第2話(4):黒猫の誇り

「ボクは一族の長――『石畳に走る影族』そのものだ。同胞の失態は長の失態。全く責任がないなんてこと、ありえないのだ」

「ノルンさんとピーカさんを庇ったんですね?」

「庇ったのではない。嘘もついていない。金を盗んだ理由も復讐が目的ではあるが、場所の使用料という大義名分――暴論もいいところではあるが、その大義名分を掲げて盗んだというのも真実だ。だがボクは最初から盗んだのは『石畳に走る影族』だと言っている。長であるボクは一族そのものだ。これはボクの決定であり、ボク責任なのだ」


「…………」


 人の膝くらいまでの背丈しかない、小さな黒猫。

 だけれどその言葉は、族長のしての威厳が宿っていた。種族とか大きさとか関係ない、上に立つものとしての言葉の重みだった。

 ナルリオスの言葉に、口を挟める人はいなかった。マルカも、亜人も、ケット・シーたちも、ナルリオスの堂々とした表情を瞳に移すことしかできなかった。

 ただ一人を除いて――。


「猫ちゃん。猫ちゃんは、自分たちが悪いと思ってるんだよね?」

「……えっ? あ、ああ。そうだが…………?」


 空気を粉々に破壊して喋りかけてくるククルに、ナルリオスも呆気にとられた様に目をぱちくりさせている。


「キャラバンのみんなも、……少なくともさっきの有翼人さんは、申し訳ないって思ってるんだよね?」

「あ、俺? …………まあ、そうだけど」

「じゃあ話は簡単だよ。互いにごめんなさいで解決でしょ?」


 ……。

 ナルリオスが語った時とは違う種の沈黙が、広場全体を包んだ。


 ククルの言葉は、正論だった。

 これ以上ない、ぐうの音も出ない程の正論。

 しかしそれは――だからこそだろうか、とても、とても難しい事だった。


 悪いことをしたらごめんなさい。そしてそれをいいよで許容する。

 子供なら誰しもできる当たり前の常識は、断端と成長して歳を重ねていくことに難しくなっていく。


 例えば、それはプライド。相手に頭を下げることを屈辱に感じてしまう。

 それに先程のナルリオスのように、族長であることの責任だとか色々難しく考えすぎて、「謝る」ということよりも「責任を負う」「償う」ということが念頭に来てしまう。


 だけれど、謝罪とはそうではなくて。

 屈辱とかの上下関係とか――責任とか立場とかの難しい要因とか。

 そんなややこしい事じゃなくて。


 お腹が減ったらご飯を食べる。

 眠くなったら寝る。

 それと全く同じことで。


 悪いことをしたらごめんなさい。

 ただ、それだけのことなのだ。


「――――ご」


 ナルリオスが、ゆっくりと歩いてマルカの前に出る。


「ごめんなさい」


 そして石畳の上に膝をついて、頭を下げた。


「……俺も悪かったよ。その……ごめんなさい」


 有翼人もナルリオスの前に歩いていって、膝をついて謝った。


「ごめんなさい!」「俺もごめんなさい!」「本当に悪かった!」


 直接怪我を負わせたのは先の有翼人だけれど他にも同様のことをした人型のだろう、何人かの亜人が有翼人に続いてケット・シーに頭を下げ始めた。


「……え、いや。その…………ごめんなさい!」


 まごついていたケットシー達もナルリオスの隣に並んでごめんなさい。

 いつのまにやら、この石畳の広場は亜人とケット・シーたちのごめんなさい祭。


 一件落着。

だけれどこの異様な光景はまだしばらく続いた。


*


「いやあ、あんな光景、死ぬまでにもう一度見れるかどうか……!」


 時刻は夕刻。街の酒場で、マウリカはジョッキを傾けると、あの異様な光景を思い出したのかげらげらと笑った。

 亜人の混ざった一団に周りは好奇の機先を向けるけれど、あまり嫌悪の感情は込められていなかった。


「あたしは……正直もう勘弁ね。はたから見てる分には面白かったかもしれないけれど、自分たちの一団がごめんなさいの大合唱をしている光景は……ちょっと、ねえ」

「でも、悪いことをしたら謝らなきゃ」


 ステーキを丁寧に切り分けていたククルが、顔を上げずにモーランに言った。

 モーランは今までの布面積の限界に挑戦したような服ではなく、必要以上に皮膚を表に出さない、つまり普通の衣服を纏っていた。

 日が暮れはじめたり室内での活動になると着替えるらしい。理由は光合成ができないからだ。決して趣味ではないのだ、あれは。


「それはそうなんだけど、そういうことじゃなくて……」

「あれは途中からは、もはや謝罪じゃなくてただのお祭り騒ぎだったからな。まあ、怪我人が出た中で互いに笑って終われたのは奇跡だな」


 ムスティフがグラスを傾けながら反対の手でフォークをくるくる回していると、「行儀悪い!」とモーランがそれを取りあげた。


 怪我をしてしまったナルリオスの妹に対してはまた後日キャラバンの面々が謝罪に窺うらしい。ケット・シーたちが盗んだお金は賠償金と治療費ということで、そのままケット・シーたちのものになった。

 ナルリオスの妹は、今日の彼らの出した結論に対してどう思うのだろうか。ナルリオスと同じ考えを持って、キャラバンのことを受け入れてくれるだろうか。だけれど、それはマルカの干渉することではない。


「本当に、ククルちゃんにはお世話になったなあ! あそこであんなこと言えるの、ククルちゃんだけだよ!」

「……ククルは普通のこといっただけだよ?」

「大人になるとそれが出来なくなるのよ。分かっていても謝れないの。でもククルにそう言われたから、みんな目が覚めてちゃんと謝ったの」

「ふうん……?」


 何故大人になると謝れないのか、その理由がいまいちピンと来ていないようだった。

 別に分かる必要もないとマルカは思う。


 ククルは感情を手に入れなければならない。そのために旅をしている。

 色々なものを見て、知って、経験して。今日のケット・シーの一件も、彼女の家庭なるだろう。


 荷物には容量がある。バッグには何でもかんでも入る訳ではない。

 それは形のないものも同じである。形のないもの――それは思い出とか価値観とか呼ばれる。


 物でいっぱいのバッグに新たな物を捨てるには、余分なものを破棄しなければならない。取捨選択しなければなない。どれを大事だと思ってどれをいらないと捨てるか、それは人によって違うし、その積み重ねが個性というものだ。


 ククルはこれから様々なものをバッグに詰め込むだろう。魔女病によって中身をごっそり持ち去られたバッグにはいろいろなものを入れることができるだろうし、それはあっという間に満杯になるだろう。


 ……どうか。

 どうかその過程で、今日彼女の言ったような「当たり前にごめんなさいと言える価値観」を捨てないでいてくれますように。うずもれてしまいませんように。

 マルカは蜂蜜酒のなみなみと入ったジョッキを揺らて、黄色い水面を見つめながらそう思わずにはいられなかった。

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