そこには地下室がある。『御神体』を隠して祀るためだけに存在している地下室だ。

 過去に名を馳せたとある教団――その名前はもう歴史上から抹消されている――の礼拝堂の一つがこの地下室の持った役割だった。


 コーネリアはまだ十代にして最高幹部の一人だったけれど、それは決して誇らしい事ではないと彼は考えている。彼がこの年で最高幹部にまで上り詰めることができたのは、彼の持つ少々不思議な能力故だった。


 コーネリアは危険予知の能力があった。自分や周りの人間に降りかかる危機を、直感的に察することができる。

 機能しない時もある。気が付いたら危険に巻き込まれている時はある。それでも、その能力が発動した際は絶対に的中するのだった。

 この能力を用いて教団を幾度にわたり危機から救ったコーネリアは、気が付けば最高幹部にまで上り詰めていたのだ。


 だけれど、教団はもう存在しない。彼が所属しているこの支部――本部がとうの昔に崩壊してからも長い間生きながらえていたこの支部も、彼を残して全員が居なくなった。それはコーネリアが危険予知を出来なかったから、ではない。

 彼は仲間を罠に嵌めたのだ。危険を知っていて、そこに仲間たちをあえて送り出したのだ。


 コーネリアは教団が嫌いだった。どうしてかと聞かれれば答えに困る。好きになる理由が――嫌いになる理由しか、存在しなかったからだ。


 その最たるものがこの『御神体』――薄緑の液体で満たされた、ガラスでできた円筒状の巨大な筒。その中で体を丸めている彼女の存在だった。

 手を顔の横でぎゅっと握り目をつむったままピクリともしない、子供ではないけれど大人でもない彼女。見慣れた光景だった――見慣れてしまった光景だった。


 へそからは管が伸び、それは筒の下部、台座の様な部分へと繋がっていた。この筒の台座の外側にはくぼみがあり、そこに捧げものと呼ばれる特製の小瓶に入った黄緑色の液体をはめ込むのだ。

 この液体の由来は知らないけれど、どうにも妖精由来の栄養剤のようなものらしい。


 ただ、この液体の由来を知らないコーネリアには、勿論製法なんて知る由もない。

 最高幹部なんて言ったって自分なんて所詮道具でしかない。形だけの最高幹部だということにコーネリアは気付いていたのだ。


 この捧げものも、もう残り数個しかない。唯一その製法を教えてもらっていなかったコーネリアには捧げものを作り出すことできない。過去にこの支部が活動していた際に幹部たちが量産していたストックを使用して御神体を生きながらえさせていたが、それももう限界に近かった。


 これでやっと解放される。コーネリアはそう感じていた。

 どうせ死ぬのが早いか遅いかの違い。教団が滅んだ今、この『御神体』は死の運命が確定していた。だからコーネリアが本来とるべき行動は、彼女を見捨てて安全な所へ雲隠れすることだった。だけれど、彼にはそれが出来なかった。


 怖かった。この異常な重力を持った『御神体』から逃げるということが怖かったのだ。

 これは彼の能力とは関係ないただの第六感――恐怖心を由来とするただの悪い妄想だ。それを自覚しつつも、『御神体』の異常な製法を知ってしまったコーネリアには、それをただの臆病心だと切り捨てることは、とてもじゃないが出来なかった。


『御神体』の製法とその存在理由、これは知らされていた。それを知った彼は、怖くて、ただ怖くて、傍にいるのも怖かったけれど逃げ出すのもそれ以上に怖くて、だから恨まれないように怒らせないように、こうして世話をしているのだ。


 きっと目を覚ますことは無いだろうし、目を覚ましたとしてもそれ以前のことなんて把握していないだろうし、だからそのほとんどは杞憂だということは分かっていたけれど――もしも、もしもだ。絶対にないと思っているからこそ、その「もしも」という一点が強調される。


 だが、それもようやく解放される。

捧げものが無くなってしまえば、もう自分にはどうにもできない。

 しょうがない――しょうがないだろう。僕は、十分君に尽くして来ただろう?


 コーネリアが御神体に心の中で語りかけた、その時だった。

 彼女が動いた気がしたのは。


「――っ!」


 コーネリアは声にならない悲鳴を挙げて、その場に腰を抜かしてしまった。気のせいではなかった。

 彼女の拳が柔らかく開き、その眼静かに見ひらかれた。ぼんやりと、ただ瞼を開けただけといった彼女の瞳が、確かにコーネリアの姿を映す。


 そして、きっとそういう作りになっていたのだろう、円柱の容器の台座の部分から透明の無い溶液がじわっと漏れ出す。見る見るうちにその全てを排出し終えると、ガゴッという音が鳴り、台座を残してガラスの筒の部分が横向きに倒れた。


 突然のことにコーネリアは反応出来なかった。円柱の中にいた『御神体』も、当然円柱一緒に倒れてしまう。ガンという鼓膜を不快に震わせる音がしたけれど、ガラスの割れる音は聞こえなかった。

 見れば、円柱は大きく歪んでしまっているものの壊れてはいない。コーネリアはてっきりガラスでできているものだと思っていたけれど、違う素材で作られていたらしかった。


「あ……ああ…………う……」


 円柱から這い出た『御神体』は、倒れた際にちぎれてしまったへその管を片手でつかみながら、うめきとも困惑ともつかない声を発した。「うう……あああ…………」そしてそれは段々と声量を増していき、やがて大声での泣き声に変わった。


「うわああぁぁあん! わああぁぁぁぁん!」


 子供でもここまでは泣かないだろう、というくらいの勢いで大号泣をする『御神体』。それを見ていたコーネリアは、どうしたらいいのか、頭が真っ白になってしまっていた。


 状況に、頭が付いて行かない。何が起こっているのか、予想外のことしか起こらない現状を把握するのに精いっぱいで、コーネリアの頭の中は思考をする余裕なんてなかった。


 だから、かもしれない。思考の余裕がないコーネリアは今まで『御神体』に感じていた恐怖を感じることができず、結果として、泣きわめく少女に対して人間がとるべき当たり前の行動をした。

 すなわち。


「……だ、大丈夫? その、痛い所とかは…………」


 彼女の傍にしゃがみ込んで、優しい声で声をかける。そしてはっとした。自分は何をしてるんだ、御神体に近づいたら何をされるか分かったものじゃないのに――。

 途端にコーネリアの全身を恐怖が支配する。衝動的に逃げ出したくなる身体を理性で支配する。


 そんな露骨に嫌悪を露わにする行動をとるのはあまりにも危険だ。なにをされるか分かったものじゃない――彼女は何ができるのかわかったものじゃない。魔女……ではないけれど、それでも人ならざるもののように異常な能力を、持っていてもおかしくないのだ。

 だって、彼女は人間ではないのだから。


『御神体』は声を掛けられると、少しだけ声量を落としてコーネリアを見た。涙で潤んだ瞳でコーネリアを見た。コーネリアはやわらかい、優しい表情を無理矢理作った。こういうのには慣れている。教団を異常だと感じつつも、それを周りに悟られることなく最後まで籍を置き続けたのだから。


「……う、ううう」自分の意思とは関係なく漏れてしまう泣き声を必死に抑えて、彼女は何とか言葉を発した。「……あ、ありが、とう。うう……うわああぁぁぁん!」


…………コーネリアの頭は、再び真っ白になった。だが、今度はすぐに思考を取り戻す。


彼女が突然泣き出したのは、人間という生物としての産声だろうとコーネリアは判断していた。円柱の中での体を丸めた姿勢、そこを満たす液体とへそから繋がれた管。

 あれは胎児を再現しているということはとうの昔から考えていたことなので、泣きだときは驚いたけれどあれが産声の意味を持っているということはすぐに判断ができた。


 だけれど、彼女は自分にお礼を言った。「ありがとう」と言った。

感情を、向けたのだった。


 知っていたことだ、知っていた――。

『御神体』が感情を持っているということは当たり前のことだ。それが自分の所属していたとある教団の存在理由なのだから。


*


 曰く、人造魔女計画とかつては呼ばれていたらしい。

 第一段階。人間としての肉体を生み出すのは簡単だった。古代遺物の力を以ってすれば、費用は掛かるが創るは容易だったらしい。


 しかし第二段階が上手くいかない。ここの第二段階で教団はあまりにも長い足踏みを強いられてしまい、結局それは達成できたものの、超人性を与えるための第三段階に到達することはついに出来なかった。


 第二段階とは、感情の付与。『御神体』として生み出された魔女となる肉体に感情を与えるための工程だ。

 やれることは全部やった、と老齢の幹部は誇らしげに語っていた。感情を生み出すためにどんな非人道的な実験にも手を染めてきたと、まるでそれが素晴らしいおこないかのように――実際そうなのだろう、少年のようなキラキラした目で語っていた。


 そしてあまりにも長い時の試行錯誤の末、この教団は感情を付与する方法をついに編み出してしまう。結果として感情を生み出すのは不可能だった。だから、奪うことにしたのだ。


 まだ感情の豊かな子供を誘拐し、そこから感情を奪い取ってしまう。詳しい方法はコーネリアは知らないしこの支部の最高幹部たちも教えられていないようだったが、古代遺物を利用しているのは間違いないだろう。


 古代遺物とはそういうものなのだ。人ならざるものと同じで、人にその理屈は理解することは出来ない、ただ超常的な結果をもたらす存在なのだ。


 技術革新が起こったのは、コーネリアがこの教団に引き取られたのと同じ年、十年前。

 一つの『御神体』を生み出すのにはあまりにも多くの子どもが必要だったらしい。誘拐、という手段はあまりとれるものではない。危険が大きすぎる。だから奴隷を使用していた時期もあったらしいのだが、調教と矯正をされてしまった奴隷は感情が希薄であまり適していなかったらしい。


『御神体』を生み出す方法が確立されたにもかかわらず、量産することは叶わない。だから教団は、今度はその方法を編み出した。これが問題だった。今までも問題だったけれど、これも問題だった。

 そして結果として、これが教団が滅ぶ原因にもなった。


 教団が生み出したのは『種』という方法だった。『種』――これも詳細なことはコーネリアも分かっていない。だけれど分かりたくもないと思う。

『種』を呼ばれる何かを人間に植え込む。ただこれだけだった。数か月から数年の時を経て、その種が成就すると、その種の宿主の感情が抜き取られ『御神体』の糧となるのだ。


 あまりにも容易だった。あまりにも簡単に、人間の人格を消滅させることができてしまう。

 だから教団は滅んだ。教団が数々の非人道的な行為に手を染めてきたにもかかわらず今まで補足されていなかったのは、その人数の小規模さ故だった。最盛期でも三百人を超えたかどうかという、この大陸に存在する人間からしたらあまりにも小規模な組織。


 今まで慎重に慎重に行動してきた。だから人造魔女計画はあまりにも時間がかかってしまったというのもあるのだろうけれど、それでも確実に歩を進めてきた。

しかし、すぐ目の前にある成果に教団は焦った。そして『種』はあまりにも簡単すぎた。教団は急速に活動域を広げていって――補足されて滅んだ。


 この礼拝堂と『御神体』は、教団が殲滅された後も幸運にも――不幸にも残った遺物だった。コーネリア自身も負の遺産の一つともいえる。

 もしかしたら大陸のどこかにもここのような場所は存在するかもしれない。教団の名前が表に出てから崇拝者や信仰者が現れ始め、それらが教団の真似事をしたり遺物を持ち出して実験の続きを行っているという話も聞いた。


 教団が世界に残した傷跡は、大きい。この世界に遺したものは、不幸しか生み出さない負の遺産だけだった。

 誘拐されて散々実験に利用されたあげく、口封じのために殺された子供とその遺族。突然訳も分からず感情を失ってしまう子供たち。数々の崇拝者と模倣犯。そして何より――魔女病として世に知れ割っている『種』の技術。


 遠隔的に人の感情を奪ってしまう。これが技術として確立されてしまったというのは、この世界に取り返しのつかない損失を与えるであろうということは、どんな愚者でも納得できるだろう。


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