第2話(3):石畳に走る影

 マルカがケット・シーの名を出した、その時だった。


「そう、その通りだ! この混乱を引き起こした張本人は、ボクたち『石畳に走る影族』に他ならない!」


 甲高い声が、広場一帯に響く。その音源は、いつのまに現れたのか、その広場の丁度中心と思わしき場所だった。

 真っ黒い二足で立った猫が――六匹。胸を張って、腕を腰に当て、端的に言えば偉そうなポーズだった。


「少々警戒が足りないのではないか、亜人ども! お前たちのテントから金を徴収するなんてボクたちにとっては朝飯前だ!」


 偉そうな態度、尊大な言葉遣い。

 だけれどそれをしているのが小さく可愛らしい猫なので、なんというか、釣り合っていなかった。そういうところも含めて余計可愛らしく見える。


「ケット・シーだ……!」


 まだ短い期間だけれど、マルカはククルと一緒に世界をあるいて様々なものを見てきた。その中で、ククルの表情に一番感情が現れていたのは今この瞬間だと断言できた。間違いない。


「なんだあ、お前らが盗んだのか」


 昨日橙の実をくれた獣人のおじさんが、ぼりぼりとお腹を掻きながらかったるそうに椅子から立ち上がった。


「そりゃ仕返しのつもりかもしれんが、金を盗むのはちっとお痛がすぎるぜ」

「ふん、だったら何だというんだ?」


 おじさんは何も答えなかった。ただ返事の代わりに、勢いよく駆け出した。

 物凄い瞬発力だった。流石は筋肉の発達した獣人、その身体能力は他の追随を許さない。

 ……だけれど。


「ふん、そんなのボクたちに通用するか!」


 ケット・シーたちを捕まえようと手を伸ばしたおじさんだったけれど、その手を空を切る。ケット・シーたちは余裕の表情を崩さないまま、ジャンプしたり、ひらりと避けたりしゃがんだり、思い思いの方法でおじさんの腕を躱した。


「……っ! このっ、やろっ!」


 おじさんは何度も何度も捕まえようと腕を伸ばすけれど、挑発するように無駄な動作を織り交ぜながら、ケット・シーたちはそれを難なく躱す。


「遅い遅い! ははは、もっと本気を出さないとボクたちは捉えられないぞ!?」

「……ケットシーさん、お話があります」


 前に出て、声を張ってそう呼びかけたのはマルカだった。その場にいた全員の視線が、この空間では異質だった亜人ではないマルカに向いた。


「お前はこの犯行がボクたちのものだと最初に気付いた人間か。話くらいは聞いてやろう、何だ?」


 マルカはさらに一歩、もう一歩前に出る。何故かマルカの隣にはククルが付いて来ていた。

 気付けばマルカはケット・シーの向かいに立っていた。にも拘わらず、ケット・シーは距離を離そうというそぶりさえ見せない。よっぽど自信があるのだろうし、マルカから見てもそれにつり合う実力を持っているように思われた。


「一体どうしてこんなことを?」

「なんだ、そんなことか。金を盗むのに理由がいるか?」

「いりません。だから聞いているのです」

「……どういうことだ?」

「あなた達はお金を盗みましたが、そのほとんどを見過ごしています。僅かしか盗んでいないのです。その理由を聞きたいのです」

「……ふっ、愚かな質問だ」


 先程から先頭に立って喋っているリーダー格であろうケット・シーが肩をすくめて嘲笑うと、他のケット・シーたちはゲラゲラと笑い始めた。


「ボクたちは身体が小さい。だからあまり多くの金を持てないのだ。質問をする前にその答えを少しは自分で考えたらどうだ!?」

「でしょうね。それは分かってます。ですけれど、それでも答えになってないんですよ。わざわざ全員のテントからお金を盗んで行ったのはどうしてか、とわたしは聞いてるんです」

「…………!」


 ケット・シーたちの表情から余裕の笑みが消えた。しかしそれは動揺ゆえではない。「こいつには真剣に向き合った方が良い」、そう判断したようだった。


「お前はおろかな人間だが、どうやらお前個人はおろかではないらしい。名前を名乗れ」

「マルカです。こっちは助手のククル。……名前を尋ねる時は先に自分から名乗るものですよ」

「だからお前に聞いたのだ。ボクはナルリオス。覚えろよ、マルカとククル」


 自分の名前を呼ばれて、ククルは嬉しそうに両手をぱたぱた動かした。ほぼ無表情で腕を振り回している少女にケット・シーたちは不審な視線を向けるけれど、すぐにそれをマルカに戻した。


「何故ボクたちが、わざわざ危険と手間をかけてまで全員のテントから金を盗んだか。その理由はお前には分かっているらしいな、マルカ」

「……最初はいたずらかと思ってたんです。ケット・シーは悪戯が好きな種族ですから」

「ふむ。ボクたちはいつだって悪戯という認識ではないのだけれどな」

「じゃあどうして悪戯を?」

「それも、きっとお前には判っているんだろう?」


 ナルリオスはニヤッと、鋭い歯を見せた。

 マルカもそれに呼応するように笑ってみせる。


「これもご多分に漏れず悪戯だと思っていたのですが――さきほどあなたは『お金を徴収した』と言いました。『お前たちのテントから金を徴収する』――確かにそう言いました」

「ああ、確かに言ったな」


 マルカの推測が正しいことは、ナルリオスはもう知っている。だからこれは、周りの人たちにナルリオスの目的を教えるための応答。やりとり。


「徴収――手数料などを集めることを徴収と呼びます。じゃあこの場合の手数料とは何なのか、ということなんですけれど、……これは完全なわたしの予想でしかないんですが、場所代ですか?」

「……そう、その通りだ!」


 ナルリオスは一層声を張り上げると、大きく跳躍してククルの方に飛び乗った。もう一度跳躍してククルの頭に乗って、そこに器用に仁王立ち。


「ボクたちは『石畳に走る影族』なり! この広場はボクたち『石畳に走る影族』が納めてきた地だ! 使うなとは言わない、立ち去れとは言わない、しかし使用料はきっちりきっかり払ってもらおう!」


 ……。

 …………。

 言いがかりもいい所だった。


 亜人のキャラバンがこの広場にテントを設営しているのはイェネアの街から許可されたからだし、そもそもこの広場はイェネアの街のものだ。イェネアの街の一部だ。ケット・シーが所有する領土なんて、そんな訳があるはずがないのだ。

 だから、詰まる所これも悪戯の一環なのだろう。悪戯の為の大義名分――言いがかりをつけたに過ぎない。


「でも……ここはちゃんと許可を得て使わせてもらってる土地だぞ?」


 一人の有翼人が困ったように言うと、それを皮切りに他の亜人たちもそうだそうだとそれに同調した。


「そんなものは関係ないのだ! ここはボクたちが支配している土地であるからして、使用の際はボクたちの許可が必要なのだ!」


 無茶苦茶な言い分だった。

 正当な理論にそんな無茶苦茶な言い分を持ち出されてしまっては、話し合いなんて成立しない。


「そんなの無茶苦茶だ!」


 一人の獣人が、誰しもが思っていたこと――言うまでもなかったことを口に出した。


「お前ら、俺たちがここに着いた時から邪魔をしやがって!」


 別の獣人が、怒りを露わにしていった。謎の窃盗、そして尊大な可愛らしいケット・シーに亜人のキャラバンは困惑していたけれど、段々と感情のベクトルが怒りに向いて言っているのをマルカは感じていた。


「邪魔……したんですか?」

「邪魔じゃない、こいつらがボクたちに無断でこの場所を使おうとするからだ!」

「無断って、だからちゃんと俺たちは許可を取ったって!」

「ボクたちにもちゃんと一声かけるべきだと言っているんだ!」

「声をかけるも何も、俺たちがここに来た時はお前たちはいなかった、だのにテントを設営していたらちょっかいを出して来たんだろ!」

「ちょっかいではない! 正当な抗議行動である!」


 だんだんと互いにヒートアップしていき、ケット・シーと亜人たちはやいのやいの言葉をぶつけある。だけれど暴論を持ち出すケット・シーは勿論、亜人たちの正論も理論よりも感情が色濃く出て、もはやそれは話し合いの体をなしていなかった。


「……なんでそんなことをしたの?」


 ほとんど傍観に回っていたククルだったけれど、互いの言葉が途切れた頃合いを見計らって、頭の上のナルリオスに尋ねた。


「なんで悪戯なんてしたの?」

「だからあれは悪戯ではない!」

「知らしめるため、だっけ。それとも抗議活動? どっちでもいいけど、どうしてそんなことしたの?」

「どうしてって、それはさっきから何度も言っているだろう! こいつらがここを無断で使用したからだ!」


 その言葉にククルは首を振った。ナルリオスはククルの髪の毛を肉球の付いた手でつかんで、振り落とされないようにする。


「それは違う……と思う。証拠はないけど、でも違うと思う。だってさっきから話を聞いてると、猫ちゃんたちが難しい言葉も知ってるし頭もいいし、そんな無茶苦茶なことを言い出すようには思えないの」

「……なにが言いたい?」

「それは…………えっと」

「つまりこういうことですよね、ククル」


 マルカはナルリオスの意識がこちらに向いていない隙を付いて、ナルリオスを持ち上げることに成功した。脇の下に両手を入れて自分の顔の高さに持ち上げる。

 ナルリオスはばたばたと暴れるけれど、幾ら素早かろうと純粋な筋力では人間に遥かに劣る。それにナルリオスは決してククルに爪を立てたり噛みついたりはしなかった。そして抵抗は無意味だと悟ったのか、諦めたように体をだらりと重力に預ける。


「ナルリオスさん――ケット・シーさん」

「な、何だ!」

「構って欲しかったんですよね? この亜人のキャラバンに」


 ケット・シーは悪戯好きの妖精だ。悪戯とは可愛らしい程度の悪事ではあるけれど、多少ではあれど人に迷惑をかけることを目的とする行動である。

 悪戯好きのケット・シー。人ならざるものの中では珍しく、自然の中ではなく人の住む街中に現れる存在。今日まで悪戯好きの彼らと人が共存できているのは、勿論理由がある。


「ケット・シーは悪戯好きではありますが、決して人を困らせて喜ぶような意地の悪い性格ではありません。ケット・シーは寂しがりで、人が好きなのです。だからわざわざ人の街に現れて、人の注意をこちらに向けようとする」


 ケット・シーは、決して人を困らせない。……いや、困らせたとしてもきっちりとその分を人に返すのだ。

 悪戯をした相手の家をぴかぴかに磨き、パンを盗めば大量の木のみを置いていき、子供を泣かせれば日が暮れるまで一緒に遊ぶ。

ケット・シーは幸福を呼ぶ、なんて言われたりもしているのだ。

 愛すべき隣人、それがケット・シー。


「ケット・シーは都市と自然のはざまの妖精です。近くに自然がある大きい街にしか基本的には現れませんので、どこかに定住することのないキャラバンの皆さんは今まで縁がなかったのでしょう」


 この街にとっては当たり前の存在だけれど、ケット・シーとは世界的に見ればかなり希少な妖精なのだ。その人懐こい性格のおかげで、個体数の割に研究は非常に進んでいるのだけれど。


「……そうですよね、マウエルさん?」マルカはにっこりと笑って、マウエルの顔を見つめた。「あなたはこの珍しい来訪者たちと関わりたかった」


 マウエルは再びマルカの手の内から逃れようと身をよじったが、当然それは叶わない。顔をぷいと背けて、「どうだかな」と不機嫌そうな声を漏らす。


「ケット・シーは本来旅人には手を出しません。自分たちのことをちゃんと理解してくれてる人に対してではないと、その悪戯が本当に悪意を持っての行為だと勘違いされてしまう恐れがありますからね」

「…………」

「でも、亜人のキャラバンなんて珍しい存在です。それこそケット・シーの存在と同じくらい珍しいです。だから、ついつい好奇心を抑えられなかった」


 マウエルは何も言わない。ぎゅっと目を瞑って顔を背けたままだった。

 マルカは他の五匹のケット・シーを見た。彼らはマルカの視線に対してばつが悪そうに目を逸らした。きっとこれは図星の反応だろう。


「猫ちゃん、でもお金を盗むのはだめだよ」

「そうですね。それは少々お痛が過ぎましたね」

「それは…………」


 マウエルが目を泳がせた。そこには後悔の念と罪悪感が窺える。やりすぎてしまった、という自覚はあるらしい。


「それは……その通りだ。あらゆる非難を、甘んじて受け入れよう」

「……自覚があるのなら、それで十分です。誰しも勢い余って、タガが外れて、やりすぎてしまう時はあります」

「違うよ、それは違う!」


 とそこで、今までずっと黙っていたケット・シーの一匹が初めて口を開いた。一団の中で一番体の小さいケット・シーだった。


「最初のテントを張ってるのを邪魔したのはあんたの言う通りだけど、金を盗んだのは違うんだ!」

「バカ、ノルン! 余計なことは言わずに黙ってろと言ってあっただろう――」

「余計なことじゃないだろ!」今度は頬に傷のある別のケット・シー。「ナルリオス、そもそもお前は関係ない話だろ! お前は悪くない、関係ない! 本当は俺たちの問題なんだ!」


 ナルリオスを押しのけて、ノルンと呼ばれたケット・シーが一歩前に出る。頬に傷のあるケット・シーもそれに続いた。

 残りの三匹はどうしていいの変わらずにおどおどとしている。


「ナルリオスさんは、お金を盗んだのにはかかわってなかったということですか?」

「ああそうだよ、ナルリオスはずっとそれに反対していたんだ!」

「だからボクとピーカで盗んでやったんだよ! これは復習だ!」

「金を盗むのは悪いことくらい知ってる、困ることくらい知ってる! それが分かってるから、だからやったんだ!」


 マルカはナルリオスを持ち上げていた手を離すと、ナルリオスはくるりと回転しながら着地しておどおどしている三匹のケット・シーの所に戻っていく。

 マルカは今までケット・シーたちと向かい合っていたけれど、身体の向きを変えてケット・シーと亜人たちの両方が視界に入るようにした。


「復讐とは、一体何に対してですか?」

「…………それは」


 ナルリオスは言いよどんで、その続きの言葉が出てくることは無かった。代わりにノルンと呼ばれたケット・シーが言葉を引き継ぐ。


「ナルリオスの妹が石を投げられて怪我をしたんだ。……命にかかわる怪我じゃないけど、腕の骨が折れてる」

「そうなんですか?」


 マルカが、亜人たちを一瞥した。亜人たちはおどおどと視線を泳がせていたけれど、一人の有翼人が「だって……」と観念したように喋りはじめる。きっと彼が石を投げた張本人だろう。


「ケット・シーのことなんて知らなかったから……。おれは商品を荒らしに来たのかと思って……」

「お前はいきなり石を投げてきたんだろ!」

「それは……、確かにその通りだけど、でも先に手を出したのはお前たちだろう!」

「先に暴力を振るったのはお前たちだ!」


 キャラバンの人間は牧歌的で温厚な人間が多いのは先日身を持って知ったことだけれど、しかしそれは彼らの一面でしかない。野盗や怪物からその身を護るために商人が寄り合ってできたキャラバンは、少なくともそこいらの盗賊団以上の戦力は持っているし、荷物を奪おうとする者には容赦がないというのは有名な話だ。

 だから彼のその行動は、キャラバンの隊員としては当然の行動ともいえる。


「黙れッ!」


 ノルンと有翼人のいがみ合いを、ナルリオスが一括した。その言葉にノルンだけではなく有翼人、はては他の亜人たちまで狼狽える。ナルリオスはきっとこの『石畳に走る影族』の族長なのだろう、小さい身体とはいえ一族を率いている長故の言葉の重みは、そこにはあった。


「ノルン、それにピーカ。その話は昨日ボクが結論を出しただろう! まだ幼いジダもグロリイもマジイも不満はあるだろうにこうして黙ってくれているというのに、年長ものであるお前たちが何を不甲斐ないことをしている!」

「……ナルリオス、でも」

「でも、ではない! 確かにリエリカは怪我を負わされた、しかしそれはこの亜人の言い分が正しい。先に手を出したボクたちが悪いのだ!」


 ノルンはそれっきり、悔しそうに俯いてしまった。ナルリオスの言い分を認めているからこその悔しさだろう。

 だけれどその正論は、同胞に傷を負わされた怒りでかき消されてしまったのだ。


「だからナルリオスは悪くないだろ!」それでもピーカはナルリオスに対して抗議を続ける。「これはボクとノルンが勝手にやったことだ、ナルリオスは悪くない! ここに来る前から言っていただろ、なのにどうして矢面に立つんだ!」

「ボクが悪くない、なんてことは無い」


 今までよりも数段低い声で、ナルリオスは言った。

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